花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

「麦秋」感想2

2012年02月28日 | 諏訪商店街振興組合のこと
いつものTさんから感想をいただきました。Tさんは毎回必ず感想を書いて届けていただきました。ありがとうございました。
     
「埴生の宿」の局をオルゴールがメルヘンティックに奏でるBGMで始まった「麦秋」。これまでに見せていただいた作品同様、撮影当時の日本の自然風景が郷愁を誘いました。
・犬も歩けば人(紀子と兄嫁が裸足で)も歩く。ゴミひとつ落ちていない美しい砂丘のような鎌倉の海。
・大和三山近くにある白壁造りの旧家や、それなりに時代の新しい文化を取り入れたらしき鎌倉の家。
・風船やウロコ雲との対比で、その澄んだ青さを強調した広い空。
俳優について感じた点では
 先日87歳で亡くなった淡島千景の出番が多く、芸達者な彼女の魅力が存分に発揮されていたように思いました。
 彼女と原節子との秋田弁での掛け合いは“見もの”でしたね。
内容について感じたことは
 紀子が買ってきた900円もするケーキ。今の値段にすると1万5000円くらいでしょうか?なんと贅沢な!
分別もそろそろ出て来る頃の男の子(11歳くらい)が、父親に対してズケズケ文句を言い、食べ物(食パン)を蹴り散らすシーンには、ちょっと眉をひそめたくなりましたが、これらは小津氏がブルジョア出身の独身者であることに由来するものなのでしょうか。
 しかし、紀子が結婚相手に選んだのは、姑(ババ)付きの気心知れた幼馴染みだったというのは妙に納得できました。小津氏は虚より実が大切といいたかったのでしょうか。
 次回上映は、今井正監督作品をお願いしたいと思います。

     
物価も当時と比較すると10倍以上になっているはず。なんとなく観ていましたが、1万円以上のケーキとなると、さすがに高い!ですね。
子供たちの大人に対するしぐさが残酷なまでに強いというのは、どこかの評で読んだことがあります。子供好きな小津監督は、子供の目線でとらえた映像を、ニンマリしながら撮っていたのではないでしょうか。
戦後の作品では、ブルジョア的な生活がほとんどです。社会運動活発な当時としては随分批判も受けたようですが、映像は美しくなければならないといった監督の考えを貫いたのではないでしょうか。コンビである脚本家の野田高悟の影響も大きいようです。

第8回 「麦秋」上映

2012年02月25日 | 諏訪商店街振興組合のこと
小津安二郎再発見「麦秋」を24日の夜上映いたしました。
     
今回も大勢の方がお集まりいただき、会場は満席となりました。皆様のおかげと関係者一同感謝いたしております。
次年度も“文化の駅サテライトステーション事業”は実施の予定と聞き及んでいます。また、皆様のご要望があれば昭和の懐かしい映画会を行なわせていただきたいと考えていますが、取り上げていただいた場合を予測して、皆様に開催曜日と開催時刻、そして上映希望映画のアンケートをお配りいたしました。
昨夜回収の回答を順次ご紹介させていただきます。
「家庭的で明るい映画を希望します」
「昭和30年~40年代の邦画が望ましい」
「いつもうれしく参加させていただいています。ありがとうございます。日活の石坂洋次郎ものを希望します」
「上映会は是非続けてほしいです。“羅生門”“七人の侍”」
「今の日本が忘れそうになっている、大切なものを思い出させてくれる小津作品です。観た人たちが優しい気持ちになって、もっと日本が良くなればと願います。今回取り上げていただいた懐かしい日本映画を希望します」
「ありがとうございました。親子三代にわたる心温まる名作です。何度観せて貰っても余韻が残ります。老夫婦の睦ましい様子。とても勉強になりました。懐かしさでいっぱいです。ありがとうございました」

また、7通のご返事からは、金曜日夜の上映で異論はない様子です。
自分自身としての上映希望作品は、黒沢明の“生きる”、野村芳太郎の“張込み”、山田洋二(山田洋次)の“たそがれ清兵衛”、深作欣二の“蒲田行進曲”、大林宣彦の“異人たちとの夏”あたりを考えています。
      「生きる」1952年東宝
      「張込み」1958年松竹
      「たそがれ清兵衛」2002年松竹
      「蒲田行進曲」1982年松竹
      「異人たちとの夏」1988年松竹
皆様も、良い映画がありましたらお教えください。

