花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

中入道の災難

2007年07月31日 | おいらの商店街
ヶ月ほど前から当店に電話がかかってくる、それも閉店間際の19時5分前だ。
「うちの息子が調べているんですが、お宅の前の中入道、きょうは動いているでしょうか?」商店街の通りに立つ中入道は、電動で首が動くようになっている。
レビのポチタマの番組で放送されて以来、有名になったものだと喜んでいた。
時々、中入道の前で記念写真を撮っていく家族連れが目に付く。
「申し訳ありません。今日は動かしてないんですよ」親切に返事をしていた。
まで10回ほどのお問い合わせがあったと記憶している。
親が電話をするとは。子どものしている調査なら本人にさせれば良いのに、なんと親ばかだろうと思いつつ正直に返事をしていた。
ころが、昨日の夕刻、商店街の某さんが来てこんなことを話していった。
「変な人がいてねぇ。中入道の動いている日数を電話で問い合わせてくるんです」
どうやら当店にかかってくる電話の主と同一人物らしい。
入道の電源はアーケードからとっている。アーケードの電気代は、その一部を市の助成金として商店連合会からいただいている。スコシ ヤヤコシイ
つまり、電灯料の補助金で中入道が動いている。これは防犯のための補助金の主旨に反するのではということらしい。
さん曰く「商店街の活性化に中入道は大いに役立っている。何のヤマシイところがあるのでしょう」
私も曰く「電灯料の補助金は、9月度の電気使用量を基本に決定する。だから9月は一切、中入道は動かしません」
これで中入道のモーター代は、助成金に加算されないことになる。
供のためと親切に返事をしていたことが腹立たしい。
今度電話があったら、一言いってやろうと思っている。
ころが、ここ数日電話は ない。
お祭りに向けて、ちょいと掃除でもしないとみっともない。

まぼろし探偵の巻

2007年07月29日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

買ってはいけないと思いつつ、買ってしまった.
往年のテレビドラマ「まぼろし探偵」がDVD化されて500円で売られていた。
「怪傑ハリマオ」「月光仮面」も並ぶ。
以前、月光仮面が再放送されていた。少年の頃に戻った気分で観たが、幼稚でつまらない内容だった。当然だ、半世紀も前になるのだ。
「まぼろし探偵」第24話ウランの秘密・25話ミイラ武者の復讐
吉永小百合が出ているらしいが、確認はまだだ。
新聞社の事務員に子供の藤田弓子が出ている。
内容はお奨めできないほどつまらない。単に懐かしいというだけだ。
ウランの秘密では、田舎から町に出てきた少年が悪者につけられる処から始まっている。
電車が走ってくる。駅に着く。
なんと、そこは新宿駅だ。終点になっているが到着した電車はそのまま左へカーブして去っていった。
改札口へ出た少年の左に切符売り場があった。多摩動物園、高尾山方面の看板が出ている。当時の路線がどうなっていたのかわからないが、ずいぶん辺鄙でごみごみしている。
この放送は昭和36年。ヘエ~と妙に感心。現在からは想像もできない。

青森視察のご報告 最終回

2007年07月24日 | 諏訪商店街振興組合のこと

うどん屋でそばを食べた我々は、13時44分発 青森駅行きのバスで青森市へ戻った。
14時22分駅前に到着。駅前で17時30分に集合する約束をして自由解散とした。
北川・外羽・森と私は、青函連絡船八甲田丸に向かう。
八甲田丸の船底には、当時、北海道を行き来していた鉄道列車が展示してあった。しかし長い年月で、かなり傷みがきている。ペンキはハゲ放題、リニューアルにはかなりお金がかかりそうだ。
見学を終え、海沿いに青森ベイブリッジを見上げながら、昨日訪れた観光物産館アスパムに再び向かった。
ふと思いついて、全員で夜の食事を済ませるため、集合時間を17時に変更し、全員に連絡した。
15時30分頃だったか、三崎さんに電話すると驚くべき返事が返ってきた。
帰りの飛行機が、整備のため飛ばないかもしれないという。
手続きをとるため青森空港に向かっているらしい。
それからパニックになった。
都合よく、アスパムで商工会議所のお二人に出会う。
三崎さんから再度連絡が入る。落雷のため運行中止は決定だそうだ。
帰りの手段は羽田か小牧に飛び、そこから列車の方法がある。またはもう一泊するか?この みちのく でまた一泊か?
森さんが、携帯で日本航空に問い合わせる。長い電話だ。
青森空港に近い三崎さんはそのまま帰るように携帯で支持する。今なら羽田行きに間に合いそうだ。
16時30分、集合場所の青森駅に歩いて移動。
駅前でも、森さんの携帯での交渉が続く。
市の荒木さんと、商工会議所の石川、水谷両氏は今日帰れるところまで帰りたいとタクシーで空港に向かった。
残りの5名はもう一泊することにした。
三崎さんが駅に戻ってきた。飛行機が取れなかったらしい。列車と夜行バスで帰るという。八戸まで行き、東北新幹線で東京へ。そこから夜行バスで明朝四日市に着くという。
先に空港に出かけた3名が、羽田行きに乗れるか心配になり携帯する。
何とか乗れたらしい。今日は東京泊まりだ。
森さんの交渉が続く。
宿泊費は日航から出るそうだ。明朝一番の便の予約を取る。
ということで、残りの5名は宿泊先を探すことになった。
18時頃だったか?ビジネスホテルに問い合わせるが、どこも満員。
ようやく駅前の東横インに落ち着く。
翌日の飛行機は意外と空いていた。
こうして、13日昼ごろ四日市にたどり着いた。
思い出す。昔、青森から飛行機で帰る予定がストで中止。夜行列車で帰った記憶がある。飛行機もひとつ間違うと大変な目に合う、という教訓でした。
しかし、12日の夜は、自腹だったけれど郷土料理にありつけた。ねぶたまつりのことなど、地元の人の話を聞くことも出来た のでありました。
おしまい

