花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

シンデレラマンと700円の攻防

2005年09月30日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
ワイフと娘を無理矢理つれて映画「シンデレラマン」を観に行った。招待券が2枚あったからだ。ところがこれをどう有効に使うかで悩んだ。
枚は娘の分。熟年夫婦は一人1,000円で観られる。招待券と1,000円で済むのか1,700円払わねばならないのか交渉しようと、勢い込んでチケット売り場に並んだ。簡単にOKだった。拍子抜けだ。
まけに7時間の無料駐車料つき。これでなくちゃあ。こうこなくては食事や買い物もゆっくり出来ない。駅前商店街でも、気持ちよく駐車券を発行したいものだ。3時間駐車無料にでもなれば、お客さんはのんびり街を回遊してくれるはずだ。
ンデレラマン」はニューヨークに実在したボクサーの物語だ。ラッセル・クロウ扮するジム・ブラドックは、一時栄光を勝ち取っていたが、体を壊し、おまけに大恐慌に巻き込まれてどん底の生活を強いられる。手の骨折を隠して港の日雇いに出ても、妻と3人の幼い子供たちを養っていくことが出来ない。やがて電気を止められ、子供に飲ませるミルク代にも窮する。
ころがある日、彼は1回だけリングに上がるチャンスにめぐり合う。これを機会に再びボクサーの道を歩むことになるのだ。試合に勝利し、賞金を得ても生活は豊かでなく、家族のために戦うブラドックで終わっている所が良い。
慌という時代を背景に圧倒的多くの貧しい大衆が、彼をシンデレラマンとして応援する場面は胸が熱くなる。というよりもオイラは涙を流して応援していた。
分よりも、もっともっと困っている人が、一生懸命努力して成功していく姿は、やっぱり気持ちがいい。あんたがそれだけがんばったんだから、オイラも少しがんばってみようか、なんて気になる。それに、たくさんの人の応援をいただければ勇気も湧いてくるというものだ。
ネージャー役のポール・ジアマッテイに扮するジョー・グルードは、決してかっこよくないが、一番印象に残った。
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未完の塔 前山寺

2005年09月28日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
「情けは人のためならず」を、人に情けをかけるとその人のためにならないのだと、誤解している人が多いことを、前に何かで知った。おいらは「情けは自分のためならず」だと思っている。
う10年位前になる。クラス会で会った同級生と、その後、たまに飲むことがあった。仮にA君としよう。A君は、勤めを辞めて、新しく出来た彼女と東南アジアで宿屋を経営するつもりだという。オイラは止めた。なぜなら、A君の奥さんをよく知っていたからだ。
の後、どうやら離婚したらしい。ある日、電話がかかってきた。3万円貸して欲しいといってきた。本当に困っているらしい。貸してやったらすぐ返しにきた。
年たった。今度は出張先からお金がなくなり帰れないとの電話があった。止めればよかったのだが、気の毒になって、言われるまま5万円振り込んだ。それっきりだった。
年後、同僚の方にお会いする機会があった。たまたまA君の話が出たので、それとなくそのことを話すと、被害者はたくさんみえるとおっしゃる。思わず、5万円取られたんですよと話したら、それだけですかといったニュアンスが返ってきた。被害額はかなりに上るらしい。
の後、風の便りでA君は、異国の地で変死を遂げたことを知らされた。まるでドラマだ。それ以後、人に情けをかけると、手痛い目にあうと信じている。気の毒がって“ええかっこ”など絶対してはいけないと思うようになった。
年の秋、別所温泉へ行く機会があり、前山寺を訪れたときのことだ。山門をくぐり、境内へ進むまでの参道脇に、小さな石塔が立っていた。そこに、こう文句が刻んであった。「かけた情けは水に流し、うけた恩は石に刻め」
考えると、あの5万円は返してもらうつもりだったから、嫌な気分になったんだと思う。餞別のつもりなら後悔もしなかったろう。
れにしても、勿体なかった。今のオイラは、施しを受けたいくらいだから。
やっぱり返してくれ!声が小さいとあの世まで届きそうもない。
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毎日が、おまつりです

