花の四日市スワマエ商店街

四日市諏訪商店街振興組合専務理事の横道ブログ

遊女の江戸

2023-04-30 | レモン色の町

奉行所の役人某は、盗人を吟味取り調べるが、その男、悪い人間でもなさそうに見えた。初犯でもあったので、二度と強盗をするでないと言い含ませ放免にした。

下山 弘著“遊女の江戸”より 閑田次筆『日本随筆大成』引用資料

ところがその男、再び強盗の罪で捕獲された。約束だからやむを得ない、その男を書類送検とした。ところが上役から戻ってきた書類には罰の所にチェックが入っておらず無罪の通達が来た。役人はその男を呼び出し尋問した。

「お前には何か陰徳(隠れた善行)でもあるのではないか?」

「いいえ とんでもございません。しいて言えば病人が朝鮮ニンジンを欲しがっており、高価なので買えないと言いますもので ヘイ、盗んだ金をくれてやったことがございます。」

「それほどのことで無罪となるはずがない」となおも糺すと・・・

「かれこれ5~6年前のことになりますか」と渋々話し始めた。

「あっしが、両国橋のところまで来ますてぇと、橋の上に袖を重そうなもので膨らませた男がぼーっと立っている。こいつはしめたと思い、持っていた小刀で切り裂くと小石がバラバラと落ちた。『なんでまた命を粗末にするようなことをするんだ』と聞いてみると、『私は村の庄屋です。親しい者が年貢を払えず、何とかしてやろうと、一人娘を遊女に売り、受け取った16両というお金を持って帰ろうとしたところ、あなたのような泥棒に遭ってしまいました。これでは帰るに帰れないと、橋の上で身を投げようとしていたところです』『早まっちゃいけねぇ。ここに15両ある。なあに1両足りねえが、あんたが何とか出来るだろう。さ、これをもってそいつんとこへ行くんだなぁ』『人さまから盗み取ったお金を頂戴できません』『これは、どこの誰だか分からねえ金だ、この金で、一人の命が助かるんだ、さあ、さっさと持っていきねえェ』と無理やり押し付けたんです」

話の腰を折るようですが、これって 落語の“文七元結(ぶんしちもっとい)”の話そのものではありませんか?

役人はその話に違いないと合点がいった。盗人稼業が身に付いた者が正業に就くのは難しい。そこで気付いた。「ここから6里程離れたところに知り合いの百姓が居る。今から旅に出て、そこで仕事を手伝え。手紙を書いてやる」

男は喜んで、急遽、旅支度で出かけた。あと2里ほどで到着という処で日が暮れてきた。見ると1軒の立派な農家がある。道を尋ねたところ、農家の主人は、暗くなるから泊まっていけという。有難く男は泊まることにした。

夜、男が寝ていると、枕もとを家の主人が歩き、石の五輪塔のようなものにお参りしている。翌朝何をしていたのか尋ねると・・・

『以前、お金を取られてしまい、両国橋で死のうと思っていたら、一人の盗人に助けられました。お礼を言うにも、何処の誰か分からず、こうしてお参りしていたのです』『それじゃァあの時の・・・』ということで主人は座を直し、お礼を申し述べました。『ちょうど娘の年季奉公が明けて、帰ってきております。娘の婿になりここに住んでもらえませんか?』身寄りのない男にとっては渡りに船。こうしてめでたく、祝言の席が設けられました。とさ

遊女の話は少し出てくるのみでゴザイマス 日本随筆大成か落語の文七元結か?話のもとは さてどちらか? おわり

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大橋屋敷跡

2023-04-28 | レモン色の町

プロローグ ことの始まりのブログは・・・

2023年4月18日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

イオン東員の方まで用事があったので、そこからいなべ市まで足を延ばした。市役所は新しく建てられていて、オープンでゆったりとしており、市の活気が伝わるような庁舎だった。

大橋屋敷 平安時代、第五十五代文徳天皇の皇子、惟喬(これたか)親王が都を追われ隠れ住んだ鈴鹿の山々。鞍掛峠は、使用した馬の鞍を掛けたことから名付けられた。藤原岳には、見晴しのよい山頂台地で休まれた「腰掛石」の伝説がある。

