花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

昭和30年代クイズ ⑫ マンガの楽しみ

2022年11月30日 | レモン色の町

問題1.桑田次郎が昭和32年から連載を始めた“まぼろし探偵”の、の、父親の職業は?これはムツカシイ!

A.小学校の校長 B.産婦人科医 C.警視庁警部 D.仏壇仏具商 E.こーもりがさのハリカエ F.東京地検特捜部 でるわでるわ G.不動産業者 H.サッカー選手 I.催眠術師 J.復興大臣 K.らおや 

問題2.昭和32年、『週刊少年サンデー』の創刊号の表紙を飾ったのは、長嶋茂雄。では、『週刊少年マガジン』の創刊号の表紙のモデルは?

A.王 貞治 B.三木のり平 C.横綱若乃花 D.横綱朝潮 E.マリリン・モンロー G.伊藤雄之助 H.笠木シズ子  

本日の名曲は「池上線」です

(103) 池上線・西島三重子 Photo Movie(昭和51年)1975年ヒット - YouTube

(84) 池上線 - YouTube  チェウニの池上緯線です

 

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昭和30年代クイズ ⑪ 映画の楽しみの回答

2022年11月29日 | レモン色の町

問題1.ロボット怪獣の名前は、A.モゲラでした。これは明らかに“モグラ”をもじったものです。ガギグゲゴの行で“グ”を“ゲ”に変えただけなのです。あまり深い思考はしていないのです。宇宙人が、土壌掘削機として開発。胸部と腹部はキャタピラ、口と手足はドリルの形状をしていますが、ロボット戦車としての威力も持っております。目から“うろこ”ではなく殺人光線を放つのです。しかし、いとも簡単に壊れてしまうのです。わざわざロボット型にしなくても良さそうなものなのですが。

問題1.5 宇宙人の名前は?B.ミステリアン星人でした。これも“ミステリー”からきていると思えます。身長:1,8メートル・ 体重:80キログラム(かぶり物の分だけ身長と体重がかかっているのかな?下の写真参照)・ 別名を“怪遊星人”と云うそうで、出身地はミステロイド星だそうです。であれば、ミステロイド星人と言い切ってもよさそうなものですが、やはり“ミステリー”の言葉が脳裏に焼き付いていたのでしょう。

問題2.「モスラの歌」の歌詞はB.サモア語と思っておりましたら、C.のインドネシア語が正解だそうです。モスラが誕生したインファント島は、南海の孤島という設定になっておりますが、どうやらインドネシアらしい。当初、“モスラの歌”を中国語か英語の歌詞で考えられたのだが、インドネシア語で作ったものに落ち着いた。(エエカゲンサガ タダヨウナァ)島の石碑に彫られたモスラの加護と、平和を祈る呪文という想定で、歌詞は次の通りです・・・

モスラヤモスラ ドゥンガン カサクヤン インドゥムゥ ルスト ウィラードア ハンバハンバムヤン ランダ パンウンラダン トゥンジュカンラー カサクヤーンム”

こんなエエカゲンな歌、よう作るわ!初めと最後しか歌えませーん!

岡もっちゃんが「これは絶対に面白い!」と、超推薦のYoutubeです。皆さんはどう思われますか?わたしは、この系統物が大好きです。しかし、意味不明と感じられる方がほとんどではないでしょうか?一人でも多くの人が”蚊に刺され綾子”さんを理解いただき、一日も早く人類に平和が訪れます様。ナ―ム

(108) 【R-1決勝ネタ】雅楽師モノマネ - YouTube

 

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昭和30年代クイズ ⑪ 映画の楽しみ

2022年11月28日 | レモン色の町

問題1.昭和32年末に公開された、東宝映画“地球防衛軍”に登場するロボット怪獣の名前は何でしょう?

