花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

第1回四日市よさこい祭り開催

2005年10月30日 | おいらの商店街
今日は、第1回の四日市よさこい祭りが中心商店街を舞台に、あちこちで繰り広げられた。事務局の弥な氏も好天に恵まれてほっとした様子だ。
10時30分。表参道スワマエからも一団がスタートした。正直、いまどきの若いもんが粋がってと軽く見ていた。ところが、のりのりの大音響と共に、イケメンのお兄ちゃんを先頭に、若い子たちが思い切り踊る姿はなかなかのものだ。
さい子供のグループも続く。街は終日、若者で賑わった。しばらく見ていたかったが、ひふみさんの葬儀が11時から始まるので、後ろ髪をひかれる思いで式場に向かった。
ふみさんの慰霊写真は、ネクタイをはだけ、飲みに行って帰ってきたばかりのようだ。ひふみさんらしい写真。そして、ひふみさんらしい死に方だった。お酒を飲んで風呂で亡くなったのだ。65歳ではあまりにも早すぎる。突然すぎる。無責任な他界だ。
さこい祭りに葬式とは、やっぱり、ひふみさんらしい。

糖尿病 病床日記

2005年10月29日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
一昨日は検査の日だった。半年ぶりだ。糖尿が出ているといわれて丸2年たつ。医者に行くのが億劫だった。
日、ワイフが休肝日にもかかわらず、今日はお酒飲んでもいいよと不気味に笑う。何か魂胆がと思いきや、案の定、その代わり二日間、酒抜きにして検査に行けという。策略にはまってしまった。
日の夜は、食事の後、お茶だけ。そんな日に限って孫がお菓子を持ってきてあれ食えこれ食えという。じいちゃんは病床の身やけに食べれないの、とむっとしてやさしく断る。
そんな日に限って、朝早く起きる。お茶だけで労働しているうちに尿意をもようしてきた。今出すと病院で出ないかもしれない。辛抱してワイフと出かけた。
付で調書を出される。あわてて書き込み、紙コップを持ってトイレへ。トイレはひとつなので、ワイフを押しのけて小用を済ませた。紙コップにいっぱい入れてやった。これだけ入れば文句ないやろ、と変に満足する。
回はまったく自信がない。酒も控えてないし、体重も少し戻り気味だ。やさしい女先生が血をとってくれる。注射がお上手ですねとほめると、女先生は笑って、針が細いから血を抜くとき力が入るんです。痛くないですか?とおっしゃる。いいえ、頭に刺されても痛くないですよ。言おうと思ったがやめた。
先生の診察の後、再び女先生に心電図をとってもらう。ベッドに寝て、前をはだける。グリース?みたいなのをチョンチョンと塗って、スポイトみたいなやつをぺちょぺちょとくっつける。女先生の顔を見ないようにしている。あまりじろじろ見ると心拍数が乱れるかもしれないからだ。気を楽にしていてくださいとおっしゃるが、そんなのは無理だ。一度くらい交替してくれても良いのに。
日のお土産は検便のケース。半年一回の検査通いが続く。女先生がいないと、何の楽しみもない。ねえ、かあちゃん!

エキサイトバザール陳情団

2005年10月28日 | 諏訪商店街振興組合のこと
10月27日木曜日。今日は店が休みだが、諏訪商店街振興組合の高雄専務からお呼び出しがかかっている。来年4月に行なわれるエキサイトバザールの助成金の件で、市の商工課へ一緒にお願いに行って欲しいということだった。
しさかのぼるが、28日夜振興組合の理事会があった。そこで、来年のエキサイトバザールへの助成金が減額される恐れがあるという議題が挙げられた。コスモパパがすかさず、イベントの重要性とそれに取り組む必要を発言したので、オイラも主催者である当組合が弱腰ではいけないとしゃべってしまった。おかげさまで同行する羽目になったわけだ。
工課様には丁寧に対応していただいた。やはり、このご時勢、結果が欲しいということだ。イベントが一時的な花火で終わらず、各お店に成果の出るような催事にして欲しいということだった。
ベントは好きな人が好き勝手にやっているという考えのお店はないだろう。みんなが、多くの来客で喜んでいただきたい。それともうひとつ、市から出ていた話は、無料配布のテントにまで出展料を掛けないで欲しいということだった。慎重にチェックしなければいけないと思う。
スム会長がくちをすっぱくしていっていることは、イベントの際に自店前で何らかの売出しをしているところは、店内にもお客を引き込むことが出来るということを強調していた。
のまつりにキッチンひふみさんは、店の前に座って串カツを揚げていた。かなり売れたようすで、店内も大忙しだったと聞く。乏しい発展会の財政事情で、つかい方に批判が多いなか「会費は使わなあかんわさ」とよく言っていた。
のひふみさんが今朝、亡くなられた。イベントに理解ある人だったのでなんとも言えない気分だ。いい人だったのに、本当に残念だ。

