花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

賀状

2018年12月31日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

賀 状   長田 弘

 古い鉄橋の架かったおおきな川のそばの中

学校で、二人の少年が机をならべて、三年を

一緒に過ごした。二人の少年は、英語とバス

ケットボールをおぼえ、兎の飼育、百葉箱の

開けかたを知り、素足の少女たちをまぶしく

眺め、川の光りを額にうけて、全速力で自転

車を走らせ、藤棚の下で組みあって喧嘩して、

誰もいない体育館に、日の暮れまで立たされ

た。

 二人の少年は、それから二どと会ったこと

がない。やがて古い鉄橋の架かった川のある

街を、きみは南へ、かれは北へと離れて、両

手の指を折ってひらいてまた折っても足りな

い年々が去り、きみたちがたがいに手にした

のは、光陰の矢の数と、おなじ枚数の年賀状

だけだ。

 元旦の手紙の束に、今年もきみは、笑顔の

ほかはもうおぼえていない北の友人からの一

枚の端書を探す。いつもの乱暴な字で、いつ

もとおなじ短い言葉。元気か。賀春。

 無事に年を越せそうです。

「また正月が来た」なんて嫌な顔をしないで

感謝の気持ちで  新しい年を迎えたいものです

 


カンバック!昭和商店街22<諏訪劇場2>

2018年12月30日 | レモン色の町

 昭和32年4月27日。近鉄四日市駅が開業した頃。なんと美空ひばりが諏訪劇場へ来ていた。こわもてのお兄さんがこちらを見ている。今夜は特別な夜だ。ひばり見たさに、たくさんの人が押しかけた。大盛況と裏腹にあたりには緊張が走る。この年の1月13日、美空ひばりは東京の国際劇場で塩酸をかけられる事件に遭遇したばかりだ。

 当時はまだ興業師的色合いが強く残っていた映画館主が、映画の合間に地方巡業の芸人に舞台を貸すことがあった。それにしても大物が来たものだ。

明らかにこわもてのお兄さん

注目する人は多い

平成30年12月30日午後3時30分の諏訪劇場跡

諏訪劇場角 左が入り口になる

美空ひばり興行が始まる

昭和32年の紅白歌合戦プログラム

最後は美空ひばりだった

本日の1番街通り 飲食店は忙しそうだ

昭和34年12月30日の諏訪劇場前

平成30年12月30日の諏訪劇場跡前

 

 

 


カンバック!昭和商店街21<諏訪劇場1>

2018年12月28日 | レモン色の町

昭和32年9月26日、諏訪劇場前の様子だ。今、片岡知恵蔵の大菩薩峠が再映されている。東映スコープ、総天然色。机龍之介が大菩薩峠で旅の親子を切り殺すところから始まる。暗く重い印象があった。

それとは裏腹に、劇場前は至ってのんびりしている。立ち小便をする子供。現在では考えられない。映画のスチール写真を眺めていたり、コンクリートの上に座る学生達は、友達との待ち合わせだろうか。前が柵で囲った空き地になっているのは区画整理に入っているためか。南側に自転車置き場がある。映画の黄金時代。毎週のように足繁く通った。

 

お祭りの日

当店の横には映画の看板がずらりと並んでいた。無かったのは本町の東宝劇場だけ。四日市シネマとグランドが出来たとき、看板は向かいの小沢さんの塀に立った。お袋は「あの看板は絶対うちの横に移動する!」と自信ありげに言った。1か月もたたないうちに当店横に移された。看板を張り替えに来るおじさんがビラ下券2枚と割引券5枚置いていく。だから、土曜日の夜はおやじの後をついて映画に通った。ポスターは糊をつけて上へ上へと貼重ねられ、ある程度の厚さになると一気にはがされた。

 


カンバック!昭和商店街20<精養軒の角>

2018年12月23日 | レモン色の町

諏訪駅前の映画の看板から南(右へ)方向へ路地を進む。

昭和32年7月26日、暑い日の午後、辻写真館から東を見る。グランドホール、万惣と並び正面が精養軒。精養軒の左隣があかもん、田中産婦人科、白揚と狭い道になっていた。そこを出ると左が諏訪駅。この時、諏訪駅は近鉄四日市駅へ移転していた。

右に諏訪劇場があって、人通りは多い。万惣はカレーライスから寿司まで何でもありの食堂だ。映画を観た帰りに、ちょっと食べに寄るには手ごろな店だったのだろう。万惣の子供か、友達と話が弾む。片岡千恵蔵か市川歌右衛門、それとも大川橋蔵の話題だろうか。

