花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

映画「秋刀魚の味」

2006年05月30日 | 諏訪商店街振興組合のこと

小津安二郎の「秋刀魚の味」がDVDになっている。この映画は何度も繰り返して観ている。昭和37年の芸術祭参加作品だ。
津は明治36年東京の深川に生まれ、大正2年松坂に移転、宇治山田中学校を卒業した後、飯南郡で小学校の代用教員を勤めている。三重県に縁のある監督だ。
頃の娘(岩下志麻)を持つ父親(笠 智衆)が、老いた恩師(東野栄治郎)と嫁ぎそこなった娘(杉村春子)の生活状態をみて、娘を嫁に出す決心をするというお話だ。日常の生活が、時には小さな波乱があったりして、ほほえましいユーモアを交えながら淡々と流れていく。
和37年当時の情景を見るのも楽しい。銀座のビルに立つ、森永ミルクキャラメルのネオンサイン。少し郊外に出ると、そこには荒地が残る。トリスバーの前には、バヤリースオレンジの木箱が置いてある。工場の煙突と機械の音が住民の生活と同居している。戦後、ようやく落ち着きを見せ始めた頃の風景だ。
男(佐田啓二)と嫁(岡田茉莉子)は近くのアパートに住む。2DKの小さな住まいだが、当時は憧れの住宅だった。隣へ物を借りに行った岡田茉莉子は、置いてある掃除機を見て、使い心地を尋ねる。テレビ・冷蔵庫・掃除機が三種の神器と言われていた。
VDになって、画像が見違えるほどきれいななった。居間の茶箪笥には明治屋のジュースと味の素が見受けられる。東野栄治郎の営む小さなラーメン屋の机にも、味の素の空き缶が箸立てになっていた。味の素はよく使われていた。オイラが小さい頃、ご飯に胡麻と塩をかけて食べようとして、間違って味の素をかけて震え上がったことがある。
リスバーのある路地にはバヤリースオレンジの空き箱が目に付く。カウンターのあるバーでは、トリスウイスキーをストレートで小さなグラスに入れて、豆をほおばりながらグイッと飲んだ。
子を出して佐田啓二が柱時計のネジを巻くシーンがある。ついこないだまで時計はネジを巻かなくては動かなかった。
がいよいよ嫁ぐ当日。父親に挨拶をして家を出る岩下志麻。そして画面は式の終わった夜に飛ぶ。結婚式の様子はここには出てこない。
の居た二階の部屋と、寂しさを噛みしめるかのような父親の後姿を、少し離れたところから撮ってこの映画は終わる。
楽もいい。この作品が小津の遺作となった。何度観てもいい映画だ。
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新理事長決定する

2006年05月24日 | 諏訪商店街振興組合のこと
昨夜、四日市諏訪商店街振興組合の緊急理事会が行なわれました。
総会での理事長の退任を受けて、早急に新役員を決めなくてはなりませんでした。
新理事長に、北川正彦氏。副理事長に吉田周夫氏と外羽 勇氏。専務理事に高尾明宏氏と決定いたしました。
北川新理事長は、スワセントラルパーキングの売上を伸ばすには、商店街の活性化が不可欠であることを力説。街づくり会社としての活動方針を打ち出しました。駐車場経営だけにとどまらない、新しい組合活動が始まります。
オイラもやる気が湧いてきました。きっと、対外的にも注目される組合になるでしょう。
ご期待下さい
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映画「ダビンチ・コード」

