花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

多賀大社に寄り道

2005年11月29日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
今日は仕事で昼から彦根へ走った。
306号線を、藤原から鞍掛け峠へ向かう。晩秋というより、初冬の景色だ。峠に差し掛かると時雨れてきた。まだまだ紅葉がきれいだ。天気がよければすばらしい景色だろう。
の峠を昔、近江商人は山越えして四日市のほうへ来たのだろうか。聞いてみたら、もうひとつ南の、永源寺の峠ではないかとおっしゃる。数年前、あの峠も超えたことがあった。どえらい細くて心細い道だった。峠では壁が造ってあり、乗用車でもぎりぎりの幅になっていた記憶がある。
根で少し長居をしてしまい、急いで帰路に着く。登りに差し掛かる手前に有名な多賀大社があるので、参拝に立ち寄った。
拝前に手を清める。まず右手でひしゃくを持ち、左手を洗う。右手に持ったひしゃくで右手を洗ってはいけない。なぜなら服がびしゃびしゃになるからだ。そんなことを考えていたら、前におじいさんが来て、親しそうに声をかける。にっこり笑ってハイハイと返事をしていたら、おじいさん急に声が大きくなって興奮しだした。
んじゃこれと思い、拝殿に向かおうとすると、近所のおばあさんがこちらを見ながら笑ってこう言う。「この人少しおかしいんですよ」
えっ!こんなお方にかまっていられるか。どこにでも名物爺さんはいるものとみえる。拝殿で深くお辞儀を済ませ、振り向くと、あのおじいさん、のこのことこちらへやってくる。社務所でお札を受けてさっさと神社を後にした。
賀大社は、伊邪那岐(いざなぎ)伊邪那美(いざなみ)の命が祭ってある。このご夫婦は、いっしょになって日本の国を創られた方々だ。古事記にも淡海の多賀にご鎮座と記載があるという。ずいぶん古いお宮である。
を見ると、ずいぶん薄暗くなってきた。さっきのおじいさんに又つかまらないうちに、急いで帰ることにした。今度はゆっくり来たいが、12月中旬には、この峠も通行止めになるそうだ。
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NHK大河ドラマ「義経」に感激

2005年11月28日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
昨日のNHK大河ドラマ「義経」観ました?安宅の関。最後のクライマックス。良かったです。泣きました。
経」は、あまり観てなかった。五条の橋で弁慶と落ち合うところと、後は壇ノ浦の合戦ぐらいしか観てない。予算の加減で、壇ノ浦に浮かぶ船はいかにもベニヤ細工だった。
待ちかね、安宅の関の場、というので今回はきちんとみせて頂いた。兄貴、頼朝からの討ってを逃れ、北陸道を平泉へ進む義経一行は、石川県安宅の関にさしかかる。苦しい道中にこんなセリフがあった。「あきらめぬことじゃ。さすれば道もありましょう」そうだ、何事もあきらめてはいけないのだ。あきらめてしまっちゃあ、おしまいよ。この言葉には、ぐっと勇気付けられる。
宅の関では、関守の富樫秦家が吟味にあたる。これが個性派俳優、石橋蓮司だ。石橋蓮司といえば金曜時代劇「慶次郎縁側日記」で佐七役をしている。ちょっとひねくれていて人が良い。いい役をしている。これでいっぺんに好きになった。吉次役の奥田瑛二や、辰吉の遠藤憲一もいい。この番組は味のある脇役をそろえている。
て、富樫秦家は、取調べのため義経一行の前に出る。酒の入った瓢箪を提げてほろ酔い気分だ。こんな公務員、昔なら居そうだ。持ち前のマスクでいかにも意地悪そうな顔をしている。立とうとする一行に、ちょっと待てと声をかける。やれ勧進帳がどうのこうのといちいち、いちゃもんをつける。この辺までは見事な悪役を演じている。
ころが、義経が弁慶にしこたま叩かれる場面になると、富樫氏の表情が変わる。じっと見つめる。唇が震える。「もういい、もういい、分かった」といわんばかりだ。この表情が良かった。オイラは石橋さんの演技に泣かされたのだ。取調べが終わって立ち去る一行を見送る富樫氏はつぶやく。「お気をつけて、義経殿」
かっていたのだ。義経と見抜いていたのだ。それでも許したのだ。良い演技だった。石橋蓮司さんは、このところ輝いている。
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新横浜ラーメン博物館 視察外伝