暑かった一日、夕立はあがった。

 

精養軒前の夜の風景。ゴミ箱に店名が読める。この左隣に「あかもん」があった。この前の板塀をすり抜けるのがスリルだった。辻さんはドキドキしながらシャッターを押したに違いない。

 

四日市市立博物館発行「四日市のまちかど」より、昭和31年の航空写真。下に見える大きな建物が諏訪劇場。その北側にスワマーケットが建ち並ぶ。

 

数年前になる。大阪から伊藤さんという方が訪ねてみえた。パンをこねる機械の指導に、1年ほど精養軒の二階に居たことがある、懐かしいので来たとおっしゃる。夜な夜な2階から抜け出して飲みに出かけたということだった。諏訪劇場に美空ひばりが来た夜のことも覚えてみえた。精養軒は今ない。調べると奥さんが高花平で喫茶店をしているとのこと、翌日、訪ねてお話をされたそうだ。翌々日、お礼を言って大阪へ帰られた。元気なうちに懐かしい場所を回ってみたいということだったが、どうしてみえるだろうか。

その南隣のグリーンモルには、精養軒の車が止まっている。

 


エキサイト四日市・バザール2019始動!

2018年12月21日 | 諏訪商店街振興組合のこと

エキサイト四日市・バザール2019が始動しました。まず、2回に分けて、先日伺った円頓寺商店街の『パリ祭』と、平成4年に開催された『オープンバザール』の画像を見ながら、採算面で大成功の円頓寺と、52万人と規模で大成功した第1回を検証、バザールの魅力と改善点を話し合いました

 まとめには、すわ公園交流館の水谷氏のお世話になったこと御礼申し上げます。

時期:年度スタートであり桜の季節であることから、時期としては申し分ない。

場所:商店街と連携することで駅からの導線が確保される。ただし、1号線は障害である。

広報:SNS、CTY等のマスメディアをうまく活用すべきである。内容の魅力と充実が重要。

コンセプト:確固たるコンセプトを通す。ということで、意見として「市」に対する意見が圧倒的に多かった。従って、コンセプトは『市(いち)』とした。

出店:内容に関しては様々な提案があった。四日市の名産品、マルシェ、手作り品、地酒市 等。そして、若者の参画は大切。

ステージ:三滝通りの大きなステージは武器である。

以上の意見から、原点に返り「市」で取り組むこととした。フェイスブック立ち上げには、山本氏のご指導をいただきました。

皆様のご理解とご協力を、切にお願い申し上げます。


カンバック!昭和商店街19<スワマーケット3>

2018年12月20日 | レモン色の町

昭和33年12月21日、辻さんは、凌霜書房からスワマーケット内部へ入る。東入り口から入ってコの字型に曲がり、西へ出る。右に趣味の店「まつ重文具店」、左は化粧品や洗剤が並んでいる。母親は公設市場での買い物が多かったから、スワマーケットへ出かけた記憶は薄い。奥の八百屋で氷に乗ったスイカの切り売りを食べた記憶がある。一番奥には外の明かりが見え、スワマーケットは個々の家の集合体であることが分かる。継ぎ足してつくられた店舗だ。

 

お正月に向けての買い出しか

昭和35年12月20日。諏訪百貨店、通称スワマーケット内部のボタン屋さんだ。この写真を見て驚いた。豊富な在庫、明るい店内。若々しい店員の手際のよい接客。二,三坪の店に活気があふれている。しかも、ここの屋根の上では、すでに解体工事が始まっているのだ。

 黒電話はお客様にも使えた

ほとんどの店が閉店している中、この店は未だ営業を続けている。「お客さんがみえるから商売させていただいているんです」そんな答えがこの店から返ってきそうだ。ボタンで、商売が出来た時代だった。隣の店に下駄が吊るしてある。

 白揚書房と草野洋服店が望める

下駄と鼻緒とツッカケが山積みだ。中村履物屋さんだろう、と思っていたが「ちがう!」と中村君にご指摘をいただいた。屋根の上では、空いた店から瓦を取り外す音が聞こえてくる。店のおばさんはその音を無視するかのように仕事に励む。3年後にはここに新しい百貨店が完成するのだ。下駄とツッカケだけの時代は終わろうとしている。

