百聞百見

ふじもと百男の政治活動日記

特別警報下の加東市内

2018年07月08日 05時35分14秒 | 日記












 7日(土)、昨夜は午前2時頃まで議員と連絡を取り合っていた。七夕の朝は大雨が降り続いていた。
 早速、かとうケーブルテレビで加古川の増水状況や災害対策本部からの情報を確認し車を走らせた。北播磨県民局で、加東土木事務所で情報確認。職員の皆さんが配置についていた。濱西県民局長と情報交換を行った。
 まず、加古川の加東市域の上流部、闘龍橋の東詰、多井田地区の西山畳店へ。いつもこの畳店の階下の作業場、材料置場から浸水する。周辺の田は既に水没し、波が押し寄せている。
 次に対岸の上滝野の闘龍スクエアへ。怒濤となって荒れ狂う加古川の流れに恐怖さえ感じる。滝寺荘の玄関のすぐ下まで水位は上がっていた。下流部の座の浜は完全水没状態だった。天理教の教会では玄関下まで水が上がっていた。高台にある上滝野地区公民館には避難した住民の皆さんが休んで居られた。区長さんから情報を得る。
 次に下滝野へ。公民館には同様に避難された方が居られた。ここでも区長さんはじめ役員さん等と情報交換。激しい降雨。神結酒造の辺り、油谷川と加古川の合流点へ向かうもすでに道路は冠水しており通行止め。田圃、生コン会社、そして内橋モータースさんも浸水状態で近寄れなかった。
 さらに下流の河高地区交流会館へ。ここには約100名の住民が避難しておられた。区長さんから避難状況などについて情報を聞く。同地区の下流部の安取地区では、内水をポンプで排水中だった。排水機場の工事が行われているが、完成は来年の春の予定。
 加東大橋を左岸へ渡り、上田地区公民館へ。消防団、地区役員さんが詰めておられた。避難の皆さんは富士通の体育館へ避難されたとのことだった。さらに大門地区へ向かうと、大門橋は通行止めとなっていた。
 このあと、牧野地区のため池へ。ゴルフ場の中にある住吉池や水路の状況も確認した。奥ノカチ池は満水状態。さらに地区内の水路を確認しながら、牧野川下流部の通称多井田池まで水の流れを辿った。数十年に一度の大雨の状況下、水の状態を確認でき参考になった。
 ここから上久米地区へ。県道西脇三田線を走り、上久米の東端辺りにさしかかると、左手の田圃3枚が冠水している光景が突然視界に入った。さらに背後の桃園の一角が崩れて道路脇の民家の裏側まで土砂が流れており、川をせき止める形になっていた。このため水が勢いよく田圃へ流れ出たものだった。消防団員と一緒に家屋に流れが入り込まないように土嚢を積み上げる作業を行った。援軍の消防団も到着し手際よく土嚢積みが行われた。家人の話では、竹の生えた斜面がバリバリという音とともに3回にわたって崩れ、怖かったということだった。地区役員さんから朝からの状況を聞くことができた。
 作業も一段落し、雨も小康状態となり一旦帰宅。3時過ぎ、今度は東条地区へ。避難者の入る東条東小学校から下流へと車を走らせた。小野市との境の松沢地区では、地区の方からピーク時に道路が冠水していたことも教えていただいた。
 夕方、避難指示が出ていた下久米地区の避難場所の米田小が校体育館へ。避難された方から裏山に亀裂が、という話を聞かせてもらった。18世帯が避難し、校長先生はじめ教員、市役所職員の皆さんが避難者への対応をしておられた。高齢者の体調を聞くなど丁寧な対応ぶりだった。
 6時前、薄暗くなり、激しい雷雨になった。とにかくこれだけ雨が降り続いたので経験しない事態が起きていた。テレビ、ケーブルテレビ、防災放送など細かい情報を得ることもできたことが行動の判断材料にもなったと思う。河高地区で出会ったある方は、上流の板波観測点の水位が何メートルになれば避難することに決めている、と話されていた。指示を待つのではなく、まず、自主判断基準を決めておき、迷うことなく避難行動をとることは大事なことだと改めて気づかされた。自身の危機管理。自助、共助、公助とその間に「近所(助)」を入れて自らの命をしっかり守ることが大事だ。
 夕方6時過ぎ、市内の避難勧告、避難指示は解除された。また、兵庫県に出されていた特別警戒も解除された。しかし、安心はできない。積算雨量はものすごく、今後も警戒をしなければならない。

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