花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

再び ローマから日本が見える 塩野七生著

2008年09月30日 | おいらの商店街
小泉元首相が、次男を議員に出したいと涙を流した。
世襲制を望む日本の政治家を、古代ローマの人々はどう見て取ったでしょうか?
ローマでは、王制から共和制そして帝政へと続く長い歴史の中で、一貫して変わらなかったのは、属州(戦争で手に入れた地域)の人々にもローマ市民と同じ市民権を与えたのです。そして、能力さえあればすべての官職に誰でもつくことができた。たとえば、太平洋戦争で負けた日本がアメリカの属州になっても、日本人がアメリカ大統領になれたということです。
事実、二代目の王ヌマはザビーニ人、四代目のアンコス・マルティウスはローマに帰化したザビーニ族出身、五代のタルクィニウス・プリスコは生粋のローマ市民でなくギリシャ人とエトルリア人の両親を持つ男、六代目セルヴィスはエトルリア人で奴隷の子だったといわれています。
小泉さんも、ただの子煩悩な親父に成り下がったとおもいますが・・・。
長い歴史の間に、幾多の困難を改革によって乗り越えてきた古代ローマ。塩野さんはこう書いています。
真の改革とは結局のところ再構築である。自分たちが持っている資源や資質の、どれを生かし、どれを捨てるかということだと。
自分の持つ手持ちカードが何であるかじっくり見て、それらの中で現在でも通用するものと、もはや通用しなくなったものを分類する。そして、今でも通用するカードを組み合わせて、最大の効果を狙う。これがまさに再構築といえるのではないかと。
服部年明先生が描く四日市中心商店街の活性化も、諏訪神社という資産を生かして、活力のない商店は捨てなければならないということだと解釈しています。
最後に、現在のイタリア高校の歴史教科書に載っている文を紹介します。
「指導者に求められる資質は、次の五つである。
知力。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。
カエサル(古代ローマで紀元前44年終身独裁官となったユリウス・カエサル)だけが、このすべてを持っていた」

スワ百貨店開店の朝

2008年09月29日 | レモン色の町
          
昭和39年9月5日 スワ百貨店開店の日には 大勢の人が押し寄せました。
1階入り口付近の写真です。何があったのでしょうか。先客何名さまに粗品進呈だったのでしょうか。
          
北川側入り口の様子。話題の中心でした。街に元気があった頃です。

ローマから日本が見える 塩野七生著

2008年09月28日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
          
近鉄ブックセンターは陳列が良い。すでにオープンしていたアピタの門脇書店に負けない書店にするため、工夫があったと想像される。
書籍の量と規模では完全に負ける。そこで恥も外聞もなく売れる本を前面に陳列した。雑誌や週刊誌、それに文庫本。
そして、テーマによる訴えかけの陳列をした。名古屋でモディリアニ展が開かれていればそれに関する書籍を、ハリーポッターが話題に上ればそのコーナーを、雑然と並んでいるだけではない。(少しほめすぎか???)
ということで、「ローマから 日本が見える」塩野七生著(ななみと読んで、女性です。おばあさん) 集英社文庫が二段の山になって積んであった。買って下さいと言わんばかりだ。
これが面白い。古代ローマが、かくもドラマティックであったなどとは気がつかなかった。ローマに魅せられた作者は1970年イタリアに在住している。
古代ローマは、紀元前752年から紀元476年までの1000年間続いた。宗教の力を借りずに(キリスト生誕の前になる)武力で制圧したか?ローマ帝国は順調だったか。答えは否である。
次々と困難があった。滅亡の危機は幾度となくあった。ローマはそのときそのときの知恵と工夫で乗り越えた。
時代は、困難あるところにヒーローを生み出す。栄華があり、悲劇が生まれ、挫折があり、それを乗り越える知略があった。
イギリスからスペイン、トルコからアフリカと多民族渦巻く広大な世界を、どうやって支配することができたのか。壮大な叙事詩だ。
秋の夜長、是非ご一読ください。648円(税別)であります。
山のような積読本の中でも、これには読まされました。

スワ百貨店開店の日

2008年09月26日 | レモン色の町
        
昭和37年9月5日 スワ百貨店開店の日 辻さんは屋上から写真を撮りました。
百貨店北側の1番街通りの様子です。
大勢の人が詰め掛けています。
当時まだアーケードがなかったので、下の様子がよく分かります。
諏訪寿司さんや水谷食堂があった頃です。
四日市で初めての本格的百貨店のオープンです。
街は緊張と興奮に包まれました。

旅館の朝??

