花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

小津安二郎監督「麦秋」

2012年01月31日 | 諏訪商店街振興組合のこと
     
     
     
1月27日上映させていただいた「東京物語」は皆様から好評の感想をいただきました。ありがとうございました。
最終が近づくにつれて、益々盛り上がってきたように感じ、うれしく思っております。
さて、第8回は「麦秋」です。初夏の頃、麦の取り入れ時期を麦秋と呼びます。
昭和26年製作のこの作品は、東京物語の2年前に作られました。
北鎌倉の三代にわたる大家族が、娘 紀子(原節子)の結婚を機会に、崩壊して行く物語です。「晩春」(昭和25年製作・第9回にて上映)「麦秋」「東京物語」は、原節子が紀子役で出演していることから、紀子三部作と呼ばれています。
上映は2月24日(金)午後6時30分より・スワセントラルパーキング2階会議室にて。
ご期待ください
※ ポスターの訂正でゴザイマス。奈良から遊びに来た祖父の名前が“二本柳寛”となっておりますが“高堂国典”の間違いでした。お詫び申し上げます。二本柳寛は、原節子の婚約者です。(ネタバレ)
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モット・ヨッカイチ“四日市の歴史”

2012年01月30日 | おいらの商店街
モット・ヨッカイチ2月号が発刊されました。辻さんの昭和30年代の中心商店街の様子を写した写真が7点掲載されています。商店街で手にとってご覧ください。
          
          
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「東京物語」上映

2012年01月29日 | 諏訪商店街振興組合のこと
     
1月27日「東京物語」を上映させていただきました。
寒い中、大勢の方にお集まりいただき、小津監督の映画を今日まで続けられたことがありがたく、感謝の気持ちでいっぱいでした。
Tさんが早速感想を届けていただきました。ありがとうございました。

小津氏の文豪志賀直哉への敬愛の情をうかがわせるエピソードがあります。
ある日、小津氏が奈良市内でロケをしていると、当時近くに住んでいた志賀氏が家族を伴って見物に来たので、彼は直立不動で挨拶。ロケは中止になったとか
     
 前回の「お茶漬の味」に使われていた“ひさご”と“あざみ”の絵柄の浴衣が出てきて懐かしかったですね。
     
 昭和28年頃は、家庭電化はまだまだ夢の世界。勿論、扇風機などなく、団扇が大活躍。この作品の中でも終始沢山の団扇が登場(うちわが主役かと思うほど)。
掃除用具も、はたき、箒、雑巾の“三種の神器”がどこでも使われていましたね。紀子の住む三畳一間のアパートは、共同流し、共同トイレで赤ん坊のいる家族までいて・・
緊急連絡には電報が主流。文化生活にはまで遠い時代でしたが、精神面では現代よりずっとしっかりしていたのではないでしょうか。
     
尾道の二人の少女の挨拶の仕方、紀子の挨拶の仕方等に、日本人の礼儀正しさや日本語の美しさが溢れていました。
     
 私は、この作品の主役は、ひょっとしたら末っ子の京子ではないかと思っています。兄や姉たちは皆サッサと都会へ出てしまい、老父との二人暮らしを余儀なくされた心優しい京子のこれから辿る運命やいかに!
「東京物語」続編“尾道物語”(?)を勝手に想像してしまいました。
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グリーンモールでイベント決定

2012年01月25日 | 四日市商店連合会です
昨夜、1月24日 四日市商店連合会事務所にてイベント開催が決定しました。
開催日時は3月24日(土)(仮決定)であります。

山中様から頂戴した写真のアップを忘れておりました。ゴメン!
会場はグリーンモールとスワ栄。会議の様子はこちらから。ユーストリームでご覧ください。1時間の長丁場であります。是非観ていただいて、良いご意見がございましたら商連のフェイスブックへご投稿を!
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空気枕のまなざし 2

2012年01月22日 | 諏訪商店街振興組合のこと
老夫婦(笠智衆と東山千栄子)の空気枕をめぐる会話は、二人の仲の良いほほえましい日常を描き出しています。しかし、同時に空気枕をしまったのはお前だ、といった自分勝手な思い、自己中心的な思いに戒めを与えているように考えられます。
ここでは、空気枕はカバンの中でその姿を一切現しません。あらわさないからこそ、空気枕は、老夫婦の会話する姿をじっとみつめているようにも捉えることができるのです。
このように小津監督は、静物や風景をとおして、さめた目線で人間の日常をみつめているように感じられることがあります。
     
