花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

四日市中心市街地のゴミ問題

2016年03月29日 | おいらの商店街

陽春の候、皆様方におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

日頃は商店街活動にご理解とご協力を賜り、誠にありがとうございます。

 さて、4月1日よりゴミの回収方法が変わり、四日市中心市街地である諏訪栄・西新地地区一帯の営業ゴミは、その一切を民間の回収業者に委ねられることとなりました。従って市による回収は居住者から出る生活ゴミのみとなります。

 街は人が集まるところ、ゴミが出ることもあたりまえです(ポスター・チラシ・吸い殻・ティッシュ等)。街のゴミ回収を個々の商店に負担させることは、街の発展に大きく支障をきたすものです。街の役割の大切さをもっと認識していただきたいものです。

 飲食店のゴミ問題と物販の店舗とを一括りに考えてしまうことは、行政側の細かい配慮が欠けていると云わざるを得ません。

 荒療治でやってしまうのではなく、商店街の個々の意見をもっと細かく聞いて戴いていたらと残念に思います。

怒髪天を衝く!

 

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“美人東海道”より

2016年03月26日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

“商工春秋”4月号の表紙を飾るのは“東海道五十三次之内四日市之図(美人東海道)”です。

美人東海道と通称されるシリーズの一つで、歌川広重の保永堂版「東海道五十三次之内四日市」を背景に、一人の女性の立ち姿が描かれている。作者は歌川国貞、後の三代歌川富国である。著名な広重の作品を国貞が写したわけだが、細部は若干異なっている。しかし、保永堂版の見せ場である転がる笠が、きちんと見えるように配置して、構図に気を配っていることがわかる。

女性は、濃い茶色地に青い花弁を散らしたような小袖を着ている。腰の左に赤い抱え帯が見える一方、左脇にこのシリーズで唯一描かれている懐剣と思しきものを抱えており興味深い。扇子を右手に左を見遣る視線の先に、何が見えているのであろうか。

(市立博物館学芸員・田中伸一氏)

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男の囲炉裏端の会

2016年03月25日 | 諏訪商店街振興組合のこと

3月24日シニアサークル“男の囲炉裏端”の会に招かれて「懐かしの映画館巡り」の会に参加させていただきました。

27名ほどの方が諏訪公園交番前に集まり、諏訪劇場・中映・四日市シネマとグランド・ベガ、スピカ、リゲル・ロッポニカ・三重劇場・弥生館の跡地を視察に出かけました。現在映画館は109シネマズに集中して、単館で残っているのはロッポニカのみです。

風は冷たく感じましたが、皆さん懐かしい話で盛り上がりました。感謝!

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“或る夜の出来事”その2

2016年03月20日 | 諏訪商店街振興組合のこと

フランク・キャプラという名前を忘れてはいけない、と決めたについてはこんな思い出があります。「男はつらいよ夕焼け小焼け」に宇野重吉さんが出演してくださった時、宇野さんが僕にこんな話をしてくれました。

山田洋次“素晴らしき哉フランク・キャプラ”映画の嘘 井上篤夫著 集英社新書より

昭和16年。日米関係が風雲急を告げて、間もなく戦争が始まるのではないかという不安な時代。映画好きだった宇野さんは、死ぬ前に一本映画を見ようと考えました。

そしたら「スミス都へ行く」というアメリカ映画の看板がかかっていた。これを観ようと思ってチケットを買い、ガラガラの客席で見るうちに何だか体の中に活力が湧いて来て、死ぬ気持ちが遠ざかった。もうちょっと生きていこう。死ぬことはないと思うようになり、自殺を止めたそうです。

フランク・キャプラの映画にはよく群衆が出てきます。そこで群衆は人間のあるべき理想に対して、よかった、よかったという思いで皆が拍手喝采する。一瞬でもいい。そんな思いを抱いただけでもこの世は生きる意味があるというようなメッセージです。

松竹の大先輩である小津安二郎とか木下恵介とか吉村公三郎といった人たちは、キャプラを含めたアメリカ映画の偉大な先輩たちの仕事を見て勉強していたのです。小津さんの映画を見ても、喜劇のタッチが大事にされていて、面白い脇役を出して、その脇役で笑わせながらストーリーを運ぶという映画の話術は、主としてキャプラから学んだんじゃないでしょうか。

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フランク・キャプラ監督“或る夜の出来事”その1

2016年03月19日 | 諏訪商店街振興組合のこと

昨夜は、三重県視聴覚ライブラリー様のご協力で、フランク・キャプラ監督の“或る夜の出来事”を鑑賞しました。お天気の悪い中、前回参加の方へのチラシと数枚のポスターのみで38名の方にお集まりいただきました。本当に有難うございました。

この作品は昭和9年に作られました。サイレントからトーキーに移ってそれほど年数は経ていないと思われますが、クラーク・ゲーブルの快調な言い回しは素晴らしく、監督がすっかりトーキーをマスターしていたことが想像できます。お借りしたDVDが吹替え版だったことが幸いしているように感じました。

この作品が封切られた数年前から世界は大恐慌に入っていました。暗い世相の中でキャプラ監督は、映画で大衆を元気づけたのです。この作品は、アカデミー賞の作品、監督、脚本、そして主演男優賞と主演女優賞を獲得しています。この快挙は、“カッコーの巣の上で”の登場まで40年間ほど破られることはありませんでした。  つづく

