花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

レモン色の町クイズ ⑧

2022年09月30日 | レモン色の町

昭和30年5月17日、三角ベースで野球をしている。辻さんは諏訪駅跡地と言っていたと記憶しているが違う。さて、ここは何処か?

ヒントは電柱にある「稲垣写真展(訂正:店)」の広告と、この建物です。現在、建て直してあるが、敷地は昔のままであります。むつかしい? むつかしい!

昭和40年4月の東京都内の風景。「五畳半の住まい」“ついこの間あった昔”林望著 ちくま文庫 より“衝撃的写真”

昭和40年というと東京オリンピックの翌年です。人口流入に住宅事情が追い付かなかったのか、東京の2割の人が一間(ひとま)の住まいに甘んじていたそうです。“木賃(もくちん)アパート”と呼ばれていて、五畳に半畳の台所がついていて、そこに家族5人が住んでいます。勿論、共同便所で銭湯かよい。お母さんは、半畳の台所で石油ストーブと七輪を駆使しつつ調理を遂行します。

晩御飯が仕上がる頃合いを見計らって、丸いちゃぶ台を引き出し、パチンと足を伸ばして、楽しい食事のひと時が始まるのです。林氏はこう述べています。

「家族というものはこうやって一つところに雑居しつつ、一目で家族全員が見渡せて、ちょっと声をかければそれで全員に意思が疎通し、三歩か五歩も歩けば何でも手に取ることができる、そして今まで食事をしていた場所に布団を敷いて寝る。そういう狭い空間を重層的に合理的に使いまわすのが、私どもの住宅というものの現実と知恵であった。」また、こうも書いてみえます「家が広くなった現在でも、家の中には“もの”が溢れ返って、雑然たる混沌の中に住む、というスタイルは実はそれほど変わってないかもしれない。」と・・・

そして、こう結んでありました。「私はこの写真をじっと見つめているうちに、ふと、この布団の中に半分顔を出して寝ている男の子が、かつての自分自身であるような気がしてきた。

そうしたら、なんだかこの見も知らぬ五畳半が懐かしくなった。

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レモン色の町クイズ ⑦の回答

2022年09月28日 | レモン色の町

諏訪公園西南の“水奈月旅館”前でした。

右端の赤の囲い、窓に下がったすだれが・・・

南の”神戸屋食堂”さんと繋がります。忘れていましたが、神戸屋さんの位置を確認に四日市飯店さんへ出かけた記録がありました。過去はすべて、忘却の彼方です。

ガリ版 正式には謄写版印刷というけれど、諸君はもちろんご存じのはず。こいつの極意をマスターすれば、手書きの壁新聞なんかメじゃない立派な「学級新聞」だって出来るぞ。

高等技術「ガリ版印刷」伝授” 昭和こども新聞 日本文芸社 刊より

1.書く  ロウ原紙とヤスリ版、鉄筆と修正液が必要だ。ヤスリ版には原稿によって種類があった。長く使っているとロウが目に詰まるので、時々金ブラシでこすって掃除していたが、新品のようには戻らなかった。マス目が書いてあるロウ原紙を乗せ、鉄筆で文字を書く。カリカリという音がよみがえる。強く書きすぎるとロウ紙が破れ、弱すぎると文字が出ない。たとえ間違っても安心だ。修正液を塗って乾かす。待てないので、乾ききるまでに書き直すとロウ紙が破れて「めんどくせぇ!やり直しじゃ!」ということになる。

2.原紙をセットする  次に謄写版印刷機を開いて蓋の方に、出来上がった原紙を張り付ける。裏表に注意である。間違えると初めからやり直しである。しわが出来てもいけないが、しわは、はがして貼りなおせる。金具で止めたら蓋を戻す。

