花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

商工春秋4月号より

2014年03月28日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

商工春秋4月号の巻頭を飾る「絵はがきに見るよっかいち」は“日本の名水百選「智積養水」”です

三滝川の伏流水を利用して智積町地内を流れる「かんがい用水」。かつては地域の人たちがこの水で米をといだり、野菜や茶わんを洗ったりしたことから「養水」の名が付いたという。今では、その清流にコイが放たれ川沿いの西勝寺周辺は散策コースになっている。また養水は昭和60年に環境庁の「日本の名水百選」に選ばれている。

余談 話は変わりますが、4月1日からの消費税増税に伴い印紙税が変更となりますそうな。今まで記載された受取金額が3万円以上100万円以下には200円の印紙が必要でしたが、4月1日から5万円未満は非課税になるとのこと(つまり、4万9千999円の領収には印紙を貼る必要がない)。今日の今まで知らなんだ!


瀬木監督とひふみさん

2014年03月26日 | おいらの商店街

スワマエのキッチンひふみさんの壁に瀬木監督の新聞コラムが貼ってあった。“虹のパレット”から・・・・瀬木監督には大変申し訳ないのですが、全文を掲載させていただきました。

「大人」教えてくれた 四日市の洋食屋

期末テストが終わると、僕は決まってその洋食屋に立ち寄った。近鉄四日市駅から諏訪神社に向かう狭い参道。参道といっても小さなアーケードで、由来は分からないが、確か以前はライオン通りといった。僕が高校生だった昭和50年代半ば、ライオン通りは、喫茶店や楽器店、洋服、生地、仏具、乾物などの店がひしめき、商品が通路にせり出して人の流れも激しく、賑わいのある通りだった。

学期末になると高校生は半ドンになるため、学生たちはそれぞれのグループで、喫茶店やパーラーに長居を決め込み、どうでもいいようなことを話して夜まで過ごした。

僕の場合は神社の鳥居の斜め前にあった洋食屋が根城だった。店のマスターが豪快で、人間臭く、アニキと呼ぶには年が離れすぎてはいたが、頼りになる存在だった。眉が濃くて彫が深く、映画スターの様な身のこなしで「イカス大人」に見えた。実際にはマスターというより「食堂のおっちゃん」という風情であったかもしれない。だが、社会人が皆、オジサンやオバサンに見えた年頃にあって、マスターだけは違った存在として僕の目に映っていた。

僕はその店でたばこを覚え、酒の味も覚えた。学ランの襟のボタンをはずし、コーヒーをすすった。学校や親、世間のルールに背を向けているというようなカッコよさがあった。他人の悪口を言ったりすると、マスターから「みんな必死で生きとる。そんなこと言うたらあかん」と諭された。マスターとその店が僕に大人というものを教えてくれたのだ。

それから二十数年がたち、僕はこの街で一篇の映画「いずれの森か青き海」(2003年)を撮った。スタッフやキャストを連れて懐かしいその店に食事に行くと、マスターは奮発して松坂牛のステーキを出してくれた。礼を述べ、マスターにスピーチを促すと、意外なほど照れて短いエールをくれた。うれしかった。忘れかけていた故郷の懐かしさが、僕の中によみがえってきた。

だが、映画撮影から間もなく事件が起こった。近隣の失火から延焼し、マスターの店が廃墟となってしまったのだ。友人から連絡を言受けた僕は急きょ帰省し、火災の現場に駆け付けた。ちょうど現場検証が行われていて、警察や消防関係者の中に、ぼうぜんと立ち尽くしているマスターの姿があった。

マスターは僕を見つけて歩み寄り、小さくつぶやいた。

「あんたに言うても仕方ないが、助けてくれ、何とかしてくれ・・・・」初めて聞いた弱音だった。

何とかしてあげたいが、何もできない。何もできないのに、何とかできるとは言えない。僕はどんな慰めの言葉も見つけることができなかった。無力感に打ちのめされて。僕はその場を後にした。同級生や映画にかかわった仲間に声をかけて、カンパを募ったが、それが僕にできる精一杯のことだった。どこか後ろめたい気持ちを抱えたまま、僕はしばらく故郷を離れ、以来マスターに会うことはなかった。

