花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

いよいよ上映「寅次郎相合い傘」

2016年10月31日 | 諏訪商店街振興組合のこと

11月25日(金)午後6時より「寅次郎相合い傘」を上映します。

さくらが、寅との結婚を勧めるシーンでは、小津監督の「麦秋」と同じシーンがあります。杉村春子は息子の結婚相手になって欲しいと原節子に頼むのです。当日、5時30分からの「雑談タイム」では、このところをお話ししたいと思っています。乞うご期待!

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“寅次郎恋歌”上映しました

2016年10月29日 | 諏訪商店街振興組合のこと

10月28日“寅次郎恋歌”を上映させていただきました。15時ころから降り出した雨は、上映時刻に合わせたかのように(今回の作品も雨のシーンで始まりましたが・・・)土砂降りとなりましたが、45名の方にご参加いただきました。感謝です。早速、感想をTさんからいただきました。ありがとうございました。

この作品には結構名を知られた俳優がチョイ役で数多く出演していますね・・・吉田義夫、穂積隆信、津坂匡章、我次郎etc、大御所 笠智衆に至っては台詞ひとこと、参道を通過中、池内淳子と挨拶を交わすのみ。

 それに引き換え、圧倒的な存在感で出てきたのが真っ黒い煙を吐きながら迫ってきた汽車。時にはピーッというセリフ入りで・・・

 昭和40年代半ばの情報伝達手段は・・・急用にはまだ電報が使われていたのですね。一方、電話の使い勝手はどうかというと、市外通話の時は、昼間の料金はとても高かったんですよね。

それで思い出しました。知り合いの男性が東京に居る恋人へ長電話をしたら、目玉が飛び出るほどの額だったと苦笑していたのを。

 町内の付き合い方について・・・余程込み入った話でもない限り縁側とか店先(玄関先)で済ませていたのですね。他人様には必要以上に立ち入らないという姿勢が好ましいです。

 ラストシーンでは日本の原風景が目の前にパーッと広がって、とても心地よかったです。甲州街道のどこかに、まだこのような景色が残っているのなら、是非一人旅を楽しみたいものです。

 今回のテーマは“放浪と定着”。最後、旅立つ寅はさくらに問いかけます。

寅  「あんちゃんのこんな暮らしがうらやましいか?」

さくら「一度はお兄ちゃんと交代して、あたしのこと、心配させてやりたいわ。寒い冬の夜こたつに入りながら『ああ、今ごろさくらはどうしてるかなあ』って、そう心配させてやりたいわよ」

寅  「そうかい、さくらすまねえ」

 

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“商工春秋”11月号より

2016年10月26日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

四日市商工会議所様発行の“商工春秋”11月号の“浮世絵に描かれた四日市”より、五十三次 四日市人物東海道(歌川広重筆 嘉永五年版)

人物東海道」と呼ばれるシリーズのひとつ。このシリーズは、縦長の画面に人物が大きく描かれていることからこの名がついている。通常の風景画と異なり、人物の表情やしぐさがよくわかるのが特徴である。

 本図は、湊を背景に佇む男女三人が描かれる。近辺に住む者なのか、宿で一息ついた旅人なのか定かではないが、女性が男性に顔を向けながら話しかけ、男性がにこやかに応じている様子が明瞭である。軽い服装や履物、そして帆をたたんだ船々が、のどかで落ち着いた空間の広がりを上手く演出しているように感じる。

 穏やかに打ち寄せる波や踏み鳴らす下駄の音が聞こえてきそうである。保永堂版五十三次とは、ひと味違う抒情性のあふれる作品である。(市立博物館学芸員・田中伸一氏)

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“男はつらいよ”恋歌から相合い傘へ

2016年10月25日 | 諏訪商店街振興組合のこと

車寅次郎こと渥美清、こと田所康雄さんが亡くなり、今年の8月で20年の歳月を経ました。現在、四日市諏訪商店街振興組合では四日市市市民文化事業の一環として映画鑑賞会“寅さんからの招待状”を行っており、10月28日には“寅次郎恋歌”、そして11月25日には“寅次郎相合い傘”を上映させていただきます。午後6時より(午後5時30分より“雑談タイム”を設けておりますので是非ご参加ください。10月28日の“寅次郎恋歌”はフジテレビで放送された“男はつらいよ”をご紹介させていただく予定です)処は、スワセントラルパーキング2階会議室で入場無料でございます。

山田監督の映画に限らず、人が人生をかけて何かを制作する場合、時として傑作が生まれる。

監督やスタッフの高揚の時期、それらが見事に一致するときがごくまれにある。山田監督は「男はつらいよ」シリーズの中でも神様の気まぐれに遭遇し、“寅次郎相合い傘”を生み出したのである。

“寅次郎忘れな草”を撮り終えた山田監督は、浅丘ルリ子の演技をみてリリーというキャラクターをもっと掘り下げたものにできると確信し、続編を書き始める。そしてちょうどこの頃、渥美清(47歳)、倍賞千恵子(34歳)、浅丘ルリ子(35歳)にその年齢にしか出せない人生の高揚気が訪れてくるのである。