吉田喜重監督は著書「小津安二郎の反映画」現代岩波文庫でこのように書いています。
その意味ではむしろわれわれを正確に見ているのは事物の側であり絶えず事物としての眼差しをわれわれに注いでいたのである。そして小津さんがほほえましい老夫婦のエピソードとして、なにげなく描いた空気枕の話は、人間のうかつさ、その見ることの曖昧さを暗黙のうちに啓示するものではあったが、それは同時にこの世界がおびただしい事物の眼差しによってみちあふれ、われわれはそれに覆いつつまれて生きているかぎり、人間は決して孤独ではないという至福の歓びにも似た、神の摂理を伝える黙示録的なメッセージとして読み取ることもできたのである。
     
小津監督は、構図に対しても凝る人でした。
このシーンで気付くことは、旅立ちを送り出す次女の京子と老夫婦の三人が、まったく同じ姿勢で並んでいることに気付きます。この傾きの相似形は、しばしば見受けられるものです。
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「東京物語」空気枕のまなざし

2012年01月21日 | 諏訪商店街振興組合のこと
「東京物語」は、尾道で老夫婦(笠 智衆・東山千栄子)が東京へ出かける準備をしているところから始まります。広島県尾道市は小津安二郎が敬愛する志賀直哉が住んでいた土地。瀬戸内海沿いの町は、静かで、穏やかなところです。
ここで、旅支度の老夫婦が、空気枕をめぐって交わす会話があります。シナリオからご紹介します。
     
露地の向こうの通りを子供たちが小学校へ通ってゆく。
部屋では今、周吉ととみが旅行のしたくの最中で、とみはいそいそとして荷物を詰め、周吉は汽車の時刻表を調べている。
周吉「これじゃと大阪6時じゃなぁ」
とみ「そうですか、じゃ敬三もちょうどひけたころですなア」
   敬三(大阪 志郎)は大阪の国鉄に勤務する次男
周吉「ああ。ホームへ出とるじゃろう、電報打っといたけえ」
     
   周吉ととみ、仕度をつづけながら
とみ「空気枕アそっちへ這入りやんしたか?」
周吉「空気枕アお前に頼んだぢゃないか」
とみ「ありやんしえんよ、こっちにや」
周吉「そっちよウ渡したぢゃないか」
とみ「そうですか」
   と自分の荷物を探す。
   と、窓の外を隣の細君(高橋 豊子)が通りかかる。
細君「お早うござんす」
とみ「ああ、お早う」
細君「今日お発ちですか」
とみ「へえ、昼過ぎの汽車で」
細君「そうですか」
周吉「まア今のうちに子供たちにも会うとこう思いましてなア」
細君「お楽しみですなア。東京じゃ皆さんお待ち兼ねでしょうて」
周吉「イヤア、暫らく留守にしますんで、よろしくどうぞ」
細君「まア、お気をつけて行っておいでなしゃア」
     
   で、隣の細君が通りすぎて行くと
とみ「空気枕、ありやんしェんよ、こっちにや」
周吉「ないこたないわ。よう探してみい」
   と言いながら自分の荷物の中に発見して
周吉「ああ、あったあった」
とみ「ありやんしたか」
周吉「ああ、あった」
   そしてまた仕度をつづける。
この数分間のシーンの中に、老夫婦の仲のあり様のすべてが、ほほえましく描かれています。
が、しかし・・・     つづく
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苦難の時代を生き抜く言葉

2012年01月20日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
先週の週刊文春に「苦難の時代を生き抜く言葉」と題して特集が組まれていましたので、その一部をご紹介します。
     
漫画家の水木しげる氏のことば
 暗さを乗りきる知恵は
 ごく平凡なことで、
 笑いしかないでしょう
「苦しいときを乗り越えるにはじっと我慢するしかないですよ。パッとうまくいく秘訣みたいなもんはないようで、じわじわ努力するしかない。人は面白くないものは買わないから、お金がないぶん知恵を使って、面白いものを描くようにしましたな。戦後の頃は日本中にお金がないって感じで厳しかったし、そういえば今のほうが日本全体、楽にはなっているといえるんじゃないですか。
え、新年の心がけだって?あんまりないねえ・・・諦めかねえ」
(次女の悦子さん)お父ちゃん、諦めたらダメだよ!(笑)
                    
瀬戸内寂聴さんは、
 光源氏だってどん底から
 立ち上がった。人間、どん底
 でも絶望しちゃいけません
「“源氏”というと恋物語ばかりみたいだけど、実は人間がどん底から立ち上がる話もあるのね。やっぱり人間、最低の状態でも絶望しちゃいけないんです。
私、半年寝たきりだったのが震災(3・11)で飛び起きて。陸前高田にも飯舘にも行きました。ヨタヨタしてても少なくとも被災はしてないから、お見舞いのつもりなのよ。
なんでも、どん底に落ちたら反動で上がるじゃないですか。これ以下はないって。だから、前向きのことを考えていきましょうよ」
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第2回 実行委員会開催