2008年09月25日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
昭和40年頃の、旅館の朝は楽しい。
すっかり秋の気配が濃くなり、昔の旅の思い出が脳裏をよぎります。
狭い部屋いっぱいに敷き詰められた布団を蹴散らして、野郎ばかりが朝を迎えます。
午前6時。誰かが便所に起きる。他人のメガネを踏んずけて・・・
戻って寝ずにそのまま椅子に腰掛ける。タバコを一本。また誰かが起きた。
二人は、窓のカーテンを思いっきり開けると、ぼそぼそと喋りだした。
こうなると寝ていられない。
「ああ、起きたん?もっと寝とったらええのに」
眩して、やかまして、タバコ臭て、寝とれるかいっ!とは思っても言えない。
時間が来たので階下の広間へ朝食に。そこには、見たことのあるおばさんが二人。
昨晩の宴会に居たおばさん達だ。寝起き顔に薄化粧。(これ時効です)
昨夜はお世話になった。散々騒いで「この後、一緒にどこへ行こうか」と相談して(時効)、結局、コンパさんに連れられて近くのスナックへ繰り出した。
「よく眠れましたか?」とはマニュアル通りの白けたセリフ。
昨夜の色気は微塵もない(時効)。皆さんの合意を得てビールを1本、また1本。できることなら宴会をもう一度。
しかし今日は旅立つ私共でございます。
皆さん静かに箸を動かす。「ご飯のおかわりは?」
このとてつもなく白々しい雰囲気が、良い。
昨夜何かあれば、もっと良い(時効)。
便所に押しかけた後、旅立ちの準備が整いバスに向かうと、おばさんが追いかけてきた。
あとから聞いたところによると、タバコで焦がした畳代を弁償しろということだったらしい。
すっかり酔いがさめて、今日の観光地へ向かう、ご一行様デシタ。

諏訪百貨店開店の朝

2008年09月24日 | レモン色の町
          
1番街アーケード建設からさかのぼる2年前、昭和37年9月5日、諏訪駅前にあった諏訪マーケットが再建され、オープンの運びとなりました。
この写真は開店前日かもしれません。多くの搬入車でごった返す大阪屋さん前の様子です。
その頃は、名古屋まで出かけないと百貨店にお目にかかることはありませんでした。近鉄駅の東海ストアはすでに開店していましたが、街の中にできた初めての百貨店です。街の話題となりました。
けれど、覗いてみて少々がっかり、天井は低いし、店内は狭い。エレベーターも狭く、中の店舗もわくわくさせてくれるようなのは少なかったように記憶しています。やがてユーストアとなり、現在はパチンコホームランになっています。
期待に包まれた街の様子が伝わってきます。

1番街アーケード起工式 2

2008年09月21日 | レモン色の町
辻さんは 起工式の様子を 今度は方向を変えて 諏訪公園方向 公園通りを撮った。
山本七郎さんの恰幅のよい姿が見える。
関西電波の向こうには 相撲料理の栄屋 ラッキーパチンコも建つ。
左側 美容室の向こうにキタオカさんがある。
公園通りのアーケードは ひさしの形から始まった。建設途中だ。

1番街アーケード起工式

2008年09月20日 | レモン色の町
昭和39年6月 この日は1番街商店街のアーケード起工式展が行われる。
前列左から4番目あたりに山本七郎氏、右から4番目に竹腰氏の姿が見受けられる。
現在のキタオカさん前の交差点を東に向かって撮られた写真だ。
左に関西電波、右角が現在もある大坂屋さん。
関西電波らら東並びへ、草野洋服店、わた増、みたむら、三泗鶏卵、ヤマモトと並ぶ。
諏訪百貨店もオープンして、諏訪栄の商店街は活気を呈し始める。
商店街の元気が会った頃のお話。

第4回 諏訪商人塾 延期!

2008年09月18日 | 諏訪商店街振興組合のこと
台風の動きがあやしゅうございます。
そこで決断!
明日の諏訪商人塾を延期させていただきます。
前回はオリンピックでコケ
今回は台風でコケ では石川先生に申し訳が立ちません。
皆様には勝手を申しますが 
10月3日(金)午後7時より
とさせていただきます。場所はスワパーキング2階会議室。
お祭りの前日でございます。
エッ!オマツリノマエビ・・・
皆さんそれほど多忙ではないでしょう(本町さん???)

レモン色の町 仮住まい

2008年09月17日 | レモン色の町
          
私メのもうひとつのブログに「レモン色の町」がございます。
パソコンが壊れて 現在入力困難のため ここにしばらく仮住まいをさせていただきます。
昭和32年5月13日 この写真は たぶん現在の「お半」の前あたりではないかと想像されます。
おかみさんと犬 飲み屋の暖簾 建物こそ古うございますが 現代とはあまり変わらない雰囲気でございます。終戦後にわかに建てられた様子。
ここは赤線の跡 後楽園の真ん中です。
このあたりから漂う匂いには なんとなく色っぽい雰囲気がございました。
辻写真館さんの写真には さすが芸術的手腕が光っております。