2005年11月26日 | 諏訪商店街振興組合のこと
先日の視察ついでに、新横浜ラーメン博物館も覗いた。
は中華街で五目ラーメンを食べた。またラーメンかあ、といささかうんざりだったがとにかく出掛けた。新横浜駅から徒歩10分ほどのところにあった。のっぺりしたなんでもないビル。しかし、薄暗い階段を降りるとそこは懐かしい昭和30年代の世界だった。
りあえず、おなかもすいてなかったので生ビールを一杯。ふと横を見るとかわいいおねえちゃんが店の前に立っていた。ごちゃごちゃ話しかけるうち、店内へ入ることになった。「熊本こむらさき」という店だ。500円の小さいラーメンにする。
味だが、にんにくの風味ととんこつダシが十分効いていた。うまい。見ると椅子が破れている。テーブルの角がすり減っている。オイラの店舗と変わらない。良くぞここまで古くしたものだ。店が狭いので休日、多くの客が押し寄せると何十分待ちになるそうだ。
かしい映画のポスターやゴミ箱などがある。おまわりさんがうろついていたのでギクッとしたら、いらっしゃいませいかがですか?と気の良いお言葉。従業員だから当たり前か。
ゾゴソ散策する。昭和の世界が徹底して配置されていた。湿っぽい穴倉は別世界だった。よし!絶対「三丁目の夕日」の映画は観るぞ、と心に誓った。
階へあがるとお土産コーナーがあった。下で聞いておいた自分だけのカップヌードルを買うことにする。ところが、おじさんのオイラにはいささか面倒だ。まずカップに賞味期限を書く。次に自分のカップに麺を入れてもらう、次に何味にするか聞かれる。次に、薬味は何にするか聞かれる。最後に真空パックしていただいたカップとビニール袋を渡された。
ップを袋に入れ、袋を膨らませ、紐を通して首に掛ければ出来上がり。四日市まで首に掛けて帰った。300円のカップヌードル。昨日チラシでは50円ぐらいで売っていた。自分だけのオリジナルだからしかたないか。孫にやった。まだ食べてはないらしい。
和レトロもブームになってかなりたつが、「三丁目の夕日」が爆発的大ヒットとなり、まだまだ健在だ。オイラの商店街は昭和レトロそのものを地でいっている。
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映画「ALWAYS三丁目の夕日」

2005年11月25日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
本日もおいらのブログを見ていただき、ありがとうございます。書くことがないと思っていても、読んでいただいている方がみえると、また勇気付けられて書く元気が出ます。利用させていただいているgooさまにも感謝しております。そして、今日はこれを書くためにブログを半年間続けてきたように感じています。
画「ALWAYS三丁目の夕日」。早く観たいと楽しみにしていました。ところが、おっかあも連れて行けと脅迫します。あんたが行くなら1700円、私も連れて行けば1000円で済むやないの。ということで結局2000円払わされてようやく観に行くことができました。夫婦どちらかが50歳を超えていれば一人1000円なのです。私は若いが、おっかあは年寄りなのです(ウソ)。
頭から泣けてきました。鈴木オートの店内を覗くと懐かしさで胸が一杯になるのです。書類を入れるこ引き出し。ありましたオイラの店にも。
日行った横浜ラーメン博物館。あの場末の映画館に入るような入り口。そして薄暗い階段を下りると、そこはまさに昭和30年代の世界でした。最初から、あの懐かしい世界にタイムスリップするような錯覚に陥ります。すべてに昭和が再現されています。
ポック社の野球板、フラフープ、高級万年筆、氷入れる冷蔵庫、空き地の土管、ダイハツミゼット、上野駅、紙飛行機、少年月刊誌の未来都市、ちゃぶ台、白黒テレビと、見るもの見るものに涙です。
かしさだけに終わるのなら、たいした作品ではないでしょう。けれど、昭和33年を知らない人でも、人情に触れ勇気付けられる、そんなすばらしい映画でございました。
ょっと、これミスキャストと違う?鈴木オートに就職してくる六さん。これって西岸良平の漫画「三丁目の夕日」では男やんか?駄菓子屋をしながら小説家を目指す茶川竜之助、これもっと年寄りやんか?鈴木オートの鈴木則文って、こんなに頑固と違うやんか?
も、許せるのです。それはちょうど芝居小屋の芝居を見ているような、役者が一生懸命、気持ちよく演技をしているような、だから観客も一丸となって声援しているような、そんな気分に浸れるのです。
岡秀隆さんは、渥美清さんを思いながら茶川竜之助を演じていたのではないでしょうか。危ういすれ違いの結果、小雪演じる元踊り子、石崎ヒロミに振られてしまいます。けれどあの美しい夕焼けを見ながら明日への希望に夢を託すのです。
んな貧しかった。貧しかったけれどみんなが助け合って生きていた。あの東京タワーが少しづつ立ち上がっていくように、戦後の時代を夢と希望に包まれて生きていた時代。テレビが持ち込まれると隣近所が集まり、息をこらえて、力道山に見入った時代。みんながひとつになれた、そんな時代でした。
焼けは今日の終わりではなくて、明日へつなぐ希望の架け橋です。50年前の夢は、今どんな形でかなえられたのだろうか?そして現在見る夕日は、50年後どんな形で繋げていきたいのか?映画「三丁目の夕日」は、単なる懐古趣味でなく生きる希望をくれる、そんな作品でした。
・メ・ス・ギ?  まあ、どうでもええか、昨日観てきたとこやもん。
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リュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ ややこし

