花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

サツマイモはアピタで

2009年05月31日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
「駅西のアピタへ出かけるゎ」とおかあんに言ったところ、これをもって行けとおっしゃる。見るとサツマイモが輪切りになってビニール袋に入っている。
昨日買って、てんぷらにしようと切ったら中に巣が入っていた。190円の品だが交換してくれるか聞いて欲しいということだった。
あまり気持ちが進まないまま出かけ、レシートと一緒に受付で差し出すと食品担当の者を呼びますとの返事。
しばらく待つと、エプロン姿の男性が駆けつけて来た。半分に切ったサツマイモともう一つ持っている。
「大変申し訳ありませんでした。この品は大丈夫です」と切ってあるほうのサツマイモの断面を見せて、どちらをお持ちいただきますか?と聞く。
もちろん切っていただいたほうで結構ですと答えたが、二つともお持ちくださいとの返事。受付の女性二人とそろって深々とお辞儀をされ、申し訳ないような気持ちで帰ってきた。
考えてみれば当たり前のような話だが、その当たり前のようなことがなかなか出来ない。気持ちよく出来ない。
その日の前日、当店であった話。
年配の女性が茶碗を持ってみえた。ふちが少し欠けているから交換して欲しいとのことだった。震える手には当店のレシートもあった。
「申し訳ありませんでした。商品の中から良い品をお選びください」と新しい品を持って帰っていただいた。
直後、おかあんが話すことには、そのご老人は前日に茶碗を買っていかれた。古い茶碗の始末に困るので、後日持ってくるから始末して欲しいとのことだったそうだ。
欠けた茶碗をよく見ると細かい傷があり、使用された形跡が・・
どこでどう混乱されたのか、使っている間に欠けた部分を見つけて「不良品だ!」ということになったのか。
400円の品だが「これではなにをしているのか分からない」とおかあんはご立腹だ。
しかし、アピタのサツマイモの対応はよかった。これからもサツマイモはアピタで、ということにしている。

高橋卓志著「寺よ、変われ」のつづき

2009年05月30日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
住職の高橋さんは、檀家のSさんから会いたいとの連絡を受ける。
Sさんは末期がんを患っており、自らの意思で治療をやめて自宅療養を選択した方だ。
高橋さんは看護師の資格を持つ尼僧の恵道さんと共にSさん宅を訪れ、自宅療養のできるための相談を受けた。緊急対応が可能な医師の確保、痛みの緩和、家庭介護の援助等の問題の方策を練る。事態は厳しかった。
こうして患者さんのことを第一に考えてくれる緩和ケアが専門のK医師がかかわることとなり、介護と看護のチームも動き始めた。高橋さんも恵道さんと共に毎日のようにSさん宅を訪れ介護に加わる。こうして20日間の月日が流れたある日、Sさんの呼吸が止まった。
高橋卓志さんは「寺よ、変われ」でこう書いてみえる。

やせ細り、血圧が落ち、いよいよ旅立ちが近いと判断された夜、私はSさんの枕辺に伺い、最期の言葉をおかけした。「精一杯生きましたね。がんばりましたね」そして「もう流れに任せましょうね。楽になっていいんですよ」と。
意識が遠ざかり、答えられなくなっていたと思われたSさんがそのとき、小さく、「はい!」と答えてくれた。驚くと同時に感動した。その翌日Sさんは静かに旅立っていかれた。呼吸を止められたSさんの枕元に立ったとき、私も恵道尼も「役目が終わった」ことを実感した。
普通なら坊さんの仕事は、この瞬間から葬儀という形で始まるはずなのだが・・・・

