花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

小津監督“彼岸花”の浪花千栄子2

2021年04月29日 | レモン色の町

朝ドラの「おちよやん」が佳境を迎えている。私は 誰かさんが涙を流して観ている間、小津安二郎監督の「彼岸花」を思い出している。

出されたお茶を飲んで 待つ

「あんた 人間ドック どうしたの?」

「へえ奥さん それどんねん まあ聞いとくれやす えらい事どすわ

手ェと足とに電線つないで 電気通したり なんや知らん 青いインクみたいの ここへ注射して それがなぁ奥さん そのインキ注射しましたらなあ おしっこ青うなるんどっせ こわい こわい 

病院での出来事が お茶を飲むシーンとかぶる

それだけやおへんネ なんやこんなコップに 白いドロドロした壁土みたいの飲まされるんどっせ あじない あじない

で ほんまは あと三日居んならんどっけど もう出してもろてきました」

「じゃあ途中で出てきちゃったの?」

「へえ なんにも無理して 体の悪いとこあッちこッち 探してもらわんかてよろしいわ」

オマケ:明治44年の三重軌道と四日市鉄道の施設予定が赤で記されています


四日市駅東側の移り変わり

2021年04月28日 | レモン色の町

四日市駅東側の移り変わりをマップにしました。(おさらい デス)

明治44年

大正11年

昭和15年

昨日の、下総人さんのコメントにもありましたが、阿瀬知川南の“出屋敷”という言葉が不思議でした。江戸時代の単語です。昭和になると消えていました。

追記・昭和15年の地図で 四日市駅の“四”の字の下に“村山肥料店”とあります。多分、村山清八氏は宇治山田の出身で、諏訪公園に誓いの御柱と市民壇を建てた方です。市議会議員の時でした。多分!


四日市駅周辺を散歩

2021年04月27日 | レモン色の町

大正11年の四日市駅東

昭和15年の国鉄四日市駅東

11年に国際振興大博覧会が開催されたその後です 東の海の色を省略させていただきました

昭和43年の高砂町 バーとか旅館が目に付きます

国鉄四日市駅東 現在は住友電装(旧 東海電線)が建っています

真ん中を名四国道が通っています

上を流れるのが阿瀬知川 右上の空き地が港中学校でした

昭和31年頃の空撮

1.阿瀬知川河口 ここまで三重軌道は引かれていました その名残りでしょうか? 製材屋さんがあります

2. 港中学校跡 現在温水プールが建っています

 3.関西橋跡 右側は23号線で多くのトラックが通っています

4.関西堀に沿って四日市駅東口の方向へ 堀の跡が残ります

5.東口跡 日本通運さんがあります

 


関西橋南詰

2021年04月25日 | レモン色の町

四日市駅東に入り込んでいた関西堀(かんせいぼり)。現在の23号線(名四国道)のあたりに関西橋がかかっていました。橋の南詰に釣り道具屋さんがあったとコメントをいただきました。ありがとうございました。

関西橋

昭和43年のゼンリン地図からは釣り道具屋さんは見当たりませんでした。今は23号線になっていますが、その橋の下でゴカイが獲れたとは、古き良き昔であります。北詰の加藤モータースさんをお父さんがやっていた?という方が以前おみえになったことがありました。

 

 


稲葉三右衛門翁の碑

2021年04月23日 | レモン色の町

稲葉三右衛門翁の銅像は、今もJR四日市駅前から港を望む形で立っている。四日市祭りの冒頭に開かれる商品祭を前に、先ず稲葉翁に献花式が行われ、お祭りが始まる。

銅像の後ろに次の文章が刻まれていた。

四日市の先覚者 三右衛門翁は天保8年岐阜県高須町に生まれ のちに中納屋家の稲葉家をついだ 早くから四日市港の不備を憂い 明治6年その修築に着手し あらゆる苦難に耐え 巨大な私財を投じ 同17年遂にこれを完成して四日市港発展の礎を築いた 功により明治21年藍授褒章を賜わった

