花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

浮世絵にみる四日市宿

2016年08月31日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

四日市商工会議所様発行“商工春秋 9月号”より“東海道五十三次内 四日市”より

歌川国芳の門人芳員の描いた東海道五十三次シリーズ。題名の横に次の宿場までの距離を記すのが特徴で、本図の場合「いしやくしへ二り半九丁(約11㎞)」と記している。

薦を背負い、腰に柄杓を差して馬に乗った伊勢参りの子どもが、饅頭を手にしながら更にせがむ姿に、馬子や店の女性があきれている様子をコミカルに描いている。

「東海道中膝栗毛」(1802~1809年刊行)には、弥次さんが、饅頭の食べ競べをして負けるという話がある。出版されてから数十年が経ち、追分の饅頭屋が、四日市の代名詞として定着していたことを感じさせる図である。

なお本品は、同じ1枚に宮(名古屋)と上下に分けて摺られている。

          (市立博物館学芸員・田中伸一氏)


“彼岸花”を観て

2016年08月29日 | 諏訪商店街振興組合のこと

Kさんから“彼岸花を観て”と題した感想をいただきました。ありがとうございました。

「大変申し訳ありませんが、小津映画の良さがいまいちわかりません。小津映画ということで当方の期待が大きすぎたのかもしれませんが。他の監督なら気にならない様な事でも、かえって気になってしまいます。タイトルと最後のバックの布模様、出演者の髭のおじさんと眼鏡のおじさん、

会社のセット、汽車の後部のエンド、料理屋と何故かワンパターン。同じセットの佐分利信の自宅、浪花千栄子の家など。外を映した時、同じ植木があったような・・・。それから会話を交わすとき、正面を向いてカメラ目線でのセリフ。まるで相手がいないような感じがします。

ただ専務が云われた、赤についてはやはり目に入りました。山本富士子の着物の帯と裏地、田中絹代の座った座布団、ヤカンと対比して置かれた白い磁器のツボ(一番、目につきました)。

次回の小津映画“東京物語”を観て、どのように感じるのか。楽しみにしています。

最後のこの作品の別タイトル“Equinox Flower”はどんな意味でしょう?」

最初にお断り申し上げます。“東京物語”の上映日程が平成29年2月17日に変更となりました。そして “Equinox Flower”(エキノクス フラワー)は、ラテン語でEQUI(等しい)・NOX(夜)で春分、秋分を意味するそうです。つまり彼岸花の事です。

タイトルのバックの荒布模様は“ドンゴロス”といい、監督お気に入りで小津作品の多くに取り入れられています。(中野翠さん曰く、異様なまでの執着)

同級生の小父様達。佐分利信と髭の北竜二(“彼岸花”“秋日和”“秋刀魚の味”に出演)・眼鏡の中村伸郎(“東京暮色”“秋日和”“秋刀魚の味”に出演)。彼ら三人(“秋刀魚の味”では、笠智衆)が集まる酒席では、品の悪い冗談が出たりして楽しませてくれます。

(料亭“若松”の女将は高橋とよ。若松は秋刀魚の味でも登場します)

汽車のラストは“浮草”でもありましたね。

風景やセットなど、よく似たパターンが繰り返されることは「あ~、やはり小津作品だなあ~」と思わせてくれます。新鮮味はありませんが、安心というか幸福というか、マ、ニンマリと浸れる気分です。

東京の佐分利信の室内と、大阪の浪花千栄子の室内の雰囲気がよく似ています。日本家屋を、低い目線から動かさずに撮っています。

小津監督は、役者の上半身を真正面から撮ってしゃべらせました。ですからカット割りが細かく“晩春”の列車の中の会話では目線が合わないこともありました。しかし、これが小津調。真似のできない独特の味わいを醸し出しているとおもいます。

“小津安二郎と「東京物語」”貴田庄著 ちくま文庫 より ヴィム・ヴェンダース監督が「東京物語」をこう称えています。

20世紀になお“聖”が存在するなら

もし映画の聖地があるならば

日本の監督・・・

小津安二郎の作品こそふさわしい

小津の映画は常に最小限の方法をもって

同じような人々の同じ物語を

同じ町を東京を舞台に物語る

彼の40年にわたる作品史は

日本の生活の変貌の記録である

描かれるのは日本の家庭の緩慢(かんまん)な崩壊と

アイデンティティーの衰退だ

だが進歩や西欧文化の影響への批判や

軽蔑によってではない

少し距離をおいて失われたものを懐かしみ

悼(いた)みながら物語るのだ

だから小津の作品は

もっとも日本的だが国境を越えて理解される

私は彼の映画に世界中のすべての家族を見る

私の父を 母を 弟を 私自身を見る

映画の本質 映画の意味そのものに

これほど近い映画は 後にも先にもないと思う

小津の映画は20世紀の人間の真実を伝える

我々はそこに自分自身の姿を見

自分について多くのことを知る

 

“寅さんからの招待状”上映会採択!

