花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

市井からの眺め39講和記念博覧会”⑤

2020年04月29日 | レモン色の町

昭和11年開催の“国産振興大博覧会”で、外人によるアトラクションが好評だったように“昭和27年の“講和記念大博覧会”も、野外ステージに力を入れていた。

正門前に立ったとき、中空にそびえた中央塔の半ばに渦巻く赤色ネオンを設けた絢爛な風車を付けた高層建築と完全放送設備を兼ねた建物こそは本博覧会圧巻の大豪華版、アトラクションの殿堂、野外劇場のそれである。

さて、やや大げさな呼び込みに、どんなステージが繰り広げられたのか。

野外劇場の専属東宝ダンシングチームは、はるばる東京から招かれた当博覧会の大きなサービスの一つであった。1日3回の出演は、その斬新なダンスとストリップ的なチャーミングの姿態は観客の興味をそそり、時に観客をして陶酔の佳境に導くのであった。・・・とは、随分な言い方である。

歌手は、近江俊郎、東海林太郎、鶴田六郎、淡谷のり子、奈良光枝、三条町子。落語では、柳亭痴楽、柳谷三亀松、渡辺はま子が出演。また、『二十の扉』の放送メンバーも揃っての出演となった。そしてなんと、吉田 茂総裁がゲストとして来四している。また郷土色豊かな、佐渡おけさ、伊勢音頭、尾鷲おどりも披露された。

また、農機具に対する生産の歓びと感謝を捧げるため、“農機具祭”が開かれ、古式による神舞はじつに神代を偲ばせその風雅な情緒は見る人を楽しませた。今回の“農機具祭”と称する儀式は全国初であり、宿谷会長は、毎年4月2日を全国的に“農機具祭の日”の実施を希望したであろう。残念ながら一回こっきりだった。

その他、四日市可祝連や富田芸妓による舞踊、名古屋島田バレー団による演出等観客の人々には好評であった。ただし、さすがの盛況も雨天の日は利用できず、迎賓館に充てられた公会堂での諸行事が行われたのである。公会堂が迎賓館を兼ねていた、ということでしょうか?

 


市井からの眺め38 講和記念博覧会④

2020年04月28日 | レモン色の町

昭和26年9月8日、サンフランシスコにおいてアメリカをはじめとする連合国と日本の間で講和条約が締結、戦争状態が終わりを告げた。こうして立ち直りの希望が見えてきた昭和27年に開催されたのが“講和記念大博覧会”だった。

野外ステージ裏は橋本病院?

正門を入って平和の女神像の左奥に地球儀の形をした建物があった。これが“講和記念館”である。各館に比べて規模は小さく僅かに40坪であったが、地球型の円形ドウムは、大地球が回転している様であり、正面に高さ30尺の国連を紹介する壁門は、平和を表象すると共に国民再生を感銘するに足る構想であった。

入口

一歩館内に入ると上空には国連旗が上がり、左右には講和条約に関するパノラマを配し、平和の使いである白鳩数十羽が飛び交っていた(糞はかからなかったのか?)。また、丸い壁面に沿って、太平洋戦争の終末よりミズリー号艦上における停戦調停の写真や講和条約締結までの詳細が展示されていた。

講和記念館内部

更に、我が国の貿易の将来性についての分析結果も表示されて、再建日本の国民に与える良い資料でもあった。(その内容は、国民所得から工業生産力、食糧事情や千島・樺太・台湾の帰属問題まで及んでいた)


市井からの眺め 37講和記念博覧会③

2020年04月27日 | レモン色の町

平和の女神像の東に産業ホールが見える

正面入り口を入って左側にある大きな建物が“産業ホール”である。ここは近代日本の産業、鉄・石炭・電力の三大基幹産業の製品が陳列されていた。金属工業の刺激となるスマートな自転車、電気洗濯機、電気冷蔵庫、扇風機、ミシン、ラジオ、アイロン等が並び、一般化されんとしつつある蛍光燈は各所に藍色の柔らかい光を放ち、家庭婦人の注目の的となっていた。