2006年05月23日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
「ダビンチ・コード」を観てきました。話題の映画ということで席は満席になっていました。世界各地で上映反対の声が上がっているようですが、かえって関心を高める結果に繋がったようです。前宣伝の勝利というところでしょうか。
日前、テレビで「最後の晩餐」と「モナリザ」に秘められた謎解きを特集していましたので、ある程度の前知識はありましたが、テンポが速く、内容を理解するのに苦労しました。字幕は読まなければならないわ、映像は見たいわで、結構眠る暇もなく充実した時間をすごすことが出来ました。
後の晩餐」に秘められた「聖杯」とは何か?キリストの横に座る女性?とキリストとの関係は?と謎を解くにつれて人間的なキリスト像が浮かび上がります。いろいろとの反感を買っているようですが、かえってキリストに親しみが湧いていいのじゃないでしょうか。お釈迦様も人間でした。私たちと同じように悩み苦しんだ一人の人間だったはずです。
ナリザ」に込められたメッセージは?と期待していたのですが、そのあたりはさらっと流しています。むしろ、暗躍する教団を不気味に描いています。宗教と権力と金は絡み合って歩み続けた歴史があります。十字軍は聖地を目指しながらも、実は財宝目当てだったと言っていますが、それは映画の中のフィクションとして楽しめば良いのではないでしょうか。
ーブル博物館館長の殺人事件に端を発した推理ドラマ。そのドラマを盛り上げるためにレオナルド・ダビンチやキリストや十字軍など実在の人物を登場させてもっともらしく作ったのです。最後に感動シーンがありますが、館長の孫娘の正体にはいかにもフィクションらしく、そんなバカなと笑わせてくれます。
かし「そうか、これが真実なんだ」と思わせるあたりは憎いばかりです。
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総会顛末記のつづき

2006年05月20日 | 諏訪商店街振興組合のこと
昨日行なわれた四日市諏訪商店街振興組合総会顛末の続きです。
年度は、役員改選の年に当たっていました。決算報告や予算案などの審議の後に、役員改選が行なわれました。選ばれた選任委員が別室(といっても部屋の外でしたが)で5分ほど審議して早速、新役員の発表に移りました。
ワイトボードに役員名が書かれていきます。それで審議は終了でしたので、ばたばたと総会を終えた感になりました。
片付けをしながら、次回の役員会開催日の相談になりました。そのとき初めて気が付いたのですが、理事長の名前がなかったというのです。「エーッ!聞いてなかったに」寝耳に水とはこのことです。理事長が辞められたのでした。早速、次の理事会で新理事長を決めなくてはなりません。
もある役員さんと話していたのですが、このところ、組合活動が駐車場経営に終始して、商店街の活性化に焦点が合ってないような気がしていました。
して、一部の会員さんからは、理事会が会員を無視した密室会議のように受け止められているようです。
回、理事長が辞めるというハプニングはありましたが、考え方を変えれば、この騒動はひとつの転機となります。当振興組合は、店の売上を伸ばすために駐車場を造った、そこから始まったはずです。初心に帰って考え直す良いチャンスかもしれません。
スベスト問題(現在の検査結果では含有率が規定範囲内で安全ですが)、耐震補強の問題、そして何よりも、商店街の地盤沈下と難問山積です。けれど、新役員一丸となり、会員の皆さんと協力しながら、新しい一歩が踏み出せそうです。
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落語的笑いのすすめ

2006年05月19日 | 諏訪商店街振興組合のこと
桂 文珍さんが慶應義塾大学で講義をしています。そのときの講義録が本になっていました。「落語的笑いのすすめ」新潮文庫
の中で、対立・摩擦・緊張というテーマでこんな話が載っていました。女子学生さんに面白そうな話を書いてくださいと宿題を出したところ、こんな答えが返ってきました。
さんが免許を取りました。早速、車が欲しい。お父さんにおねだりしたところが、金がないからダメだ、お父さんの車に乗れという。お父さんの車はダイハツの軽トラックです。何ぼなんでも、ピアスしておしゃれして乗るには恥ずかしい。けれど、運転したい気持ちは抑えられない。
こで娘さんは、夜にカジュアルウエアーに着替え、帽子を深くかぶって軽トラックに乗り込み、ゆっくりと車をスタートさせました。そうしたらお父さんが大慌てで追いかけてきます「あかんあかん、あかんあかん、だめだめ、だめだめっ」それでも娘さんは無視してゆっくり走らせていきました。夜の運転を満喫していました。
ばらく走ると、後ろから外車がやってきました。黒のベンツで横浜ナンバー。つまりあの筋の方とはっきり分かる車です。確実にあとをつけてきます。信号のところで止まると、その外車は、ぴったりと娘さんの軽トラックの横に止まりました。
ー、私が拉致でもされたらどうしよう。私の顔写真をメディアに流してくれるだろうか。かわいい顔なら良いけど、不細工な写真だったらどうしよう。などと、とんでもないことを考えたそうです。人間緊張のきわみになると、こんなことを考えて、自分を少しでも緊張から開放したいと思うのでしょうか。
ンチパーマの外車の人は、娘さんの車の窓をとんとんとたたきます。ドアはロックしてない、いまさらロックも出来ない。窓を2センチほど開けて、恐る恐る返事をしました。「な、なんです?」
嬢ちゃん、この車、うしろ、犬つながれてるよ」
さんは、それから犬を乗せて帰ったのでしょうか。そのまま猛スピードで戻ったのでしょうか。
日は、四日市諏訪振興組合の31回めの総会がありました。不本意ながら議長を勤めさせていただきました。
問に、閉店していく商店街が多い中、組合がイベントに対する助成金を出す必要がないなどと、とんでもないご意見が出ました。一生懸命営業を続けていこうとしているお店に対して、失礼な言葉です。このお年よりは、一体何を考えているのでしょうか。
すがに腹が立ちました。
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昭和30年代回顧譚(事件記者)

