花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

イベント ひろ助東海道まつり 最終章

2024年10月27日 | ひろ助が巡る花の東海道

東海道まつり無事終了いたしました。ご協力いただいた皆様、ありがとうございましたよしもと興業の 真ん中 オレンジ田中さん、両脇 双六人間さん

各店舗を廻っていただきました じゃんけん大会

ひろ助のお披露目 くす玉割りの式典

音楽まつり

ジオラマ展示コーナー

ゴジラー0.1良く出来ています

 

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イベント ひろ助東海道まつり 巻四

2024年10月23日 | ひろ助が巡る花の東海道

本日は、ひろ助東海道ののれんを飾り付けました。お手伝いいただいた皆様、ありがとうございました。

下げると小さいなぁと思っておりましたが 通りを眺めてみるとまあまあでございます 是非皆様27日には お越しいただき ああでもない こうでもない とご意見を賜りますれば 幸せでございます 

さて、下記のブログで安藤広重の東海道五十三次 四日市の三重川が四日市のどの場所を描かれたのか?考えてみました。クリックしてお楽しみください

2024年9月29日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

2024年9月30日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

2024年10月2日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

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イベント ひろ助東海道まつり 巻三

2024年10月22日 | ひろ助が巡る花の東海道

ひろ助から外れますが、二玄社刊 謎解き浮世絵叢書から興津の掲載がありました。故郷へ錦を飾る関取のお話です。先ずは前編をお楽しみください。あ、付録にひろ助神奈川宿の間違い探しをお付けいたしましたので、これもお楽しみください。(下の文字をクリックしてください)

2024年7月10日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

そして、興津編の後編でございます。

2024年7月14日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

本美大さんに、ひろ助に家族を作っていただきました。ひろ助に、妻のおふくと子どものちょろ助でございます。お引き立ての上 よろしく おん願い奉りますゥ。

2024年8月6日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

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イベントひろ助東海道まつり 巻二

2024年10月20日 | ひろ助が巡る花の東海道

来る10月27日、ご当地 表参道スワマエ商店街におきましては、東海道ひろ助まつりを開催させていただきます。午前11時になりますと、よしもと芸人のオレンジ田中さんらが飲食店店頭にてじゃんけん大会を決行!なんと、じゃんけんに勝利しますと1000円分のランチ券がゲットできるというものでございます。是非!お気軽にじゃんけんをお楽しみくださいネ。

十辺舎一九の東海道中膝栗毛。弥次郎兵衛と北八は日坂でとんだ珍事件を起こしております。その顛末や!

2024年6月28日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

弥次さん北さんは、ご当地 四日市宿におきましても またまた珍事件を起こしております。

2024年6月30日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

さて、ひろ助は神奈川宿を通りかかりますが、ここでは客引きばあさんにとっ捕まり、えらい目にあいます。

2024年7月9日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

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イベント ひろ助東海道まつり

2024年10月18日 | ひろ助が巡る花の東海道

10月27日(日)表参道スワマエ商店街にて ひろ助東海道まつりを開催!只今 懸命に準備中でございます 皆様のお越しを 心より お待ち申し上げております

さて、ひろ助東海道の履歴をたどってみませう。まずは、ひろ助東海道五十三次は四日市 三重川の図より

2024年6月9日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

ここで、よしもと興業のオレンジ田中さんとアンダーポイントの本美 大さんが出没!

2024年6月11日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

かくして、ひろ助は、商取引の使命を負って東海道を旅します。まずは日坂(現:掛川市)小夜の中山の場から ご紹介!

2024年6月23日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

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胎動 諏訪栄町②

2024年10月12日 | レモン色の町

昭和40年7月15日の近鉄四日市駅前の様子 駅舎を併設した近鉄ストアの北隣には 近鉄百貨店がオープンしている 昭和36年のこと 工事現場から伸びるクレーンを写生した記憶がある 完成は38年頃になるか?

同じ時刻に辻さんが撮影した中央通りの遠景 楠の木はまだまだ小さい

昭和43年に 辻さんの娘さんが 近鉄百貨店屋上遊園地に遊ぶ風景をとらえた写真 近鉄百貨店やオカダヤの屋上には遊園地があった

昭和39年9月15日のスワ百貨店屋上ビアガーデンの様子 公害のまち四日市の頃だった

昭和42年6月1日 中央通りと国道一号線交差点 交通監視塔ができて 塔の上から通行状況が監視されていた が、警察官がの上っていたのは初めの頃だけで あとは マネキン人形が立たされていた

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胎動 諏訪栄町!