数年前、マスターの訃報を耳にした。愛情を注ぎ、思い出が詰まった店を失い、失意の中でこの世を去ったのではないかと思うと心苦しかった。だが、それ以上につらいのは、あの時、気の利いた慰めも言えず、僕を育ててくれた店への感謝の言葉も添えなかったこと、そして、それを伝える相手がいなくなったという現実だ。マスターの顔と声を思い出す度に心が張り裂けそうになる。

今、あの洋食屋は再興し、当時と同じ店名で営業している。


映画「蒲田行進曲」感想3

2014年03月25日 | 諏訪商店街振興組合のこと

最後の感想を皆様にお送りした後、2通手紙が届きました。

Sさん ありがとうございました。

「あれっ?!“蒲田行進曲”ふーん 懐かしい、久しぶりにまた観てみたいな。

3月の雨の降る日中、たまたま通りかかった諏訪商店街の1軒の店先に、そのポスターは貼られていた。

雨が煩く、一度は通り過ぎたが、どうにも気になり、もう一度戻って傘を差しながら、じっくりそのポスターを見なおした。

これが貴組合との出会いでした。しかも3年間の素晴らしい企画運営のとりあえずの最終回、否、最終回であったとの事を知り「出会いが遅すぎた」と感じました。

突然のお手紙 失礼します。

始めて観させて戴いた上映会。しかも無料!過去の上映記録を見たときは、こんな充実した企画を3年も続けられている継続力!スゴイ。是非いつか、再開して欲しいと心より願っています。

私は鈴鹿在住で四日市駅前は、年に数度の利用しかないので、このような企画を「諏訪商店街振興組合」という組織が行っているということも知りませんでした。組織のメンバー各位の理解と、映画キチガイと団結力、実行力には大変感銘を受けました。

今後はスワセントラルパーキング様に駐車させていただき、四日市駅周りに出かけたいと思います。

それにしても「小津安二郎再発見」「昭和キネマの集い」「松竹キネマへの誘い」の各企画を観ていない私にとっては「もう一度今からやってよ」と言いたいところですが、それはかなわぬ事で、私の人生における失敗の歴史の一つをまた増やしてしまいました。

更に本日、ご丁寧にも、レジメまで送って頂きまして、誠にありがとうございました。

感謝と共に、四日市諏訪商店街振興組合様のご活躍と関係者皆様方のご健勝をお祈り申し上げます。   乱筆乱文失礼しました。

追伸

私、「蒲田行進曲」には結構思い入れがあり、何度か観ている好きな映画でした。

深作欣二監督・つかこうへい・松坂慶子・高見知佳・原田大二郎・蟹江敬三・清川虹子・風間杜夫・平田満・萩原流行・石丸健二郎(つか事務所の役者達。特に石丸健二郎さんは私の東京時代の先輩で、彼は“痔”で、よく世話をしてあげました。正露丸のコマーシャル、世界の車窓からのナレーション)

1970年代~80年代が私にとってのキーワードでした。」

Sさん、楽しい感想をお送りいただき、ありがとうございました。もう少し前に登場していただいていたらもっと盛り上がっていたのにと、残念でなりません。またの機会が必ずあると思いますので、密かに期待していてください。

それにしても、石丸さんの痔のお世話をされたとは・・・深く考えないようにいたします。

 もうお一人、Yさんの感想です。

「“松竹キネマ絵の誘い”に2年目より鑑賞させていただき、特に“二十四の瞳”が観られたのは、大変良かったと思います。今回の“蒲田行進曲”も以前観たのですが、今回観させてもらい改めて新しい感動に浸りました。大部屋の役者(平田満)が、階段落ちにチャレンジしたのは勇気のいること(命がけ)と思います。人生は安全第一ばかりではないと思いました。三浦雄一郎の80歳でのエベレスト登頂もチャレンジだと思います。これからの残りの人生に活力していきたいと思います。どんなことにもチャレンジと思います。どうも有り難うございました。

