花の四日市スワマエ商店街

四日市諏訪商店街振興組合専務理事の横道ブログ

時空移動号の冒険⑧国定忠治の謎

2019-04-24 | レモン色の町

昭和31年8月31日と記載がある辻さんの写真。ここへも円盤の老人が現れていた。地球に捨て置かれたため、香具師で生計を立てていたのだ。

もう一枚の同日に撮られた写真を見ると、前の諏訪劇場で、片岡千恵蔵の国定忠治を上映中だ。調べてみると封切りは昭和33年となっている。明らかに間違いであった、ってどうでもいいことですが・・・

それよりなにより、この徘徊老人の生末の方が心配でアリマス。

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時空移動号の冒険⑦新元号は光文?

2019-04-20 | レモン色の町

大正15年12月25日午前1時、長く患っていた大正天皇が亡くなった。同日、午前3時30分過ぎ、凍てつくような東京の街々を、東京日日新聞の号外配りが駆けまわり「元号決定」を報じていた。枢密院に於いて慎重審議の結果『光文』と決定するであろう、と。<半藤一利著『B面昭和史』平凡社ライブラリーより>

ところが、正午も近くなったころ、朝日新聞と時事新報とが「以後改メテ『昭和元年』トナス」の号外を撒いたのだ。東京日日新聞の内部は震撼した。これが正しければ大誤報となる。前から政治部には、枢密顧問の秘書課長から「“光文”になるらしい」との情報が入っており、慎重かつ早急の審議の結果、他社より早く号外発行を踏み切ることになったのだ。

では「光文」は幻の元号だったのか?宮内省は早くから草案に着手していて「昭和」「伸和」「恵和」など43の候補が挙げられていた。一方、宮内省とは別に枢密院でも選定が行われていて「光文」が一番の候補だった。この情報を日日新聞はえていたのである。そして、25日午前6時からの枢密院会議において5時間に及ぶ論議の結果「昭和」の決定をみることになる。

元号を誤って速報した日日新聞には、社の根底を揺るがす大事件へと発展する。戦争に向かう不穏な時代背景があったのか、この“誤報道”の発火点となった政治部記者は、その後まもなく退社し、完全に消息を絶った

写真は昭和3年、中町通りを練る昭和天皇御大典の奉祝神輿である。上空には巨大なタイムマシンが飛ぶ。

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リング リバースは本当に怖い!

2019-04-14 | わたくしごと、つまり個人的なこと

昨年公開のリング リバース。女の子はかわいいね。テレビの電源を切っても消えない。そして、倒れたテレビの中からニューッと出てきた。

がしゃんこ!

すっくと立ちあがる!

麻原か??映像に無理があった。告発されるの 間違い ナシ! スミマセーーーーン

 キモイ!

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エキサイト四日市・バザール 本部席の様子

2019-04-09 | わたくしごと、つまり個人的なこと

アーア ついにここまで来てしまいました。怒るか!警察に告発されるか!

 

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エキサイト四日市・バザール さくらまつりの様子

2019-04-08 | 諏訪商店街振興組合のこと

こびと図鑑から、タイムマシンでのお客様

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エキサイト四日市・バザール2019無事終了

2019-04-07 | 諏訪商店街振興組合のこと

二日間とも好天に恵まれた4月6日・7日、エキサイト四日市・バザールは盛況のうちに終了しようとしています。葉桜が心配されていましたが、見ごろを迎え大勢の皆様に楽しんでいただきました。今回の反省点を厳粛に受け止め、次回に繋げていきたいと思っております。ありがとうございました。

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時空移動号の冒険⑥四日市大博覧会

2019-04-03 | レモン色の町

昭和5年に始まった世界恐慌は四日市にも暗い影を落としたが、昭和11年3月市民待望の新港が完成した。これを機に、港四日市を広く世界に紹介しようという企画が立案され、新港の竣工と同時に、11年3月25日から「国際振興四日市大博覧会」が、完成したばかりの千歳町埋め立て地5万坪を会場に開催された。世は1か月前に起きた二・二・六事件で大揺れに揺れ、陸軍の力が国策に濃厚に影響を及ぼし始めていた矢先で、博覧会はこうした世情を一時忘れさせてくれる、新鮮な出来事であった。(写真集 四日市の100年より)

これは千歳橋を渡ったところに建つ会場正門の遠景である。上空には巨大マシンが飛来している。四日市駅前をふらついていたおじいさんが、ここにも姿を現した。マシンへの搭乗を希望しているが、どうやら断られている様子である。お爺様の運命や如何に!

