花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

講和記念大博覧会しおり⑤

2021年03月30日 | レモン色の町

昭和20年6月の空襲で、四日市の市街地は灰燼と化した。神社南にあった私の家も焼けた。家族を北山町の親戚に預け、祖父と父は店の土地を守るため残った。その夜、B29から降りしきる焼夷弾は、あたっただけでも即死で、屋根に突き刺さって燃えひろがった。空襲後の空撮では、店の位置は真っ黒になっている。

戦後復興が進み明るい日差しが見え始めた昭和27年3月、建設構想が進む近鉄四日市駅と国鉄四日市駅間を70メートル道路で結ぶ中心市街地計画が始まり、こけら落しに大博覧会を開催することとなった。誰の思いにも昭和11年の港を舞台に開かれた“国産振興大博覧会”を思い浮かべたに違いない。写真は、昭和31年の講和記念博覧会が終了して中央道路の整備が進む航空写真である。

上南・右近鉄四日市駅・左国鉄四日市駅

国道1号線に沿った南側に建つ“四日市館”は好評だった。地元特産品である食用油をはじめとする食品類・肥料類のほか、タオル、自転車、靴織物類、傘、下駄、スレート、石鹸などが陳列され好評であったといわれている。また、特設館のひとつに加えられた四日市祭りの人気者・大入道が会場で数回実演を行い観客を喜ばせた。入場数はおよそ80万人に達し、成功裏に幕を閉じ赤字どころか75万円の剰余金を出した。(四日市もっと知りたい検定・四日市商工会議所発行)

四日市館の外観と内部


講和記念大博覧会しおり④

2021年03月29日 | レモン色の町

各館の構成は・・・会場敷地三万坪に配置されました館の概況、施設の主なものは次の通りです。

農業原動機館(15時5分です)

講和記念館(40坪):講和後の日本が新しく進んでいく道を写真やジオラマ、パノラマなどでわかりやすく表現しご覧になればどなたにも希望と力が生まれます。

農機具振興館(1,125坪):我が国の農機具界で初めて見る大規模な本館は博覧会の主軸となり、全国から新鋭農機具を集めて展示する一方「動く農機具博」にふさわしい実演をいたします。

機械化農場(6,000坪):アメリカやデンマークにも優るこの会場ではトラクター、モーターカルチをはじめ各種の近代的農機具が総動員され皆様の手で自由に運転できます。