2005年09月27日 | おいらの商店街
スワマエの千賀ちゃんが、店番をしているおいらのところを覗きに来た。このところ当発展会の人通り現象には甚だしいものがある。
れだけ人通りが少ないと新しい季節商品を仕入れる気力も萎えてくる。何とかしなければという相談だった。そのうち何とかなるだろう、では済まなくなってきている。
あ、この現象は全国的だし、今に始まったことでもない。全国的現象だから自分の生活が成り立たなくなっても良いのかというと、そんな訳で済むはずがない。
りの南方を見渡すと、恵比須堂の川口さんが弱りきった顔をして苦笑いしている。反対の諏訪神社方面を望むと、だっくす亭さんと百均さんが縁台に腰掛けてなにやら話しこんでいる。
きに行ってみると、四日市焼きの試作品を検討中だった。街の名物品を作ろうというのだ。たこ焼きにアレンジを加えている。それぞれ味噌、胡麻、お茶などの地場産品を入れて焼いたものだ。そこへ、横ちゃん嫁が、時雨のを入れたたこ焼きを持ってくる。少し辛いと思ったら、お茶をかけて食べるのだそうだ。たこ焼きサラサラ!
かったのは、だっくす亭おかあちゃん発案の品だった。なんとか、また、誰もが食べたくなるような商品にならないものか。相変わらずだっくす亭さんは意欲的だ。
々の店が潤うような話題づくりが必要だ。それには個店がやる気を出してもらわねばならない。以前、一店一品運動ということも試みたが、うまく意欲を引き出すことが出来なかった。当店も然り、無理矢理作り、搾り出したような一品だった。
日、あがた森魚が来たときにスワ栄は賑わった。が、翌日、MACKがスワマエで行ったストリートライブは少し寂しい気がした。がんばってくれているMACKには申し訳ない気持ちだ。その差が出たのは「めだかの学校」が本腰を入れて取り組んだからだろう。
ろんな話題でてんこ盛りの街にしていけば、面白いと感じて人は目を向けてくれる。本腰でイベントを取り組みつつ、個店の魅力を引き出すことか。
「ちょっとおもしろい街だよ。ここでは、毎日がおまつりです」

追伸
コスモパパが来て、「街元気プロジェクト」のホームページを見るように勧めてくれた。一度覗いてみてほしい。ヤフーの検索でmachigenkiと入力すると出る。
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重松 清さんの「ビタミンF」

2005年09月26日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
重松清氏の「ビタミンF」を読む。7つの短編のどれも、家庭内で事件が起こる。30代サラリーマンである主人公は窮して悩む。
イラは何とか解決して欲しいの一心に、重い気分で読み急ぐ。現実という壁の前で、結果、そう簡単に解決してはくれない。けれど、厳しい現実を認めつつ、主人公は、その中で何とかやっていこうと希望を持つ。
ッチャン」に出てくる、中学2年の加奈子がかわいい。父親の雄介は、娘から、学校で同級生のセッチャンがいじめにあっている話を聞く。ところがセッチャンは架空の人物で、いじめにあっているのは加奈子自身であることを知らされる。
神的ショックから、ありもしない人物を作り出してしまう娘を、カウンセリングさせたほうがいいと学校の先生は勧めるのだが。
介は、ある日、駅前の小さな民芸品店で見つけた季節はずれの身代わり雛(流し雛)に、娘のセッチャンへの決別を託す。「セッチャン」の最後のシーンだ。

加奈子は舟(身代わり雛)のあとを追って歩きかけて、立ち止まった。
「カナ!」
和美(母親)が涙声で叫んだ。
加奈子は河川敷を振り仰ぎ、まぶしそうに目を細めて、また川に向き直った。遠ざかる舟に、バイバイと両手を振り、その手をゆっくりと戻して、顔を覆った。

じめとか、不良化、不倫とか、離婚。私たちの日常で、あって欲しくないけれど、起こっているのが現実だ。重松氏は主人公にその試練を与え、苦悩させておいて、其処から立ち上がらせようとしている。立ち上がらせてしまうのではなく、「よし、やっていこう」と言わせたところで終わっている。解決への行動を起こすのは、読み手の我々なのですからニャ。

追伸
当店でも流し雛は扱っておりました。ポツ・ポツ 売れて、その後、忘却のかなたです。
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秋の四日市まつり近づく

