花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

我が愛しの映画館㉒禁断の惑星

2020年11月29日 | レモン色の町

『禁断の惑星』は昭和31年のアメリカ映画。小学校の時、親父について観に行った。

西暦2200年、人類は他の惑星への移住を開始した。折しも惑星アルテアに接近した宇宙船が危機を告げる会電波を受信した。警告を無視し着陸したクルーたちを迎えたのは、20年前に消息を絶ったモーピアス博士と娘のアルタ、そしてロボットのロビーであった。博士はこの星には怪物がおり、謎の死を運んでくるという。クルーたちは博士の言葉を信じず開発にかかる。やがてクルーたちは次々に殺されていった。

少しびっくりする。装飾に日本の寺院に使われる常花が立っているではないか?木を蓮の形に彫り、漆を塗って金箔を施したものである。進駐軍が面白がって買って帰ったものか?珍しく思われたのだろう。

当時、ロボット ロビーのデザインが大きな反響を呼び ブリキの玩具で発売されたりした。

怪獣の出現を期待していたが、博士の妄想から作られたもので姿は見せずじまいだった。レーザー光線に反応する怪獣。

この作品も、娘アルタの色っぽさが、大人の人にはウリだった。やはり池で泳ぐシーンがあるが・・・

前出のターザンのようにはいかなかった。ガードは固い。


我が愛しの映画館㉑ロマン座

2020年11月28日 | レモン色の町

本町商店街から国鉄四日市駅の開かずの踏切を超えると、右側にロマン座があった。小さい映画館で3本立ての洋画再映が多かった。

ロマン座は、海軍燃料廠の旧軍人グループが、ひと稼ぎできる映画興行に乗り出し、三重劇場に次いで建てた劇場である。小学生の頃に行った覚えがあるので昭和30年代にはあった。閉館は昭和40年である。

当家の横に看板が並んでいて毎月招待券が手に入る。土曜日の夜は、仕事を早めに切り上げた父親と映画館に足を運ぶ。17時ごろには夜の部が始まるから、16時30分には店を出て諏訪新道を歩いた。

上映された映画で印象に残るのは、アメリカ映画の怪獣ものである。『大アマゾンの半魚人』『原子怪獣』『宇宙戦争』『トリフィドの日』『禁断の惑星』そして、放射能で巨大になったクモやトカゲなどのポスターが目に浮かぶ。外人の女性のセミヌードが見られたりして、おませな小学生がワクワクする作品が多かった。

『大アマゾンの半魚人』は、昭和29年のアメリカ映画。ショートパンツ?姿の美人が出て来るが、今見ると、別にどうということもない。半魚人もおどろおどろしいと思っていたが どうということもない。感動が薄いということは、悲しいことであります。

 

 


四日市幼稚園の沿革

2020年11月27日 | レモン色の町

四日市幼稚園の記念誌から

岡野繁松氏が、戦時中の諏訪公園の様子をメモ書きにされていました。右上に『演武場』とあります。柔道や剣道の練習場だったのでしょう。『誓いの御柱』は熊澤図書館と演武場の間にありました。現在は東に移築されています。

 

昭和20年戦災のあと、諏訪公園内の演武場を借りて再開園した四日市幼稚園も、入園希望者が多くなったので、収容する施設も四室では手狭になりました。

昭和24年に、市の予算15万円と、PTA予算15万円の協力によって、保育室と管理室を増築したと、沿革に記述されています。

 

さらに27年には、二階建て保育室と玄関を増築して、保育室が六室になりました。

管理室の前(南)に2階建ての保育室が建てられた様子が門の位置から分かります。

昭和29年4月 私は四日市幼稚園へ入園しました。この年、大協石油の火災があり 立ち上がる黒い煙を 門のところから見ていた記憶があります。

 

四日市では、戦後一番早く出来た幼稚園ではなかったでしょうか。私のいとこが、東新町からバスに乗って、新道角のバス停で降りて通ったと話していました。

 

昭和33年 1号線舗装工事の様子です。現在のスワセントラルパーキングのところに「バスのりば」の看板がみえます。

風紀上あまり良くなかったか、手狭になったのか?昭和37年5月、消防署北の四日市産院跡に移転します。

昭和56年の諏訪公園 『誓いの御柱』は、図書館跡西側に建っていますが、幼稚園は跡形もありません。この後、公園整備が行われたと記憶しています。

 


我が愛しの映画館⑳1丁目1番地

2020年11月24日 | レモン色の町

昭和34年1月1日のテレビ欄。

NHK(3チャンネル)とCBC(5チャンネル),そして東海テレビ(1チャンネル)しかなかった。姉とのチャンネル争いでガチャガチャと回す。最後にはすっぽ抜けてしまった。