産業ホール(350坪):新日本産業の重要な部門をクローズアップしたのがこのホールです。内部は特殊な展示方法で飾り 素晴らしい美の殿堂を築きあげて居ります。

三重館(100坪):海の幸、山の幸に恵まれた三重物産の総展会で、即売も致します。

府県館(150坪):各府県が誇る特産品並びに参考品を網羅して社会科教育にも役立ちます。

大型車両館(200坪):国産各社が競うニュースタイルのモータープールです。

小型車両館(100坪):スピード時代の寵児、軽快な小型車両の駐車場です。

種苗館(30坪):改良品種によって増産を図るために、優秀な種苗を展示即売いたします。

家畜パラダイス(2000坪):大小家畜を沢山放ち 科学的な飼育や管理の方法と新しい有畜農業のあり方を楽しくお見せします。

農業参考館(100坪):本館は新しい農村経営と楽しい農村生活の道しるべです。

農業技術相談所(40坪:)農業技術の権威者が親切に相談に応じます。

審査室(30坪):昭和27年度の優秀な農機具を決定するために関係各省の審査官が常駐審査にあたります。

観光館(60坪):居ながらにして風光明媚な近畿、東海の名勝を満喫できます。

四日市パノラマ(50坪):港都四日市の伸びゆく姿をあらわす一大パノラマです。

新聞とラヂオホール(50坪):世界を結ぶ新聞とラジオの教室です。

特設館(200坪):協賛の会社や団体の特設館です。

野外ステージ(1000坪):椅子席2000人の青空劇場で全会期をうずめるヒットプログラムはきっと皆様のご満足をいただけると思います。

迎賓館(500坪):雨天の時は野外ステージの催物を本館で行います。

サーカス(600坪):東洋一を誇る大サーカスであります。

木下サーカス

子供の国(2000坪):お子さんのために作った楽しい夢の国です。そこには飛行塔やいろいろな乗り物、遊び道具が取り揃えてあります。

センターブリッジ(50米):第一会場と第二会場を結ぶこのセンターブリッジからは全会場が一目で見渡せます。


講和記念大博覧会しおり③

2021年03月28日 | レモン色の町

講和記念 全国農機具・新日本産業 大博覧会しおりより つづき

講和記念館

◇前売り入場券について

⑴発売価格:前売り券 80円(大サービス景品付き抽選券としかも特別サーカス券付で全館無料で観られるお得な前売り券です)

⑵発売総組数:10万枚を1組とする8組(C,D,E,F,D,H,I,J)

⑶抽選期日 場所:昭和27年4月1日 会場内野外ステージ

⑷景品引換期日:抽選の日から会期中

⑸景品引換場所:四日市市幸町 四日市博覧会事務局

大入道が四日市パノラマ前で実演中

景品内容:全線優待乗車証付三大電鉄株(近鉄・名鉄・三交)2000株(選択自由)4本 そのほか7万名に当たる豪華な景品です

講和記念館内部

◇会期中のアトラクション(無料)

芸能界の最高峰を行くこの一流揃い(パンフ制作現在決定分)・出演想定順

(歌謡曲)近江俊郎・渡辺はま子・奈良光枝・鶴田六郎・二葉あき子・東海林太郎・小唄勝太郎・淡谷のり子・赤坂小梅・津村謙・三條町子・(落語)柳亭可楽・(漫談)木下華声

(歌謡漫談)柳谷三亀松・(二十の扉)藤倉アナウンサー・柴田早苗・宮田重雄

四日市博専属楽団・東宝ダンシングチーム(会期中常設)

府県館内部 岐阜提灯や堺の刃物が展示されている


講和記念大博覧会しおり②

2021年03月27日 | レモン色の町

講和記念大博覧会 “趣意書”のつづきです

平和の像(現在は市民広場に移転しています)

従って本会は

平和の像前にて(関係者か?)

  • 食料の増産と農業の効率化、高度化を推進する一助として 農機具並びに資料を工業者の自主的参加により全国よりこれを集めて一堂に展示、実演し併せて政府当局の権威ある「昭和27年度最高審査」を実施し、農業機械化の促進と農機具の改良 並びに農機具工業振興に対する指針とするとともに 輸出の増強に資するため 遠く海外関係者に新生日本における農機具の実態を紹介すること。
  • 産業の発展を図るため 歴史と伝統的技術を誇る特殊産業並びに近代科学に立脚して 伸びゆく新興産業の成果を 中部日本はもとより全国的に蒐集し これを内外に紹介し もって品質の改良、生産の増強に役立たせ 併せて貿易の振興に資すること。
  • 本会の目的達成と国民文化の向上を図るため 各汎の参考資料を蒐集展示するほか、全会期に亘り 画期的な諸行事を行い 好ましい進歩的な社会生活のあらゆる断面を示すと共に 諸種の文化的娯楽施設を特設して 農村と都市を結び相互の理解を深め 有無相通じて明朗な平和的文化国家建設に資すること

この三点を大綱としているのであります。

市街へ繰り出した宣伝カー

開催地四日市市は伊勢湾に臨む中部日本に位置し近代都市として躍進途上にあり、またその港は近く特定重要港湾として指定を持ちつつある現状であります。総面積60平方キロメートルに及ぶ地域は 夙(つと)に工業化し 特に臨港地帯の近代化学工業は 我が国化学工業の先駆をなす構想を持ち しかも穀倉伊勢の平野を背後に控え 産業、経済、貿易、交通の要衝として限りなき発展を誇りつつあります。

万古館

本会は略称「四日市博」「四日市フェア」として工業港「四日市」を江湖に紹介する機会といたしたいのであります。ねがわくば本会の趣旨を賛せられ 所期の目的を達成し得るよう 深甚なるご協力と絶大なるご支援を寄せられんことを切望して已まない次第であります。

