花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

港楽園界隈

2009年02月27日 | レモン色の町
昭和32年から33年にかけての港楽園界隈の写真
港楽園は諏訪公園の南西に位置する赤線地帯でした
辻さんは 町の風俗写真を撮り続けました
この4枚の写真には 当時の風俗がよく映し出されています                   
諏訪公園西側 美奈月旅館の前を公園方向に撮られた写真
          
若紀久前から公園方向の絵

現在の四日市飯店に位置します
          
以前にも掲載しました 大学前から西を見た写真です
女性達がこどものソフトボールに加わっています
正面店舗の左が空き地になっていて この奥で塾を開いている先生が居ました
お菓子を買って塾へ よく通った道です
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いわき市視察 後編

2009年02月25日 | 諏訪商店街振興組合のこと
駅前再開発ビル「ラトヴ」の工事期間2年半もの間、周辺には仮囲いの塀が造られました。この殺風景な景観を何とかしようと、塀を利用した「まちなか写真館」や「まちなかウォールアート(学生による壁画)」などが実施されました。
そして、ラトヴの南側の「銀座通り商店街」では活性化事業の一環として、平成18年6月から「まちなか青空市」を月1回開催、地産地消の野菜販売・福祉施設の製品販売・一店逸品ワゴンセール・フリーマーケット・まちなか青空ステージ・キッズコーナー等が展開されました。
この「ラトヴ」建設を期にプロジェクトチーム「一店逸品運動推進部会(一店逸品フェア)」「街なか駐車場検討部会(共通駐車サービス券の発行)」「空き地・空き店舗有効利用推進部会(街なか屋台実験)」「街なか情報発信推進部会(おもしろ再発見マップの発行)」が立ち上げられ活動が開始されたのです。
銀座通りから西へ、個人施行による17階の再開発ビル「ティーワンビル(いわき市生涯学習プラザとワシントンホテルが入る)」へ行くまでに、朝市が開かれた跡に、商店街が地産池消の発信センターを開業していました。
          
          
          
(ティーワンビル内の生涯学習プラザの様子)
          
          
          
(商店街が経営する地産地消の店)
とにかく、出来ることなら何でも、やれるところからはじめようの意気込みが随所に感じられます。
街の活性化につながることなら実験的でも良い、やってみてダメだったらそこからまた新しい道を探す、そんな活力を感じさせる「いわき市」でした。
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いわき市視察 フラガール

2009年02月23日 | 諏訪商店街振興組合のこと
          
いわき市を訪れた18日、地元の新聞「福島民友」にフラガールことが掲載されていることを知りました。
いわき市の古殿町(宮本中旧校舎)と北茨城市のロケ地ツアーをされたそうです。
宮本中旧校舎では常磐舞踏学院のレッスン場、炭住生活の名残を残す北茨城市の住宅地、ここは紀美子の家としてロケされたました。
          
          
平成18年に公開された映画「フラガール」は、閉山を迫られた炭鉱から地元の女性が立ち上がり、常磐ハワイアンセンターを成功させるまでの感動の物語。
激しい反対を受け、はじめは「すったらこと 出来る分けねえっぺ」と二の足を踏んでいた炭鉱の奥さんや娘さんたちがフラダンスを練習し、晴れの舞台を完成させるまでの映画でした。
          
夜の食事の後、1時間ほどショーが見られることを聞き、「スパリゾート・ハワイアンズ(旧常磐ハワイアンセンター)」を覗いてみました。
          
驚くほどのお客の入りです。海賊船が造られた舞台ではフラダンスの真っ最中、誕生の経過を知っているためか、観衆との間に暖かい雰囲気が感じられます。
          
          
いったん倒れておしまいかと思いきや、再び立ち上がって踊る、あの映画で2度出てきた踊りが最後に披露されました。
それは、地元のスーパーが倒産し、大型店が撤退するいわきの町が、あきらめることなく再生の道を進む力強さを髣髴とさせるものでした。
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いわき市視察 前編

2009年02月21日 | 諏訪商店街振興組合のこと
         
         
         
18日の午後から19日の午前にかけて、いわき市都市整備課の皆様をはじめとして、再開発にかかわる皆様の親切な対応に大変感謝いたしております。到着から視察、そして出発まで付きっ切りで案内していただきました。
駅前再開発ビル「ラトヴ」の中でも特に注目したのが4階と5階にある「いわき総合図書館」でした。
徒歩10分ほどのところにあった図書館を移築、設備は東北一という立派な都市型図書館でした。
広いフロアには、テラス・読み聞かせ室・食育コーナー・自動貸出機・コピー機・DVDとCDの棚・学習室・授乳室・ロッカールームなどあらゆる設備が整い、学生さんをはじめ多くの方で賑わっていました。
はじめは浮浪者風の人が居座るかと心配されたようでしたが、開館すると真剣に書籍を読む方ばかりで、そんな懸念はご無用だったようです。市民の文化程度の高さがうかがえました。
利用者には地下駐車場の2時間無料券が発行され、街中の図書館として多くの市民に支持されている感を強く持ちました。
驚かされたのは書庫で、吹き抜けの自動出納書庫には65万冊の蔵書が整然と収納されていて、コンピューター操作により各フロアのステーションへすばやく取り出せるというものでした。
駅前一等地の図書館が、ここではりっぱに賑わい創出効果をあげていました。
          書庫
          自動貸出機
          学習室
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いわき市視察 プロローグ