2005年09月25日 | おいらの商店街
爽やかな秋空のもと、お諏訪神社の、のぼり立てが早朝より行なわれました。
年は濱町の氏子さん方で行なわれるのですが、若い手勢が欲しいという依頼が、諏訪栄町地区街づくり協議会にありましたので、諏訪栄商店街の中年以上の者も多く参加しました?
せ1年ぶりの作業。のぼりの向きが反対とか紐の位置が違うとかで、立てたり倒したりいろいろございました。「のぼりを立て直すようじゃあ、今年は不作か」と冗談も申しておりましたが、今年の収穫はほとんどが終わっており、豊作と決まっております。
ち上がったのぼりの上には、真っ青な空に有明の月(こんな時、有明って言うんやろか?)がすがすがしく流れていて、気持ちのよい汗をかかせていただきました。「昼に月が出とる」など、トンチンカンなことをおっしゃる方もみえましたが、月は夜昼かまわず地球の周りを回っております。決してお昼は休憩、ということはありません。
年の祭りからは、山車が新道通りに勢ぞろいして、午後から浜田を巡航し、夕方にかけて商店街から諏訪神社へ練りこみます。
勢湾台風までの四日市まつりは、夏のみなと祭りとはっきり区別され、9月25日から27日までの諏訪神社の大祭でした。早くから、夕闇迫る町のあちこちではお囃子の練習が行なわれていました。近所の子供たちが演奏の様子を覗きに来ます。
つりが近づくと家の掃除を始め、渡り蟹や梨などを木箱で買い込み、稲荷寿司を作ってお客様を迎える準備をしました。わが家でも店舗内を幕で飾り、赤い毛氈を敷いたと聞きます。開店休業状態ですね。
の町、新田町では「天岩戸」を引く人が足りないため、松本村から手勢を頼んだと聞きます。親父は、山車のお囃子をしていました。お袋は、お寿司の弁当を持って、山車の止まっていそうな町内を探して走ったそうです。年に一度の祭りを楽しむ人々が目に浮かぶようです。
うかお天気に恵まれ、昔を髣髴とさせるような、そんなお祭りになりますように。
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あがた森魚が来た

2005年09月24日 | おいらの商店街

あがた森魚(もりお)氏が、四日市でストリートライブを行なった。
がた森魚?いったいなんじゃろか?商店街のスワ栄にある「めだかの学校」に知り合いがいて呼んだという。残念ながら聞いたことがない。覗きに行ったら大勢の人だかりだ。スワ栄商店街が活気付いている。
ごみを掻き分けアップで写真を撮ろうと思ったら電池がない。見たことのあるおっさんやなあと思い、あわてて電池を入れて戻ったら、違う人が歌っていた。コスモちゃんに聞くと、この人が「あがた森魚」だという。さっきのは「めだかの学校」の方だった。まあ、知らないとはそんなものだ。
33年前にはやった「赤色エレジー」をご存知か?当時は長髪でジーパンをはいていたという。それなら知っていた。なんせ昔のことだから、思い出すはずがない。けれど、歌はありがたいもので、聴くとはっきり記憶にある。
ズムが懐かしいから思わず聞き入ってしまった。どれも、甘酸っぱく郷愁を掻き立てるいい歌だ。1948年北海道の留萌に生まれ小樽で育った森魚氏は、こんな歌を歌った。
後間もない牧場に牛はいなかった。小学校では、牛乳の代わりにヤギの乳が出た。森魚君は臭くて飲めなかった。佐藤ケイ子先生は嫌がる森魚に飲めと強要する。突き出された先生の手に思わず噛み付いた。それ以来、佐藤先生に一種の愛情を感じた。オイラはドラキュラか?
がた氏は本を書いたり、映画を撮ったり多彩な活動をしている。なかなかの人物とみた。いい歌を聴き、いい時間を頂いた。
れにしても、歌の途中でタバコを吸う聴衆がいたり、子供を追い掛け回して遊ぶ方が居たりするのにはまいった。これもストリートライブの良さか?
追伸
めだかの学校さんの作られたポスターはよかった
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映画「誰も知らない」