観光潜水館


講和記念大博覧会しおり①

2021年03月26日 | レモン色の町

講和記念(全日本農機具・中部日本産業)大博覧会は、昭和27年3月25日から4月23日にわたる約1か月間に開催された。会場は、未整備の中央道路(70メーター道路)。この事は昨年のブログに書いたが、中途で終わっているので続きを書かせていただきます。

2020年3月14日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

2020年3月15日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

2020年3月20日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

開催を控えて発行されたパンフレットには「趣意書」として下記のように紹介されていました。

『講和条約の調印も終わり平和な独立国家建設を目指し、併せて国際的地位の向上を期待する我が国の前途は、極めて洋々たるものがありますが、そこには苦難の幾山河が横たわっているのであります。

これを乗り越えてゆくには政治・経済・文化等あらゆる面において国民一致の自主性を基盤とするたくましい努力に俟たねばならないと信じます。殊に狭小な国土に八千万の人口を擁し、克つ年を追って増加の傾向をたどる現状より見て、先ず食糧の自給自足態勢を擁立すると共に、輸出産業の振興と円滑な貿易の進捗を図ることは焦眉の急務であります。この時にあたり講和の喜びを永久に記念する意味を含め自立経済の確立と文化国家建設を目途として来春3月(昭和27年)港都四日市市において「講和記念 全日本農機具 新日本産業 大博覧会」の開催を企画したのであります。つづく


四日市鉄道の変遷

2021年03月23日 | レモン色の町

安芸の宮島さんからコメントで教えていただきました。四日市鉄道の ややこしい変遷史をまとめさせていただきました。感謝!

大正 2年 6月 川島駅~湯の山駅開通

大正 2年 9月 川島駅~諏訪駅

大正 5年 3月 諏訪駅~国鉄四日市駅(四日市〜湯の山 全通)

大正10年11月 「菰野の軽便=蒸気機関車」から全線が電化

  • ここまでが“四日市鉄道”とよばれていました

昭和 6年 3月 三重鉄道(諏訪駅から伊勢八王子駅・内部駅)を合併

昭和 2年    諏訪駅~国鉄四日市廃止

昭和19年 2月 三重鉄道から三重交通に改称

昭和39年 1月 三重電気鉄道を設立 2月に鉄道部門を引継

昭和39年 3月 軌間拡幅・昇圧工事 竣工。名古屋線の電車との共通使用が可能となる

昭和40年 4月 三重電気鉄道は近鉄に合併

昭和39年の工事の様子

昭和39年 狭軌(762mm)~広軌(1,435mm)への軌間拡幅、昇圧工事(750V~1,500V)を竣工。

昭和40年の湯の山線 近鉄になったころか?パンタグラフが大きく、背伸びをしているようで可愛い(webページ 地方私鉄1960年代の回想より)


昭和28年 四日市新地図より③

2021年03月14日 | レモン色の町

望みは高し“水郷ベニス”このドブ川がいつの日か

昭和29年鈴木屋前

〇 銀行は七つ(東京銀行・東海銀行・百五銀行・三重銀行・大和銀行・第一銀行・日本勧業銀行)、商店街のところどころに新しい建物で威容を誇っているが、商店街を分断する点で困ったものだといっていた。郵便局は昔の兵舎のお古みたいなうらぶれた姿を道路に出っ張ってさらし、完全に商店街を二つに区切って建っている。市役所に通じる大通り(現:三滝通り)はまだ整備されていない。道の真ん中に約一間のドブ川が流れている。将来は三滝川の水を引きベニスのような水の都にするのだそうだ。このドブ川の上に映画の看板がいっぱいある。地所代が殆どいらないからだそうだ。何でも年に六百円だとか、セチがらい世の中だね。

