2月11日は建国記念の日。朝、玄関に国旗を掲げる。戦前、2月11日は紀元節だった。戦争に負け、国民の祝日法が制定されるときには、GHQの圧力によって紀元節は否定されなくなった。しかし、講和独立後、国民の多くが望んだのが紀元節の復活だった。建国を祝う日をもつことは独立国家のしるしでもある。圧倒的に多くの国民の熱望により昭和41年に建国記念の日が祝日に加えられた。しかし、2月11日をめぐっては、紀元節復活に反対する左翼勢力によって論争が起きた。学生時代には紀元節復活反対を叫んで左翼が集会などを開き、一方、民族派は紀元節奉祝運動を展開して我が国の建国の歴史に関して論争が起きていた。今はマスメディアにそうした話題もほとんど上がってこない。自国の建国の歴史にもっと国民の関心が高まることがのぞましい。自国の国柄や文化、そして独立・主権といったことへ関心をもつ契機となるからだ。自国の建国の日をどのようにして祝えばよいのか、そうしたことも分からないままになってしまう。せめて、公も私にあっても国旗を掲げて祝意を表する、ということを徹底したい。その上で、建国を祝う式典や行事を開催したり、参加できるようにしたい。また、学校教育では祝日の意義を指導することになっているが、建国記念の日の意義をしっかりと教えて、自国に対する愛着や誇りを持たせるようにしたい。さらに神社などでは紀元(節)祭が執行されているところもある。いずれにせよ、この日をお祝いするという内容の伴った日にしてかなければならないと思うところだ。
さて、私はこの日、まず、加東市河高の八幡神社に向かう。厄神祭が行われている。地区の皆さんが、うどん、おでん、ぜんざい、ゆで卵などを接待しておられる。生憎の天気だが、次々と参詣の人が訪れていた。また、山の上では恒例の賽銭まきが行われていた。
11時、加東軟式野球協会が主管して東播地区の協議会が開催された。22年度のスケジュールなどを決めていく大切な会議だ。加東の協会が誕生して2年が過ぎた。先輩協会の支えを受けながら一歩一歩基盤づくりが進んでいる。
午後1時30分には社福祉センターで加東市福祉大会が開催され出席した。2年に1回開催される。会場は満席。オープニングでは滝野中の有志による手話歌が披露された。滝野東小に勤務していた頃の小学3年だった子どもたちが立派な中学生になって出演していた。拍手に思わず力が入る。
雨が次第に激しくなる中、加東市上久米の東光寺へと向かう。大日祭が開かれており、雨の中多くの参詣の人が傘を開いて護摩焚きの儀式を見守っていた。雨が強くなったり弱くなったりするなか、山伏の皆さんによる儀式が一段落し、いよいよ火渡りの儀式が行われた。参詣者も素足になり渡る。私も渡らせてもらった。順番を待つ間の田圃に溜まった冷たい水から一気に炭の上へ。熱さはまったく感じなかった。
今年は雨の建国記念の日だった。国の建国を祝い、歴史と伝統、そして福祉の向上への思いを強くした一日になった。