中浦和“ふうるふうる”のたらです。
5月17日に「戦争絶滅受合法案」について書いたけど、「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」(高橋哲哉・斎藤貴男 編著 日本評論社)でも書いてくれています。
国家元首を中心とした国家の権力者たち、そして彼らと利益を共有するものたちが自分たちの権力や利益を確保し、あるいは拡大するために国民を犠牲にして行うのが戦争の典型的な形である。国家の戦争とは、国民の犠牲のもとに権力者たちが領土を獲得したり、資源を獲得したり、権益を拡大していくものなのです。そういう真実をこの法案は正確にとらえて暴露しているということです。
本当にねえ、世界中の国が「戦争絶滅受合法案」を成立させたら戦争は起こらなくなるんじゃないの?
では憲法9条についてなどを、「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」から抜粋します。
●憲法が変わったら、戦争になるのですか?
憲法9条が戦争放棄・戦力不保持・交戦権拒否を定めているため、憲法をそのままにして戦争を行うこと(戦争に参加すること)はできませんが、9条を変え、特に、戦力不保持(この場合の戦力とは軍隊のこと)をやめて自衛隊を正式に軍隊とし、交戦権否認を削除してしまえば、基本的にはいつでも戦争を行えるようになります。
9条が変われば、海外に軍隊を派遣して他国に圧力をかけるということもできるわけで、またそういった行為が本格的な戦争のきっかけになるという危険性もあるでしょう。
また、現在憲法を変えたいと強く思っている人たちの当面の目的は、世界中で展開されているアメリカの戦争に日本がついて行けるようにすることです。戦争の危険性は、現在に比べてとても高くなってしまうといえるでしょう。
なぜ「憲法を変えるべきだ」ということになるのでしょう。それは、今の憲法のもとではどうしてもできないことをやろうとしているからです。現在の自衛隊は、海外で直接、軍事行動をとることはできません。正規の「軍」となれば、「敵」を殲滅(皆殺しにして滅ぼすこと)を目的とした軍事行動が行えるようになります。
外国に戦争をしに行けるようにすること、それが憲法9条を変える目的なのです。
●じつは9条だけじゃない
自民党は9条や、ほかの条文を多少変える「改正案」でなく、丸ごと新しいものにする「新憲法草案」を提案しています。
ここで気がかりなのが、自民党の憲法草案では立憲主義や「個人の尊重」がかなり弱まってしまうということです。
「国」を治めているのは、現実には、私たちが選んだ(はずの)政治家とそれを支える官僚です。この人たちも人間ですから、必ず間違えることがある(「権力は暴走する」)。 ですから、自分の生活を守ろうとするなら、そして、国のことを本当に思うなら、この国が今どうなっているのか、これからどっちに向かうべきか、それぞれ多様な一人ひとりがきちんと自由に考えて、それを表現することが必要です。
●9条に限らず、60年も経った古い憲法なのだから、変えたほうがいいのでは?
憲法が定める原則で、本当に変えたほうがよいものがあるかどうかは、もう少しきちんと今の憲法が果たしてきた役割をみてからでも遅くないのではないでしょうか。
まず9条についていえば、実際これがあったために、日本はこれまで60年間、あからさまな戦争をせずにきました。
9条が、ちゃんと戦争への「抑止力」になってきたのです。
それ以外についても、憲法の規定はもともと原則であって、抽象的なものです。それを根拠に新しい法律ができたり、裁判が起こされたりして、国民の具体的な人権が少しずつ進展してきました。
憲法が定めた権利がまだ十分に保障されていないなら、それは国会や行政の仕事であって、憲法の責任ではありません。
自民党がこれまでほとんどずっと国会で多数を握り、そしてたびたび憲法を変えようとしてきたにもかかわらず、国民は歴史の節目でいくたびかその動きを拒否してきました。これは結局、日本の国民が、今の憲法を選択してきたということではないでしょうか。
じゃあ今、憲法を改正しようという動きが大きくなっているのはなぜか?
実際に戦争を体験した人が身近にいなくなっているということも大きいんじゃないかと思う。
それから、戦争ってどんなものか想像できない人や、自分だけは安全だと何となく思っている人、ゲーム感覚でしかとらえられない人が多くなっているんじゃないか?
すっごく不安だ。