花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

男ハツライヨ!

2016年04月29日 | 諏訪商店街振興組合のこと

伊藤淳史監督の“ボクは坊さん”で、理屈っぽい檀家総代役をしていたイッセー尾形が、深川栄洋監督の“先生と迷い猫”では学校を定年退職し妻に先だたれた頑固な老人を演じている。この作品の終わり方が良い。生前猫好きだった妻、しかし森衣は猫嫌い。それでも一人暮らしのところへノラはやってくる。「妻のことを思いだすから、来ないでくれっ!」と叱り飛ばしたらノラは来なくなってしまった。それから森衣は、猫を探しはじめる。野良ネコ捜査の中でいろんな人との出会いがあり(“神去りなあなあ日常”の染谷将太、ピエール瀧、カンニング竹山、岸本加世子、嶋田久作など)徐々に猫に気が引かれていく。

最後。夜遅く、探し疲れて真っ暗な我が家へ帰った森衣は、玄関に座り込みまどろむ。その時、光射す庭の方から妻の呼びかける声が聞こえる。この幻想シーンは、山田洋次監督の“息子”とよく似ている。三国連太郎が息子に会いに出かけ、誰もいない雪深い我が家へ帰ってくる。そこで昔日の我が家の幻を見る。

 

子供たちが離れて行き、妻に先立たれた男の哀愁が表現されていることで、この二作品は似通っているけれど、どちらも救われる最後(“息子”は、息子の結婚)となっているのが、なんとも清々しい。


映画“ボクは坊さん”

2016年04月20日 | 映画の名言、映画の迷言

映画“ボクは坊さん”は、四国八十八カ所霊場、その五十七番目の札所“栄福寺”の住職となった若い僧侶(伊藤淳史)が、様々な体験をしながら成長していく姿を描いた作品です。

“三丁目の夕日”のプロデューサー安藤親広氏が手掛けているとあって、(中ほどから急降下するけれど)最後の最後で希望が持てる、いい作品となってオリマシタ。

最後、総代であった老人(イッセー尾形)のお葬式の席で、光円さんはこんなお話をします。

「ぼくは 生まれる前の感じと 死んだあとの感じって 似てるんじゃないかなって思うんです そして それが いちばん普通の状態なんじゃないかなって だから 生きているっていうこの状態は とても短い すごく特殊な時間なんじゃないかなって そんな気がします だって 人は何で 生まれたときに泣くんでしょうか? もしかしたら 穏やかな眠りから覚まされてしまうかもしれない そしてまた死をもって 穏やかな眠りへと帰っていく だとしたら 生きている時間なんて お祭りみたいなものかもしれない そして長老は そのお祭りを経て帰って行った だから僕はその長老に お疲れ様でしたって 言ってあげたいんです じゃあまたって 笑顔で・・・」

ムム・・短いお祭りの時間は、大切にしなければなりません。そして、こんなことも云っています。ここのお寺は真言宗。般若心経の“空(くう)”の心についてです。

「・・・ブッダが答えた 自我に固執する見解を打ち破って 世界を 空なりと感ぜよ」

ひろく ひろく もっとひろく これが空の教えなり・・・


“東京物語”三部作 その2

2016年04月17日 | 諏訪商店街振興組合のこと

そして、“東京家族”の最後。次男の昌次(妻夫木聡)と恋人の紀子(蒼井優)は、周吉(橋爪 功)の世話をした後、東京へ帰る時を迎えます。

「私達 1時のフェリーで帰りますから 長い間お邪魔しました お父さん どうぞお体大切に そして お母さんの分も長生きしてください じゃあ」

「ちょっと」

「はい?」

「ま 座ってください」

「紀子さんと呼んでいいですか?」

「はい どうぞ」

「あんたは いい人だね」

「ええ?」

「母さんが昌次のアパートに 泊めてもろうた あくる日 幸一の家に戻ってきて“よかった よかった 昌次はこれで安心”そう言うて その訳を私に話す前に 死んでしもうたんじゃが 母さんの気持ちが 今なら私に よう分かります 幸一や滋子たちがバタバタと東京へ帰ったあと 3日も4日もいてくれて 何ひとつ嫌な顔をせずに 気持ちよう私の世話をしてくれて 本当に ありがとう」

「気持ちよくなんて そんなことないんです 本当は私 ここに来たの 後悔したくらいなんですよ なんだか窮屈だし 仕事も気になるし 嫌な顔一つせずになんて そんなの・・・そんなの嘘です」