西(諏訪神社前)から

東海銀行は現在の三菱UFJ銀行

右上の中部中学校は、中部西小学校の誤り

〇 諏訪新道は飲食店が少ない。客寄せの上からはミスだが、うまいやというのはヘノヘノモヘノの看板で宣伝に成功している。浅井というびっこのサンドイッチマンは浪花節狂。報酬なしで毎日エヘラエヘラとサンドイッチマンをやっている。同じ大衆食堂舞子屋のサンドイッチマンも問題で日本一の美人と張り紙をして歩き二人とも町の人気者になっている。鈴木屋、岡田屋に洋品店の大店羽田も古い店。キャノンは一階カメラ、二階はちょいと気のきいた喫茶店、三重交通のバスのりばの裏には松坂競輪の場外車券売り場がある。ヨシズの下にピケ帽などかむった大勢の若い男がごろごろしている。松坂からはレースのたびに放送する。「イチバン」の「イ」にアクセントをおいた伊勢言葉である。(文・川太郎、え・ワシズ泉夫)


昭和28年 四日市新地図より②

2021年03月13日 | レモン色の町

アプレ建築、揺さぶって ガーガー廣告放送塔 はためく幟がまた古風

1号線側から東方向を見る・右角に三重交通のバス乗り場がある

〇 近鉄四日市駅(国鉄四日市駅?)と諏訪駅を結ぶ道が諏訪新道と呼ばれる商店街。諏訪駅付近は連鎖街と称し、ノミヤ、喫茶店があつまった町。その西には特飲街(港楽園と春告園)の赤線が二つ。西へ行くに従って閉店は遅くなり男が多くなる。こんなに整然と二つに仕切られた盛り場はちょっと珍しいが、客を分散させる点からいうとちょっとまずい。

日活映画「電光石火の男」昭和35年5月14日公開 より(右に東海銀行が建つ)

〇 諏訪新道にはアーチがやたらに多い。先年の四日市博(昭和27年の講和記念博覧会)でおぼえたのだろうか、もちろんアーチは広告をかねている。看板も多い、大売り出しでもないのに、その旗をパタパタさせてある。店は新しく清潔だが、このドロくさいデコレーションがその清潔さを汚すと共に庶民的な盛り場の雰囲気をかもし出している。街灯放送の塔(広告塔)もいたるところにあって、物憂い夏の午後の空気をかき回している。南側にはズラリ百軒以上にもなろうと思われるセンイ品の露天商。おおむねアッパッパや子供服などの格安品。近在の農家のおかみさんからの需要が多いとか。店を出しているのは一宮、津島あたりの人が大半で、これあるがために人寄せにもなる点から、地元商店街では痛しかゆしの存在。道路に出す日よけは立派である。鉄骨ガラス張りのは南側、木製ヨシズ張は北側、故に客の割合は南七、北三と対照的。またそれ故に北と南は発展会を別にし(以前は四つの発展会に分かれていた)、お互いの仲は宜しくないということになるそうだ。(つづく)

昭和35年7月8日の豪雨。東海銀行前のごみ箱の横に広告塔が立つ(撮影:辻 俊文氏)


昭和28年 四日市新地図より①

2021年03月12日 | レモン色の町

昭和28年7月12日発行の“名古屋タイムス”に、「四日市新地図」と題して、当時の四日市が紹介されている。(再掲載)

四日市は夏場の景気がいいそうだ。富田方面への海水浴客がドット旧市内にも入って金を落としていくからだ。機敏な四日市商人はソロバンをはじいて用意おさおさ怠りないところだろうが、さてその四日市ってどんな街なんだ、と聞かれても返答に困る。中心は諏訪新道から諏訪神社前の諏訪連鎖街と呼ばれる一角だが、なにも特色がない。ただどこでもある大都市の盛り場をちょっとチャチにしただけのものである。お定まりのガラスと蛍光灯のいやにピカピカした感じは東京でも大阪でも名古屋でも四日市でも全く同じでどこかで買ってきた既製品の街という感じだ。明治以来の日本人の犯してきた誤りだが、特に戦後出来た町はこの傾向が強い。四日市も昔は中町通りというのが多少はにおいをもっていたが、全部焼けてしまった。この諏訪新道と諏訪連鎖街はまったくの焼け野が原にたてた町だという。つまりまだ子供の町である。この子供はどこをみてもどこかで見た様なという感じがする。(つづく)