4時からNHKで“1丁目1番地”の映画があった。映画化されていたのだ。

元日夜のお楽しみは、映画“ケーシージョーンズ”機関士の話と、NHKの“東西寄席中継”だった。笑って新年を過ごす、今も昔も変わらない。

 昭和35年1月1日のテレビ欄。人形劇“孫悟空”、7時からは“バス通り裏”、そして7時半からスティーブマックイーンの“拳銃無宿”。お風呂に入って、9時15分から“日間名氏飛び出す”を観て寝た。オッと元日は『鬼が風呂に入りに来る』ということで風呂は沸かさなかった。

 

そして、昭和35年1月4日の映画館は?大入り満員だったに違いない。

 


我が愛しの映画館⑲昭和34年お正月

2020年11月23日 | レモン色の町

昭和34年1月3日の中日新聞が出てきた。

“雨で静かな元日”とある。雨に明けた元日の四日市地方は、人出でも余りなく近鉄四日市駅の乗降客も約4万人で平日の10%増。このため同市諏訪神社への初参り客も同日ざっと1万人という少なさで、お正月をあてこんで境内に店を出している約百軒の露店もとんだ雨の元日に空を仰いでうらめしそうだった。しかし市内の喫茶店、パチンコ店などはどこも大にぎわい。市内14の各映画館もつめかけたお客さんでいっぱい“満員御礼”の札の出る映画館もあり、ここだけはえびす顔。

2日は雨も上がって朝から人出が多く、諏訪神社でも同日だけでざっと5万人の参拝客でごった返した。一方近鉄四日市駅の乗降客もこの日10万人を数え、平日の約4倍という人の波。

諏訪駅東の踏切跡。昭和34年5月21日に撮られた辻さんの写真だ。この路地を南に抜けると、右側に諏訪東映があった。

さて、三重版下には、お正月映画の広告が大きく紙面を割いている。松竹・グランド・シネマ・日活・東映・三重劇・ぼたん・弥生館とここで紙面は切れているが、四日市劇場・ロマン座・東宝劇場と続いていたのだろう。富田や塩浜も載っていたかも知れない。正月興行はどの劇場も稼ぎ時だった。四日市東映の正月第1弾は、片岡千恵蔵・市川歌右衛門 顔合わせの“忠臣蔵”、第2弾は、市川歌右衛門の“旗本退屈男”と大友柳太郎の“丹下左膳”である。

昭和34年はどんな年だったのか?昭和33年4月には、売春防止法が発行され、港楽園や春告園などの赤線地帯が解消されている。アメリカソ連の人工衛星競争があったころである。翌34年3月になると市民ホールと国鉄四日市駅の起工式が行われ、4月になると御在所ロープ―ウェイが開通した。この年8月“商品まつり”と“七夕まつり”が合体して四日市港開港60周年祝賀“港まつり”が8月4日~8日にかけて開催された。そして、この年の9月26日の夜半、台風が東海地方を襲う。


市政施行60周年 四日市広報

2020年11月21日 | レモン色の町

書類の整理をしていたら、市政施行60周年を祝う「広報四日市」が出てきた。昭和32年9月24日の発刊である。当時は、近鉄四日市駅が出来て1年経った頃だ。

この広報誌に“商業”というコーナーがあったので紹介する。

四日市は“あきない”の町として出発し、発展してきたのである。港湾を基盤とした工業のすばらしい発展によって、最近は四日市のことを商都という人は少ない。工都としての四日市がはるかに有名だ。しかし商業が衰えたわけではない。あまりにも大きい工業という名の影に隠されたかっこうなのだ。

現在、本市の商業数は約三千六百、月間販売額は約十五億円、従業者数は約一万千人で、いずれも県下一である。

 業種別に見た商店数は、飲食料品小売業が一番多く千三百余、ついでその他の小売業、一般卸売業、織物、衣服、見回品の小売業、飲食店、家具、建具、什器の小売業その他となっている。

 本市中心商店街の形成を見ると戦前の繁華街中町通りは戦後すっかりさびれて、近鉄諏訪駅と国鉄の看板商店街となったが、昨秋 近鉄四日市駅の完成によって最近は同駅を中心に新しい商店街が出来つつある。さらにデパートの出現(四日市近鉄百貨店)も近いようだし、戦後急造のバラック商店もだんだん鉄筋の高層商店へと変わり、名実ともに県下一の商業都市になるのも間近いようだ。