「正直じゃのう あんたは 本当に いい人だ」


“東京物語”三部作 その1

2016年04月16日 | 諏訪商店街振興組合のこと

遅くなりましたが、山田洋次監督の“家族はつらいよ”を観てまいりました。観客は二人。大きな声で笑うこともできず・・・ま、遇い方が 男でよかった デス。

これで小津監督の“東京物語”と、山田監督の“東京家族”そして“家族はつらいよ”の三部作?を観ました。この三作の共通した見せ場である、息子の嫁と父親が語り合う最後のシーン。これらの共通点と違いを再現したいと存じます。

まず小津安二郎監督の“東京物語”

母親が亡くなり、息子たちはせわしげに帰ってしまう。一人残って義父(笠智衆)の世話をしていた紀子(原節子)がいよいよ東京へ帰る日を迎える。

「お父様、今日、わたくし、お昼からの汽車で・・・」

「そう、帰るか」

「はあ」

「お母さんも心配しとったけど あんたの これからのこと なんじゃがなぁ やっぱり このままじゃ いけんよ 何にも気兼ねはないけぇ ええとこがあったら いつでもお嫁に行っておくれ もう昌二のこたぁ わすれてもろうて ええんじゃ いつまでもあんたに そのままでいられると かえってこちらが心苦しゅうなる 困るんじゃ」

「いいえ そんなこと ありません」

「いやぁ そうじゃよ あんなみたいな ええ人は ないいうて お母さんも誉めとったよ」

「お母様 わたくしを 買いかぶっていらしたんだわ」

「買かぶっとりゃせんよ」

「いいえ 私 そんな いい人間じゃありません お父様にまで そんな風に思って頂いていたら 私のほうこそ かえって 心苦しくって」

「いやあ そんなことぁない」

「いいえ わたくし ずるいんです お父様や お母様が 思ってらっしゃるほど そういつもいつも 昌二さんのこと 考えているわけじゃありません」

「ええんじゃよ 忘れてくれて」

「でもこの頃 思い出さない日さえ あるんです 忘れてる日が 多いんです わたくし いつまでも このままじゃ いられなくなるような気がするんです このままこうして 一人で居たら 一体どうなるんだろうなんて 夜中にふと考えたりすることがあるんです 一日一日が 何事もなく過ぎてゆくことが とっても 寂しいんです どこか 心の中で 何かを待ってるんです 狡いんです」

「ええんじゃよ それで やっぱり あんたは ええ人じゃよ 正直で」


泣かせる映画“あん”

2016年04月11日 | 諏訪商店街振興組合のこと

川瀬直美監督・脚本の“あん”を観る。ようやくDVDで観る。(注 ネタめちゃくちゃバレ)

千太郎(永瀬正敏)は、桜並木の下に建つ小さなプレハブで“どら焼き屋”を営む。ある日、手の不自由な老婆(樹木希林)が雇ってくれと訪ねて来る。初めは断っていたが、老婆の置いて行った“あん”を食べてみて、そのおいしさに驚き、雇うことにする。いとおしむように小豆に呼びかけて煮る老婆。ほとんど二人のアップで進行する映画には、ベテランの演技力が問われている。

おいしい“あん”の評判で“どら焼き屋”は繁盛する。映画が始まって約45分間。料理レシピの作品かと思っていたら、状況は一変する。老婆はハンセン病だった。

野村芳太郎監督の“砂の器”が思い出される。ハンセン病を患った父親が子供を連れて放浪するシーンを思い出す。そして、そのことを大家から聞いた永瀬の姿は、山田洋次監督の“息子”を彷彿とさせる。好意を寄せていた和久井映見がろうあ者だと知ったとき、永瀬は天に向かって叫んだ「ろうあ者、それでも良いでねえか!」。しかし、この映画で千太郎は沈黙を通している。やがて店に客は寄り付かなくなり、店をやめた老婆は施設で最期を迎えていた。老婆が千太郎に託したテープには・・・。

「私 ご存じのように子供がいなかったのね 授かったのに生むことを許されなかったの 私が店長さんをはじめてお見かけしたのは 甘い匂いに誘われた 週に一度の散歩の日でした そこにあなたのお顔がありました その目がとても悲しそうだった “何そんなに苦しんでるの”って聞きたくなるような 眼差しをされていました それはかつての私の眼です 垣根の外に出られないと覚悟したときの 私の目でした だから私は吸い寄せられるように 店の前に立っていたのだと思います もしも私に あの時の子供がいたら 店長さん あなたぐらいの年齢になっているだろうなって ねえ 店長さん あの日の満月は 私に こうつぶやきました “お前に見てほしかったんだよ だから光っていたんだよ”って・・・」