2006年05月13日 | レモン色の町

待望のテレビがようやく我が家の床の間に置かれたのは、皇太子御成婚の昭和34年ごろじゃなかったろうか。
刊のテレビ欄を姉と取り合いして、本日鑑賞予定の番組に丸印をうったりしたものだ。NHK、CBC、東海テレビ、あとから名古屋テレビが出来て、午後は放送がお休みだったりしたが、見たい番組はたくさんあった。
光仮面」(ど~この誰かは 知~らないけれど)はまもなく終了したが「少年ジェット」(ゆこ~おぅ てっけんよぉ~)「海底人ハヤブサ」(はちはちにぃさん 謎の人ぉ~)「まぼろし探偵」(まぼろしたんてぃ~)「七色仮面」(ななつのか~おの おじさんの ほんとの顔はどれでしょぅ~)「怪傑ハリマオ」(ハリマオ~ ハリマオ~ ぼくら~のハリマオ)そして「隠密剣士」とぼくらのヒーローが、凸レンズみたいな丸い白黒画面の中で暴れまくった。恐ろしいほどテーマ曲が出てくる。
くで見ると目が悪くなるぞとよく注意されたが、お構いなくかぶりつきで見た。頭が悪くなるとも言われた。おかげで大きくなった今、オイラは頭が悪くて近眼だ。
の頃始まっていた「ダイヤル110番」や「事件記者」は、大人の世界を見せ付けられる思いだった。朝刊の締め切りまでにあと何分といった緊張感あふれる世界を「事件記者」で知った。記者クラブには各新聞社の記者が詰めていて、時には協定を結んだり、スクープ記事を出し抜いたりする。永井智雄が電話の受話器を肩に挟んだままメモを取る姿がカッコを良く、よく真似をして受話器を落とした。
日のBS放送で知ったが、緊張するはずだ、なんと「事件記者」は生放送だった。推理作家の島田一男が原稿を書いている途中で、セットが作られていく。完成していない原稿を盗み見して想像で作る。並行して進めないと本番に間に合わないからだ。
番当日。緊急に作られた7つほどのセットの真ん中に3台のテレビカメラが置かれる。記者クラブ、公園、犯人のアジトなどのセットを太いケーブルをつけたカメラが絡みつかないように動かされた。台本も直前に渡されるものだから、覚え切れないと、堂々と台本を持ち出してメモを見るように読んだ俳優もいたという。
画が当たり前の現代から思うと、生放送は信じられない。演劇舞台の延長という感覚で放送されたのだろう。