この作品は、寅とリリーと同じくらいさくらが素晴らしい。倍賞さんが、このシリーズの中で最も生き生きとした表情でスクリーンの中で華やいでいた。

“相合い傘”は、よい脚本とよい演出、そしてスタッフとキャストが冴えてタイミングが合えば、過激な出来事や悲劇抜きで傑作足りえるということを、私に知らしめてくれた貴重な作品だった。   “寅さん覚書ノート”吉川孝昭氏 より

 

作品の一場面を紹介します。リリーを職場(小さなキャバレー)へ送った寅次郎は、帰ってきた“とらや”でこう語ります。“寅のアリア”とよばれているシーンです。

寅「リリーにあんなとこで歌わせちゃいけないよ。おらぁなんだかさ、可愛そうで・・・しまいにゃ涙が出てきたよ。あ~あ、俺にふんだんに銭があったらなぁ・・・」

さくら「お金があったらどうするの?」

「リリーの夢をかなえてやるのよ。たとえば、どっか一流劇場。歌舞伎座とか、国際劇場とか、そんなとこを一日中借り切ってよ、あいつに、好きなだけ歌を歌わしてやりてえのよ。」

「そんなにできたら、リリーさん喜ぶだろうね。」

「ベルが鳴る。場内がスーッと暗くなるなぁ。

皆さま、たいへんながらくをば、お待たせをばいたしました。ただいまより歌姫、リリー松岡ショウの開幕ではあります!

静かに緞帳が上がるよ・・・スポットライトがパーッと当たってね。そこへまっちろけなドレスを着たリリーがスッと立っている。ありゃあ、いい女だよ~、え~。ありゃ、それでなくたってほら容子がいいしさ。目だってパチーッとしてるから、派手るんですよ。ねぇ。

客はザワザワザワザワ ザワザワザワザワしてさ。綺麗ねえ・・・いい女だなあ・・・あ!リリー!待ってました!日本一!

やがてリリーの歌がはじまる・・・

ひ~とぉ~り、さかばでぇ~の~む~さぁ~けは~・・・

ねえ、客席はシーンと水を売ったようだよ。みんな聞き入ってるからなぁ・・・

お客は泣いてますよぉ。リリーの歌は悲しいもんねえ・・・

やがて歌が終わる・・・花束!テープ!紙吹雪!わあーっと割れるような拍手喝采だよ。

あいつはきっと泣くな・・・

あの大きな目に、涙がいっぱい溜まってよ・・・

いくら気の強いあいつだって、

きっと泣くよ・・・」

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昔日の1番街

2016年10月24日 | レモン色の町

昭和三十三年頃か、1番街の十字路を二人の紳士が歩く。右にマルミヤ、その向こうがひかりや。左角が靴のフクヤ。マルミヤの南二階には、スミルナという喫茶店があった。そういえば喫茶店は多かった。おかざきの二階にも醍醐があったし、ひかりやの向かいには、同伴喫茶があった。アベック専用の喫茶店で、背もたれが高く、当時のブームみたいなものだった。すわ寿司の車が東へ曲がる。

 

昭和三十三年八月八日、1番街の十字路を南へ進み、おかざき前から十字路を撮る。カワビシはまだ出来てないのか、うなぎ・キリン生ビールの看板が立つ。リヤカーで運ばれていく看板。リヤカーは自転車でけん引されることもあった。

 

昭和四十二年九月。「四日市東映」はジャスコに売却された。辻写真館前に置かれた重機。これから取り壊しにかかるのか。

 

正面が「万惣」、路地の向こうに「あかもん」がみえる。撤去工事中で大変な騒ぎだ。

 

昭和四十年七月十三日、中元売り出し中の一番街。カワムラセンターは建っている様子。スワ百貨店前(右側)には、キタオカ、諏訪寿司、のれん街(新味覚の看板)、和食の水谷、なかむら、水谷薬局、ヤマカワ、フクヤと並ぶ。

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第21回 スワ百貨店開店2

2016年10月22日 | レモン色の町

昭和三十九年九月五日、スワ百貨店開店当日の早朝。建物を取り囲むようにお祝いの花が並ぶ。辻さんは、白揚書房前から撮る。

 

やがて通りは搬入車でごった返す。(コピーのため不鮮明)

 

辻さんは屋上階へ上がり、カメラを差し出して下の混雑を撮る。セレモニーは終了した。割られた薬玉(くすだま)が下がっている。

 

昭和三十九年九月十五日、四日市スワ百貨店屋上のビアガーデンの様子。残暑も過ぎてビアガーデンもそろそろ店じまいの頃か、少し閑散としている。屋上から南東方向を見た写真で、東に四日市商工会議所の東芝のネオンが輝いている。暗くなりかけた空には重く雲が垂れ込め、煙突から出る煙は、これからひどくなる四日市公害を予兆しているようだ。

この年の十月十日。東京オリンピックが開かれる。オリンピック開催の少し前、新幹線が開通した。「ひかり」は東京大阪間をわずか四時間で走った。まさに夢の超特急だった。

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第20回 スワ百貨店開店!