2005年09月23日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

数ヶ月前のことになる。松ちゃんに何か面白い映画あるかとお聞きすると、「誰も知らない」を観てきたとおっやる。レンタルで出ていたので借りてきた。2003年の作だ。2004年キネマ旬報1位・カンヌ映画祭でも賞をとっている
ず、事実に基づいた映画であると断り書きがある。最初、母子家庭の家族がアパートに引っ越すところから始まる。だだし、小さい子が大勢だと断られるので下の二人はトランクに入れての異常な引越だ。YOU扮する30代の母親と13歳の長男明、11歳くらいの京子と4~5歳の無邪気な茂とゆき。このキャスティングがよく出来ている。
親は子供に約束させる。買い物を取り仕切る明以外は一切、外出してはならないと。なんと、学校へもださせていない。母親は、家事のすべてを明に任せて働きに出る。そして夜遅く帰る。1日を子供たちはアパートの中でひっそり過ごす。信じられないが、核家族化された現代、都会では十分起こり得ることだ。
ぐ母親は生活費を明に託して帰らなくなる。子供たちだけの生活が始まる。数ヶ月で生活費が底を付く。ここに来て、母親の身勝手さに腹が立つ。かといって子供たちを愛してはいるのだ。が、それ以上に、自分の人生のほうが大切なのだ。勝手だ。父親はそれぞれが違う。
人の子供たちはかわいいが、特に長女京子の耐え忍ぶ、けなげな姿を見ていると胸が締め付けられそうになる。みんなでアパートを抜け出し、公園で遊ぶシーンがあるが、弟が乗った遊具に砂が付いた。その砂をお姉ちゃんがそっと払う。なんでそんなことするんや!公園の遊具に砂が付くくらい当たり前やんか!他人に迷惑をかけたくない。学校へも行ってない子に、なぜそんな知恵が働くのか。
がて、水道も電気も止まり、最悪の事態が起こる。いったいこの映画はどんな結末になるんだろうかと先を急ぐ。この映画のせめてもの救いは、子供たちの、それでも強く生きていこうとする姿だ。1年の間に子供たちが成長していることに気づき驚かされる。
舎ほど他人への干渉が強い。それは余計なお世話だけれど、思いやりを持った目で心配しあう気持ちは大切だ。是枝裕和監督は子供たちと距離をおいて、しかし、温かく撮っている。
子のしぐさが目に浮かぶ。やるせないわ!わたしゃロリコンやろか?
追伸
谷川俊太郎さんの詩、松ちゃん知ってますか?
「誰も知らないによせて」
生まれてきて限りない青空にみつめられたから
きみたちは生きる
生まれてきて手をつなぐことを覚えたから
きみたちは寄り添う
生まれてきて失うことを知ったから
それでも明日はあると知ったから
きみたちは誰も知らない自分を生きる
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ウンチの話

2005年09月20日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
真剣に、ウンチの話したいと思います。読みたくない方はどうかパスを。

10年前、親父が逝った。90歳だった。7年ほど寝たきりだった。介護というものは、下の世話との戦いに尽きると思った。人間集約すると、食べることと排便の2点だ。人生は食べて、出して、寝て、この繰り返しだ。
六輔さんは、食事のとき必ず「あなたの命を、私の命とさせていただきます」とおっしゃる。たくさんの命を犠牲にしてわれわれは生かされているのだ。取り入れた残りのカスは出さねばならない。食する快楽の代償として排便がある。
ぜ、便は臭いのか?いいにおいがして好感が持てるようなものでは困るのか?好感が持てるようなものであれば、きっと介護は楽しくなるに違いない。将来、食べ物が工夫されて、便は臭くなくなるだろう。それ以前にロボットによる介護が充実するだろう。未来は明るい。
クロの決死圏という映画があって、それをもじったショートショートを読んだことがある。小さくなって人の体内へ入り、手術をする話だったが、なんと、便秘に苦しむ吉永小百合さんのおなかの中で、硬い便の壁を相手に奮闘するストーリーだった。恐れ多いことだ。
人の排泄物は臭いのに、自分のは、さほど嫌悪感をもようさない。むしろ好感が持てるほどだ。これが唯一の救いである。ところが人様々で、他人の便を好む人種がいることが判明した。人前でウンチをさせて喜んでいる。但し、対象は若い美人女性に限るらしい。老婆では困るのか。老婆でもよろしければ、介護の達人になること請け合いである。
ンチの話になると、真面目にならざるを得ない。介護の現場では真剣にウンチとたたかってみえる方が、大勢いるのだから。
本日、あまり面白くなかった
追伸
デザインを変えたのですが、字が細かくて、お年寄りには読みづらいかも。
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目くそ鼻くそを笑う