2012年01月17日 | 諏訪商店街振興組合のこと
1月16日午後7時より エキサイト四日市・バザール2012の第2回実行委員会が15名の役員の皆様にお集まりいただき開催されました。
     
     
四日市の観光課から岡田・樋口・落合様が出席。コンサルタントの㈱アビ・コミュニティ(旧社名アビオン)から堀木・川北様にご参加いただき、開催概要に関して討議をしていただきました。
詳細は追ってご連絡いたしますが、出店募集要項は2月1日四日市諏訪商店街振興組合のホームページにて公開させていただきます。皆様奮ってご参加ください。
続いてポスターについての討議を行い、掲載の原案が採択されました。
これから内容の校正を進めてまいります。
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諏訪神社のどんど焼き

2012年01月16日 | おいらの商店街
1月15日は四日市諏訪神社のどんど焼きの日デス
     
     
昔は夕方からしかしめ縄に火がつけられませんでした
夜の行事であったと記憶しております
Aさんにお会いしたので「餅を焼きに来たんか?」と尋ねますと「ここにあるぞ 餅」といってごみの山のなかに捨てられた餅を指差されました。そんなもん 焼いて食うか!
     
古田さんの“なちゅらる市場”は毎月15日に開かれますが、昨日は三番街で行なわれたようです。(フェイスブックより盗用)
継続こそ力!
私事ですが、昨年夏に拾った猫は、どこへ差し上げることもなく、我が家の空調の下でのんびり冬を越しております。最近腹が大きくなってまいりました。
     
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参宮街道は餅文化

2012年01月15日 | おいらの商店街
現在、イベント“お菓子まつり”が企画中です。
中心市街地グランドプランに基づき、地元のお菓子やケーキを知りながら楽しんでいただくイベントです。
先日、暮らしの手帳 別冊“徒歩旅行”若菜晃子 編・著で参宮街道の餅文化が紹介されていました。

桑名に始まる参宮街道は
別名餅街道
やわらかやさしいお餅の味
「どうぞ、おあがり下さい」
三重の餅街道を旅していて、お餅をいただこうとすると、いつもこの言葉が添えられました。おっとりとしたやさしい響き。そのなにげないひとことに、相手を温かく見守る心遣いを感じます。旅人が行き来した時代にも、土地の人のこうしたやさしさがあったのではと思います。

     二軒茶屋餅と安永餅
まず、桑名の「安永餅本舗柏屋」と四日市の「なが餅 笹井屋」を紹介。(太白永餅も紹介してほしいところです)もとは丸いお餅だったのが、旅人が懐に入れやすいように長くしたのか、焼き安いように長くなったのか諸説あるようです。
     さわ餅とけいらん
津の宮崎餅店の「けいらん」は、米粉(新粉)のお持ちに色鮮やかな米粉がのせられたもの。街道沿いの“塔世茶屋”と呼ばれていた一帯にはお餅屋が並んでいましたが、現在では「宮崎餅店」だけが残っています。
次は、松阪岡寺門前の「伊賀屋」にある「さわ餅」は、お餅に粒あんをはさんだ大きなお餅。近くの沢水で手返ししたからとも棹(さお)のようなお餅の形が訛ったとも言われています。
「へんば餅」は返馬餅と書き、宮川の渡しで馬を返したことからつけられました。以前は川岸にあった「へんばや商店」。伊勢に到着した旅人がお餅を食べて一息ついたのでしょう。
「二軒茶屋餅 角屋本店」は前回ご紹介しましたが、船で来た旅人が立ち寄るお店でした。
しかしなぜ、この街道で、お餅文化が発達したのでしょう。
おそらくそれは「柏屋」がいうように、一生に一度の伊勢参りというハレの日に、お餅という贅沢でハレの食べ物がふさわしかったからかもしれません。
その一部が何百年も残ってきたのは、やはり続けようとする人の手があったからこそ。
それは“宮崎餅店”の「餅しかよう作らんし」という謙遜もありますが、“伊賀屋”の「食べてみたらわかる」という自信や“へんばや商店”の「庶民の人たちに喜んでもらいたい」という言葉にも表れています。
むかしは一日で固くなるお餅。持って帰りたいというお客には、いつも「腹に入れて持ってかえれ!」と怒っていた先代の話を“角屋”のご主人は笑って話されたそうです。訪れたその土地でこそ味わえるお餅の味です。
三重のお餅はやっぱり、やさしくておっとりした三重の人たちそのものでした。願わくば、時代が変わっても、三重のお餅は変わりませんように。

と結ばれていました。
餅菓子は、実演してその場で食べていただくのがベストでしょうか?
作年の夏に発行された雑誌ですが、歩いて旅する優しい気持ちが良く出ていて、たのしみな一冊です。
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