A.モゲラ B.メガリオン C.ホウケロスカ D.メカニコング E.ホトケノカオモサンドゥ

小学2年生か3年生の時になります。1号線の陶器商“丸茂”さん前で友達4人が待ち合わせ、弥生館へ“地球防衛軍”を観に行こうとしましたが、誰かが遅れて上映時間に間に合いません。走って劇場へ入った時には、ロボット怪獣の出番は終わっていました(残念!)。ロボット怪獣“ホトケノカオモサンドゥ?”を見られなかったのはとても残念だったと記憶しています???そして、“地球防衛軍”は、やってきた宇宙からの侵略者と戦うことになるのです。突然ですがここで臨時問題 問題1.5 やってきた宇宙人の名前は?

 A.オバタリアン星人 B.ミステリアン星人 C.バルタン星人 D.ゴライコウ星人

答えが 出とる―――――っ!

宇宙人は、到着後に富士平野に巨大なドームを造ります。そこで熱光線で攻撃する自衛隊との戦いになるのです。チェックすべきは、優秀な博士が宇宙人に同感し、宇宙人の仲間になってしまうのです。向こうへ行ったら困ることがたくさんあると思います。言葉はとりあえず、食べる物も違うし、結婚観とか、生まれてきた子はどんなのか?とか、トイレはあるのか?とか、心配はいっぱいなのデス。

問題2.昭和36年に公開された東宝怪獣映画“モスラ”で、インファント島に住む二人の妖精「小美人」(ザ・ピーナッツ)が歌う「モスラの歌」の歌詞は何語でしょうか?

A.ハワイ語 B.サモア語 C.インドネシア語 D.マレー語 E.ショウギ イ語

ゴジラのヒットで気を良くした東宝は、ゴジラの逆襲・ラドン・モスラ と円谷英二監督で怪獣映画を連発します。当然、浜田小学校でも話題に。「ラドンの本当の名前は、プチラノドンと言うんや」と、物知りクンが自慢げに話していましたっけ。その後、ゴジラも次第にマンガみたいなゴジラになり、“シェー”をするまでに至りました。恐ろしいゴジラの再現は“シン・ゴジラ”まで待たなくてはなりませんでした。ここでも双子の妖精の心配をしてしまいます。言葉はどうやって覚えたのだろうか?字は書けるのだろうか?朝の排便は きちんとあるのだろうか?

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昭和30年代クイズ ⑩ 10回記念 名回答

2022年11月27日 | レモン色の町

問題1.の答えは、C.のマジックインキでした。学級には必ず1箱は置いてあり、模造紙と共に壁新聞などの掲示になくてはならないものでした。寺西化学が製造販売し、内田洋行が“?”の商標を持つ“マジックインキ”は、昭和28年に発売されましたが、なかなか売れなかったそうです。やがて、テレビの選挙やニュース速報などで使われ始め、山下清画伯が点描画にこれを使ったことでようやくヒットしたということでした。小学校5年の時に、大きな模造紙にマジックインキで壁新聞を作った記憶があります。大橋くんちは洋裁学校で、教室に模造紙を拡げ、一文字ずつ色を変えて月光仮面の記事を書きました。キャップをしっかり閉めないと、すぐ書けなくなってしまいました。6年生になるとガリ版で学級新聞を作るようになり、みんなに配布しました。担任の先生が若くて(当時)頑張り屋さんだったので、「掃除は免除するから1日1回学級新聞を発行しなさい」と至上命令が下り“たけのこ新聞”をせっせと作りましたが、百何号かに終わりました。先生には“満足”が残り、我々新聞部には“疲れ”が残りました。

懐かしい“?”のマークです。お世話になりました。

問題2.は、C.のブドウ糖でした。これは難しく、私は合成甘味料かと思っていました。

戦後直後は、小学生児童の90%が寄生虫を持っていたそうです。人糞を肥やしにしていたからでしょう。朝我が家に、松本村からお百姓さんが“肥え”を取りに来ます。おじさんが天秤に桶を下げ、家の中を通っていきます。すごい臭いです。便所への行きは空ですが、帰りは輪にした藁を乗せて、こぼれないようにして出て行きました(ポッチャン チャッポン チャッポン ポッチャン オイオイ コボスナヨ)。お袋が話していました。「肥え取りの伯父さんは、家人に糖尿病を持った人が居ると、それを的確に当てる。甘いにおいがするからだ」そうです。ホンマか?(わたくしめは そのような香りは しない)