懸命に取り組む姿勢は美しい。僧侶という職業の なんとすばらしいことか・・・

高橋卓志著「寺よ 変われ」

2009年05月29日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
          
職業柄、最近の葬儀と寺院のあり方に危うさを感じている。
先日、友人が母親の葬儀を済ませたという。僧侶も頼まず自分たちだけで終えた。したがって位牌も作らない。仏壇も要らないから引き上げて欲しい。
「親に対する感謝の気持ちは???」と口に出かかったがやめた。
今のお寺には、友人に母の恩を教えるだけの力はないのだろうか。
そんな中、高橋卓志著「寺よ、変われ」岩波新書刊の出版を知った。
さっそく読ませていただいた。高橋氏は自分と同じ1948年生まれの団塊の世代の僧侶である。南方への戦没者慰霊行をきっかけに、昨今の寺院のあり方に疑問を感じ改革に転じた。
その後、チェルノブイリ原発事故や、タイのエイズ患者への救護活動を続け、自分の寺「神宮寺」の葬儀をはじめとする布教活動に新しい仕組みを取り入れて活動していることを知った。
現在の寺院は、死という悲しみを終了した後の葬儀からかかわる。親族の悲しみはさておいて、対外的に周知させるための儀式からしか関係を持たない。生老病死という苦しみや悩みを受け入れ、ともに乗り越えて生きていこうという姿勢を今の僧侶からは期待できない、とは言いすぎだろうか。
神宮寺の葬儀には、カラオケの曲や、球団の応援歌が歌われたり、生前愛用の品が寺院に持ち込まれたりして、それぞれの故人を偲ぶにふさわしい形で式は行われる。
今でこそ、寺院でオーケストラや落語が行われることは珍しくなくなったが、高橋さんは、他の寺院から大きな反発を食らっているそうだ。
目にみえて形骸化し衰えていく仏教を、どうかして衆知を集め盛り返したいと実践を続ける高橋さんの姿は、ちょうど衰退する中心商店街を活性化させたいというわれわれの運動と重なる。
高橋さんは地元の、浅間温泉にある老朽化した旅館を利用してNPOを立ち上げ、地域の老人をはじめとする住民が集える「ケアタウン浅間温泉」を設立した。
観光としての集客が枯渇した温泉街を、健康とケアによって集客できる街への転換を試みる事業となっている。
一人ひとりの苦しみや悩みを大切に救い上げ受け取って、ともに楽しみ喜び合える場を、中心商店街に作り上げたいと(エラソウニモ コノ私ハ)この本を読ませていただいて 強く感じました。

振興組合総会終了

2009年05月23日 | 諏訪商店街振興組合のこと
          
5月21日、四日市諏訪商店街振興組合の総会が終了いたしました。
実は4日ほど前から咳が出て、前日にお医者さんへ出向いておりました。
「新型インフルエンザの反応は大げさすぎる。医師会から多量のファクスが届いているが、私などマスクもしていない」との元気なお言葉。確かに巷は過剰反応の様相です。
私はと申しますと、熱はなかったので薬をいただいて帰ってまいりました。
さて当日。決算報告を壇上で読ませていただくうちに、のどがこそばゆくなってまいりました。さて困ったと思いきや、機転を利かせた司会の松田さんが、コップの水を差し出してくれました。
飲んでから気づいたのですが、それは松田さんが飲みかけた水でありました。
ありがとうございました。
そんなことでその後の懇親会も気分がすぐれず、いつもの調子が出ない私でございました。(あ、松田さんの水のせいではありません。風邪のせいでした)
本日、メーカーの和田さんが来ていて、話すことには、お客さんのところでマスクを分けてもらったとのことでした。なんと5枚入り1000円!大変な暴騰でございマス

「ネブル」は方言?

2009年05月16日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
          
今日のブログは書くべきか迷いました。不謹慎な文に嫌悪感をモヨウされる方はここでおやめください。
さて、5月11日のことですか、諏訪新道発展会の総会に、わたくし振興組合としてお伺いいたしました。
真剣な会議のあと懇親会に移り、SさんとYさんとの真面目なお話の中で「ネブル」という言葉が方言かどうかという話題になりました。なぜそういう話になったのかは記憶にありません。
わたしとYさんは「ネブルは四日市弁やに。ナメルが標準語やさ」といいますが。知恵者のSさんは「ネブル」は標準語だといって譲りませんでした。
本日、トイレの隅に山積みとなった週刊文春をひっくり返してみていたところ、氏家幹人著「江戸の悪知恵」にアッ!と思わせる文章が載っておりました。

江戸初期の笑話集「昨日は今日の物語」にこんな話が。
女房が間男していることを知り、亭主が二階に隠れていると、男が来てさっそく事が始まった。(不謹慎につき、ここで読むのをやめていただいても結構です)
ところが女は男があそこを舐めてくれないのが不満で「私のこと本当は愛してないんでしょ」
男「命がけで会いに来たのにひどいじゃないか。さあ舐めてあげよう」
男は女のそこに顔を近づけたのだが・・・。あまりの臭さで舐められず、鼻でこすってごまかした。
しかし女は「今のって、鼻よね」とお見通し。男「まさか、舌だよ」
二人が言い争うのを節穴からのぞいていた亭主が、思わず声を出した。
「おれはどちらの味方でもないが、今のは鼻だ」
女の最初の言葉の原文は「しんしつおもへは ねふるものしやか」
「ねふる」は「舐る(ねぶる)」で今風に訳せばクンニになる。

つまり江戸以前からあった標準語でございました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました

「諏訪商人塾2009」開講決定デス!