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海老錠騒動記

2006年05月08日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

先日お客様から電話があった。半年前に買って頂いた神棚の海老錠が開けられないので何とかしてほしいということだった。
老錠とは江戸時代の錠前のことだ。現在では寺社や神殿に使われている。中がバネになっていて、耳かきに様な鍵を右側から差し入れ、中のバネをすぼめてそのまま左側へ押し出すと錠が開く。中の仕掛けであるバネが、海老のようにはじくところからこの名前がつけられた。
、えらそうに言っているが、実は開け方を忘れてしまった。鍵を差し込んでどうしても回したくなる。横で奥さんがわいわい騒ぐ。中の御霊が取り出せないのでどうしようとしゃべってくる。
明書きには、開け方が書いてなくて、お参りのときは前もって開けておけとある。無責任な説明書だ。パズルをやっているのではない。脂汗が流れる。中がどうなっているのかぶち壊して見てみたい。20分後、ようやく思い出して開けることができた。
倉院の錠も海老錠だ。中国からハイテク技術として伝わった。この頃から明治のはじめ頃まで約千年間、たいした進歩もしないで使われてきた。進化させる必要がなかったのだ。近年でこそ、盗難から守るためのいろいろなキーが作られてきているが、昔はそれほど物騒でもなかったということの証だ。今でも田舎では家の戸に鍵をかけていないところがある。
製の雨戸は、ほぞにさんを落とし込むことによって開かないようにした。「落とし猿」と呼ばれて、この四角いサンを猿というそうだ。落とし猿は中からかける錠、錠前は外からかける錠だ。
び心満載の江戸人は、海老錠にいろいろな細工を施した。魚やナスやカブトムシ、海老や蝉やトンボなどの形をした錠が残されている。大切な宝の箱に風流な錠前が施されていた。
う二度と、海老錠の開け方は忘れない。
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昭和30年代回顧譚(月光仮面の巻)

2006年05月03日 | レモン色の町
昭和33年2月24日、国産テレビ映画第一号作品として「月光仮面」が始まった。
時、オイラの家には当然テレビがなかった。ど~この誰かは知らないけれど、誰もがみ~んな知ってい~る の歌に誘われて、床屋の木戸くんちにあがりこむ。店のおくに2畳ほどの座敷があり、テレビが吊ってある。店からも座敷からでも鑑賞できるようになっていた。木戸君とオイラの特等席だ。
曜から土曜日までの午後6時から15分間が放送時間。薄暗い砂利道をホンダドリーム125ccにまたがった月光仮面が、砂埃を上げて時速30キロメートルの猛スピードで走りぬける。白いマントにマフラー、サングラスを掛けた月光仮面が現れると、僕らは無条件に興奮した。月光仮面のモッコリに興奮したわけではない。
東宝映画「スーパージャイアンツ」扮する宇津井健さんのマタグラもモッコリしていた。空を飛ぶとき邪魔なんじゃない?とか思ったり、あ~大人になるということはこういうことなんだと変に納得したりして。
ラスティックのコルトがかんしゃく玉を破裂させると、サタンの爪が姿をくらます。悪玉はその後エスカレートして、どくろ仮面や15メートルもある大怪獣マンモスコングと対決した。マンモスコングが出たときはどうやって戦うのか途方にくれた。
時、映画1本作るのに1000万円かかった頃、30分あたり50万円という超安値で作られた。今見てみると、狭い部屋で祝十郎の大瀬康一と五郎八の谷寛一がごちゃごちゃやっているだけで、いかにも安っぽい。なんと製作会社の社長室を使ったそうだ。
呂敷のマントと、駄菓子屋で手に入れたサングラスさえあれば、人差し指と親指を立てた二挺拳銃で月光仮面になれた。あちこちに残る、雑草の生えた空き地では月光仮面ごっこが繰り広げられた。
イスカレーの匂いが漂う夕暮れ時になると、僕は月光仮面の時間を思い出して、木戸君ちへ急いだ。月光仮面になりきり、高いところから飛び降りて怪我をする子供が出たため、昭和34年7月5日をもってテレビ放送は終了した。

第1部 どくろ仮面 2月24日~5月17日、月~土18時~18時10分全71回
第2部 パラダイ王国の秘宝 5月25日~10月12日、毎週日曜18時~18時30分全21回
第3部 マンモスコング 10月19日~11月30日、毎週日曜18時~18時30分 12月7日~12月28日、毎週日曜19時~19時30分全11回
第4部 幽霊塔の逆襲 1月4日~3月29日、毎週日曜19時~19時30分全13回
第5部 その復讐に手を出すな 4月5日~7月5日、毎週日曜19時~19時30分全14回
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