チャレンジしたいこと

① 今の政治を変えること

② スイミングチャレンジ クロール・背泳ぎ・バタフライ・平泳ぎを・・・

③ 死ぬまで面倒みてもらう様にならず、看れるように努力したいと思います。

その為に、細胞内のミトコンドリアを増やし、若返りして、有酸素運動!本を読み、人々にやさしく、ピンピンコロリの人生にしたと思います。どうも有り難うございました。」

亀山からお越しいただいていました。Sさん長い間本当にありがとうございました。いつまでもピンピンでお過ごしください。


バザール開催に向けて

2014年03月21日 | 諏訪商店街振興組合のこと

3月19日 午前11時 服部実行委員長とアビコミの堀木さんと三人で記者クラブへ出かける。新聞掲載のお願いである。毎日・読売・伊勢新聞の記者の方々は、こころ良く対応していただいた。

午後2時30分からは、三滝通りさくら祭り出店の皆様への説明会があった。まず保健所の久保田さんからノロウィルスに関する注意、そして、中消防署の斎藤さんから火器の取り扱いに関する注意事項が話された。続いて出店の場所決めがあった。まず、申出順にくじを引き、くじの番号順に希望の場所を聞いていく。今年は早くから予定数をオーバーして、さくら祭りは大好評だ。

夜は7時から第3回の実行委員会。最終予算案が読み上げられ了承の後、各組合・団体様宛の役割分担をお願いした。この日はバザール三昧の1日でした。服部実行委員長、堀木さん、ご苦労様です。

桜の開花もよさそうで、お天気に恵まれることを願っている。


いーはとーぶアベニュー材木町

2014年03月20日 | 諏訪商店街振興組合のこと

先週、振興組合法施行50周年記念式典に伺った折、懇親会の席で盛岡市材木町商店街振興組合理事長の宮沼孝輔さんとお話しできる機会があった。

初めに東日本大震災のことを話すと、内陸部に位置しているので津波の被害は免れたそうだ。そう云いながら宮沼さんは二枚のコピー用紙を渡してくれた。

材木町では冬季を除いて毎週土曜日“よ市”が開かれており、大勢の来客で賑わう。週刊文春と新聞からの紹介記事だった。近在の農家などが野菜などを持ち寄り露店を並べる。「その時、商店街はどうしていますか?」の問いに宮沼さんは「店の前に商品を並べて売ります。たくさんの人が集まりますから」と、当然のように話す。「もともと商売をするための市ですから・・・」

四日市のイベントは、来街者で賑わいを作るためだけに始められたのではないか・・・・。その時、商店街は充分売れて、潤っていたから・・・・。カナ?

 


映画「蒲田行進曲」感想2

2014年03月16日 | 諏訪商店街振興組合のこと

Kさん、今回も感想文ありがとうございます。

「映画馬鹿の映画馬鹿による映画馬鹿の為の映画。この映画は、銀ちゃんとヤスと小夏による奇妙な三角関係の愛の映画。ヤスと小夏は銀ちゃんのことが大好きなのに銀ちゃんは役者人生そのものを愛している様な男!そんなどうしようもない男に惚れている二人!それにこの映画ではスタントマンにも光があたっている映画です。最近新聞で読みましたがヤスのスタントをすべて引き受けた人物のいる記事がありました。

最後に、非常に楽しい映画に会えてうれしいです。

また、行政の施策でこのような機会が持てますことを祈りつつ、筆を置かせていただきたいと思います。(初年度の第8回から参加しております)」

Kさん、お付き合いありがとうございました。是非とも違った形で映画を楽しむ機会が持てますことを希望いたしております。チャンスは待つものでなく。自らの努力で作り出すものです。その節はどうかよろしく。