時は下り、天正年間、織田信長に対応した一向一揆は、長島の願正寺が中心戦場となり、それを指揮した唯願寺住職、大橋明覚は、信長勢の動向見渡せる藤原岳に館をかまえ、天狗岩から動静を本願寺に通報していた。明覚を助け、大橋屋敷と呼ばれる館を築いたのは、はるか昔、惟喬親王の供をした馬場一族であり、館も親王が休まれたと言い伝えられた「腰掛石」の傍らに造られた。戦いは終わり、屋敷は草木に埋もれてしまった。

近年の鹿による食害で、藤原岳山上の背の高さを越したクマザサがなくなり、屋敷跡が姿を現した。調査により2022年に大橋屋敷跡として埋蔵文化財包蔵地の登録がなされた。

(ハイクアップいなべ いなべ市観光協会発行より)

藤原岳山頂まで登る気力はなく、今回はパンフレットで勘弁していただくことにいたしましょう。そうしましょう そうしましょう

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市立図書館 移転で50周年

2023-04-25 | レモン色の町

久保田町にある図書館が、50周年を迎える。

駅前の新図書館構想も出来るには違いないが、持ち主の近鉄不動産との交渉が難航しているのでしょうか?近鉄側のお話しが、表面に出てこない。

2018年1月24日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

市会議員さんの選挙も重要で、演説会で現在の図書館は残されることを聞いた。そして、新たな機能を持つ都市型の図書館が駅前に出現するそうだ。熊澤一衛氏が寄贈した図書館が現在の堀木の火葬場跡に移築されて半世紀がたつ。図書館の職員さんの対応も良く、いろいろ企画を立てていただいている。耐震工事も終えて、残されることを聞いて良かったと思いました。

 

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絵かき遊び考 ②

2023-04-23 | レモン色の町

次は“タコ入道”。三重として掲載しております。

1.うなぎが三匹およいでて

2.石ころ三つころがって

3.雨がザンザカふってきて

4.小雨がしとしとふってきて

5.おっとたまげたタコ八べい

静岡ではこう歌ったそうです。

1.丸てん丸てん 三角てん

2.波に波に ふんわりと

3.雨がザーザーふってきた

4.せんたく物に 虫がつき

5.アッという間に タコ入道

“伝承遊び考 1.絵かき遊び考”を書かれた加古里子氏は、後記として次のように述べられています。

人間の子は、他の動物に比し「早産」とよばれるくらい、未熟未完成で出生する。したがって周囲の大人などによって、保護愛育されなければ、生命の維持が出来ない。しかし間もなく、数多くの経験と失敗を重ね、自分の好みや楽しみを増やしていく。そして家庭や地域の状況や、周囲の同輩や友人たち、さてはその時の自然や社会の動向の中で、遊びを知り、その楽しさに連れて心身を使い、考え、学び、鍛え、未知の経験と満足と疲労を得て、ここち良い睡眠により次の日を迎え、成長してゆく。

見方を変えれば“遊び”は、成長していった子どもたちの“排泄物”といってもよいだろう。“子供をよく知りたい”と思っていたわたくしにとって、この“排泄物”に接するのはこころよい愉悦、至福の時間であった。」

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伝説の一向宗 大橋館

2023-04-18 | レモン色の町

本日の中日新聞より“いなべ大橋屋敷跡”として、鈴鹿セブンマウンテンの北の端、藤原岳山頂にあった大橋屋敷跡のガイドマップ記事があった。信長天下統一に最後まで抵抗した一向宗の屋敷跡でアリマス。

藤原岳は若い頃登ったことがあり、山頂はなだらかな平地であったと記憶しています。藤原セメント工場が麓にあって、山の形状はどんどん変わっています。三岐鉄道が富田駅まで通っていて、セメントを運ぶために出来たのが始まりだった。ロマンです!