2005年11月22日 | おいらの商店街
NHKのクローズアップ現代「若者をみつめて」で映画のことが取り上げられていた。カンヌ映画祭で賞を受けたベルギーのリュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ監督は、兄弟で映画作りをしている。
、ヨーロッパでは若者の失業率が高く、深刻な社会問題となっている。現にフランスでも暴動が起こっている。ダルデンヌ監督は就職にもありつけず、社会から孤立している若者を取り上げた映画を作っているのだ。
画「ロゼッタ」の主人公ロゼッタは貧しい生活を送っている。そして、長い失業時代を経てようやく食品工場に就職できる。職を得ることは、社会からも認められ職場で友人もできたと喜ぶ。そして自分の職を守りたいがために、ただひとりの友人(リケ)の不正を告発してしまう。テレビではなかったが、最後にロゼッタにリケが助けを求めて何度も名前を呼ぶシーンがあるらしい。これにより、ロゼッタは自分の存在に気づくというストーリーだ。
リュノは同棲している女性との間に子供ができる。彼はお金ほしさのあまり、自分の子供を売り飛ばしてしまうのだ。それを知った女性から激しい非難を浴びて、彼は苦悶する。
子のまなざし」という映画では、職人の父親が、息子に仕事を教えるシーンがある。ダルデンヌ監督はゆっくりと、噛み締めるように話す。教えるということは繋げていくことだ。次の世代に送ることを意味する。ところが今の大人はそれをしない。暇がないのか、面倒なのか、独占しておきたいのか。
ろんなことが当てはまると思う。自分の地位を失うことは、社会から見放されるような気がする。回りのものから引き立てられる心地よさからか、次世代の若者に譲ろうとしない。ご当地商店街でも同じようなことが言える。言えるけれども、ご当地では肝心の若者がいない。困ったことだ。とにかく、次世代へ送る努力を忘れてはならない。
後に監督は話していた。社会の底辺を見つめることは、良心を見つめることだと。底辺にいるオイラは、いやでも目に入る け ん ど。
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弘明寺商店街視察