そうだ!大須へ行こう

2012年02月24日 | 諏訪商店街振興組合のこと
     
芽吹きの雨が降る中、大須商店街へ視察に出かけました。
     
商工課の山口さんに連絡を取っていただいてありましたので、大須商店街連盟会長の今井富雄さんに事務所で説明をいただき、その後、商店街を一緒に回っていただきました。
昔は大須も劇場や寄席、遊郭が並ぶ繁華な街でしたが、マスメディアの普及とともに衰退、どん底を経験した商店街でした。
ところが、昭和52年のアメ横ビルの完成をきっかけに再び賑わいを取り戻し、コメ兵ビルや万松寺ビル、OSU301ビル等が点在する若者の集まる街に変貌してきました。
現在では、10月の“大須大道町人祭”を始め4月には“春まつり”、8月には“夏まつり”等ボランティアや学生を巻き込んだイベントを活発に展開。年1回更新の、1100店舗を掲載した「大須マップ」を発行してみえます。
若手の発想を大切にされていて“大道町人祭”などイベントの長は順番性で、一生に一度巡るかないかの誇りある役となり、1年かけて企画段階から精力を注がれるそうです。人材不足の商店街にとっては、うらやましいおはなしです。
若い人の意見をどんどん取り入れる懐の深さがあり、奇抜なアイデアでもまずやってみようといった柔軟な考えをお持ちでした。
OSU301再開発ビルでは、韓流ブームに乗ったグッズ販売を広いスペースをとり、25日のオープン目指して準備中でした。
ややもすると風俗店が進出しそうな危うさを感じましたが、“大須まちづくり基本理念”を掲げて、健全で愉しい街づくりに取り組んでみえます。
     
     
     
     
大須まちづくり基本理念
1.大須は、歴史・伝統から生まれた「ぬくもり」を大切にしたまちづくりを進めます。
1.大須は、革新性・娯楽性など「楽しさ」あるまちづくりを進めます。
1.大須は、お客様との「ふれあい」のあるまちづくりを進めます。
1.大須は、子供からお年寄りまで、様々な人達の期待に応えるまちづくりを進めます。

「麦秋」中野翠著“小津ごのみ”より

2012年02月22日 | 諏訪商店街振興組合のこと
     
 北鎌倉の住宅地の静かでおちついたたたずまいの中で、ゆったりと進行する風格の大きなホームドラマです。“ はにゅうの宿” のオルゴールの音と共に物語が始まります。
 婚期を逸しかけている娘である紀子(原節子)の縁談をめぐって、兄夫婦(笠智衆と三宅邦子)や両親(菅井一郎と東山千栄子)がたへんな心配をするのですが、結局、紀子は嫁ぐことになります。これを機に紀子は秋田へ、両親は祖父(高堂国典)の住む大和へ帰郷することになるのです。
 映画がつくられた昭和26 年の頃には、三世代同居が一般的でしたが、やがてみんなは離ればなれになり核家族が進んでいきます。
 小津監督としては、旧来の大家族主義の崩壊を惜しみ、核家族化を憂うといった気持ちよりも、時の流れの中で変わらないものは何もないという、いわば「 無常」 を描き出したいという気持ちのほうが強かったのではないでしょうか。
 そう考えたほうが紀子と老夫婦の旅立ちが始まり、最後の家族揃って撮る記念写真のシーンも、重みを持って胸に迫ってくるようです。写真は「 時」 というものに対する人間のはかない抵抗のようなものですから。
     
 続いて、中野翠さんは著書「小津ごのみ」でこう記しています。
 人生のさまざまな断面で、ふと「 今が一番いいときかもしれない」 と思う。それは多くの人が経験することだろう。特に劇的というわけでもない、ありふれて、俗で、平凡な言葉だ。「 名セリフ」 的な奇抜さや鮮烈さはない。それをなぜか小津は気に入っていて、映画の中で繰り返し使っているのだ。「欲を言えばキリがないが、私たちはいいほう」 というセリフも「 麦秋」 と「 東京物語」で使われている。両方とも先輩の夫婦の会話の中に折り込められている。これも世間でよく聞かれそうな言葉だ。さまざまな不満や屈託を抱えながらも、多くの人はいささかの心理的努力をして、こういう言葉を呟き、自分の人生を肯定しようとする。
     
 現在という時代を過ぎ行く時として深い愛借の情をもって眺めるというし点(視点)がこの作品をユニークなものにしているのが分かります。北鎌倉・鎌倉の大仏・ニコライ堂の見える神田駿河台・銀座のオフィス街・上野公園などしみじみとした風景が描き出されているのもみどころです。
 2月24日(金)午後6時30分 スワセントラルパーキング2階で上映 入場無料です
お車でお出かけの方は 駐車場2階より直接会場に入れます

海岸線物語 中日新聞より

2012年02月19日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
中日新聞。3日ほど前の夕刊から詩情溢れる“海岸線ものがたり”が始まった。
舞台は石川県能登半島外浦
     