2024年10月08日 | レモン色の町

昭和40年代は 四日市の中心市街地である諏訪栄町周辺が 最も活力に満ちた時代だった。

昭和43年 一番街通りと一本北のすずらん通り

昭和36年9月の第二室戸台風時の四日市シネマの様子 四日市グランドでは 大映大作「釈迦」を上映中で オープンして間なしだったと思う

一番街交差点で アーケードの為の地鎮祭?が行われている

翌 昭和40年7月にはアーケードが完成して 四日市商店連合会の中元セールくじ引き抽選会を実施中だ

抽選会の終わり方が難しかった くじ引きのお客様が続いてやってくるので なかな終了することができない 最終抽選場としてトラックの荷台に抽選場を移し 最後は走って逃げるという大盛況ぶりだった ま、夢のまた夢でアリマス

 

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ひろ助 東海道 二川完成!

2024年10月05日 | ひろ助が巡る花の東海道

 

安藤広重の“二川(ふたがわ)”は、現在の愛知県豊橋市、白須賀宿の西にある猿ケ馬場の様子です。右から左への上り坂に対して、画面のほとんどを占める丘は、逆に左から右への傾斜を描いています。広い丘からくる圧迫感、それを背に三人の瞽女(ごぜ)がゆっくりと歩いている様子が描かれ、厳しさとわびしさが漂っています。瞽女は二、三人で連れ立って旅をすることが多く、家々の門口で芸を披露して生計を立てていました。

 ひろ助の東海道五十三次“二川(ふたがわ)”です。ひろ助一家は、静岡の二川までやって来ました。さて、猿ケ馬場に来たところで、ちょろ助に名物のかしわ餅をねだられます。思わずきんちゃく袋と相談するひろ助。お福は笑っています。丸子のとろろ汁や大津の走り井餅など、広重は東海道の風景を描きつつ、各地の名物も紹介しています。本美 大さん 進化を続けるひろ助です ありがとうございました

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広重の描く四日市を推理する 後半

2024年10月02日 | レモン色の町

心の銭湯の神田さんが立ち上げた商店街活性化のティックトック。今回は益々グレードアップして 四日市商店連合会会長と諏訪神社の神主さんまでご登場!是非ご覧ください。

ひろ助商店街 (@counselor_syotengai) | TikTok

三滝橋説、開栄橋説、そして長田橋説まで紹介してまいりましたが、岡野繁松先生はもう一つ挙げておられます。

内部橋説:広重は東海道五十三次 三重川 を描いたあと内部川を描いている。

広重 内部川

内部川は三滝川ではない。しかし、三重郡・鈴鹿郡村々絵図(江戸時代後期)には三重川。水沢村・堂が山村野論絵図(1762)には水沢三滝川。水沢村・堂が山村野論裁許絵図(1764)では三ッ滝川と記載されている。広重は、内部川や杖衝坂、追分等も四日市として紹介しているので、内部川の河口を三重川として描いたかの可能性は残る。

この他、海藏川説や明治橋説等があるが、描かれた場所が、海に近いことは間違いないだろう。広重は、海岸筋・板橋・杭・葦・小舟・柳・帆柱・人家・野分、これらの題材が四日市にふさわしいと思って描きいれたのだろう。

広重 三重川

三滝橋にしては橋が小さい。長田(ちょうだ)橋では海岸から遠い。この辺りから岡野先生は、湊橋(開栄橋)ではないかと提案してみえる。絵の構成に工夫を入れた広重の“三重川”が、何処まで現実を取り入れたのか?さて、多くの“はてな”を残した傑作!安藤広重の“東海道五十三次”でした。

貞広 四日市

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広重の四日市を推理する 閑話休題?

2024年09月30日 | レモン色の町

考察:長田(町田)橋説を書いてまいりましたが、気になる部分に「天保3年(1832)夏8月、幕府の「御馬献上」に随行して東海道を上ってきた広重は、四日市宿に絵の題材を見出すことができず、日永村までやって来た。」とあります。さて、江戸から四日市宿まで40枚以上の絵を描いてきた広重が、絵の題材を見いだせずに日永まで来てしまったのでしょうか?っと思ってしまいました。

さて、岡野先生の推理に戻ります。

四日市宿から 鹿化川の次の橋を超えると西に大宮神明社が今でもある その次が町田(長田)橋である

長田橋は、東海道分間延絵図では土橋ですが、東海道宿村大概帳では石橋となっている。長さ4間、巾2間1尺で、橋の北詰めには柳の木らしきものと小屋があるようだ。構図は広重の絵を持ってこれそうだが、昔から川端に柳があることは多い。帆柱が遠望できて漁師の家らしきものが見えるのは那古の浦の遠望だろうか。

じっとしておれずに 日永へ出かけた。

東海道を南へ望む 左へ入る路地があるところから この辺りに橋が掛かっていたのか?

路地を東へ入る 川の上を歩いていることになる はて?下を流れているのか???東へ進む

川らしきものがあった やはり下を流れていた

逆に西向きに撮る 下校の学童が通っていく その向こうが東海道だ 下水と化した長田川の名残りである

 

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