2005年11月21日 | 諏訪商店街振興組合のこと

弘明寺(ぐみょうじ)かんのん通り商店街は、みなとみらいから南方、横浜市営地下鉄で25分ほど行ったところにある。丘陵の住宅地に囲まれた商店街だ。四日市商工会議所の田中克昌さんに紹介していただき、お話を聞く場を設けてもらった。
下鉄弘明寺駅と京浜弘明寺駅にはさまれた300mほどのりっぱなアーケードのある商店街で店舗数130軒。中央に大岡川をはさみ、突き当りには坂東第14番札所の弘明寺がある。戦後のヤミ市から発展してきた。まさにイベント攻勢。月に1~2回は催事を展開している。
わっている。総菜屋さん、酒屋さん、八百屋さんなどの最寄り品の店舗が目立つ。事務員さんに「賑わっていますねエ」といったら、今日はそうでもないらしい。オイラの商店街のイベント時並みの人通りだ。観光客よりも生活の一部として商店街を利用している人が圧倒的だ。
はりここにも時代の波が押し寄せ、大型のショッピングセンターができている(ユニー・イトーヨーカドー・富士スーパー)。そのつど、アーケードを改修したり、ポイントカードを発行したりして地元密着型の策を打ち出してきた。人情・下町・門前町をテーマに、商店街の復活をスローガンにあげている。
は、大岡川堤を利用した桜祭り、かんのんライブ、弘明寺観音花祭り、大岡川での鯉のぼり飾り、お楽しみ抽選会。夏は、縁日、七夕短冊飾り、浴衣で得する弘明寺、中元福引大売出し。秋は、七五三のお参り。冬は、門前町のクリスマス、篝火供養、弘明寺観音初護摩供、初春観音楽市楽座、弘明寺観音節分豆まき式、福引セールと、季節と門前町を活用すれば、イベントのアイデアはいくらでも出てきそうだ。
政からも、商店街でのイベント以来が年10回ほど入ってくる。パレードなどの行事は、ショッピングセンターでというわけにはいかない。街こそ格好のステージだ。もちろん商店街側でも精一杯のお手伝いはされるそうだ。イベントがこれだけあれば、来街者には、いつも何かやっている商店街と認識される。
成3年スタンプカードを導入したが、昨年から各店設置の端末機によるカード形式に変更した。105円で1ポイントの印字。500ポイントで満点の印が出る。満点ではじめて有効となる。満点カードは500円の商品券として使える。そこで、カードを使った2倍セールや大抽選会が月1~2回行われる。
盟店はそのつど事務所でポイントを購入し、ポイントカードを自店の端末機に入れる。組合では、カード売り上げの1%が預かり金。0.8%が運営費にまかなわれる。満点カードは後日、組合事務所で500円の現金と交換する仕組みだ。ご当地四日市では、シール形式のポイントカードで失敗した苦い経験がある。が、この方式なら、比較的安い経費で実行できそうな気がした。
工会議所さんのおかげで、親切に対応していただいた。帰り際に弘明寺商店街さんに視察に来ていただけるような街を目指しますといったら、視察に出かけてみえる間は大丈夫ですよ、と返事が返ってきた。
門前の身代り地蔵さんにお願いして帰路に着いた。おつかれさまでした
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横浜ブリーズベイホテルの大惨事

2005年11月20日 | 諏訪商店街振興組合のこと
11月17日(木)
18:15
桜木町から歩いてすぐのブリーズベイホテルから、みなとみらいのワールドポーターズ5階にあるフェスタガーデンに向かう。これだけカタカナの攻勢に合うと、何がなんだかわからなくなる。フェスタガーデンはオイラが事前に調べておいた食べ放題、飲み放題で3129円の店だ。
18:30
行ってみると、そこは単なるショッピングセンターにあるバイキング形式のファミリーレストランだった。大人のムードはなかった。お酒を注文しても、なかなか持ってきてくれない。到着したら折り返し注文、それの繰り返しだった。7人の落ち武者は家族連れを横目に、しょぼしょぼと飲み且つ食べた。
20:30
いったんホテルへ戻る。夜景を楽しみながら汽車道を歩く。大観覧車が休みなのかネオンがついてない。高尾専務はサウナへ行きたいという。外羽氏は良いところへ行こうという。オイラはカラオケへ行きたいという。皆さん意見がばらばらだ。
20:45
北川氏・外羽氏・三崎氏らと共に、ホテル裏手の歓楽街へ出かける。散々歩いた結果、焼き鳥屋に収まる。適当に焼き鳥を注文したらどっと来た。食べきれないのでパックに入れてもらい、ホテルへ戻り部屋でまた飲んだ。
部屋の冷蔵庫を見たら何も入ってない。廊下へ出るとエレベーターの横に自販機がある。500mlの缶ビールが250円、良心的価格だ。部屋と自販機を往復して重要会議は午前1時30分ごろまで続いた。
このときオイラはまだ知らなかった。この自販機にひどい目に合わされることを。
ここのホテルは1階ロビーから上まで吹き抜けになっており、エレベーターが上下していた。廊下が吹き抜けに沿って回遊できて、とても見晴らしがいい。