2009年02月20日 | 諏訪商店街振興組合のこと
2月18・19日、四日市諏訪商店街振興組合より「いわき市」視察に出かけました。
東京上野から常磐線特急のぞみで2時間16分、途中水戸の偕楽園の梅を車窓から眺め、湯本温泉を通過して「いわき市」に着きました。
「いわき市」は昭和41年に合併した人口34万の都市、映画「フラガール」で有名となった常磐炭鉱で栄えた町です。昭和51年炭鉱は閉山、その後工業の町として栄えてきました。
「いわき市」は他都市同様、西友や地元の大型店が次々に閉店、中心商店の空洞化がすすみました。
市街地再開発の動きは昭和46年頃から起きていました。特に平駅前の一等地に再開発ビル建設の動きは出ていたのですが、地権者の話がまとまらず、平成4年ようやく地価の下落に危機感を感じた地元商店街により平駅前再開発準備会が発足しました。
行政や商工会議所・JRを交えた定期的な会を重ね平成17年工事に着手、平成19年10月にいわき駅前再開発ビル「ラトヴ」が完成したのです。
駅を出てデッキを渡ると、右正面に8階建ての「ラトヴ」が迫っています。周辺は、いわき駅を含めた駅前整備事業の途中でした。
          
          
          
現在「ラトヴ」は権利者36名と行政・商工会議所で構成された組合が㈱ラトヴコーポレーションへ委託、地下1・2階駐車場、1階が駐車場と食品、デッキにつながった2階と上の3階は商業フロア、4・5階が図書館、そこから上が商工会議所・展示ホール・業務オフィスとなっています。
          
          
          商業フロア
街の衰退をあきらめず再開発実現の運びにこぎつけた底力は、炭鉱閉山の絶望から立ち直った、あの常磐ハワイアンの「フラガール」を髣髴とさせるものでした。

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昭和30年代 1番街の変遷

2009年02月16日 | レモン色の町
先日掲載したおかざきさん前の写真が、昭和33年8月ではおかしいのではないかと言うご指摘をいただきました。
もう一度1番街の移り変わりをおさらいしてみます。

昭和32年4月 新しく近鉄四日市駅がオープンしました。

昭和33年2月 この頃の1番街交差点 フクヤさん前の様子です。徐々に通りが形成されつつあります。

昭和33年7月 諏訪駅は撤去されて空き地となっています。

昭和35年12月 話がまとまり、ようやく諏訪駅前に建っていたスワマーケットが解体の運びとなりました。

昭和37年9月 スワマーケットの跡にスワ百貨店がオープンします。
     
昭和40年7月 1番街通りの様子です。アーケードは完成しています。
昭和39年6月がアーケードの地鎮祭となっています。おかざきさん前の写真では、まだアーケードが出来ておりませんから、38年8月の間違いではないかと思われます。
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コミュニティビジネス 支援フォーラム開催

2009年02月15日 | 諏訪商店街振興組合のこと
          
今日は、総合会館8階の視聴覚室で「コミュニティビジネス 支援フォーラム」の講演会があった。
松井真理子先生方が組織するNPO法人市民社会研究所が主催する講演会で、中心市街地の空き店舗に市民による店舗展開をお願いするため、壇上で少し喋らせていただくハメとなった。
以下その要旨でございます。
四日市諏訪商店街振興組合の理事長北川正彦氏が、空き店舗を利用した「とれたて村」を開き、近在から集めた野菜市場の常設店を開きたいと考えたのは三年前だ。
当時は「取り立て村?組合がサラ金でもするんかいな」と適当に聞き流していたが、昨年7月、商工課さんのご招待で、長浜のプラチナプラザに視察に出かけた。そこで、元気な高齢者の皆さんが経営する「プラチナプラザ」の実情を見学できた。
さて、諏訪商人塾で講師としてお世話になった隈本さんから、人財ポケットの活動や商店街の空き店舗に出店の意欲のある干物やさんや、水餃子を作る方などのお話を聞いた。
空き店舗を提供して街に活性化を願う組合と、街に思いを寄せる方たちを集めたい人財ポケットさんの望みがここに合致したわけである。
街の空き店舗に「諏訪とれたて村(仮称)」をつくり、出資金を個人・企業・行政から募る。そこにしっかりした責任者を張り付かせる。
地産地消・食の安全安心・こだわりの食材などの商品ルートを開拓して、生産者の顔が見える、話題に事欠かない商品を並べる。
厨房と食堂を設けて、そこで食育や食と健康の講演をおこなったり、次世代に伝えたい食材レシピの講習を行ったりする。おばあちゃんの雑談できるたまり場になっても良い。
まずは、一人でも多くの方の思いを集めること、そして第1店舗目を成功させること。採算性が取れることがなにより大切だ。さっぱり売れないと機嫌も悪くなり仲間割れとなる。
オープンな健全経営で、皆さんが日々理想を確認しあって、楽しくお店の経営に汗を流すことが出来れば、すばらしい店舗が誕生する。
終わって、商工会議所さんを覗いた。昨日と今日、1階ホールで食の物産市が開かれており大変な盛況だった様子だ。
すでに終了していて、出口さんにお願いしておいた。
この元気を、是非エキサイトバザールにつなげてください。お願いいたします。
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1番街アーケード工事