学校で“海人草(かいにんそう)”を虫下しとしてよく飲まされた。女生徒は嫌がってなかなか飲まない。それをいいことに、俺は大好きだ!とお替りをする子がいた(私です)。

いかにも、虫下しのパッケージです。

中村化成産業が作った「アンテルミンチョコレート」は、食した記憶がありません。チョコの味がするアンテルミンは、サツマイモのでんぷんに薬を混ぜたものだそうです。都市部の学校でしか配布されなかったのでしょうか?しかし、想像したくない味です。田舎の子でした。

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昭和30年代クイズ ⑩ 10回記念

2022年11月26日 | レモン色の町

問題1.昭和32年頃、テレビのニュース解説に使われたり、山下清画伯が使ったりしたことから、学校でも使われるようになったのは、な~んだ?

A.パーカーの万年筆 B.シャープペンシル C.マジックインキ D.筆ペン

新しい筆記用具の登場でした。それまでは筆か鉛筆でした。近所に清水先生が習字を教えていて、夜 通いました。硯を出しておしゃべりしながら墨をすります。延々とおしゃべりが続きます。お終い間際に、チャチャっと5枚書いて先生に見てもらい、朱で直していただき、夜の商店街を帰りました。筆ペンの登場も革命的でした、それまではミニ硯で名前を書いていたので、墨を擦る時間が短縮できました。そして、パーカーの万年筆。勿論、今でも健在ですが、当時、万年筆といえば“パーカー”でした。「ぱーかー、お前のかぁちゃん でーべそ」とはよく言った言葉です。シャープペンシルも革命的。肥後守で鉛筆を削らなくても芯が次々と出てくるのでした。ということになると、自ずと、答えが、分かってきそうですねー。

昭和41年のゼンリンマップ 旧東海道沿いに清水商店が残る 店の奥に書道教室があった

問題2.回虫退治のために、学校で児童や生徒に食べさせていた「虫下しチョコ」の甘味は何でつけていたのでしょうか?

A.さとう B.合成甘味料 C.ブドウ糖 D.果糖

甘いものに飢えていた子供のころ。甘ければ何でもよかった時代でした。お歳暮で“三本白”(または“和三盆“ともいう)をいただくと、白い箱から出して揉んだり押したりしていた記憶があります。サトウキビをかじったこともありました。諏訪新道に“のんきや”というネオン輝く食堂があって、そこの餡蜜?には、真っ白に砂糖がかけられていたそうです。そういえば、ここのネズミは猫のように太っていたと聞きました。

昭和29年 名古屋タイムス掲載の諏訪新道の並び 左に諏訪神社があります

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昭和30年代クイズ ⑨ 少年探偵団の活躍は?

2022年11月23日 | レモン色の町

問題1.の回答は、C.日光写真の種紙 でした。下総人様 正解!「なんだ~ つまんねぇ やつだなぁ~」でございます。日光写真は、少年雑誌の付録についていて、カメラの絵が描いてありました。写真の印画紙を太陽光にあてると、光通る部分が黒くなります。トレース紙に、行水している女性のカットを書いて印画紙に重ね、興奮しておりました。そんなこんなで、小学校の同窓会では、おマセさんだったといわれた記憶があります。印画紙に出た絵は、一瞬にして真っ黒に消えました。このことから「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」という無常観を学んだ・・・がどうかは知りませんが。

正解は、暖炉の中?

問題2.は、B.少年 が正解です。「ぼくら」「冒険王」「少年」「おもしろブック」「少年画報」。そして、昭和39年に「少年サンデー」「少年マガジン」が発売。月刊誌時代から週刊誌時代に移ります(女性雑誌が名を連ねてないのは偏見にあたり、お詫び申し上げます)。「どの本を買おうか?どの本の付録も捨てがたいナァ。」店頭で迷いに迷った挙句、あっちの付録をこっちへ移し、こっちの付録をあっちへ挟み替えたりして、店のおばさんに出したら、また元へ戻されました。でも、店のおばさんは無表情で叱らなかったのは、なぜかなぁ~。最後に到達したのは「少年」でした。「矢車剣之助」や「鉄腕アトム」「鉄人28号」、そして付録の少年探偵手帳など、いちばん充実していたと思いました。

こういう時代でした

ヒントは,”矢”です。

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昭和30年代クイズ ⑨ 少年探偵団!