11月18日(金)
6:30に起きた。同室の外羽氏も目覚めた様子だ。シャツとパンツ姿だったが、すばやく部屋から滑り出て、廊下の自販機でビールを出し二人で飲んだ。朝の一杯はうまい。旅先での特権だ。
羽氏はオイラに断りを言ってトイレに入る。少し物足りなかったので、再び廊下へ飛び出し自販機の前でビールを出した。そのときいやな予感がした。確か、部屋のドアはカチッと音がして閉まったはずだ。
アのストッパーを忘れて出た。ということは、部屋に入れない。外羽氏はトイレへ入ったばかりだ。部屋のドアにすがり付いてそっとノックした。返事がない。たたいても叩いても応答がない。ドアの横にチャイムがあった。押したくった。
の頃、外羽氏はトイレの中でなぜオイラが出ないのか不思議がって、排便の快感にいそしんでいた。あたりまえだ。オイラが部屋の中と外に、二人もいるはずがないのだから。
ばらくオイラは、シャツとパンツ姿で缶ビールを持って廊下をうろうろしていた。その時間の長かったこと。外羽氏がドアを開けたら、この失敗を笑いあおうと思っていたが、すでに笑顔も消えてしまっていた。エレベーターが降りてきたら、身を潜める場所も確認しておいた。
うやくドアの、そのまたドアの向こうでかすかなうめき声に似た返事があった。「ちょ、ちょっとまって」それは、神の声に聞こえた。
の事件は忘れようと思った。そして、視察旅行はつづく。今日もいい天気だ。
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アマノ株式会社探訪 振興組合視察旅行

2005年11月19日 | 諏訪商店街振興組合のこと

7:29
走る。オイラが集合場所を近鉄北口にしたのが間違いだった。階段を上がればすぐ南口なのに、ぐるっと回って走った。すでに皆さんお揃いだった。39分発で名古屋へ向かう。ところが朝起きた事故のため、到着時刻が遅れているらしい。信号待ちで、名古屋駅のすぐ手前でまた止まってしまった。
8:22
走る。出発時刻まであと5分。連絡通路を人を掻き分けて走る。JRツアーズの”ぷらっとこだま”だと、格安で行けることを森さんから聞き、これを利用した。間に合った。到着中のこだまに飛び込む。一息ついて、少しビールをいただく。朝も早くから走ってばかりだ。
11:03
新横浜到着。JR横浜線に乗り換え一駅で菊名着。今回の四日市諏訪商店街振興組合視察旅行の目的のひとつに、駐車場無人化のための設備を見学することだ。理事長欠席のため総勢7名の役員で出かけた。菊名の駅には、アマノ㈱の柳生さんが迎えにきてくれていた。
11:30
アマノ本社で、記念館を見学。さまざまなタイムカードが展示してあった。初代社長は鈴鹿市石薬師の生まれだそうな。同行の石薬師出の北川氏とは大違いだ。本人曰く「ほっといてくれ」。
明治の終わり、創設者天野氏は石薬師から歩いて津の学校へ通ったという。北川氏再び曰く「歩いて津まで通った?2時間以上はかかる。それはないやろ」北川氏の一言で創設者の伝説が崩れそうだ。
13:00
本社から少し歩いたところの、お客様サポートセンターを見学。ここでは、全国の無人駐車場でトラブルが起きた場合、自動精算機横に取り付けられたインターホンとカメラで、お客様と直接話をして解決にあたる。現在、マイクを着けた若い女性が3名パソコンに向かっている。10坪ほどの意外に狭いところだ。1日600件の問い合わせが入り、マニュアルを見ながら対応する。問い合わせは夜が多く、酒に酔った客のかなり乱暴な質問もあるそうだ。女の子は、2時間交代。ストレスの多い仕事だ。ホステスとどちらが楽か?
16:30
列車で移動しながら、横浜市内の無人駐車場を3箇所ほど見て回ったあと、再び本社へ。簡単な質疑応答の時間を取ってもらった。森氏曰く、スワセントラルパーキング周辺にもコインパーキングができて、利用者は精算機利用に慣れてきている。経営合理化のためにも無人化は是非必要だろう。
17:00
菊名からJR横浜線で桜木町のホテルへ。直通がないため、通勤帰りの人に駅のホームで聞きたくった。大きな声の関西弁でまくし立てる。旅なれた森、三崎両氏のおかげで無事ブリーズベイホテルに到着。この名前は何度聞いても覚えられない。パンフレットを見直す。さあ、夜のみなとみらいへ出陣だ。
つづく
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トイレ進化論 なんちゃって