柳澤佳子さんの言葉

2005年10月25日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
人生50年半ばを過ぎるといやなことが多くなる。いやなこと、ありませんか?
日も夜、ススム君が入ってきて、いやなことを思い出させるような話を、楽しそうにしていった。あんたはえらい!ちっとも苦しんでいる様子がない。
めに解決するように努力すればいいのだけれど、いやな思いばかりしていて、なかなかことの解決に腰を動かせない。ぎりぎりになるまで意気消沈している。オイラの性格だから仕方がないと思っている。話が抽象的で、お分かりになるだろうか?
きて死ぬ智慧」を書かれた、柳澤佳子さんを再び持ち出す。仏教の教えでは、人間幸せになるには、欲を捨てよという。それはなんとなく分かる。そして、我を捨てよという。これが分からない。
を捨てるとはどういうことなんだ。柳澤さんは文芸春秋11月号でこんなことを言ってみえた。柳澤さんは36年間「周期性嘔吐症候群」という病にかかっている。病名がはっきり分からないために、医者にも見離され、孤独の中で解決を宗教に求めた。
る日、歩行困難になった柳澤さんが車椅子で移動していると、すれ違いの婦人に「ご不自由ですね」と声をかけられた。憐れみをかけられた柳沢さんは大変惨めで、不愉快な思いをした。そのとき、ドンと背中を押されたような気になった。
こに二つの現象がある。婦人の「ご不自由ですね」という哀れみの言葉。そしてもうひとつは自分の不愉快な気持ち。ここで不愉快な気持ちを消し去れば、親切からかけた励ましの言葉だけが残る。心地よい婦人の気持ちだけになる。だから、自分の感情がそこに存在しなければいいのだ。己の感情を無にすればよい。
やだいやだと思っていても、ことにあたると、それほどたいしたことでもない場合が結構ある。解決の方向に、こつこつやってれば良かったのにと思うことが多い。
から出来るだけ、我を捨てて、いやな感情を存在しないようにしている。自分が思っているだけで、なんら状況に変化を与えてないのだから。
かし、何とかならんかねえ。この性格。

重松清「その日のまえに」

2005年10月24日 | おいらの商店街
男が泣く本という特集が週刊文春にあった。重松清さんの「その日のまえに」文芸春秋刊。ここに商店街が出てくる。
庫本になるまで買わずに待とうと思っていたが、思い切って買ってしまった。一晩に、ひとおつずつ読んでは、枕もとのティッシュを、くちゃくちゃにしている。いびきをかいているおかぁんに見つかったら、こいつバカかと思うだろう。
の日のまえに」は身近な人の死をテーマにした連作だ。友達の死、奥さんの死、そして自分の死。縁起でもないと思うかもしれないが、死をめぐる人の心の優しさが爽やかに描かれている。
店街が出てくるのは3つ目の「潮騒」。百恵ちゃんが裸になった三島由紀夫の「潮騒」ではない。がんの告知を受けた俊治は、小学校のとき2年ほどいた海辺の町を訪れる。このとき、友人が海で死ぬという出来事があった。死期が近づいた俊治は、その思い出に吸い寄せられるようにして来たのだった。
を降りると商店街があり、そこを抜けると小さな海水浴場があった。今は、マンションが並ぶ海岸に変わってしまっている。商店街には石田という友人がドラッグストアの店長として働いていた。石田と俊治は海岸に赴き、過去に起こった友人の死を回想する。
の寄せる音。砂浜に上がった波が引いていく音。波の後には、砂にしみこんでいく水の音が残る。石田は戸惑いながらも、優しく俊治を励ます。
治がいた昔、この商店街ではアーケードが作られて完成記念のイベントが行なわれた。今は空き店舗の目立つ寂れた商店街だ。アーケードのおかげで暗く埃っぽく感じると書いてある。
ーケードで思い出したが、十数年前、全国的にオープンモールが良いと騒がれたときがあった。天気のよい日は日があたり、雨の日は雨が降る開放的な通りがよいといわれた。
日の視察旅行で、京都の新京極商店街と産寧坂を見た。新京極には立派なアーケードがあり、ショッピングモールとして、都会の商店街にはアーケードが似合う。一方産寧坂には絶対に似合わない。アーケードがあっては、石畳を抜ける風を感じることが出来ないだろう。
方、四日市はどうだろうか。中途半端か。アーケードも老朽化が目立つ。再び活気ずく街に再構築されていく過程で、どちらの雰囲気を大切にしていくかの選択肢が迫られるだろう。
は、オイラのエラそうで無責任な発言でした。