2005年09月19日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
前から鼻くそについて書きたいと思っていました。読みたくない方はパスしてください。
0年以上アレルギー性鼻炎とお付き合いしている。そのせいか鼻がむずむずして気になって仕方がない。車の運転中、つい鼻の穴に指が行く。以前、信号待ちのとき、たまたま横にススム氏が止まり、そのときも、おおっぴらに鼻に指を入れていたので笑われたことがあった。誰もオイラの車を運転してはいけない。
くそが見つかると排除したくなる。粘っこいのはティッシュが必要になるが、乾燥した大きなのは、しめしめと腰をすえて取り出しにかかる。その全貌が現れたときは、まるでかわいい悪魔に見える。
でも、松田聖子様でも野田聖子様でも鼻くそを排除するときがあるはずだ。いつどこでその行為をしているのか。トイレでトイレットペーパを使い集中してみえるのか。その作業をしなくては、鼻で息が出来なくなること必定である。
はり人前ですることではないのか。耳垢ほじりは鼻くそほじりほど人前でしていても抵抗が無い。耳垢と鼻くそを並べてみたとき、やはり、鼻くそのほうが見てくれが悪いからか。
くそや目くそは、耳垢、目垢と呼ぶが、鼻垢とは絶対言わない。鼻くそは大変な差別を受けているのだ。
る日、鼻くそ革命が起こり、ほじる姿態が、かっこよくなったとする。
「あーら先生、おひさしぶり」
「やあ!ママ、ご無沙汰だった。このところ鼻くそほじりに忙しくてねえ。こう、人差し指と中指を絡めて、ほら、指が二本入るようになったんだよ。どうだい、かっこいいだろう」
「あーら、先生。私なんかとっくの昔に4本入るわ」
我ながら、品の悪さよ。
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ゴミ屋・くず屋・ボロ屋・古着・呉服屋

2005年09月17日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
商売の関係で、某質店の方とお話をする機会をいただいた。作家の出久根達郎さんは古書店を経営してみえたが、同じように値踏みにはかなりの経験が必要ではないかと聞いてみた。
屋さんは様々な品を瞬時に値踏みしなくてはならない。多くの損をして体験を積まなければなりませんとおっしゃる。偽ブランド品が多く出回る昨今、真贋を見分ける目を持つには、毎日が勉強ではなかろうか。
屋さんは金貸しの嫌なイメージを受けてきた。しかし今の時代、サラ金という安易に借金の出来る商売がある。高利で貸して消費者を泣かせる人もいる。
質屋さんは「うちは金利が安いので、9割流れる商品はありません」とのこと。商品の保管には、かなりの気を使っているそうだ。質入れの品は大切な預かり物なのだ。
京で浪人をしていた頃、寮の先輩が、せっせとラジオを質入れし、流れるのが心配だからと仕送りを待って引き出していた。預けたときに比べて傷だらけだったら、「なにをしてくれたんだ」と怒りたくもなるだろう。これは俺のものだといいたくもなるだろう。
いは、ゴミ屋、くず屋、ボロ屋、古着、呉服屋の順です」と言われる。「それ反対と違いますか?」と聞いてみると、ゴミ屋は捨てるものの中から商売に使えるものを見分けなくてはならない。くず屋は出久根さんが「本のおくちよごしですが」に書いてみえるように、古書よりも紙くずのほうが値打ちな時代があった。つまり大切な原料なのだ。
ロ屋は、古い布を良いものとより分ける目が必要だ。古着も同様。それに比べ呉服屋は、問屋の言いなりで値を付けるだけだ。「あんたは、呉服屋に成り下がったのか」ということになる。商売に貴賎はない。
売に貴賎はないという言葉は、死んだおふくろも言っていた。仏壇屋という呼ばれ方に偏見の目を感じていたのだろうか。今は結構儲かる商売として見られているようだ。当店は別として。いや、ほんと。
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