百聞百見

ふじもと百男の政治活動日記

徘徊SOSネットワーク メールに懐かしさ

2015年02月18日 04時25分26秒 | 日記
 17日(火)、今朝も棒振り、ラジオ体操、短ウォーク。そして、登校見守りに立つ。

 事務所でたまった新聞や昨日の議案などの書類に目を通し整理する。後援会の役員さんと諸々の打ち合わせや連絡事務を行い、外へ。ある医院の前で、亡き母と親しかった方に出会った。「あんたのお母さんは偉かった」と繰り返し話して下さった。母も私もお世話になった方だが、そうして母のことを覚えていて話して下さる方も少なくなった。もう20余年前に他界し、存命なら96歳になるわけだから。この大正生まれの日本人は最強だったという話を作家の門田将氏の講演で聴いたことがある。母親もそうだった。母の姉は去年百歳を祝った。今は毎朝戒名を唱え線香をあげるが、肝っ玉母さんだった。今日、「お母さんは偉かった」という言葉が嬉しかった。

 午後、事務所に来客。相談事だったが、お話を聞いていて、まじめに働いてしっかり納税しておられる方こそ報われるのでなければならない、と思った。そう言えば、金婚式の席で、ある方がぽつりと話された言葉を思い出す。「これからもお元気で云々の言葉の前に、これまでわが町のためにしっかり納税していただきありがとうございました、の言葉があってしかるべきと思うがなあ」だ。夫婦力を合わせてまじめに働き納税してこられたことを誇りにしておられるのだった。

 夕方、加東土木事務所の太田所長補佐から補正の公共事業箇所の説明を受けた。千鳥川に架かる明治橋の橋梁補修他だった。安全対策の前倒しだ。他にも来客が続く。

 そんな夕方、加東市ひとり外出見守り・徘徊SOSネットワーク事務局からFAXが入った。家族が一時不在にしている間に高齢の母親が外出したようで行方不明になった、というものだった。氏名、写真、特徴なども記されており、捜索が始まっている。暗くなってきているので心配したが、午後6時30分頃「保護した」との報が入った。安堵する。
 12月県議会で認知症高齢者の徘徊捜索体制の整備について質問してからこれで2件の行方不明事案が発生した。2件とも無事保護され何よりだったが、一刻を争う命の問題なので、とにかく不明になったらすぐ警察に連絡することが肝心。そして、市の徘徊SOSネットワーク連絡網やメールなどで知らせ、捜索することが命を救うことにつながる。

 もう一つ嬉しいことがあった。教師になって2年目の教え子からホームページにメールが届いていた。夜に返信したが、当時の懐かしい光景がが脳裏によみがえってきた。それにしても記憶とはすごいものだ。当時の授業風景や家庭訪問などの場面がリアルによみがえってきた。

 
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