2009年05月15日 | 諏訪商店街振興組合のこと
前年度は9回にわたり、諏訪商店街振興組合主催で「諏訪商人塾」を開かせていただきました。ところがお集まりいただいた方は毎回10名前後、この結果では失敗を認めざるを得ませんでした。
どうしたものかと石川先生、三重県の商工農水部さん、そしてヤナさんとスギノさんに相談。かくして「諏訪商人塾2009」が企画されました。今回は定員を設けました。限定15店舗。15名の仲間でスクラムを組み、商店街を元気にしましょう。とうことで講師は、引き続き石川明湖先生にお願いいたします。
会費は原則いただきませんが、材料費(用紙、マジックペン)・視察旅費(ガソリン代)等実費を少々頂戴する場合がございます。
参加資格は設けません。四日市中心市街地でお店を商う方で「今の状態を何とかしたい」とお考えの方なら合格です。
日程は、6月から毎月第3水曜日の午後7時。スワセントラルパーキング2階会議室が会場です。

第1部「すごい店の すごい売り方」
第1回「ヘタで結構 こころのこもったPOPに挑戦」
「店」は「見せ」です。商品を並べているだけではただの倉庫。陳列とPOPで商品は生まれ変わります。
商品への愛情と熱意を込めたPOPを描きます。
第2回「もっとすばらしいPOPがかける」
思わず買ってみたくなるPOPとは?お店の売りを効果的に演出するには?を考えてみましょう。
第2部「商店街有頂天ツアー」
第3・4回「私たちでお店の診断」
ただし条件があります。決して人のお店をけなさないこと。褒めることです。ほめることで欠点が反省され、よいところが伸びます。
第5回「こんな店がすごい店」
自分の店の短所はわかっていて、人の店の改善点はよく見えます。みんなで話し合ってみましょう。愛情をこめて。
第3部「思わずえがおの当店自慢」
第6・7回「なんども訪れてみたくなる店」
一店逸品は商品とは限りません。「あのお店のあの人と話がしたい」でもいいのです。みんなで一店逸品を考えよう。
第8・9回「商店街通信をつくろう」
今までの成果から、商店街通信づくりに挑戦します。
平成22年4月初旬発行。魅力あふれる新聞の完成です。

※特別回 この1年の間のどこかで視察旅行にいけたら良いのですが。
日帰りで、近場で、気軽に、親睦を兼ねて。
今回は成果の見える勉強会を企画したつもりです。
ということで、これから募集をさせていただこうと考えております。
この企画は、県の専門家派遣補助事業の一環として実施させていただきます。

ねじめ正一著「商人(あきんど)」

2009年05月12日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
          
私は居ずまいを正して、二度精読した。実は、もう一度読もうと思っている。
週刊文春の「今週の必読」で、ねじめ正一著「商人(あきんど)」集英社 がノンフィクションライターの野村進氏によって紹介されていた。
なんとしてでも読みたくなった。早速、近くの本屋を回ったが見当たらない。やむなくネットで発注する。翌々日の朝、本は到着した。早い。
「商人(あきんど)」は江戸の中期、日本橋の「伊勢屋にんべん」という名の鰹節商店の次男 伊之助の半生を描いた物語である。
もし私が、江戸時代の伊勢屋の前に立つことができたなら、深々と敬意をこめてお辞儀をしたい。
「伊之助さん、否、今は大店を継いで伊勢屋三代高津伊兵衛さんになられていると思います。あなたの半生、一代目が日本橋で財を成し、突然の死を迎えた。そして、二代目のお兄さんが、店ののれんの重みに耐えかねて亡くなり、お兄さんの意思をついで、工夫と苦労の末、三代目を襲名された。あなたの半生を読ませていただきました。大店を維持継承していくことの大切さと、商人(あきんど)たるものがどう生きるべきなのかを、教えていただきました。心よりお礼申し上げます」
冒頭から驚かされた。初代伊兵衛は四日市の出なのだ。泊村には親戚がある。波切では鰹の一本釣りが行われていて、元服間もない伊之助は、鰹節の生産地波切まで買い付けに赴く。人ごとではないような近親感を覚える。
私は読みすすむうちに二度泣かされた。
一度は、伊之助の嫁「ため」が兄の伊兵衛に、はじめて会ったときとった態度。
そして、二度目は、これだぁ!