2016年08月28日 | 諏訪商店街振興組合のこと

今回の映画鑑賞会が採択されました。有難うございました。心より御礼申し上げます。

封切り作品の都合で“東京物語”をはさんで“男はつらいよ”シリーズから上映させていただくこととなりました。審査会の席では、「せっかくの鑑賞会だから、感想を話し合える場を設けては?」とのヒントをいただき、上映30分前を“雑談タイム”にしました。前回上映会の感想や寅さんのこと、小津作品や山田監督のこと、これから観たい映画のことなどが話し合えればと思っています。


“彼岸花”に思う

2016年08月20日 | 諏訪商店街振興組合のこと

昨日は、昭和33年公開の小津安二郎監督“彼岸花”を鑑賞いたしました。

この作品にも、小津監督の戦争に対する姿勢が描かれていました。家族で箱根の十国峠へ旅行に来たシーンです。

「あたしねえ・・・」

「なんだい」

「時々そう思うんだけど、戦争中 敵の飛行機が来ると、よく皆で急いで防空壕へ駆け込んだわね。節子はまだ小学校へ入ったばっかりだし、久子はやっと歩けるくらいで、親子四人真っ暗な中で、死ねばこのまま一緒だと思った事あったじゃないの」

「ウーン、そうだったねえ」

「戦争は厭だったけれど、時々あの時の事が、ふっと懐かしくなる事あるの。あなた ない?」

「ないね おれァあの時分が一番厭だった、物はないし、つまらん奴が威張ってるしねえ」

小津監督は、大声で叫ぶのではなく、嫌悪感で反戦を表現しています。

“彼岸花”はもう何度も観ていますが、何度観ても至福の時をいただけます。娘の結婚に反対する頑固な親。策を講じて説得にあたる友だち。平和で幸せな時に浸りながら、小さな事件はやがて解決を迎え、無常観を含みながらまた“せんぐりせんぐり”次の時代へと進んでいきます。

小津監督は、アグファカラーの朱赤を気に入り初めてカラーで撮りました。気になったのは居間にある赤いやかんです。吉田喜重監督の「小津安二郎の反映画」の一節で思い出したのが“静物のまなざし”という言葉でした。赤いやかんが道具として役立っている様子は見えません。むしろ、役者と我々の間に存在して、家庭内の出来事を静観しているようです。私たちがやきもきする気持ちを知って「まあ、もう少し様子を見ましょうよ」と語っているように見えました。

 

それから、自宅の撮り方が山田洋次監督の“家族はつらいよ”と似ていることです。坂の下からカーブを描いて登って来た(画面)左に玄関があります。山田監督が意識したのかもしれません。

また、最後に披露する笠智衆さんの詩吟(楠正行)は意外と長かったようです。“長屋紳士録”でも、覗きからくりを披露していますが結構芸達者な方のようでした。晩年、中野翠さんがインタビューをされています。小津監督に見出され、“ロボット”のような役者に徹してきた一方で、激しくストレートに喜怒哀楽を表現する笠智衆が居た。たとえば“好人日記”(昭和36年)での変人教授役、“酔っぱらい天国”(昭和37年)でのアル中おやじ役、“大根と人参”での蒸発おやじ役等。そこには、滑稽で、哀れで、煩悩たっぷりの、時にはやりすぎと思われるほどの芝居をしている笠智衆が居た、と。


四日市市市民文化事業応募のお知らせ

2016年08月12日 | 諏訪商店街振興組合のこと

当映画鑑賞会で、四日市市市民文化事業支援補助金申請を行っています。審査会は8月21日に行われますが、作品の配給元(松竹ビデオ部様)に問い合わせたところ、“家族はつらいよ”封切り1年間は上映できないそうです。そこで、順番を入れ替えました。そして、三重県フィルムライブラリーさんから小津安二郎監督の“東京物語”をお借りして、“東京物語”、“東京家族”、“家族はつらいよ”の順で上映させていただきます。“東京物語”を除いて時系列に並んだわけです。どうかよろしくお願いいたします。


“悪人”

2016年08月12日 | 映画の名言、映画の迷言

吉田修一著“悪人“が李相日監督(フラガールの監督)により2010年に映画化されています。

原作と比してミスキャストではないか?とか、いろいろ思いながら鑑賞しましたが、感涙の最後を堪能いたしました。チェックしていた佳男の一言。やはり映画でも重要ポイントとなっておりました。

娘を殺された佳男(柄本明)。佳男は、娘を車から蹴落とした増尾の友人鶴田を横にこう話しかける。

「あんた、大切な人はおるね?」

佳男の質問に、ふと鶴田が足を止めて首を傾げる。

「その人の幸せな様子を思うだけで、自分までうれしくなってくるような人たい。おらん人間が多すぎるよ」

ふとそんな言葉がこぼれた。

「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎっとたい。大切な人がおらん人間は、なんでん出来ると思い込む。自分には失うもんがなかっち、それで自分が強ようなった気になっとる。失うものがなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間って思いこんで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした眼で眺めとる。そうじゃなかとよ。本当はそれじゃ駄目とよ」

犯罪者を、とかく世間の人は先入観で判断しがちです。しかし、人は人とのしがらみの中で生きている。愛する人を思う気持ち。肉親を思う気持ち。時にこれらは重圧になるけれど、持ちこたえて生きることが人の道だと思います。

妻夫木聡、深津絵里のほか、いい脇役が揃っています。

余貴美子

樹木希林

九月には、同じ吉田修一と李相日監督のコラボで“怒り”が上映されます。