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黒澤明監督“生きる”2

2016年03月14日 | 諏訪商店街振興組合のこと

吉村英夫氏は著書“黒澤明を観る”(草の根出版会)でこのように著してみえます。

生きる」という映画は、人間にとってもっとも根源的でありながら、それがために難しいテーマを、映像という具体的なもので表現して、見事に成功させている。

面白おかしくという妥協をいっさい排して、真正面から「生きるとは何か」「人間にとって生とは何か。その対象としての死とはどういうことか」を描ききった。「死を宣告された人間は、最後をどう生きるべきか」というなまなましい問題意識を取り上げながら、大衆性というか、観客の誰もが納得し、画面にのめり込むようなものを堅持しつつ作り上げている。つけくわえれば、“生きる”に神の問題、信仰の問題が出てこないのは立派である。

おもちゃから生きがいを見つける渡辺

市役所を止めておもちゃ工場に働く小田切みきの話をヒントに、渡辺は自分にもつくれるものがあることに気付く。それが公園だった。

黒澤は、おもちゃを「つくる」と、公園を「つくる」という一致点をだいじにしたかったような気がする。半世紀以上のぼくら若者は、なにか具体的なものを「つくる」という事に大きな価値をみいだしていた。クワやカマをもって土地を耕し米をつくり、手や足を使って紙や木や鉄でものを「つくる」、すなわち額に汗した労働によってモノを生産することこそが人間が人間であるための基本的条件だと考えていた。

「つくる」作業が、人間の脳みそをきたえ、能力を高め、人間的な思考を高めていく力になったはずである。共同作業が人と人のつながりをつくった。

助役に詰め寄る渡辺

この作品は、第28回キネマ旬報ベスト・テン1位、第4回ベルリン国際映画祭市政府特別賞、第7回毎日映画コンクール日本映画大賞 脚本賞 録音賞、第6回日本映画技術賞、第7回芸術祭文部大臣賞に輝いている。

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黒澤明監督“生きる”

2016年03月13日 | 諏訪商店街振興組合のこと

黒澤明監督“生きる”は昭和27年の作品です。

市役所の市民課長である渡辺勘治は、毎日書類に印鑑を押すだけの無気力な毎日を送っていた。

一方、主婦の集団が高架下の暗渠を公園にして欲しい旨の陳情に押しかけていたが、縦割り行政のためか、たらい回しにされるだけだった。

ある日、腹に痛みを覚えた渡辺は医師の話から胃がんであることを知る。恐怖を忘れようと享楽に我を忘れようとするが、逃れることの出来ない自分に気づく。

それからは、人が変わったようになって暗渠の公園化に邁進する。陳情にやくざと渡り合うなどこのあたりの執念はものすごい。

場面は一転して、渡辺の葬儀の席となる。ガンであることは知らなかったはずだが、彼の変化は何だったのか?と同僚たちは不思議がる。しかし、回想の中から、渡辺は自分の余命を知っていて、不可能といわれていた公園化事業を成し遂げたのだった。

渡辺は、雪の降る夜、公園のブランコに乗り“ゴンドラの歌”を歌いながら亡くなった。

※ 私の何か出来る期間は、あと十年あるかどうか分からない。いのちに限りある中、思い切った仕事が出来、幸せのうちに消えた渡辺氏がうらやましい。映画って素晴らしい!

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“海街diary”は“麦秋”のその後?

2016年03月07日 | 諏訪商店街振興組合のこと

“海街diary”と“麦秋”は共通点があります。是枝監督は“麦秋”を意識して作られたんじゃないかなと思っています。鎌倉市が舞台でも、山手の“北鎌倉駅”と海に近い“極楽寺”とではかなり離れています。けれど、日常が繰り返されていく朝の風景は、時の流れはあっても変わることはありません。

“麦秋”で小津監督は、離れ離れになっていく大家族制度の崩壊を予見しました。原節子の結婚を機に、菅井一郎と

東山千栄子は鎌倉から奈良へと隠居をします。そして、是枝監督は、崩壊後、散り散りになった家族の“その後”を描いているような気がするのです。放蕩の父親と離婚した母に見捨てられた女姉妹四人は、強いきずなで繋がって、鎌倉の旧家を舞台に生きていきます。

群像劇であり、映画の王道を描いた“海街diary”が、日本アカデミー最優秀作品賞に輝いたことは素晴らしいことだと思っています。

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“海街diary”アカデミー作品賞受賞

2016年03月05日 | 諏訪商店街振興組合のこと

是枝裕和監督の“海街diary”が、第39回日本アカデミー賞最優秀作品賞に選ばれた。まずはおめでとうございます。

鎌倉は江の島の古い家に住む三姉妹は、放蕩の父親の死をきっかけに腹違いの妹を引き取り、四人で生活を続ける。肉親や知人の死を体感しながら姉妹がしっかりと繋がって生きていく姿は、健気で美しい。鎌倉に住み、朝ごはんを食べ、電車に乗るところは、小津安二郎監督の“麦秋”を思い出させるが、かたや晩年と結婚、家族の崩壊が描かれているのに対して、この作品は、将来の不安に負けずに力を合わせて生きる女性像が清々しく描かれている。

脇役のリリーフランキーもとても味のある良い役をこなしている。

是枝監督の“誰も知らない”が監督を知ったきっかけでしたが、この作品も親に捨てられた子供たちが、先の不安に負けることなく生きていく後ろ姿で終わっていた。この二作品は、淡々と自然に日常を送っていくという点でとてもよく似ている。まさに監督の真骨頂なのだろう。

自然の演技を引き出すため、下の妹のすず(浅野すず)には台本が与えられなかったという事だ。カチカチに固めた小津監督の撮影法とは全く異なる。又これはこれで味のある作品でゴザイマス。“誰も知らない”も子どもたちに台本は渡されてなかったと想像されます。

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