2022年11月22日 | レモン色の町

問題1.昭和30年代の駄菓子屋で売っていた、これはなあに?

黒ん坊が並んでいるようです(差別用語か?)

A.メンコ B.ブロマイド C.日光写真の種紙 D.マンガカード 

諏訪公園には二軒の出店があった。それぞれおばあさんが売り子さんで、東の店は良いおばあさん、西の店は怖そうなおばあさんだったが、西のおばあさんの方が魅力あるものを売っていた。幼稚園から帰ると、10円もらってここへ走る。1本1円のくじを5円で買う

水のはったバケツに紙片をちぎって入れると“スカ”という白い字が浮き出る。瓶に“あられ”が入っていて、おばあさんはそれをおもむろに取り出す。“わらび餅”は、ビニールの袋に入った寒天を、拡げた新聞紙の上でハサミにて切り裂いてきな粉をかける。“お楽しみ袋”は、新聞紙の袋がぶら下がっていて、中には何が入っているかわからない。揉みたくって引いたら“すいこん”だった。駄菓子屋さんにはあやしい、魅力的なものが並んでおりました。

問題2.少年探偵手帳が付録についていた雑誌は?

A.ぼくら B.少年 C.冒険王 D.少年画報 E.100万人の夜?

江戸川乱歩(生まれは、三重県)先生は、“少年探偵団”でおなじみである。お楽しみください!

(103) 004◆少年探偵団(ひばり児童合唱団)KARAOKE 唄:亀太郎/青春太郎 - YouTube

(103) 少年探偵団の歌(テレビ原音) - YouTube

“青銅の魔人”などを読んだが、文字が多くて 最後まで読んだかは自信がない。雑誌の付録に“少年探偵手帳”と“BDバッジ”がついた。この二点を携帯すると、少年探偵団に入会できたような気分になって力が沸いてきた。「そうか、こうやって暗号文を作るのか」とか「変装はこうしてすれば、人に気づかれないのか よし!明日 正ちゃんに教えてやろう!」とか、参考になる記事があった・・・はずだった。

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昭和30年代クイズ ⑧ お菓子大会の回答

2022年11月21日 | レモン色の町

昭和30年代クイズ 続 お菓子大会の答えは?

問1.は、B.のハリス食品 でした。当時ノーブルミントガム、ハイ・フルーツガム、グリーンガム、コヒーガム、梅のあじガムなどが発売されている。懐かしいパッケージです。昭和39年にはカネボウに吸収、現在は、クラシエフーズとしてお菓子から薬品まで多岐にわたっている。八味地黄丸・シルクシャンプー・絹石鹸・ボブ・チューイングボン・プレイガム・ワカ末・ハンコください‼ ・入浴剤 旅の宿 ・ねるねるねるね・歯みがきガム・甘栗むいちゃいました 等おなじみの品も多い。創業者の森秋廣氏(明治40年生)は、「日本のエジソン」といわれ、大陸で1個ずつ包装した“バラキャラ”を発売し大ヒットした。これをバネにハリスを創業した。昭和23年、グルコースに香料を加えた“ハリスチョコレート”を発売、カネボウ3000坪の敷地を得て大々的に事業を展開している。昭和26年には、チクㇽを使ったチューインガムを生産、昭和30年代、ハリスチューインガムは空前のヒット商品となった。創業以来のアイデア力は、今も衰えることがないようだ。

問2.は、C.の外国切手です。

外国の使用済切手がグリコのオマケについていた。ワッペン型のケースに入っていたり、パラフィン紙に入ってミニブックも付いたりしたが(衛生的に問題なかったのか?)、切手そのものはたいして値打ちのあるものではなかったようだ。それでも切手収集ブームは続き、子供たちの収集心をあおるには十分のアイデアだった。そういえば、三泗百貨店の二階に切手屋さんがあって、木製の階段をゴトゴト上がって買い求めに行った。パラフィンの仕切りに1枚ずつピンセットで挟む。兄弟で交換をして、初めは絵柄の奇麗な外国切手ばかり集めたが、ガイドブックを見ると“月に雁”や“見返り美人”などが高価であることを知った。後の祭りだった。郵便局で発売日を調べ、切手シートごと求めたが、あの多量のシートは何処へ行ったのだろうか?