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絵描き遊び考 ①

2023-04-17 | レモン色の町

戦後の昔、“絵描き遊び”なるものを姉に教えてもらい、小学校でも得意になって友達に紹介したものです。次なる絵をご覧になったり、描かれたことがおありと存じます。

全国に波及しているコックさんの絵描き遊び。青森の内容が一番近くに感じられました。コックさん(青森)

京都のコックさんは少し違います

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ぶらり四日市 その二十七 采女城跡④

2023-04-15 | レモン色の町

GGシニアさんに 阿瀬知川の動画を作っていただきました。下手な解説でお楽しみください

(108) 「たけちゃんの四日市町歩き/第6回、阿瀬知川の源流を目指して」 - YouTube

後藤采女正(藤勝)亡き後、二人の後継者が判明しています。

長男 忠基は、織田信長に帰属して、天正12年(1584)対秀吉戦争において加賀井駿河守に加勢して、加賀井城に籠城して討ち死にしています。忠基の長男 武基は采女城に居住、その長男 武彦も信長に亡ぼされています。

平成21年の采女(右内部駅 左采女城跡)

そして、その後の後藤家の消息は判明しないままでしたが、昭和30年頃、一身田の高田本山にお世話係として勤めていた、貝家町の村木己之助氏は、雑談の席で『うちらの東の山に、昔 後藤采女守という殿様が居られてな、長い間住んで居られた城跡が今も残っている。真ん中に大きな井戸があってな、正月の朝、山へ行くとその井戸の中から馬のいななく声がするということじゃ。これは織田信長に攻め滅ぼされた時、お姫様がその馬に乗ってその井戸の中へ飛び込まれたという言い伝えがある。』と話すと、多気郡 明和町からきていた人が『後藤采女守の子孫が明和町に住んで居る』という話になり、後日、教育委員会の者が村木氏と明和町へ出かけ確認をしたということでした。現在、末裔の方は神戸小山町に 後藤家を名乗ってみえるそうです。戦乱の中、戦に巻き込まれた波乱の家系図が浮かび上がるようです。

 

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ぶらり四日市 その二十六 采女城跡③

2023-04-12 | レモン色の町

采女城落城時の有力な説に元亀三年(1572)とある。『日永郷土史』には、千奈美姫が井戸へ身を投げた様子が、やや物語風に書かれて残されている。

「采女城は内部城北山にあって、北山城とも言った。周囲に土塁や木作りの柵などを巡らし、中央に井戸も掘って水を得るようにした要害の陣地である。城主は藤采女正藤勝である。守る兵およそ500人。一方、攻める滝川一益の軍は、約6000という。一益は北方にある侍屋敷の方から進んで、その家に火を放ち、この時とばかり四方から攻め込んだ。城兵は上を下への大騒ぎとなり、或る者は善戦して倒れ、或る者は逃げた。

城主采女正は火中で割腹して果てた。10月17日頃か。奥方や姫や女どもは井戸に身を投じて亡くなったという。後世の人はこの古井戸から“夜な夜な女のすすり泣きが聞こえてくる”と語り伝えている」

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春の東海道まつり 2日目

2023-04-10 | おいらの商店街

8日、午後1時30分の出演前 まだ 会場に皆さんが多くみえず ジョイマンがクイズに出演していただいたとき・・・

そして9日は 順調に進行していただきました

よしもとさんも参加して 市民社会研究所のSDGsクイズ

四日市農芸高校ダンス部の皆さん 心から 楽しそうでした

よしもとのサイコロ人間さん 右はヌートバーだそうです

アンダーポイントさん テレビでヒットするまでには 長い道のりが必要です 好きな道で食べていくのは 大変なことです

全員でフィナーレ オレンジ田中さんはじめ 皆様本当にありがとうございました 事故もなく終了させていただきました

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春の東海道まつり

2023-04-08 | おいらの商店街

GGシニアさんが 商連向きとは別にアップしていただいた Youtubeまたこちらも面白い 否 自分たちが楽しんだ動画でした ぜひお楽しみを

(103) 「三重弁で喋る/じじいの面白トーク/昔懐かしい映画編」 - YouTube

今日は スワの街から 春の東海道まつり でした。

開催前の静寂

紅天さんのお笑いコント

つづいて商業高校さんのマンドリン演奏 このあたりから人出が怪しくなってまいりました

そして ジョイマンさん登場の午後1時30分になると 大勢の人で大変なことになってまいりました

無事終了 ありがとうございました 真ん中がオレンジ田中さん ジョイマンと後ろが紅天さんです

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