3.印刷する  丸い缶の蓋を開けて、ヘラでインクを救い出し、ローラー台でペタペタとしっかりこねる。この時、あっちこっちつけると油性なので取るのに難儀する。要注意である。次に試し刷りになる。印刷機にわら半紙を十枚程積んで、蓋を戻し、ローラーに均等にインクを付け、下から上に転がす。往復したいところだが、あくまでも一方通行だ。しかも勝負は1回!そっと蓋を開けて出来を見る。文字が濃くて原紙にくっついている場合は「めんどくせぇ!」と思いながらそっとはがす。できたばかりのわら半紙は、乾くまで拡げておこう。インクの臭いがあたりに充満する。ホッチキスでとめて「学級新聞」の完成である。同じものが何部も出来たが、印刷中の失敗も多かった。

小学生の時から20歳ころまで、よくお世話になりました。

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レモン色の町クイズ ⑦

2022年09月27日 | レモン色の町

辻俊文さんの写真ですが、この時点でコピーしかなかったので、あまり鮮明ではありません。が、右の窓にかかるすだれに大きなヒントがありました。さて、どこでしょう?

図書館にてお借りした本“失われゆく仕事の図鑑”永井良和・高野光平他 共著

ここに“ピーナッツベンダー”がありました。10円入れるとピーナッツが出てきてそれをギザギザの紙カップで受ける。喫茶店で見かけたか?そういえばテーブルには、灰皿付の占い器もありました。

著者が、2000年12月掲載の朝日新聞の記事から“ピーナッツベンダー”が島根県の美又温泉国民保養センターで使われていることを聞いて出かけたそうです。“ピーナッツベンダー”は1953年(株)タイトーが初めて売り出し、当時、米軍基地周辺のバーなどにも置かれていました。保養センターの食堂には4台の“ピーナッツベンダー”が設置されていて、おやつやつまみに利用されていた。100円入れてレバーを引くとザザーッとコーティングされたミックスナッツが30粒ほど出てきた。

従業員さんが「先日、記者の方が取材にみえました。今では珍しいものなんですねえ」と話しかけてくる。「その記事を見て懐かしく思って来たのです」と私も答えておいた。

昭和43年頃、昔の駅前商店街には、たくさんの喫茶店がありました。中南米・鉢の木・醍醐・スミルナ・スワサロン・笹井屋・コーヒーリオ・コーヒーさいとう・パーラービーボーン・喫茶午後・喫茶モカ・甘味白珠・喫茶はる・喫茶ないしょ・喫茶白鳥・コーヒーくるみ・喫茶マノン・喫茶エル・喫茶エデン等々・・・。

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レモン色の町クイズ ⑥の回答は?

2022年09月26日 | レモン色の町

さて、写真の位置は何処か?ということですが、辻 俊文さんはこう説明してみえます“港楽園入り口(現 四日市飯店)”。ゼンリンマップの昭和43年版に“神戸屋”があるかと探してみましたら、ありました。

現在の神戸食堂跡 東向き「世界の山ちゃん 四日市店」になっています

昭和35年5月13日撮影

ところが辻さんは(現 四日市飯店)と書いてみえます。地図を見ると“神戸食堂”は、ひとつ西の通りになっています。

昭和43年のゼンリンマップより

神戸屋さんが何処にあるのかは、ま、どうでもいいことですが、気になるのは“港楽園入り口”の文字です。後楽園は“春告園”と並ぶ諏訪の二大赤線地帯のひとつです。“売春禁止法”が発令されたのは昭和33年、公娼は廃止され、この地域は飲食店街に変わりました。

和31年の諏訪駅ホーム 西からの空撮

中日新聞さんの昭和31年の空撮から、それらしき建物が伺えます。小さい丸が“神戸食堂”の角で、右の大きな丸が“港楽園”であろうかと想像します。

現在の共栄ビル 向かいがロッポニカです 東から西向きに撮影

現在は、飲食店が入る“共栄ビル”となっています。幼少のころ、我が家から西へ進むと龍宮城のようなネオン輝く建物の前を通った記憶があり、港楽園はそこに存在していたのでしょう。おマセさんだったはずです。

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レモン色の町クイズ ⑥

2022年09月25日 | レモン色の町

昭和35年5月13日、“酒とビール 神戸屋”の暖簾が初夏の風に揺れます。お好み焼の提灯も下がっています。暖簾から営業中と判断できますので、昼はお好み焼屋で夜は飲み屋になるのでしょう。5坪ほどの小さな店。経営者のおばさんでしょうか?二匹の犬がじゃれつきます。さて、ここは何処でしょう?