青森市視察のご報告6

2007年07月22日 | 諏訪商店街振興組合のこと

12日はJRで弘前に向かうつもりでした。朝、ビジネスホテルのロビーで皆さんが揃うのを待っていると、某さんが「ねぶたの里」行きのバスが出ていると知らせてくれました。ホテルのフロントで聞いてくれたらしいのです。
それはありがたい、と駅前からそのバスに乗り込みました。
バスは市街地を離れ、南へと向かいます。少し方角がおかしいナァ、とそれとなく思っておりました。そして、気がついたのは、「ねぶたの里」に到着の10分前でした。この調子では弘前に届くはずがありません。
青森市にあるのは「ねぶたの里」、弘前市にあるのは「ねぷた会館」でした。行き先が違っていたのです。
「弘前に向かってクレ」と詰め寄る理事長。戸惑うバスの運転手。
「折り返しのバスがすぐ来ますから、ここで待っていてください」慌てて去っていくバス。
ねぶたの里の幟が寂しく立つ辺鄙なところに降ろされた一行は、途方にくれました。
ふと見ると、古い民家を改造したうどん屋がバス停前に建っていました。そこの奥さんの説明では、ここには、弘前に負けない多くのねぶたが展示されているということでした。
「ここまで来たんだ、いちど覗いてみよう。東海地方でここに訪れる人はわれわれぐらいのもんだろう」
幟に沿って砂利道を進みます。東北新幹線の建設現場をくぐると、そこに「ねぶたの里」がありました。
周辺は結構賑わっていました。
入り口に映画「八甲田山」で使用された車が展示してあります。ボロボロです。映画が公開されて20年は経っているから無理もありません。
さて、大きな展示棟に入ってびっくり、ねぶたがずらり二十基ほど並んでいました。壮観です。青森は人形形のねぶたで、立体感があります。弘前ねぷたは扇型だそうです。
「来てよかったナァ」ということで、帰りは入り口のうどん屋で昼食のそばを食べ、ふたたび青森市へ戻りました。その日の飛行機が飛ばないことも知らず。
最終回につづく であります

青森視察 加藤氏の話2

2007年07月20日 | 諏訪商店街振興組合のこと
加藤 博さんの話は続きます
お話の断片で 読み辛いかもしれませんがご理解下さい

の沈滞化には、皆さんに責任があるのです。
みんなが一致協力して街を宣伝することが大切です。
元気な人が街に居れば、街は元気になります。
街の継続のためには事業のリニューアルが必要です。
青森のスタンプ事業は10年間で4回のリニューアルをしています。その結果、伸びています。
店の後継者は血のつながりではありません。
商店街は大型店のマネージメントを取り入れなければ機能しないのです。
今、商店街の目標が立たないのが現状です。
1~2年後われわれの街をどうしたいのか、それが見えなければなりません。
森の新町商店街では、数字に弱い商店主が集まり勉強会を開いています。店の日・月・年の予算を立て、損益分岐点を立てる勉強会です。
7つの商店街をひとつにまとめる会合も開いてきました。
新町商店街の会費は年1億になります。
対する人がいるからやる気が出るのです。
2・6・2の法則があります。これは2が賛成者、6が無関心層、そして2が反対する人です。反対があるからこそやる気が出るのです。
型店と駐車場問題で比較してはいけません。大型店では売上の2%が駐車場の負担分です。個店の魅力で勝負するのです。
大型店は嘗て、広告宣伝費に2%かけていました。しかし今では4%に増やしています。
店はマーチャンダイジングである品揃え計画が大切です。
売れるものを安く売るのは誰でも出来ます。
個店の魅力は目的買いではダメです。衝動買いなのです。
それには品揃えが必要です。これには時間がかかりますが。
新町の一店一品は皆で決めています(自分で決められない)。商店街の仲間でこその辛口批評が出ます。
振興組合では「しんまちの逸品」パンフレットを作っています。ここに店主の顔も添えて掲載しています。商品を売るのは、店の顔である人です。
しいものが、毎日、必要なだけ買える事が、高齢者が街に住める魅力です。
失われたものを聞き、原因を突き止めて街に取り戻すことが、これからの商店街の生き残り策だと考えています。