ガラガラと引き戸をあけて表へ出ると目の前は日本海。
角海ミツさん(75歳)の心がはやる。「さあ、行かんならん」岩ノリ採りへ向かう。
下は4枚、上は5枚と重ね着をして海へ。
中学生の頃から手伝ってきた。岩ノリのない冬は考えられない。
波は足元をさらうように寄せる。岩にへばりついたノリにゴム手袋をした手を滑り込ませてギュッと握る。聞き手の右手の先に穴が開く。二日ともたない。「左ばっかりいっぱい残ってる」
採ってからの仕事も多い。水洗い。天日干し。小石を取り除き乾燥。夜中に2回3回と眼が覚める。「どんな顔しているか見に行くんよ」
わが子の布団を何度もかけなおす親心が育てる味は料亭に届く。
「一番おいしいね」商品にならない切れ端が角海さんの口に入る。
保育師だったころ、走り高跳びの大会で右ひざを痛め手術した。少し引きずって歩くのはそのせい。けれど。
「海に出ることをいやだとは思わんもん」
「甘いし、おいしいし」
弥生の海も角海さんに手招きをする。

どんなものでも、作る人の苦労を忘れてはいけませんよネ

“もっとネット大作戦”企画会議

2012年02月18日 | 四日市商店連合会です
      浅谷氏盗撮
昨夜、“お半”にて、自腹で四日市商店連合会の役員会を実施、森会長・北岡副会長・水谷と北川情報部・浅谷経営部・上野と木村司会進行担当が集まり、3月24日(土)グリーンモール商店街をお借りして開催される イベント“四日市発!もっとネット大作戦”の企画会議を行いました。
皆さんで準備された企画を出し合い、充実したイベントに仕上げるよう話し合われました。
インターネットを活用したフェイスブックやユーストリームを分かりやすく楽しんで体感していただけるイベントにします。また、風船で会場を飾る。各お店で飲み物や食べ物を販売する。今話題のタニタ食堂のレシビで作った食べ物の販売。ハーレーの展示等盛りだくさんの内容に仕上がりそうです。
その後、お酒の勢いもあって、中心商店街活性化のおはなしに伸展、真剣な討議と笑いのうちに時間が過ぎていきました。
今後、内容をまとめ予算組みに移ることとなります。皆様ご期待ください!




香十徳

2012年02月17日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
まったくの私事でゴザイマス。
お線香のメーカー“玉初堂”さんから、デジタルフォトフレームというものを頂戴しました。この画像に“香十徳”なるものが入っておりましたので、ご紹介します。
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
ブログへの掲載をまよいましたが・・・マ、見逃してくださいマセ
少しでも「ホホゥ」と思われた方は、是非 良いお香(白檀や沈香等)を試みてください。変ナモノヲ焚カナイデクダサイ クレグレモ・・・

ミスった“カーネーション”

2012年02月15日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
フェイスブックはとても愉しい。
朝の連続ドラマ“カーネーション”もとても愉しい。
堀越さんのフェイスブックに、こんなおもしろい画像が載った。
     
しばらく眺めていたけれど、何のことか分からなかった。しかし、発見!

画面右下。置いてある糸巻きの向こうに“お茶のペットボトル”が!
“カーネーション”はとてもたのしい番組で、いつのまにか 欠かさず観るようになった。戦前、戦中、戦後の風俗が良く出ていて、キャストの皆さんもとても力が入っている。ほっちゃんも好演。時折流れる音楽は、三丁目の夕日を連想させる。
私は父親役の小林薫がとても気に入っていたのだけれど、死んじまって残念!
しかし、まさか見つけられたとは、スッタッフ一同 ざんねん!
堀越さんに お詫びと感謝!

京都百万遍手づくり市訪問

2012年02月15日 | 諏訪商店街振興組合のこと
     
     
     
アビ・コミュニティの堀木さんと、事務の五味さん、そして私の三人で“京都百万遍手づくり市“へ、出店の募集依頼に出かけました。
会場となる知恩寺へは、朝の5時30分に堀木さんの車で出発。出店者受付の始まる7時に到着いたしました。
途中の土山では、深い霧の中を走ってまいりましたが、現地は比較的暖かな曇天の空でした。
エキサイト四日市・バザールでの開催は今年で4回目。出店者皆様の反応は良く、すでに15店舗の応募があるとのことでした。
諏訪新道のおもしろバザール・三滝通りのさくら祭りも出足は好調で、関係者一同、よろこんでおります。
出店ご希望の方はお早めにお申込ください。お申し込みはこちらから・・。

小津監督「晩春」

2012年02月14日 | 諏訪商店街振興組合のこと
小津安二郎再発見も「麦秋」のあと、3月23日上映の「晩春」で最後を迎えます。
「晩春」は小津監督が原節子をはじめて起用した作品で、小津作品といえばまず原節子が浮かぶほど、いちやくヒロインに仕立てた映画でした。
その後、二人の関係がひそかに噂されるほど、監督の入れ込みようは強かったと思われます。「晩春」では花嫁姿に、「麦秋」では結婚を決意させる娘に、「東京物語」では夫に死に別れた妻に、そして7年後の「秋日和」では娘(司葉子)に結婚を勧める後妻の役を与えました。
ウブで不器用だったのでしょうか、結果、小津安二郎は独身を通したのです。
「晩春」のポスターをつくりました。第1回目の「秋刀魚の味」から思い起こしますと、今回のが最高の出来だったと自画自賛いたしております。