鉄人28号プラモデルが380円で新発売!

昭和35年、人気漫画がテレビドラマ化された鉄人28号がプラモデルになった。発売は今井化学。両手を振りながら歩く。テレビドラマの鉄人をプラモデル化してあるので胸の部分に窓がある。足が異様に大きいのは乾電池が入っているためだ。残念ながらリモコンで動く訳ではないが、ムギ球の入った目が光りながら前進する様子は十分迫力がある。スイッチを入れると「行けっ! 鉄人っ!」と叫びたくなる。組み立て式のプラモデルは、ブリキ製よりも『鉄人28号』らしくてよい。作っている間は不乱拳博士の気分でニヤニヤしてしまう。今までのプラモデルは、船や飛行機ばかりだったが、鉄人28号のようにマンガや映画に出てくるものは初めてだった。これからもどしどし発売してほしい。(昭和こども新聞 日本文芸者:間違い 文芸社刊より)

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レモン色の町クイズ⑤の答えは?

2022年09月24日 | レモン色の町

右に“精養?”のごみ箱があるところから“精養軒”を正面から撮ったものです。

右が北になります

諏訪駅を降りて南へ路地を抜け“白揚書房”前を通ると、左に“あかもん”と“精養軒”の所に出ました。右“万惣食堂”その向こう側には“諏訪劇場”が建ちます。

右(西)へ進んで、辻写真館さん前からもう一度“精養軒”を見たのが次の写真です(昭和35年7月26日撮影)。

ここで気になったのは、精養軒前に立つ電柱の広告、両面同じとして合成しました。“貸席 旅館 若みどり 和洋室 香水風呂”。“貸席”とは、江戸時代の言葉です。下に“日活東”とあるので、昭和43年のマップで“若みどりさん”を探してみると・・・

ありました!“旅館 若美鳥”と。現在は、資材置き場?になっています。西に日活劇場、北に諏訪新道、東に三滝通り、南の“市民ホール”は、現在市営の駐車場になっています。諏訪駅へ向かう線路と並行にあったこの路地は、国鉄四日市駅南にあった おばあちゃん家へ行く道で、よく利用させていただきました。(スミマセーン 利用したのは前の道で 若みどりさんではありませんので 誤解のない様に。左から 四日市松竹前を通って、日活横を通り、どぶ川沿いを東へ、草野医院を見ながら 狭い道の若みどりさん前を通りました)

本日、草野医院跡から東方向を撮りました。向こうに三滝通りが通っています。

諏訪新道や呉服町が賑わっていたころ、路地を入ったところにあった貸席は、利用される方もあったのでしょう。

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レモン色の町クイズ⑤

2022年09月23日 | レモン色の町

第5回記念の問題はチョトむつかしいのです。

分かる方はみえないと思いますので、ヒントです。四日市祭りの当日。久六町の大名行列が通ります。ズーッとバックして、辻さんはカメラを構えました。

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レモン色の町クイズ④の答え

2022年09月22日 | レモン色の町

答えは“連鎖街”でした。

昭和32年の聞き取り図(右が北になっております)

昭和43年のゼンリンマップ

1階は小さな間仕切りの店舗が並び、飲み屋さんが多かったようです。中央に階段があって、2階はアパートのように廊下があり小さな部屋が並んでいました。後年聞いたのですが、諏訪神社が焼け跡に、満州からの引揚者の方が一時住んでいた建物を買い受けたと聞きました。昭和31年の中日新聞さんの写真から、連鎖街の建物が望めました。