2016年10月21日 | レモン色の町

昭和三十九年六月吉日、一番街ホームラン前の四つ角から公園通りを望む。この日は、一番街アーケードの地鎮祭が行なわれた。恰幅の良い山本七郎氏の姿が見受けられる。公園方面へ関西電波四日市支店・のんきやの跡地・武蔵野茶店・空き地があって相撲料理の栄家と並ぶ。キタオカ前には庇状のアーケードが造られている。ここのアーケードは昭和三十三年に造られたはずだ。道幅が広かったためその後、台風で崩れてしまった。苦労の歴史がしのばれる。かなりのスピードで街が形成されていく。

 

昭和三十七年九月二日、二年間の工事期間を経て四日市スワ百貨店がオープンした。四日市の新しい顔が誕生した。渡辺のジュースの素の看板をつけた八百屋の車が止まっている。荷台には桃の箱が積まれている。搬入の車だろうか。紅白幕に並べられた花輪。向かいの大阪屋前を多くの人が通る。諏訪南大通りのアーケードは台風で崩れ、撤去されている。

スワ百貨店の中には前の地権者が多く店を構えた。当時東海ストアとここにしか無かったエスカレーターが珍しく、何度も乗りに行った記憶がある。街は希望であふれていた。

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第19回 近鉄四日市駅前の賑わい

2016年10月19日 | レモン色の町

昭和三十三年三月八日、肌寒い小雨の中、駅前(農協側)から降りた人々が、近鉄駅へ向かって小走りに駆ける。番傘を差している婦人。三重交通のバスは、ボンネットバスだ。春を呼ぶ雨は、やがて上がりそうな様子だ。

 雨上がりの駅前

昭和四十年七月十五日、右の近鉄百貨店が出来て五年ほどの月日が経っている。思い起こせば、駅の前がロータリーになっていて(四日市はよほどロータリーが好きだったのか、しかし今はその姿はない)青年の像と噴水があった。この十年の街の変化には目を見張るものがある。何もない空き地に近鉄駅が出来、前の中央通りが整備され、楠の木が植えられた。三重交通が移転してきて、近鉄百貨店が出来た。その前には四日市シネマとグランド劇場ができた。四日市で八軒めの映画館の誕生だ。まさに四日市を、否、三重県を代表する玄関になった。

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第18回 昔日の中央通り

2016年10月18日 | レモン色の町

昭和三十年五月十七日、未整備の中央通りから南を望む。右に農協会館、道を挟んで水九印刷が建つ。近鉄四日市駅の建設はこれからだ。それにしても彼女たちは、どうやってこの水溜りを超えるのか。

 

同じく、東へ下がって西方面を撮る。右に見えるのは堀木菓子店。北へ進むと諏訪劇場があった。遠くに四日市工業高校がある。この手前に近鉄名古屋線敷設の準備が進められていることだろう。堀木菓子店前の道路を人が通る。学校からの帰りか?

 

写真から想像すると昭和三十二年晩秋の早朝ではないだろうか。

新しい駅がオープンして少し一段落した感がある。パイロット萬年筆の看板を揚げる新光堂書店が既に建っている。オカダヤはまだ姿をみせていない。東海ストア開店売り出しののぼりが、川伝いに並ぶ。この川はまっすぐ駅裏に抜けていて、現在駅西に川の続きを見ることが出来る。久保田町で三滝川からくみ上げられた水は、農業用水と下水の役割をしながら、あせち川へと流れていた。植えられたばかりの楠の木が、整備したての中央通りを物語っている。(写真提供 山路昭雄様)

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第17回 諏訪新道の水害

2016年10月15日 | レモン色の町

土地の低い中心商店街は、数年に1度は浸水した。昭和35年7月9日、辻さんは、カメラを持って諏訪新道へ出かけた。八百八食料品店前から東方向にカメラを構える。写真中央に円形屋根の“ぜんざいのうまいや”赤や青のネオンまばゆい食堂だった。道路を横断してアーチがある「四日市名物 へのへのもへじ(うまいや)のマーク」。その左に“スギノトーキ”、“川口屋呉服店”“水谷理容店”と並ぶ。

昭和21年の名古屋タイムスより

 

東海銀行前まで進んで、西を振り返り“岡本総本店”を撮る。左に広告塔が立つ。上にスピーカーがついていて大きな音で宣伝を流していた。映画“第三の男”では、広告塔の下に扉があり下水道へとつながっていたが、諏訪新道の広告塔にはそんな様子がなかった。“岡本総本店”から西へ“谷楽器店”、“香久屋文具”“酒重荒物”“福田メガネ”と並ぶ。

 

再び、東海銀行前から東を撮る。東海銀行東側は、昭和21年当時“マルミヤ洋服”だったのが諏訪栄町へ移転したためパチンコ屋になっている。

右上の中部中学校は誤り 中部東小学校(現在の中央小学校)

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