 

Tさま、今回も感想文の投稿をいただき、ありがとうございました。Tさんの投稿が無かったら、3年間の間に、此処まで盛り上がることはなかったと思います。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「蒲田行進曲はバブル時代にさしかかった昭和57年の作品。主演の松坂慶子は20代、風間杜夫と平田満は30代。若く 美しく 元気一杯!私も当時は主婦歴12年の忙しく元気なお母さんでした。その頃は、映画館に足を運ぶことは稀で、もっぱらTVドラマで満足していました。

今回の作品では、撮影現場を見学させて貰っている様な感じで、何だかとても得した気分でした。オーバーアクションや家庭内暴力シーンもありで、男のロマンを応援し続ける辛抱強い大いなる母性を描いていたこの作品。

原作者のつかこうへい・深作欣二監督・清川虹子等、すでに鬼籍に入ってしまいましたが、映画作りの面白さが存分に伝わってくる楽しい作品でした。

3年間という長きに渡り、無償で多くの名画(全29作品)を観せていただき、誠に有難うございました。(9作品×3年+追加2作品“長屋紳士録”“砂の器”)

関係者の意皆様に於かれましては、私どもにはわからない苦労もおありだったのではと推察しております。私なりにお礼の気持ちを込めて、毎回、感じたこと、知っていた事を感想文に書いてきました。いつも長たらしい駄文で、皆様にはご迷惑をお掛けしたことと思います。この場をお借りしてお詫び申し上げます。

さて、映画は観る者の心を揺さぶってくれる究極のエンターティメントです。これからもずっと映画のある生活を送っていこうと思っています。

本当に ありがとうございました!」

最後に、私の我儘にお付き合いいただいた理事長・事務所のお二人をはじめとする役員の皆さま、そして、参加いただいた皆様に深く深く感謝を意を表して、文化の駅サテライトステーション事業“松竹キネマへの誘い”を終わらせていただきたいと思います。

どうも ありがとうございました


映画“蒲田行進曲”上映

2014年03月15日 | 諏訪商店街振興組合のこと

3月14日 最後の文化の駅サテライトステーション事業“松竹キネマへの誘い”を行いました。「蒲田行進曲」の感想です。

Kさん ありがとうございました

「とてもよかったです。芸能界の裏側を見た気がします。長い間どうもありがとうございました。「おわり」とのこと。とても残念です」

 

Hさんの感想です。

「以前から観てみたいと思っておりましたので、今回観られて良かったです。このひたむきさと小夏さんの家庭的な雰囲気は、現代から失われつつあるものではないでしょうか。とてもとても良かったです。

地域の方がこうして集まり、ひとつの映画を観る、ということが素敵だと思います。とかく各々の世界に閉じこもってしまいがちな昨今において、こういったことはこれからドンドン大切になっていくと思います。是非存続をお願いします」

Hさんには“みんなで集い鑑賞する”大切さを教えられた気分です。感動を共有することの大切さと申しましょうか・・・・

 

今回は、初めて投稿いただいた方が多くみえました。Sさんもその一人です。

「三年間すばらしい企画実行で、本当に感激の毎回でした。またいつか、このような企画が催されることを願っています」

Sさん、ありがとうございました。何らかの形で再開したいと思っております。ご支持をいただき ありがとうございました。


商店街振興組合法施行50周年記念式典

2014年03月14日 | 諏訪商店街振興組合のこと

商店街振興組合法が施行されて50周年を迎えるにあたり、東京都港区青山のホテルフロラシオン青山において記念式典が開かれました。

当諏訪振興組合からは、副理事長の吉田周夫と、専務理事の水谷武生が出席、中小企業丁長官賞の表彰を受けました。

その後開かれた記念パーティでのお二人は、おのぼりさんのミーハーオジサン丸出しのはしゃぎぶりでございました。

シアワセ~    シアワセ~