整備途上の中央通り。正面に近鉄四日市駅と工業高校。市役所庁舎とロータリーを挟んで手前国鉄四日市駅前には、稲葉翁の銅像が立つ。諏訪駅西側の線路跡の広がりがよく分かる。

近鉄四日市駅の夜景と共に“交通”の項目があった。

近鉄ストア内の様子が想像できる。左が改札口で手前中央に階段ががあった。エスカレーターはその横だったか?ホームとの並びだったので、スワ百貨店と比べると天井は高かった。改札口を出て左へ向かうと近鉄ストアの食品売り場へ入った。

まず鉄道の歴史をみると明治29年に四日市―草津間に関西鉄道(現国鉄関西線)が開通したのを最初に、同32年には名古屋―湊町間が開通、同43年に三重軌道(現三重交通)大正11年に伊勢電鉄(現近鉄)昭和6年に三岐鉄道がそれぞれ開通し、現在の交通網がほぼ構成された。

 さらに昭和31年9月には市の中心街を通っていた近鉄路線が海山道―川原町間でショート・カットされ、近代的な近鉄四日市駅も完成して、本市70㍍メインストリートの西正面に威容を誇っているが、国鉄四日市駅でも近鉄駅に相対する東正面に移転新築の計画を進めている。貨物輸送面では工業生産の増大に備えるため貨物操作場の設置と列車の増強、路線の複線化が強く要望されている。

 道路面ではわが国最大の動脈である国道1号線、及び同23号線が縦断しているが、1号線はすでに限度以上の車両が通るため、その緩和策として名刺国道の建設が計画されている。これは四日市―名古屋間約40キロに百億円を超える工費で近代的な道路を作ろうというもいのである。


四日市市長選!

2020年11月19日 | おいらの商店街

市長選が始まる。このままだと対抗馬は出ないので、立候補者届け出が終わり次第 森市長の再選となる。

さて、スターアイランド跡地の取り壊しは進んでいる。三分の二くらい撤去されているのか?駅前に出来た巨大な空き地を、中心市街地のためにも早く再建してほしいものでゴザイマス。玄関口を立派にしていただかないと、中心市街地の魅力は考えられない。

本日の中日新聞より

 


我が愛しの映画館⑰ターザン

2020年11月09日 | レモン色の町

三重劇場で次々と上映されたジョニー・ワイズミューラーの『ターザン』シリーズは、あの叫び声は、よく学校で真似をしました。GoTo商店街で『ターザン』の張りぼてを雄たけびと共にビュンビュン飛ばそうと思っていたのですが、ジェーンのエロ姿に「ちょっと無理だわ」と思ってしまった。

第2作「ターザンの復讐」が封切られたのは昭和9年。原題は「ターザン&メイト」。復讐というお題は子供向け、「ターザンとジェーン」の愛の物語かな?と思います。

朝、二人で泳ぐシーンは成人向けでゴザイマス。

ジェーン役の、モーリン・オサリヴァンの姿に、当時のおじさん方は大興奮したのでは?これではシリーズも続くはずですワ クー

 


GoTo商店街キン・ザ・ザ

2020年11月08日 | おいらの商店街

『不思議惑星キン・ザ・ザ』という奇妙なSF映画を観た。ソビエトの映画で1968年公開の作品であります。これはGoTo商店街「コロナ退散編」で活用できると確信いたしましたが、さて、やれる自信があるかどうか?

街かどで宇宙人と出会う

1980年代、モスクワの街かどでマシコフおじさんと、学生のゲデヴァンは、浮浪者風の男を見かけ、彼の持つテレポートでキン・ザ・ザ星雲の砂の惑星プリュクに飛ばされてしまう。

砂漠の惑星プリュクに宇宙船が飛来

中から出てきたパッツ人(左)とチャルト人

表参道スワマエにも出没

これが奇妙な星で、支配者のチャトル人と被支配者のパッツ人が居て、話し言葉は「キュー(罵倒語)」と「クー(それ以外)」だけ。

ここでは地球のマッチ棒の頭の化学物質が非常に高価なものでカッツと呼ばれる通貨になっている。まぁよくもこんな突飛なことが考えられたものだとあきれる。

鼻に鈴を付けたり、関取のようなポーズをするのがパッツ人の服従の印だそうで、

チャルト人

来訪者に儀礼の仕方を教える クー

これは動画のネタになります。出演者全員の妖怪が鼻に鈴をつける・・・って 付けてくれるかい?

服従の印をつけたパッツ人 クー

とにかく全国に妖怪が出没して「コロナ退散!」を念じると、スケールの大きい面白いものが出来そうだが・・・誰が鼻に鈴を垂らして 土俵入りをするかい?クー