2009年02月13日 | レモン色の町
          
昭和39年6月 1番街のアーケード建設起工式の様子はすでにご紹介した
          
辻さんが撮ったこの写真は ジャスコB館北側の工事の様子 昭和42年9月 何年もかかってアーケード工事はおこなわれていた
右に辻写真館さんがあって 左にはジャスコB館ではなく諏訪劇場が建つ 四日市東映だ
          
諏訪劇場前のアーケード工事風景 右に「あかもん」正面が「萬惣食堂」
この路地を北に抜けると 撤去された諏訪駅に出る
          
少しさかのぼるが 昭和33年8月8日「おかざき」前の写真 右に「マルミヤ」その北が1番街の交差点で「フクヤ」が望める
 
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準備雑感

2009年02月10日 | 諏訪商店街振興組合のこと
エキサイト・バザールのブースが徐々に埋まりつつある。
昨日は、堀木さんと共にアピタと地場産へ協力のお願いに伺った。
2月に入り、四日市にも色濃く不況の影響が出てきているのでは?との話題になった。
京都手づくり市の臼井さんとのお話を思い出す。
手づくり市は大盛況で、出展者・来街者とも好調だそうだ。
自分が丹精こめて作った品だから、商品の説明にも力が入る。お客さんもお店の人との対話を楽しみにやってくる。まさしく逸品の列が並ぶ手づくり市だ。
出展者も礼儀正しい方が多い様子だ。大雑把に場所割を決めておけば、後は出展者同士で譲り合い整然と陳列が終わる。誰からも文句は出ない。
遅く来たお店は、当然端っこに店を出すことになるが、売り上げへの影響はない。楽しみに訪れる常連さんが、きっかり探して来てくれるからだ。
店を構える私たちが、すっかり忘れてしまっている何かがここにはある。
諏訪商人塾での石川先生の「一店逸品」のお話とダブって「臼井さん、勉強させられます」と感心してしまった。
四日市の地場産でも、先日和菓子の製作実演がおこなわれ、大勢の人で賑わったそうだ。
「頻繁に実演をすれば人気が出るのに、地場産ならそれが出来るはずです」とお話しした。工房型店舗であります。
エキサイトバザールのお手伝をしていると、勉強になることが多い。
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第7回 諏訪商人塾開講

2009年02月07日 | 諏訪商店街振興組合のこと

一店逸品とはなにか?
私は、お店独自のブランド品を作り出し、カタログに掲載して宣伝すれば良いのかと考えておりました。仕入品がほとんどの小売店では、難しい課題だと思っておりました。そうではなかったんです。これは運動なのです。作業することが大切なのです。
商店街から顧客が離れた大きな要因は車社会のせいでもなければ、郊外の大型店のせいでもない。小売店の「品揃え」に問題があると石川明湖先生は説明されました。
お客様はお店の「おすすめ」のための対話を期待しています。専門店の積極的な意思が示されている商品が逸品なのです。それがサービスであってもいいのです。
「お店の特徴を示す商品」「店のおすすめ商品」「季節のおすすめ商品」などお店の売り姿勢を明確に示した商品が逸品なのです。
逸品作りのポイントは、
1.お店の特徴は何か?
2.お客様の立場に立って選定・開発する
3.よそ者の意見を聞く
4.今扱っている商品の中にないか?
5.そして、逸品の表現はわかりやすくすることが大切です
在庫管理をしっかりして、何が売れているのか調べましょう。そして、お客様の意見を謙虚に聞きましょう。消費者の要求は時と共に変化しています。固い頭は柔らかくしてください。
一店逸品運動は、売ることに対する家族や従業員間の意識の共有で、売るための「しくみづくり」なのです。
各お店の皆さんで集まり「一店逸品」を検討してみましょう。お互いの「良いところ」や「改善点」などを話し合い、何がお店に求められているのか、求められる店になるための「売り」は何なのかを考えてみましょう。
「一店逸品運動」で、必ず商店街は活性化します。
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