花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

新シリーズ 昭和30年代クイズ ①

2022年10月31日 | レモン色の町

投稿が10月31日になっております。正しくは11月1日でゴザイマス。ああ、もう今年も終わりか・・・。

<巻頭 特別付録>

(78) 「隠密剣士」第二部 忍法甲賀衆より 第一話「忍法 変幻(めくらまし)」ノーカット版(約25分) - YouTube

昭和37年から始まった大瀬康一扮する“隠密剣士”。昭和40年1月3日放送されたその内容は?

“月光仮面”の宣弘社製作

第10部に入る“あやかし忍法帳”の新春第1部“白山流錣(しころ)甚五佐”は、忍法諸派流の忍者が、次々と(毎週一人づつ)秋草新太郎と対決するところが見どころ。

暮れから正月にかけて、江戸に原因不明の火災が発生し、その火はついに、江戸城三の丸迄延焼し遁平衛(牧冬吉)をはじめとする伊賀同心の面々は心を痛めた。伊賀組屋敷の一室で火事の話をしていた遁平衛と佐兵内(川副博敏)は、天井に人の気配を感じて別々に天井裏を探した。ところが佐兵内は天井裏で自らの刀で腹を刺して死んでいるのだった・・・。

右、牧 冬吉

ここで ◇隠密剣士クイズ

 大瀬康一が演じる『隠密剣士』は、公儀隠密・秋草新太郎と名乗っていたが、これは本名ではなかった。では、本当の名前は、どれでございましょうや!

A. 代々徳川将軍家に仕えた伊賀忍者の十代目 服部半蔵

B.11代将軍・徳川家斉(いえなり)の腹違いの兄、松平信千代

C.『海国兵談』を書いた学者・林子平の兄、林 太平

D.幕臣で探検家だった近藤重蔵の弟、近藤行蔵

回答は後日・・・。難度9860度?で こりゃ むつかしい

隠密剣士は、昭和39年 東映で二度映画化されている(隠密剣士 3月28日上映)(続 隠密剣士 8月1日上映)。藤 純子が出演しているとは オドロキ!モモノキ!


レモン色の町クイズ ⑳回記念の回答

2022年10月31日 | レモン色の町

昭和30年?のスワマエ通り

正解は表参道スワマエでした。

昭和43年のゼンリンマップ

昭和35年 四日市市の今昔 樹林舎刊より

昭和43年のゼンリンマップ

<昭和40年お正月のテレビ番組>

昭和40年1月3日 日曜日のテレビ番組は・・・?朝から長唄や連獅子の舞や新春対談などでお正月気分を盛り上げます。9時からは“怪傑ハリマオ”。お昼からは久松静児監督の“警察日記”がありました。会津の村で、森繁久彌が人情警察官に扮し、二木てるみの子役が涙を誘いました。

 

夜になると、恒例大瀬康一の“隠密剣士”と藤田まことの“てなもんや三度笠”。8時からNHKで緒形拳の“太閤記”が始まりました。そして“日曜劇場”“サンセット77”(セブティ セブン サンセット ストリップ♪と続く歌詞の“ストリップ???の大発見を自慢したものです)と続きます。この番組を見て米国にほれ込み、姉に「アメリカへ、美人を見に行きたい(はてさて、見学だけか?)」と云ったら「もっと勉強して留学しなされ!」といわれました。勉強は苦手でした。

深夜になるとトルストイ原作 ビビアンリー主演のイギリス映画(1948年作品)“アンナ・カレニナ”がありました。何故か“カレーニナ”と伸ばさない?

オッと!18時30分からは、手塚治虫の“新宝島”、21時にヒュー・オブライエン主演の“ワイアットアープ”とあって、盛りだくさんでゴザイマシタ。冬休みはまだまだ続きます。


レモン色の町クイズ ⑳

2022年10月30日 | レモン色の町

20周年(間違いです陳謝:20回)記念特別クイズ さて、ここは何処でしょう?アーケード建設途中ですから。昭和30年代以前です。どこでしょう?どこでしょう?

しまった!文字が読めるぅっ!

さて、昭和40年代元旦の中日新聞に掲載の2日のテレビ欄です

この日は土曜日。リチャード・キンブルの“逃亡者”です。捕まるな!捕まるな!とドキドキしながら観ましたワィ。

駅前の新四日市ホテル様の威容が見えてまいりました。工事中の火災を起こしながら もようやく完成間近!駅前を飾る都会型ホテルです。

昭和43年の昔のゼンリンマップより

思っていたより 客室が少ない???


レモン色の町クイズ ⑲のアンサーは!

2022年10月28日 | レモン色の町

当時は、諏訪中央商店街。現在のグリーンモール商店街です。

アーケードがなかった昭和35年頃の写真です。四日市市の今昔 樹林舎刊より

懲りずに昔のテレビ番組です。昭和40年1月元旦の朝刊(この日は夕刊も2日の朝刊もお休みです)より

昭和40年1月元旦です。大みそかの喧騒が嘘のように、町は深閑と静まり返っています。登校の必要がないのを確かめて起き、テレビのチャンネルを回すと、お正月らしく、琴の音色で舞踊が始まっています。おせち料理を食べた後は、こたつの上のみかんを食べながらテレビ観戦です。この日は金曜日。午後になると東西寄席中継、夜は、忍者部隊月光がありました。8時からは浪曲ドラマで“初夢かついで東海道”植木等や三木のり平らの豪華メンバーです。夜遅くには市川歌右衛門の“旗本退屈男 謎の幽霊船”です。これも見逃せませんでした。明日も、明後日もお正月です。


レモン色の町クイズ ⑲問題でゴザイマス!