そうではないだろう、と伊之助は思った。商いは、人の喜ぶ顔を見るためにするものである。人が喜び、喜ぶ人の顔を見ることで自分も喜ぶ。店の格とは、虚心坦懐に客の笑顔を喜ぶ気持ちの深さのことである。

私も、居住まいを正して、もう一度読もうと思っております。

日蓮上人登場!

2009年05月10日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
          
日蓮宗の寺院「本覚寺」さんの門前に、こんな聖話が挙げられておりましたので、ご紹介します。
かたうどよりも
強敵(ごうてき)が
人をばよくなしけるなり
かたうど とは方人と書き 味方のことだそうです
味方よりも手ごわい敵方のほうが、人間形成には良いのですよ という意味です。
日蓮宗を布教するにあたっては、多くの弾圧がかけられました。弾圧に立ち向かった日蓮上人らしい、厳しい言葉です。
味方の優しい言葉の中では自分は鍛えられません。戦ってこそ強くなる。負けたとしても立ち直る意思があれば、強くなるのです。
ですから、敵さんには感謝しなければなりません。
できれば戦わずに済ませたほうがいい。それに越したことはないのです。
ということでしょうか

みたび 勝間和代さんの「起きていることはすべて正しい」

2009年05月06日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
みたび、勝間和代さんの「起きていることはすべて正しい」より
私は商店街のある方から、改善点を指摘されています。そのつど改めるなり即答するなりしているのですが、数年にわたって同じことをおっしゃいます。ついに爆発という結果になってしまいました。
勝間さんはこう書いています。
「怒らない」というのは、文句のひとつも言わずに、我慢しなければいけないと言っているのではありません。
むしろ、怒ったときには無駄に我慢せず、こちらの不満を相手に誠実に伝え、その問題解決を相手とともにやっていきます。でないと突然キレてしまう結果になるからです。
つまり、相手に対して不満や要望があるときには、まず何が不満かを丁寧に伝え、相手にこんな行動をしてほしいということを伝えます。
これを数回繰り返しても、相手が理解せずに同じような問題を繰り返す場合には、我慢せず、その相手とはなるべく付き合わないようにすることが無難です。
どうしても付き合わなければならない場合は、極力接触時間を少なくする努力をします。
問題解決には、相手との信頼関係がカギになるのです。
そして、「最高のリーダー、マネージャーがいつも考えているたったひとつのこと」(加賀山卓朗訳、日本経済新聞社)を挙げてこう書いてみえます。
「個人が能力を伸ばすにはどうしたらいいのか」という問題について、たったひとつの秘訣が述べられています。
それは、「自分がしたくないことをしないこと」であると。
そうなのです。私たちは、自分が怒りを覚えるような人間関係を持たない権利があるのです。

「ほっとする禅語」石飛博光著

2009年05月05日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
          
石飛博光著「ほっとする禅語」二玄社より
仏教の禅の言葉には、自戒させられる言葉がたくさんあります。
仏教の三毒「妬むな、怒るな、愚痴るな」それに私は「驕るな」を付け足しました。驕り高ぶる自分に言い聞かせたい、しっかり反省させたいとき、禅語にこのような教えがありました。
勢、使い尽くすべからずいきおい つかいつくすべからず
調子に乗っているときは、恐れを知らない自分になっています。自分が正しいと思い込んでしまい、人の言葉が聞こえなくなります。
そんな時「謙虚であれ」と気づけばいいのですが、勢いは強い力となって突き進む。そんなことができてしまうのです。
しかし、歳を重ねるごとに、それはいつまでも続けることができないのだということを学んでいきます。
勢いあまって本来の目的以外にも鉾先を向ける。勢いあまってついてくる人たちを見失う。勢いにまかせていると、弱いものが見えなくなる。勢いが人を傷つけ、自分の首を絞める行動に走らせる。
だから、腹八分目でやめておく知恵が生まれました。
歴史をふりかえれば、勢いに陰りがさすのは、敵側の要素ではなく、きまって自分に原因があるのですよと、この本は教えております。