 繊維工業は、綿糸の域をはるかに超えたビニール・ビニロン・ナイロン等の化学繊維が、誠に清らかで美しい色彩を織り出し近代女性の服飾の上に大きな役割を演じている。化学工業の発達は繊維ばかりでなく、合成樹脂製品が日用品に多く使われていた。

 農業生産の陳列では、化学肥料の性能が図表で示されていて、将来の合理的方向を示していた。従来の日本人の食生活には幾多の改善の余地がある。食生活の上で栄養的必需品たる砂糖・醤油・味の素・ソース、その他罐詰等を陳列して観客の食欲をそそるに充分であった。また、お茶(玉露や紅茶)や清酒、ウイスキーの展示もあった。

物がなかった時代、見るものすべてが新鮮で購買意欲を掻き立てられた。


市井からの眺め36 講和記念博覧会②

2020年04月25日 | レモン色の町

昭和27年3から4月にかけて開かれた“講和記念四日市大博覧会”。会場内の様子はどうだったのだろうか?

 正門は入るとまず観客の目を奪うものは、平和の女神を中心とする中央ロータリーの構成である。清水三重三氏による塑像は、博覧会終了後も中央道路と三滝通りが交差する、ほぼその位置に残された。女神像の高さは6尺1寸8分。昭和20年、四日市が戦災を受けた6月18日を記念するものでこれを永久に保存せんとするものである。一女性の裸像がかすかに大空を仰ぎ、両手を左右に伸ばしたポーズはあたかも平和の使。鳩がまさに上空に飛翔せんとする姿で平和を象徴するに十分である。他の十一体の塑像にも裸像が目立ったので美術彫塑展などに接する機会の少ない農村の女性は、裸像を見て何となく羞恥を覚え、一寸顔を赤らめる姿も見られた。

えらいひと!デス

写真は、正門を南向きに撮られているが、女神像を背景に女性が写っているのは西向きだろうか?となると“ガラスの家”は、家が建っていたのではなく、屋外に塑像が並んでいただけだったのだろうか?

 


市井からの眺め35 講和記念博覧会①

2020年04月24日 | レモン色の町

戦禍から立ち直り希望が見え始めた昭和27年3月、中央通りを会場に“講和記念四日市大博覧会”が開かれた。さて、その主旨は・・・。

入口ゲート 市役所屋上より

 敗戦によって受けた我が国の産業界は、その打撃が非常に高く、各種工場の戦禍による被害、産業人の激減等全く再起不能の状態に陥ったのである。加うるに国民生活は極度に低下、あたかもと屠者に歩む羊のごとき感があったのである。しかし、独立によって、国家経済の回復と各種産業の発展が希望されている。従って産業の振興は徒らに外国に依存することなく、疲弊せる国家財政を堅実に伸展せしめて、わが国の産業人を強化せしめる要がある。これがために展示会、博覧会等を開催して、多くの観覧者にこれ等の実際を研究し得る機会を与えることは、尤も必要なことである。今回の博覧会開催の重要目標も又ここにあることは当然である。

正門

 ほとんどの国民は、敗戦により植民地化を覚悟したのだろう。“独立”とか“外国依存”などの言葉が目を引く。力強く立ち直る自信にあふれています。


市井からの眺め 四日市小唄

2020年04月22日 | レモン色の町

もう1曲、昭和11年の国産振興四日市大博覧会会場で流れていた歌がある。それは、佐藤千夜子の「四日市小唄」であります。作詞・西條八十 作曲・中山晋平というと充分聞き覚えのある著名人だ。佐藤千夜子は「東京行進曲」「影を慕いて」と昭和の流行歌史に不滅の金字塔を建てた永遠の歌姫と讃えられている。