2022年10月26日 | レモン色の町

昭和34年12月30日、晦日の様子です。この年の9月には伊勢湾台風が東海地方を襲いました。「今回の台風は、伊勢湾台風並みの威力があります」と放送されると、当時の惨状が思い出され「それは大変なことになる!」と震え上がります。それほど強い記憶を我々に残しました。その記憶を払しょくするかのように、人々はお正月の準備に奔走します。さてここは、どこでせう?

<特別付録> 昭和38年1月3日のテレビ番組です。少し歪んでしまいました。

「少年探偵団」「ㇻラミー牧場」「笑えば天国」「87分署」懐かしい番組です。「スター千一夜」には三船敏郎が出ています。


レモン色の町クイズ ⑱の答えは?

2022年10月25日 | レモン色の町

諏訪駅前にあった、マルモ物産でした。昭和34年5月21日にも、マルモ物産さんが撮られています(右の店舗)。諏訪駅はすでになく、翌年暮れにはスワマーケットの解体が始まります。この路地を南へ入り左に白揚書房さん前を通って抜けると、諏訪劇場前へ出ました。

<特別付録> 昭和38年元旦号に掲載された、1月2日のテレビ番組表です。

2時15分から“ベンケーシー フェスティバル”、2時45分からは、ジョン・フォード監督の“怒りの葡萄”、夜になると,”バット・マスターソン”、“ライフルマン”、そして“コンバット”、”シカゴ特捜隊M”、リチャード・ブーンの“バラディン”と米国ドラマ花盛りです。

お正月2日目も、お楽しみはテレビ鑑賞でした。


レモン色の町クイズ ⑱の問題

2022年10月23日 | レモン色の町

昭和33年2月23日の辻さんの写真です。

お店の前での立ち話。以前は、こういった風景がよく見られたものです。人と人との交わりが希薄になったせいか、あまり見られなくなりました。まちの魅力の一つでもあったのではないでしょうか?

さて、ここは何処のお店の前でしょう?

<特別付録> 昭和38年1月元旦のテレビ欄です。テレビの普及はかなり進んでおりました。白黒ですが・・・。

朝は、挨拶・対談・謡曲等が目立ちます。16時からは、市川團十郎の“勧進帳”です。よるは、鉄腕アトム・ジェスチャー・ヒット パレード・ドラマ「吾輩は猫である」・君の名は・深夜は川口松太郎作 池内淳子の「夜の蝶」をやっています。この日は一日テレビ三昧でした。昭和38年元旦の日のことでした。


レモン色の町クイズ ⑰の回答

2022年10月22日 | レモン色の町

昭和43年のゼンリン地図

中央道路(70m道路)の北側から南方向を撮った写真です。右に農協、左に水九印刷が建ちます。ご存じのように昭和32年(訂正:昭和31年)9月には中央道路の突き当りに近鉄四日市駅ができますが、、工事中の中央道路の様子です。

昭和30年5月、西向きに撮られた写真。工業高校が遠くに見え、右側を生徒さんがこちらに向かって歩いています。

同じ年、旧東海道から東向きにみたところです。1号線の向こうはすでに楠の木が植えられています。左に市役所とその手前には税務署が建ちます。1号線を走る車はまだまだ少ないです。ここを横断して浜田小学校へと通いました。北風が冷たかった。

<特別付録>昭和38年1月20日日曜日のテレビ番組表です。てなもんや三度笠、隠密剣士、ポパイ、サンセット77、ダイヤル110番と懐かしい番組が並びます。

新聞の保存状況から,NHKが半分しかコピーできませんでした。県の図書館では、マイクロフィル保存になっているそうです。一度出かけてみようかと思っております。


レモン色の町クイズ ⑯の答えです

2022年10月19日 | レモン色の町

昭和39年9月15日にオープンした、スワ百貨店の屋上ビアガーデンの様子です。

近鉄百貨店、オカダヤ、スワ百貨店、後にプラトンホテルと、あちこちの屋上にビアガーデンがありました。

左遠くに光るのは、商工会議所屋上に設置された“東芝”のネオン塔です。四日市公害が問題になっていたころで、空の煙が気になるところです。

“写真でみる日本生活図引”より“あきなう”

雇われて働きたいと思う者が、自ら立って雇われる市を“奉公市”あるいは“人市”といわれ、近年まで全国のあちこちで行われていたそうだ。これはまかり間違えば人身売買になりそうである。

若勢市の“若勢”は、若い衆の意味で、旧暦12月25日朝市の一角で行われた。昭和10年代には女も立ったといわれる。こちらを向いて座っている人々が和勢 ①②。恥ずかしいのか手拭いをかぶっている。気に入った若い衆が居ると手招きし契約米の希望を尋ね、折り合いがつくと酒を酌み交わす。契約書はなく酒で契約成立となる。契約は1年間、厳しい農家の労働だったが、雇われることで一人前とみなされるので、大きな農家の長男が“若勢”に出されることもあった。

① 若瀬近郊の農山村の次男三男が多かった。

⑦ 自分で作った蓑(みの)で、出来栄えが若い衆の評価になった。

⑧ 狩猟にかぶった鳥打帽

⑪ 自転車は裕福な農家が持っていた

山口県滝部の“奉公市”では、女性が嫁の資格として16歳ころから市に立った。こうしてみると、狭い世間である。成人になるための修養の場として市が利用されていたようだ。まずは、ひとあんしん。