整備途中の中央通りで講和記念大博覧会が開催されたのが昭和27年。その翌年の28年7月のことである。四日市商店連合会は、“七夕まつり”を立ち上げた。牽牛と織姫の人形を乗せた二基の小さな山車を三滝橋で遭遇させる趣向で、橋の上は大勢の人で賑わった。戦後復興による四日市商業界の隆盛に乗っての行事だった。そして、四日市商工会議所の“商品まつり”と“七夕まつり”は合体して“四日市港開港60周年祝賀「港まつり」となって昭和34年8月4~8日に開催される。まず、国鉄四日市駅前に立つ稲葉三右衛門像への献花式に始まり、続いて諏訪神社に商品を奉納する商品祭で「港まつり」は進められた(この行事は現在も続けられている)。
戦後、最も賑わっていたのは諏訪新道とその南の呉服町だった。昭和31年に現在の近畿日本鉄道四日市駅が完成して駅前に1番街商店街が形成されつつあったころ、諏訪新道と近鉄駅の間に位置する旧東海道のスワマエ通りも大勢の通行人でにぎわった。
昭和30年頃のスワマエ通り
昭和31年夏、ご当地商店街も七夕飾りで商店街をにぎやかにしよう!の掛け声で新しく造られたアーケードの下にくす玉を下げることとなった。

各戸にちり紙と細い針金が配られる。ちり紙は6~7枚を細く折りたたんで真ん中を針金で縛る。二つに折って花のように広げて大きな竹かごに括り付け、スプレーで色付けして完成である。くす玉づくりは家族総出で晩御飯の後、風呂へ行くまでの間に行われた。単純作業なのでみんなが寄り合って、世間話をしながらの仕事である。商店街が良くまとまっていた。

はじめは球体のくす玉も、翌年には雀の形になり、その次にはディズニーのキャラを模した。それなりに、進化していたのである。
神戸 長田町の鉄人28号モニュメント
昭和31年7月、雑誌“少年”に、横山光輝 作・画 で「鉄人28号」が始まった。はじめは少年探偵もののつもりが、人気が出てきた巨大ロボットものに代わっていったそうだ。なかなか鉄人が現れなかった記憶がある。28号は正義の味方とはいいがたい。リモコンが正太郎から悪人の手に渡ると28号は敵に回ってしまう。その後の「鉄人28号」の影響は大きく、「マジンガーゼット」や「機動戦士ガンダム」へとロボットものは波及進化を続けた。
鉄人28号の歌 デュークエイセス 朝日ソノラマ版
(52) 鉄人28号 Tetsujin 28-go x T28 Opening 【MAD】 - YouTube