づくり事業には全体で取り組むこと。そして、事業の思いつきは同じようなものです。只それを継続して行なうかどうかが大切だと感じました。

青森視察 加藤氏の話1

2007年07月18日 | 諏訪商店街振興組合のこと

森市街づくりあきんど隊の隊長である加藤 博氏は、1949年青森に生まれた。
生家は西津軽郡で総合衣料商を営んでいた。
1973年ニチイに勤めるが、1986年新町商店街で婦人服専門店を営む。1988年より青森市中心街区のまちづくり運動で活躍中。
の信条は「魅は与によって生じ、求によって減す」「この土地は、先祖からもらった物ではない、子孫から借り受けているのだ」
体験から生まれる氏のお話には迫力があった。
以下、加藤氏のお話を、簡略に羅列してみた。

トーヨーカ堂は、商店街と共存共栄の立場を取りだしました。小売店から若い人の研修を受け入れるようになりました。
イオングループは、180度政策転換して郊外店を閉める方向です。今後、高齢者重視、環境問題、楽しめる店舗構成を目指します。景観を強調した店作りを進めるでしょう。
成10年大店法廃止がされ、まちづくり三法が成立しました。
にもかかわらず平成17年になっても中心市街地は下降するばかりです。
今までに5兆円という大金を、中心市街地にバラ撒いてきました。その内の2兆2000億円が国の補助金だったのです。効果が見られない中、三法の見直しが行なわれました。
ちづくり三法の見直しで、官僚は頑張りました。官僚のイメージは良くありませんが、この法案成立のためによく努力していただきました。そして、すべての議員が党派を超えて賛成したのです。
今後、この法を元に頑張らなかった商店街は置いてゆかれることになります。
街の再活性化のために利用しなければなりません。まちづくり三法のもとで、市・商工会議所・商業者・住民が一体となって取り組むことが大切なのです。
後、小売業の売上は伸びません。反面売り場面積だけが伸びています。小売業者にとっては厳しい時代が続きます。
少子高齢化が進み、元気な年寄りが増える社会となることは見えているのです。
平成7年から17年の間に、百貨店は20%・スーパーが30%・小売業では50%の店が減少しているのが現状です。
開発に市の役目は大切です。青森市の場合、市長は商人(かつて商工会議所の副会頭だった)であり、都市のプロデューサーであり、街のトップタウンマネージャーである必要があるのです。
青森市では除雪の問題が深刻です。雪対策だけで年間20億の経費が掛かっているのです。
そして、全市で上下水道の普及は10%になりません。この原因は、市のエリアが増えていることによるものです。
結果、街を外に向けないことにしました。内側へ集約させ、利便性のある中心市街地の街づくりが必要となりました。
本計画は行政が責任を持ってください。
今までは街づくりに商工会議所は本気ではありませんでした。街の商業者はもっと本気でなかったのです。

つづく であります

青森市視察旅行 中休み

2007年07月17日 | 諏訪商店街振興組合のこと
ただいま旅行経費を作成中
実は帰りの飛行機が 落雷のため飛ばなくなった
帰れな~い
ということで二日目は15時頃からパニック状態!
3名はその日 東京まで飛び 翌朝名古屋までとんだ
翌日の出勤には間に合ったのでしょうか? お疲れ様でした
1名は列車と深夜バスで翌日の朝帰り
5名は青森でもう一泊し 翌朝帰った
空港で返金してもらったが 金が持つか 内心不安だった
これいったい ドウ 精算したらいいの???
ごちゃごちゃで 頭ふらふらしてまいりました
ということで 本日お休みで あります