    北野保著「よっかいち浪漫紀行」より

四日市小唄 西條八十 作詞・中山晋平 作曲 

     歌唱 佐藤千夜子 ビクターオーケストラ

鯨おう子の 鯨おう子の もりからくれて ヤレコノセ

諏訪の祭りの ジツ祭りの 秋の月 ササ ヤレコノセ

「ハリャ よってけよいよい 四日市」

 

しおれ葵を しおれ葵を 生かした水が ヤレコノセ

今も下ゆく ジッ下ゆく 思案橋 ササ ヤレコノセ

「ハリャ よってけよいよい 四日市」

 

面白いぞえ 面白いぞえ 霞ケ浦は ヤレコノセ

馬と白帆の ジッ白帆の 駆けくらべ ササ ヤレコノセ

「ハリャ よってけよいよい 四日市」

 

月にかこつけ 月にかこつけ 紅かねつけて ヤレコノセ

おかをみたきの ジッに三滝の 橋の上 ササ ヤレコノセ

「ハリャ よってけよいよい 四日市」

最後のフレーズは 聞き覚えがあります。いつの時代も かたい男の歌と やわらかい女の歌を対にしたのでせうか? とにかく えらいお金をかけたものですナ。

 


市井からの眺め 33 繁栄への道①

2020年04月20日 | レモン色の町

浜田小学校の校舎から商工会議所の火事が見えた。隣が税務署だったのでもっと焼けろ!と意味も分からず不謹慎なことをわめいていた。このころになると街の中も整備が進む。火災から立ち直った四日市商工会議所、家庭裁判所、市立病院や近鉄百貨店、国鉄四日市駅など次々と竣工式を迎えている。伊勢湾台風の襲来が昭和34年の夜の事だった。当店も塀が倒れて怖い思いをした。しかし、復興は意外と早く、これを機に狭軌道だった近鉄線が広軌に切り替えられた。

写真は昭和30年ころの諏訪駅へ向かう近鉄線。1号線から北方向に撮られている。この後、近鉄四日市駅が完成。この線路も廃線となり狭軌道のまま短絡化がすすめられた。

図書館を借りていた市立病院は、昭和24年 諏訪公園西に移転、その後、昭和36年に堀木へ新しく建てられた。現在はマンションが建っている。

 


市井からの眺め 躍進四日市!

2020年04月19日 | レモン色の町

朝ドラ「エール」のモデルとなっている作曲家の古関裕而氏は、四日市にご縁がある。北野保著「よっかいち歴史浪漫紀行」より

福島県古関裕而記念館

「暁に祈る」「長崎の鐘」「君の名は」「オリンピック・マーチ」など5000曲に及ぶ曲を残しているが、昭和11年4月発売のレコードに「躍進四日市」がある。1.245.000人の入場者があった国産振興四日市大博覧会のために作られ、会場内では1日中この曲が流されていたそうだ。

ちなみに、作詞は「酒は涙か溜息か」の高橋掬太郎。歌唱は「露営の歌」「イヨマンテの夜」「栄冠は君に輝く」の伊藤久男である(って言われてもシランナア)。

国産振興四日市大博覧会 躍進四日市 (昭和11年3月発売)

   空の鳥さえ みな来て覗く

   街は文化の 街は文化の はなざかり

   躍進 躍進 サアサ 謳えよ 四日市

 

   豪州通いを 横付けさせて

   みなと繁盛の みなと繁盛の ひとはやし

   躍進 躍進 サアサ 謳えよ 四日市

 

   御代は萬代 萬古のけむり

   咲いた菜の花 咲いた菜の花 黄金色

   躍進 躍進 サアサ 謳えよ 四日市

 

   山車は 二十六 若い衆は総出

   祭り衣装の 祭り衣装の ほどのよさ

   躍進 躍進 サアサ 謳えよ 四日市

当時の四日市の元気な雰囲気が よく出ています この曲、聞いてみたいものです。