次回は“少年探偵手帳”の内部が露見される!乞うご期待!

※ 小学校の漢字の試験で、期待の「キ」の字を書けとあって、映画で見たことを覚えていた「乞う」の字を書いてしまったことがある。いかに映画を観ていたかを先生に知られてしまった。

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笑話30年代クイズ ⑧ 続 お菓子大会

2022年11月20日 | レモン色の町

昭和30年代クイズ 次のお題ですが・・・。昭和30年代とは高度成長期に入る時代、明治以来の生活様式が欧米式の生活様式に変わる過度期にあたると思っています。そんな激変の時代を成長期に経てきたのが、我々団塊の世代でした。

続きましてお菓子のお題で二問。解けるかなぁ???

問題その1 昭和30年代の半ば、日本一のガム(チューインガム)のメーカーとして一世を風靡していたのは何処でしょう?

A.カバヤ食品 B.ハリス食品 C.ロッテ D.江崎グリコ

明治ドロップは、フルーツ系のドロップの他、チョコレートあじのドロップも発売している。

明治41年創業のサクマ式ドロップス。第二次世界大戦で一時休業をやむなくされたが、戦後復活した。

問題その2 グリコが昭和32年から始めた「おまけキャンペーン」で、商品についていたおまけは何だったでしょう?

A.外国のコイン B.外国の旗 C.外国切手 C.花の種

当時、グリコやカバヤには、点数カードやオマケの玩具がついており、そちらの方が楽しみで、お菓子は、まとめて飲み込んだりしてオマケを楽しみました。

「一粒300メートル」がキャットフレーズのグリコキャラメル。左から、昭和34年、昭和25年、昭和12年発売のパッケージ。

裏には、時代を反映していて、栄養価の高さをうたっている。

グリコのオマケ、昭和28年~昭和32年頃のもの。

“昭和少年少女ときめき図鑑”市橋芳則+伊藤明良 河出書房新社刊 より

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笑話30年代クイズ ⑦ お答えは?

2022年11月19日 | レモン色の町

今回は、大勢?の回答者の中から、みごと 二問正解の方が出ました。問題1.はB.のアーモンドグリコです。

おまけ付きの栄養菓子グリコ(1粒で300メートル走れる)が、主力商品としてすっかり定着したころ、大人にも楽しんで食べてもらえる新商品として生まれたのがアーモンドグリコだ。キャラメルの中にアーモンド片が散乱していて、キャラメルを口中で充分に溶かした後、散らばったアーモンドのかけらを味わった。これが爆発的に売れた後、昭和33年には一山にアーモンドを一粒ずつ入れた「アーモンドチョコレート」を開発した。アーモンドが丸ごと入っていることがまさに驚愕だった。これもチョコレートを味わった後、中から出てくるアーモンドの感触と香りを味わった。アーモンドとグリコの絆はさらに深まりました。

問2問の答えは、A.の5円

コメディアンの榎本健一が歌う「あ~ら、おや、まあ、ホホイのホイともう1杯、渡辺のジュースの素ですもう1杯」というCMソングも人気でよく売れた。オレンジ、パイン、グレープの三つの味があった。「自然な香り生の味」はどうかと思うがCMの最後には「1袋5円、10袋50円」と安さを強調していた。

ビスコや扇雀飴、パイン飴の缶が並ぶ。思い出したのは、お歳暮にもらったビスケットの詰め合わせ缶。底に写真が載っていて、あける前からワクワクしたものだ。食べだすとあっという間になくなってしまった。裏側に載っていた写真を いつまでも いつまでも 眺めておりました。

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