 2坪くらいの店だ

昭和35年、インスタント時代が始まった。この年の8月、森永製菓は36グラム220円のインスタントコーヒーを新発売、33年には日清食品もチキンラーメンを、そして、ミルク、ジュース、カレー、スープと次々にインスタント食品が発売された。カラー放送が始まるに伴い21インチカラーテレビが52万円で発売。とても買えた代物ではなかった。6月にはダッコちゃんが出た。1個180円。ホッピングやフラフープも同じ、流行とは妙なものだった。生活の豊かさが見え隠れする時代に、皆と同じものを持つことで安心が得られた、そんな時代だった。


カンバック!昭和商店街18<スワマーケット2>

2018年12月18日 | レモン色の町

昭和33年7月18日、凌霜書房前の様子。凌霜書房は、諏訪百貨店、通称スワマーケットの入り口にあった。雨上がりのマーケット前。駅は無くなっていて、建て替えの相談が始まっている頃だ。経営者は、白揚書房の木村さんの母方のおばあさんだそうだ。『の』ばかり並んで申し訳ない。

白揚書房前には「ぼくら」「少年画報」「おもしろブック」「少年」などの子供向け雑誌が月初めになると山積みされた。付録がたくさんついていて膨れ上がった本を紐でくくってあった。お正月号は特にすごかった。木村さんのお母さんが店頭に立つ。どれがいいか迷う。長い間迷って、目を盗んで付録を入れ替えた。叔母さんはそれを見抜いてもとへ戻す。気まずい空気が流れた。冬休みになると増刊号も出た。昭和34年、週間「少年サンデー」・週間「少年マガジン」が発売され、子供向けの月刊誌は徐々に姿を消していった。

本屋の前を出前帰りの小僧さんが通る。

どうやらマーケットの横に建つ「焼きそば・氷の柏屋」さんの小僧さんの様子だ。

昭和33年2月8日、日劇でウエスタン・カーニバルが開かれた。これは、アメリカのロックンロールブーム日本へ飛び火、ロカビリーの頂点をなすものだった。平尾昌章やミッキー・カーチスが「ビー・パップ・ルーラ」「ハートブレイク・ホテル」「ダイアナ」などを歌い、失神者が出る騒ぎだった。

この年、富士重工からスバル360が発売され、子供の間で流行したフラフープは品切れ状態だった。

昭和33年5月21日。マーケット前踏切跡の整備が進んでいる。路地の向こうに文芸春秋の看板の出ている白揚書房が見える。右に建つ前回掲載のマルモ物産は健在だ。


カンバック!昭和商店街17<スワマーケット1>

2018年12月16日 | レモン色の町

昭和33年7月18日、諏訪駅が立ち退いた跡を東に見る。諏訪劇の看板をくぐってまっすぐ行くと、右に三泗百貨店(現サンシ)がある。三泗百貨店前に並んでいた線路を背にした小さな店の並びは、取り壊される。キタオカの角に堀田美容室。その向こうに少しさがって、草野洋服店が建つ。堀田美容室の建物は現在のままだから、草野洋服店が前へ出てきたことになる。一番街の通りが作られつつある頃だ。

 正面に諏訪劇場、左に弥生館と三重劇場の看板。駅前は映画の看板だらけだった。

 凌霜書房の奥さんが外を見ている。

本日の1番街(東方向)

昭和33年2月23日。諏訪百貨店の東側に建つマルモ物産の店頭。この頃すでに諏訪駅は取り壊されて店の前には空き地が広がっていたはずだ。甘酒の素の看板が見える。鮪味付け4個90円?鮪の醤油付け(醤油漬け?)したものを焼いて食べたのだろうか?

 

本日の1番街(南方向)

夕方、店の前で子供を負ぶったお母さんと、店の兄ちゃんが立ち話をしている。

「あきちゃんなあ、四月に結婚するんて」

「へえ、もうそんな歳になったんかいな」

「まだ子供やと思とったのになあ」

「ええ鯵の干物入ったで、買うてって」


恵比寿スペシャル終了

2018年12月14日 | おいらの商店街

年末 恵比寿スペシャルが終了しました。忙しかった割には売り上げが少ない。これでは歳を越せそうにもない。

ということで当店の百円市。巷で話題?のプラモ百円市は完売となりました。ありがとうございました。「これ、本当に100円ですか?」と半信半疑のお客様。本当に、楽しゅうございました!(売リ上ゲハ、少ナカッタケレド)さて、引き続き1月にイベントを考案中。その節にも売り出しをしようと思っております。乞うご期待!(このブログでお知らせします)

すわまえ食堂さんも古本百円市で協力いただきました。感謝!

本浦農園さんの無農薬有機栽培野菜。充実していました。ここの里芋は おいしい ノデス。