2005年11月16日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
トイレで週刊文春を読んでいたら、音楽機能までついた便座トイレが発売された旨の記事が載っていた。
イレで本を読む人は多いが、で始まっている。そう、おいらもトイレで読んでいる。週刊誌をみているのか、排便しているのかわからない。
発売の、TOTOのウオシュレット アプリコットN5Aは、音楽機能がついたとある。別のリモコン部分にSDカードを差し込むとステレオサウンドが楽しめる趣向。ケツをふりふり排便ということになる。そのうち、便所から大きな叫び声が聞こえてくるので、何だと思って覗いてみると、トイレがカラオケボックスに変身ということになりかねない。
分でプレーヤーを持ち込んで聞けばいいので、ずいぶん贅沢だと思ったら、ほかにもハイテク機能が満載。決まった時間にトイレを暖める機能、フタの全自動開閉器、大小を自動判別して洗浄する機能と盛りだくさんだ。便座もどんどん進化している。ちなみに、お値段は17万2千円。高い!
のうち、なんとなく便意をもようしてきたかな?と感じた瞬間、さっとトイレが股の間に滑り込んでくるような時代になるのかもしれない。おかぁんと晩餐を楽しん?でいて、ムズムズっときたら、突然便所が飛び込んできて、オイラの股ぐらで汗を拭き拭きニヤっと笑って見上げるかも。気味が悪い。
在、トイレで血圧を測り、大小便から自動健康診断が行える機能を研究中だとか。こうなると、楽しみな看護婦さんとの会話もできなくなりそうだ。トイレで処方箋をもらい、注射と薬が出て、お金を払って、トイレから出る頃は全快しているかも。トイレ前の待合室は年寄りでいっぱいだ。
らに、便からメタンガスを取ってエネルギーに変え、その力で自動車を動かせるようになるとか。うんこで走る消防車の出現だ。う~ん、う~んのサイレンが聞けるだろう、きっと。
うなると便も貴重品だ。江戸時代、便は肥料として大切にされた。昭和30年代の頃までそうだった。江戸の町では、武士の便より庶民のウンチのほうが価値があった。その日暮らしの町民の方が良い物を食っていたからだ。大家さんは、お百姓さんから下肥との交換に、いろんなものをもらっていたらしい。
イテクを駆使したエコロジーは、ますます進化する。
の口調、今流行の若手漫才師の誰かに似ていません?
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入鹿さんの豪邸発掘される

2005年11月14日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
昨日、お客さんのところでこんな話が出た。「日本は良いですねえ、宗教が原因で殺し合いをしないですから」隣の国と地続きというせいもあるけれど、イスラム教圏では宗教が原因で戦争をしている。
れに比べて仏教はいたって肝要だ。一神教と異なり、たくさんの仏様がみえる。日本人は、神さんを拝んで、ついでに仏さんを拝んでいる。
来日本は神様の国だった。それを国家統一のために、聖徳太子が仏教を大陸から輸入した。豪族の蘇我氏が、仏教輸入に反対する物部氏を倒して、聖徳太子と国家統一のために宗教を利用した。(587年)
んなことを考えていたら、朝刊に曽我入鹿の邸宅跡が発掘されたと載っていた。蘇我氏は、その後国家の中枢に座り込み権力をほしいままにしたのだ。聖徳太子が死んだ後、邪魔な太子の子供である山背大兄王も殺してしまった。
ごれる者は久しからず。蘇我入鹿も、中大兄皇子と中臣鎌足に宮中で暗殺される。有名な、大化の改新(645年)だ。恨めしそうな入鹿の首が、御簾のところにブッ飛んでいる絵巻物がある。
原 猛が「隠された十字架」で聖徳太子一族の悲劇を書いていた。法隆寺は太子一族の怨霊を沈めるために建てたというのが、梅原さんの説だ。昔この本を読んだが、おもしろかった。入鹿が太子の霊に恐れおののき、法隆寺の前身である飛鳥寺を建てた。法隆寺には霊を沈めるための仕掛けがいろいろあるという。
門の柱が奇数だったり、塔の上に鎌が刺さっていたり、秘仏の救世観音を開けると災いが起こるとか、梅原流にほぜくり出すといろいろ出てくる。
ごれる者は久しからず、と書いたけれど、蘇我氏が物部氏を倒してから暗殺されるまで、代々にわたって60年近くも贅沢していた。まあ、久しくはないと思う。十分贅沢したと思う。
回は難しい話だった。間違いもあると思う。背伸びはしないこと。教訓
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