樹木希林の「てんちょさん」の言い方が印象に残る。

そして、大家から解雇された千太郎は、再び桜の木の下で“どら焼き屋”をはじめた。

 


泣かせる落語“文七元結”

2016年04月09日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

落語の“文七元結(ぶんひちもつとい)”は泣かされる人情話です。

落語百選 麻生芳伸 編 ちくま文庫より

左官職人 長兵衛の博奕狂いに愛想を尽かした娘のお久は、吉原の佐野槌(さのづち)へ駆け込みます。娘をかたに、五十両手に入れた長兵衛は、佐野槌からの帰りに鼈甲(べっこう)問屋の手代  文七の身投げに遭遇します。訳を聞くと、集金の五十両を盗られてしまった、とのこと。命には変えられないとその五十両を、長兵衛は渡します。

「おうッ、おおおっ・・・おれだってやりたかねえ、やりたかねえよ。いいか、てめえは怪しい野郎だと思うだろうが、これでもおれは、堅気の職人だ。商売(しょうべえ)は左官だがなあ、つまらねえことで博奕(ばくち)に凝っちゃって、にっちもさっちもいかねえ、首のまわらねえほど借財(しゃくぜえ)ができちゃった。一人娘のお久ってえのが、吉原の佐野槌という旦那場へ駈け込んでこせえてくれた、この五十両だ。女将さんとの約束でね、来年の大晦日までに持ってって返さねえと、娘は女郎になっちまう・・・。おれァいま、おまえにここで五十両やっちまって、来年いっぱいどう稼いだって、職人の痩せ腕じゃ五十両は揉みだせねえ。おれはもう、返さねえときめちゃったがね。こうしてくんねえか、おめえもこの金でもって命が助かった、ありがてえと思ったら、お店(たな)者だァ、たいしたことはできめえが、店の隅へ棚ァ吊ってね・・・不動様でも金毘羅様でもいいから、おめえの信心する神仏を拝んでやってくんねえ。な、吉原の佐野槌に勤め奉公をしておりまする、お久という女でございますが、どうぞ悪い病を引き受けませんように、商売繁盛いたしますように・・・、おまえ、拝んでやってくれ、なぁ頼むよ。えッ、さ、さ、事がわかったら持ってきねえ、持ってきねえッ」

ところが、文七が店へ戻ると、盗られたはずの五十両は、置き忘れてあったという事で、集金先から届けられていました。

このことを聞かされた鼈甲問屋の近江屋卯兵衛は、すっかり長兵衛を気に入り、文七とお久を夫婦にさせて、麹町貝坂で元結屋の店を開いた・・・というお話です。メデタシ・・メデタシ・・・。


映画「赤ひげ」と映画「神去なあなあ日常」

2016年04月06日 | 諏訪商店街振興組合のこと

山田洋次監督が、こんなことを話している。

「張込み」や「砂の器」の脚本を書いた橋本 忍さんは、黒澤明監督と組んで「生きる」や「七人の侍」をつくってきた。しかし、その後、疎遠になっていた。

あるとき、橋本さんは黒澤監督が「赤ひげ」を撮ることを聞いて、スタッフの一人に、それはどんな話だ?と尋ねたそうだ。

彼はこう答えた「若い医者の卵が赤ひげと云う風変わりな医者の弟子にさせられる。最初は嫌で嫌で仕方なかったんだけど、さまざまな体験を経て、最後は“よし俺はこの医者の下で勉強しよう”と決心するまでの話です」橋本さんはその話を聞いて、そんな映画面白くないと思った。

何故かというと、若者が最後に去っていく、というならいい。それは一つの終わり方なんだ。どうしても残らせたいなら、いったん去るんだ。去った若者が再び帰ってくるところでおしまいにすべきだ。

これは「素晴らしき哉、フランク・キャプラ」井上篤夫著 集英社新書 で読んだ。

そして、映画“WOOD JOB!・神去(かみさり)なあなあ日常”(2014年公開)をようやく観ることとなって、アッと思った。山田監督のはなしていたそのままがこの作品にあったからだ。

平野勇気は高校卒業後、わけの分からないままに三重県美杉村の山奥“神去村”へやってくる。そこで林業従事者としてさまざまな体験を経て、時が経ち、やがて別れのときが来ます。勇気は神奈川へ帰ることになるのですが、いったん去って、また再び戻ってくるところで映画が終わっています。神去村へ戻った勇気のその後の生活の一切は皆さんのご想像に任せます・・・といったところでしょうか。

矢口史靖監督、三浦しおんの原作で、とても良い作品です。是非ご覧ください。