昭和2年翁の先見の明と不屈の精神をたたえ昌栄橋畔に銅像を建設したが太平洋戦争の為に供出された

今回この再建にあたり17万市民の絶大な協賛によって四日市駅頭に再び翁の偉容を仰ぐことができた

これは翁の遺徳によるとともに市民の喜びである

昭和31年11月文化の日 光城 書 ㊞

建設委員 伊藤伝七・浜田弥平・吉田勝太郎・九鬼紋七・山本三郎・市教育委員会 とつづく

昭和32年の週刊朝日から 整地されたばかりの中央通り 四日市駅もできていない通りの真ん中にぽつんと稲葉翁の像が立つ まず初めに銅像ができたようです

昭和32年3月17日撮影

※ 余談になりますが 左衛門は<ざえもん>と読みます。右衛門<うえもん>と読まずに<えもん>と読む。これは <うゑもん>と書いてゑの字を<ううぇもん>と発音するので 読みやすく省略された と、確か聞いた記憶があります。ほんまか?

 


旧港あたり②

2021年04月21日 | レモン色の町

先日書いた出口對石画の“港頭の夕陽”に稲葉三右衛門さんの碑が立っているとあった。

2021年4月14日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

碑のことは、あまり気付かなかった。お天気も良かったので出かけてみることとした。

裏に 明治36年6月建 とある

その横には、波止改築記念碑が立つ。

出来たばかりの四日市港(再掲載)四日市史(近代編)より

水谷百碩画“四日市十二景”より 明治初年高砂町遊郭

稲葉三右衛門による四日市港の修築によってできた稲場町と高砂町。そのうち高砂町には北町、南町の貸し座敷が支店を出すなどして、明治8年には遊郭ができました(一説には明治6年とも)。しかし9年の伊勢暴動で、この辺りは消失してしまいました。下の絵は賑わいを見せていた頃の高砂町遊郭を描いた数少ない絵となりました。(知られざる四日市の面影・四日市博物館刊より)

高砂町の賑わいと

今である

 


泗水十二景より 旧港あたり

2021年04月14日 | レモン色の町

四日市市立博物館発行(平成22年)の「知られざる四日市の面影 四日市十二景と泗水十二景」より

出口對石画“港頭の夕陽(こうとうのせきよう)”

夕日に映える旧港を描いています。高砂町の地先の防波堤の付け根に当たる四角い碑は「波止改築記念碑」(明治27年建立)。その右にある台座に乗った円柱状のものは「稲葉三右衛門君彰功碑」(明治37年建立)です。2階建ての建物は四日市税関支所と思われます。この建物は大正2年に四日市高等女学校の校舎として移築されていますので、それ以前の風景といえるでしょう。

現在

出口對石画“運河の細雨(うんがのさいう)”

雨が降りしきる納屋運河(開栄橋と相生橋に挟まれた)を描いています。画面左から稲場町、蓬莱橋、高砂町が描かれています。画面右手の橋は諏訪神社へ続く相生橋。運河にはたくさんの木造船が繋留され、慌ただしく船を動かす船頭の様子が描かれています。


新日本拝見 昭和32年の四日市港

2021年04月10日 | レモン色の町

前回掲載の週刊朝日から、戦後復興を続ける四日市港の空撮が掲載されていた。

近鉄四日市駅完成が昭和31年だから、この頃はまだ国鉄四日市駅の東と西の駅が残っていたのか?空襲で焼けていたのでは?駅前広場が見える。

こうしてみると、四日市駅東の関西堀と駅南の阿瀬知川から海伝いに旧港へ繋がっていたことがよくわかる。

前田憲司氏からお借りした「週刊朝日」の記事は“新日本拝見”で記載させていただいた。

2021年2月5日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp) 

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2021年2月9日のブログ記事一覧-花の四日市スワマ商店街 (goo.ne.jp)

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