下総人さんからコメントをいただきましたが、昭和32年頃の聞き取りと、43年のゼンリン地図では、店舗に動きがあったようです。(聞き取りであるため不確実な点もございます)。

名古屋タイムスさんの記事を再々掲載させて頂きます。戦後の諏訪の街が良く出ています。

 “聖なる教会”真ン向かい 紅い燈ともる特飲街 そのまた隣が幼稚園(昭和28年 名古屋タイムスより)

〇 諏訪連鎖街を昔は新田町といった。戦前、諏訪神社の境内だった土地に諏訪産業という会社が軍隊の払い下げの建物で建売りを始めたのが戦争直後、ボツボツ人も入り住んだが、一日で二人の通行人しかなかった日もあって最初に店を開いた人は泣いたそうだ。これが一期生。それから順次二期生、三期生、四期生となるころは今のような盛り場が出来上がった。それ以後は新入生と称するそうだ。現在(昭和28年当時)七十六軒、周辺は商店で真ん中の小道はノミヤが多く、客も社用族が多い。僕の家というのは、桑名町で同名の店を出して有名だった。主人は年うつり、いまやまるハゲとなった。ホセ(聞き取りマップにあった)とカルメンは同じ資本のバー、白菊、文楽(この二店も、ホセの通り、連鎖街に確認できる)はよくはやるノミヤ、特徴はヨルバイトをしないこと、だそうだ。街に立つ女もいないし、温泉マークも周辺にあるにはあるが青線的形態ではないらしい。その方の御用は専らこちらと港楽園、春告園という特飲街がある。両方合わせて40軒、女を不当にサクシュするとかいうのでしばしば手入れをされたアブレ赤線業、行き詰まりの狭い路地のズラリと並んで、気の弱い男はとても近寄れない。ほかに諏訪公園前に待合という名の特飲店が数軒、その前にはカトリック教会があり図書館があり幼稚園があり、まことによき対照をなしている。すなわち図書館の窓から干し物が望まれたり、幼稚園の子供が区域へ迷い込んだり、しばしば問題が起こるゆえん、もともとカトリック教会があったのを無理に赤線が出来たものらしい(昭和30年頃までは教会と赤線が並立していた)。かつて、立ち退け、いや退かないでゴタゴタがあったそうだ。(文・川太郎)

この写真はもう1本東の通りかもしれません。ナショナルの看板から、この通りには電気屋さんがったようです。床屋の木戸君に聞いてみます。

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レモン色の町クイズ④

2022年09月21日 | レモン色の町

昭和33年3月15日の夕刻、辻俊文さんはカメラを提げて出かけました。「なぜ写真を撮られたのですか?」の質問に「諏訪地域の風俗を残したかった」と答えてみえます。戦災による空襲からの立ち直りで雑然とした諏訪の町は、精力的なエネルギーにあふれた町でもありました。さて?何処でしょうか?

ヒントは、お店の看板と突き当りの路地です。

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レモン色の町クイズ③の答え

2022年09月20日 | レモン色の町

昭和32年2月8日

左端に“ゼネラル石油 増田軍太郎商店”(羽根のついた白馬)の看板がわずかにのぞいています。この先に中央通りと1号線の四つ辻(訂正:交差点)があります。

本日の風景

昭和42年6月1日辻さんが少し高い位置から撮っています。どこから撮られたのか?

1号線の拡幅工事は戦前から始まっていました。戦前(昭和20年以前)の空撮です。旧道沿いにきれいに家屋が並んでいて、辻あたりから諏訪神社前まで1号線の工事が進んでいます。昭和43年のマップ

神社前の三角の店の並びですが、戦前の空撮を見ると、成り立ちが良く分かります。

 

 

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