産寧坂探訪

2005年10月22日 | 四日市商店連合会です

秋の日はつるべ落とし。鈴虫寺で1時間遅れとなった商店連合会視察旅行の一行は、次の視察地、新京極商店街へ急ぎます。
吉は町を整備して寺社を京都の端、京極に集めました。本能寺などが並ぶ寺町通りです。明治5年、この通りの東に新しい道がつくられました。こうして出来た新京極は寺の裏通りにあたりましたが、やがて、芝居小屋、浄瑠璃、寄席、見世物、茶店等が軒を連ね、参拝者で賑わう京都屈指の繁華街となります。
在、新京極では、興行街であったことをコンセプトに、2002年から「新京極映画祭」が開かれています。監督やキャスト交えたトークショーや、音楽会など、映画を軸にしたイベントが、街のあちこちで繰り広げられているのです。
に清水寺に向かいました。近くの駐車場でバスを降り、産寧坂、二年坂を通って高台寺を訪ねます。階段を下り、緩やかにカーブした産寧坂には、京都らしい土産物屋さんが並びます。ここの石畳は、のんびりと散策するにはちょうどよい道です。残念ながらバスの時間を気にしての往復になってしまいましたが。
こは、賑やかなBGMよりも、お香の匂いと、かすかな話し声が似合います。御香の老舗「松栄堂」が、古い家屋をそのままに生かして店舗を構えていました。部屋炊きのお香が、ゆったりと陳列してあります。ご婦人や若いお嬢さんの買い物客で、結構賑わっていました。品があるという言葉がぴったりです。
台寺は、ねね(北政所)が、慶弔11年(1606年)秀吉の菩提を弔うために東山霊山(ひがしやまりょうぜん)の山麓に建てた寺です。二人を祭ってある霊屋(おたまや)のほかに、傘亭や時雨亭など、伏見から移築された古い茶室も見ることが出来ました。
席といえば、禅の教えに喫茶去(きっさこ)という言葉があります。鈴虫寺でもお話をうかがいましたが、訪れた方に、まず一服のお茶を出すのです。急いでこられても、遠路はるばるみえても、興奮してこられても、まずは、お茶でお迎えするということだそうです。
間に追われる現代人にはとてもいい言葉です。われわれは時間に追われ、お茶ならぬお酒も底をついて、帰路を四日市へと急ぎました。    おしまい