奮闘の末
何とか経費一覧は出来上がりました
おつかれさまで ありました


青森市視察のご報告2

2007年07月16日 | 諏訪商店街振興組合のこと

7月11日10時55分、青森市に到着した私たちは、駅前再開発ビル「アウガ」を見た後、ピラミッド型の観光物産館「アスパム」を覗いて、ふたたび駅前に戻り「パサージュ広場」を訪れた。
平成十二年9月にオープンした「パサージュ広場」は894㎡。飲食4店、物販5店舗が広場を囲むように建っている。
ここは商業ベンチャー事業のもと、チャレンジショップが3年の期限で店を開いている。
加藤 博氏の指導で経営者を育成しそれぞれが巣立っているが、うまくいかない店舗もあるようで、夜逃げされた店もあったと聞いた。
「パサージュ広場」店舗の二階に会議室があり、13時30分ここで商工会議所と青森市、そして加藤 博氏の説明を聞いた。
青森商工会議所 新幹線・街づくり対策部の六角正人次長、青森市経済部 中心市街地対策課の村田幸長主事二人のお話を聞く。お二人は仲が良さそうだ。市と商工会議所が、共に連携を取り合っている感じが伝わってくる。
青森市は都市の空洞化現象が起き、30年間で1万3000人が郊外へ流失、除雪作業だけでも年間20億の経費がかかる。
郊外の無秩序な開発を抑制し、顔つくりとしての中心市街地を再活性化することにより財源を有効に使う。この発想からコンパクトシティ構想が生まれた。街がよくなれば周辺もよくなるという考えだ。
青森市はインナー(市街地)・ミッド(住宅地)・アウター(自然保護地域)に区分けして事業を進めている。
そして、まちなか居住の推進にも取り組んでいる。
平成19年6月に完成した高齢者マンションミッドライフタワーは、駅前に建つ17階建てのマンションだ。
1階店舗、2階病院、3~4階がケアハウス、5階から上はシニア対応型分譲マンション。高額にもかかわらず完売と聞いた。
「アウガ」内でも高齢者が会話を楽しんでくつろぐ姿があちこちに見受けられた。
元気な高齢者は街で働いていただく。レンタル自転車が駅の北側にあり、観光に、買い物に自転車が無料で貸し出されていた。
中心市街地を活性化させるため、あらゆる策が計画され実行されている。
しかも、市・商工会議所・商業者・住民が一体となって取り組んでいる。
諦めず、継続させて・・・・・・・。
このあと、街づくりのカリスマ 加藤氏のお話を聞くことになる。

青森市視察のご報告1

2007年07月14日 | 諏訪商店街振興組合のこと

7月11日10時青森空港着。天候は曇り。連絡のJRバスに40分乗り青森駅に到着する。
視察メンバーは、振興組合から北川・外羽・森・三崎・水谷。商工会議所の石川・水谷。市から荒木。そして議員の杉浦の9名の参加だった。
説明会まで時間があるので、早速、平成13年1月にオープンした駅前再開発ビル「アウガ」に向かう。
このビルは1977年計画がスタートしたものの、キーテナント予定の西武が撤退。1994年計画は白紙に戻され再スタートした。
地下1階は、地権者だった市場がそのまま入り、豊富な海鮮類を扱う店が、広いスペースにずらり並んでいる。壮観だ。レストランも併設されていて賑わっている。売り上げは、つかめてないらしいが、世代交代が進んでいるところを見ると、売上は好調の様子だ。
1階~4階にはテナントが、5階~8階は公的な施設が入っている。
6階から上が図書館で、いったん郊外に出た図書館を、再び街に戻したということだ。
「よくぞ街中に図書館を戻せましたね」と尋ねると、意外とスムーズに事は運んだ様子だった。
残念ながらこの日、図書館は月に一度のお休みにあたっていた。
1日平均2,200人の利用者がある。午前中は高齢者、3時過ぎからは学生、夜は勤労者と利用する人が色分けできるということだ。21時まで開館している。
ホールなどもあり、インターネットコーナーは結構賑わっていた。
高齢者のくつろぐ姿があちこちに見受けられる。
続いて、パサージュ広場へ向かう。
この日の予定は、まだ順調だった。

青森市視察のご報告 プロローグ

2007年07月13日 | 諏訪商店街振興組合のこと
7月11日(水)・12日(木)にかけて 四日市諏訪商店街振興組合で視察に出かけた。
青森市は人口31万人。四日市より少し大きい程度。
平成19年2月8日 街づくり三法の改正に伴い、新青森中心市街地活性化基本計画が国の認定第一号を受け、街の活性化が始められた。
それ以前より活躍の まちづくりあきんど隊を組織する街づくりのカリスマ 加藤博氏にもお会いすることが出来、お話を伺ってきた。

11日6時20分駅西に集合。三交バス40分発で、中部国際空港セントレアへ向かう。
途中、市の商工課の荒木さんを拾って向かうつもりが、バスが満席となったため、バス停で慌てる荒木さんを尻目に、バイバイをして通過した。
「どうなるの?」と運転手様に聞くと、10分遅れでもう一台バスを出していただけると聞き安心した。
何事もスムーズに進まないのが世の常。
その後、とんでもないトラブルに巻き込まれようとは、そのとき予想もしていなかったのであります。
つづく であります