 

人の心配をよそに、不敵に笑う老人デアリマシタ。

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時空移動号の冒険⑤本町2

2019-04-02 | レモン色の町

昭和11年の四日市西駅前の風景である。前回掲載のカラー写真は、突き当りの本町商店街を右から左向き(西向き)に撮られた。今回の写真は、四日市西駅正面から北向きに写されている。右が関西線の構内、前には永餅の看板が見える物産館が建つ。要するにお土産屋さんである。そして なんと、上空には巨大なタイムマシンがゆっくりと南西方向に飛行している。目前には、不敵に笑う好々爺。彼はマシンの搭乗者か?酔っぱらってお〇らしをしたので置いて行かれたのか?謎は深まるばかりである。この年、3月25日から5月13日まで、国際振興四日市大博覧会が千歳町埋め立て地を会場に開催された。

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再掲載 平成が始まった!2

2019-04-01 | レモン色の町

同じく、平成元年1月8日の中日新聞「核心」にこんな記事があった。

 

7日の「元号に関する懇談会」

「平成」決定にあたり、選考過程の実態はベールに包まれたまま。最終判断はだれが下したのか?

選考手順は ⑴首相が学識経験者(名前は未発表だった)に候補名を委嘱 ⑵官房長官がそれを検討 ⑶首相の指示で内閣法務局長の意見を聞き数個に絞る ⑷官房長官は有識者の意見を聞き首相に報告 ⑸首相は衆参両院の正副議長に意見をうかがう ⑹全閣僚会議で協議 ⑺全閣僚会議を閣議に切り替えて決定となっていた。

既に、中曽根前内閣までに委嘱されていたようで⑴~⑶、絞られた三案は金庫に仕舞われていた模様。1月7日午後1時3分、有識者8名を交え「元号に関する懇談会」が、首相官邸で開かれた。⑷の作業である。封書で「平成」「修文」「正化」が提示された。20分後、小渕長官は会議室を抜け出し衆参の正副議長に同じ封筒を手渡した。有識者による懇談会では「『平成』が右端、つまり最初に書かれていた(出席者の一人」。⑹の全閣僚会議で小渕長官は「懇談会にはおのずから一つの方向が出ていた」と切り出した。懇談会にも両院議長に対しても「平成」一本化への誘導疑惑はぬぐい切れない。「平成」は、すでに中曽根内閣時代に決められていたのではないか。実務的には官房長官と法制局長官との協議が大勢を占めるが、首相の意向が反映されたのも間違いがないところ。そしてこう結んであった

だとすれば、選考経過の不透明さは首相の責任に帰す。少数の懇談会を形だけ設けて、国民各層の意見を聞いたとはとても言えそうにない。

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再掲載 平成が始まった!1

2019-04-01 | レモン色の町

大変申し訳ありません!昨年5月の再掲載です。リンクをはるのが面倒でしたので

1989年(平成元年)1月8日(日)の中日新聞が出てきた。1月7日午前6時33分、昭和天皇が崩御された翌日の朝刊。一大事!の感が強い。

『平成』きょう施行

 新天皇の即位に伴い政府は7日午後の臨時閣議で、昭和に代わる新しい元号を「平成(へいせい)」と決め、政令で交付した。8日から施行される。昭和54年に制定された元号法に基づく初の改元で「平成元年」として新たな時代が幕を開ける。

 改元は現行憲法下ではもちろん、内閣の手によって行われるのは初めて。元号法に付随して閣議報告された「元号選定手続き」に沿って進められた。政府は天皇のご逝去と共に、竹下首相が委嘱した数人の有識者から提出されていた新元号候補案の中から、小渕官房長官と味村内閣法制局長官が「平成」など三つの候補原案に絞り込んだ。これを竹下首相に報告するとともに、同日午後1時過ぎから8人の有識者による「元号に関する懇談会」を開き、各界代表の意見を徴収した。

 この後、小渕官房長官が衆参両院正副議長の意見を聞くとともに、全閣僚会議を経て、同2時過ぎから開いた臨時閣議で正式に「平成」と決定した。

 いよいよ本日11時30分、新しい元号が発表される。永和か和平か?

 当日のテレビ放送はNHK教育(左から2番目)を除いて追悼番組一色だった。左からNHK総合・NHK教育・CBC・東海・テレビ愛知・名古屋テレビ

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