鈴虫寺探訪

2005年10月21日 | 四日市商店連合会です

爽やかな秋晴れの10月20日。四日市商店連合会の研修旅行が、厳かに?執り行われました。秋の京都は、新緑も終わり紅葉にもまだ早く、何もない季節(鈴虫寺副住職 桂 紹寿様のお言葉)ですが、お天気が何よりのご馳走。澄んだ空気に程よい汗が心地よい季節でございました。
虫寺様(江戸中期1723年鳳潭上人開創)には頭が下がるばかりでございます。交通の便がよいというわけでもなく、立派な本堂があるというわけでもございません。唯、観光にはうってつけの京都にあるだけで、これだけの多くの参拝者が訪れているのです。
れは、鈴虫寺住職 桂 紹源様の知恵と努力の賜物ではないでしょうか。年中鳴く鈴虫を育て、その音の中で楽しい説教を聴いていただく。わらじを履いた幸福地蔵尊を山門の前にお祭りし、お守りを持ってお願いすれば、お地蔵様が皆さんのところまで必ず出掛けてくださる。この三点セットで売り出したところが、大ヒットとなりました。
中鳴く鈴虫を育てることは、大変なご苦労があったでしょう。また、難しい説教を、面白くてためになる話し方にするには、ずいぶん工夫があったと思います。受け継いだ資産に胡坐をかいているのではなくて、努力によって多くの人を集めることに成功したのです。
法」は爆笑ものです。少し遅れて入ったため、幸いにもお二人のお話を聞くことが出来ました。大まかな台本はあるようですが、若い副住職のお話は説得力がありましたし、もうお一人の年配の方のお話には、昔聞いた懐かしい香具師の口上を思い出させました。参拝者は若い人が多く、仏教が健在であることを思い知らされます。やはり京都です。
回から、研修旅行ということで、昼食は以前に比べて質素になったと聞いていますが、おいしい湯葉の京料理をいただきました。大家さんにビールをよばれて、昼食には十分でした。     つづく

痛快!寂聴 仏教塾

2005年10月19日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
瀬戸内寂聴さんの「痛快!寂聴 仏教塾」を読ませていただいております。死んだおふくろが好きで、生前に買い与えた?本です。
寂聴さん、あなたの好きなお言葉は?
私は「切に生きる」という言葉が好きです。
「金に生きる」なら分かりますが「切に生きる」とはどういう意味でしょう?
昔、中国の曹洞宗の祖師、洞山和尚(どうざんかしょう)に、弟子の坊さんが聞きました。「今日はどんな説明もいりません。一言で答えてください。いかなるか、これ清浄発身(しょうじょうほっしん)」悟りを開くにはどうすれば良いか?という質問なのです。
清浄発身とは、なんとなく金には縁のなさそうな言葉ですね。
生きた仏という言葉です。これに対して洞山和尚は、こう答えたのです「われ、常に、ここにおいて切なり」
「われ、常に、ここにおいて金なり」の間違いではないんですか?
切とは切っても切れないことです。切実、大切の切です。つまり今、自分がしていることに没頭しなさいといっているのです。食べているときも、働いているときも、眠っているときも、唯ひたすら一生懸命に没頭しなさいと。
お金を勘定しているときは没頭しますが、没頭するほど金がないのです。
死後のことを思い煩うな、やがて来る別離におびえることもない。今、生きている一瞬を切に生きれば、それでいいじゃないかということです。私もまた、切に生きたいし、そのように死にたいと思っています。明日のことを考えず、この一瞬一瞬を大切に生きる。それができれば、最高の人生ではないでしょうか。
オイラも金さえあれば、切に生きることが出来るかもしれません。少し、お金・・・・
そこの裏口から出て行きなさい。


神社参拝の作法

2005年10月18日 | おいらの商店街
先日、神社の鳥居について書かせていただきましたが、皆さんからの反響が大変大きかった(2名程)ので、今日は小泉首相のこともありますので(関係ないか)参拝の作法について述べさせていただきます。やはり瓜生中さんの書かれた「古寺社巡りの楽しみ」(KKベストセラーズ)で教えていただきました。
ず神社へ行ったら、手水舎で手と口を清める。軽く一礼してから右手に持ったひしゃくで左手を流し、今度は左手のひしゃくで右手を洗う。左手で持ったひしゃくで左手を洗うとは書いてない。そんなことしていると服が水浸しになるからだ。
びひしゃくを右手に持ち替え、左手で水を受け、その水で口をすすぐ。直接ひしゃくに口を付けてはならない。みんながそうするとバッチイからだ。(すすいだ水は飲まないように)。冒頭からややこしいが、やっていることは、そう難しいことではない。
日恵比須の日には諏訪神社の拝殿にあがらせていただいているが、拝殿内は神聖な場所なので私語は慎みたい(ススム会長とオイラにも思い当たる節がある)。まず、神職のお払いを大弊(おおぬき)で受ける。平身低頭の姿勢で頭上を払っていただき、穢(けが)れた身を清めるのである。
に祝詞奏上(のりとそうじょう)が始まる。神主さんよ、もっとはっきり申せ、などと考えてはならない。祝詞は神の発する言葉で、必ず実現するという霊力を備えているありがたいお言葉だ。この時も、手を八の字につけ、床に頭を付けて神への畏敬の念をあらわす姿勢をとる(そう、いつもオイラがおかぁんにやっている姿勢だ)。
詞が終わると玉串奉奠(たまぐしほうてん)に移る。玉串は神への供え物で、人間世界では賄賂に当たる(ウソ)。神職から受けた玉串を右が根元になるように持ち、神前に進み、ささげる姿勢で一礼する。次に玉串を右に半回転させ根元が神前に向くようにして案(机)に置く。叩きつけるようにして置き、大声で笑ってはいけない(キチガイか)。
して、二拝二拍手一拝する。二回深くお辞儀をし、拍手(かしわで)を二回打ち、仕上げに一回お辞儀する。垂直に立つ下半身は火の気(陽)、頭を下げて直角に倒した上半身は流れる水(陰)をあらわし、陰陽のバランスが神前での理想の姿勢とされている(体操選手のように頭をつま先までつける必要はない)。
手は胸のところで合わせ、右手を左手より一関節ぐらい引きおろして打つ。左は陽(霊)、右は陰(体)で体が霊を敬うことを意味する。拍手の音は天岩戸を開く音霊(おとだま)だそうで、この音で天地が開き光明が溢れるということだ(どうりで拝殿内は照明が十分でないわけだ)。
訪神社の生川宮司が話してみえたが、伊勢神宮では「八開手(やひらで)」といって八拝八拍手だそうだ。宮中でもそうしている。今、百拝百拍手の神社を探している。夜が更けても参拝が終わらないかもしれない。
まだに見当たらない。

追伸
諏訪神社に参拝させていただいて、かなりになるので、そろそろ街の活性化の夢が実現されてもいい頃だと、ひそかに楽しみにしている。

横浜弘明寺商店街は如何?

2005年10月17日 | おいらの商店街
一昨日のブログで、ススム会長とyanaさんから元気の出るコメントを頂いた。そこでこんな話はいかがでしょうか?
訪の振興組合で横浜へ駐車場の視察旅行に行くことになった。ついでだからどこか参考になる商店街はないかと、オイラにご指名がかかったので、祭りの折、商工会議所の田中さんにお尋ねしたところ、早速ご返事を頂いた。ありがとうございました。
工会議所の月刊誌「石垣」99年3月の記事だ。ネットでもご覧あれ。横浜弘明寺商店街はしっかり元気だと出ている。寺の門前町で古い商店街だ。やはり郊外の大型店攻勢を受けて商店街の地盤沈下が進んでいた。そこで取られたのが活発なイベント展開だった。
秋恒例の「でっかいバーゲン」、弘明寺の花祭りや節分に合わせての協賛イベント、毎月行なわれる「かんのん楽市楽座」、中元・歳末福引大売出しと催事の目白押しだ。
して平成3年、隣町に大型ショッピングセンター建設計画が起きる。ここで顧客確保を目指し、ポイントカード事業を始めることになる。この「プラスOneカード」に合わせたイベントも活発だ。バースディ2倍プレゼント・がんばる弘明寺3倍セール・商品券交換市・クリスマス抽選会・バスツアーなどが実施されている。
町商店街の利点を打ち出し、コミュニケーションの材料としてポイントカードを使っている。お客様に話題を提供しているのだ。
の情報は7年前と少し古い。今の横浜弘明寺商店街がどんな活動をしてみえるのか是非うかがってみたい。スワマエでも、大いに参考になると思う
ベントで街は活性化するのか?ご当地、諏訪栄もススム会長をはじめとしたスタッフが出来つつあり、イベントによる活性化策が動き出したばかりだ。