花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

映画「お早よう」感想 その3

2011年08月31日 | 諏訪商店街振興組合のこと
垂坂からわざわざお越しいただいたMさんの感想です
「お早よう」は期待通りの作品で、日常何気ない家族、隣人とのふれあいを、往年の名優たちの演技で語られていく。平成の今にはない昭和の素朴な大人と子供の生き様が描写され、懐かしく心温まる思いで鑑賞できた
右 大泉 滉
若い笠智衆、佐田啓二、懐かしい殿山泰司、大泉滉のキャストに50何年がさかのぼった心地であった。
只、親と子供たちの年齢にギャップが感じられ(現代の子供の親が若すぎるからか?)違和感を覚えた。
残り7作品すべて鑑賞したいと願っている」
笠 智衆
撮影当時、笠智衆54歳。三宅邦子42歳でした。父親の笠智衆はもともと老け役が多かったようですが、それにしても少し年が行き過ぎだったでしょうか?
Tさんは今回も感想を書いていただきました。ありがとうございました
「東京銀座に「東京国立近代美術館・フィルムセンター」という素晴らしい施設があります。往年の国内外の映画をほぼ1週間交代(500円均一)で見せてくれます。数年前偶然に通りかかりました。その日は小津監督の「東京暮色」を上映しており、ほとんどが70代の観客で満員でした。小津監督は、女性本人さえ気付いていないような内なる心を、実にうまく引き出して作品を作り上げています。
今回の「お早よう」は、戦後14年、文化生活をスタートさせた庶民の姿が、子供を中心に生き生きと描かれていますね。高度成長期に突入する直前の、皆が希望に溢れて元気だった頃の日本が懐かしく思い起こされます。

島津雅彦
 勇君役の島津雅彦は、どうやら子役で終わっているようです。松山善三監督の「名もなく貧しく美しく」に出演。黒澤明の「天国と地獄」では、間違って誘拐されるお抱え運転手の子供を演じています。

諏訪町で火災

2011年08月30日 | 諏訪商店街振興組合のこと
午前10時過ぎ 組合から電話 前のラーメン屋さんが燃えているとのこと 急ぎ駆けつける 裏の厨房あたりから煙が出ている 消火器!!と思っている間に消防車が駆けつけた 上から放水 まもなく鎮火か?と見ていると 2階から煙があがり周辺はまったく見えなくなった 新道側からとパーキング側から放水 2階が全焼の勢いだ 新道側は屋根を破っての放水 西からは裏と窓から水を入れる 1時間30分ほどでようやく鎮火した
     
     
追伸
小津安二郎の第3回「彼岸花」のポスター完成
     
     
     

映画「お早よう」感想 その2

2011年08月28日 | 諏訪商店街振興組合のこと
三重映画フェスティバル実行委員会の中村様が鑑賞に来ていただきました。
「先日は、楽しい一刻をありがとうございました。
何気ない日常を「お早よう」の言葉でつづりながら、2時間の長丁場を観せる力に感心しました。
「お早よう」の言葉の訳が、映画の序・中・終りの中で、どんどん深くなってくるのを感じました。又、次回を楽しみにしております。
追伸
水谷様、上映終了後、津での上映会のチラシ(三重そうぶん シネマスクエア2011)をお受け取りいただきましてありがとうございました。ご興味をお持ちいただければ、幸いと存じます。


(チラシ内容に関するお問い合わせ先 三重文化振興事業団 ℡059-233-1105 ホームページは“三重そうぶんシネマスクエア2011”)
中村様、早速感想をFAXいただきありがとうございました。
テレビを欲しがる子供たちに、父親の笠智衆は「無駄口が多すぎる」と叱ります。そこでこう言い返すのです。
無駄口の多いのは大人だ。お早う、こんにちは、ご機嫌いかがですか、いいお天気ですね。意味のない言葉をしゃべってばかりいるのは大人のほうだと。
それに対して、バイトで英語を教える佐田啓二は、無駄口って案外大切な物なんじゃないかな。伝えたいことだけで会話が成り立ってたんじゃ、つまらない、味気ない人間関係になると答えます。
最後、プラットホームで出合った久我美子と佐田啓二は「いいお天気ですね」「ホントにいいお天気ですね」「この分だと三日は持ちそうですね」「もちそうですね」とまさに無駄口を対話しあって、この物語は終わります。どうやら好意を持ち合っている様子の二人。行く末は、わかりませんが・・・
無駄口の大切さを 今回の鑑賞会で気付きました
中村様 感想文ありがとうございました

第2回 小津安二郎再発見 開催

2011年08月27日 | 諏訪商店街振興組合のこと
昨日、18時30分より、平成23年後文化の駅サテライトステーション事業 第2回小津安二郎再発見「お早よう」を開催させていただきました。
44名の方の参加をいただき、映画解説も駐車券販売の案内も、前回よりましになってまいりました。
1時間半ほどの映画でしたが、みなさん、真剣に作品を楽しんでいただきました。
前回も書いていただきました。Oさんの感想です
     
小津先生は三重県出身の方と伺っていまして、私20代の頃からのファンです。上品で物静かな画面内容がとても気に入っています。
中産階級の味が良く出ていて懐かしい光景でした。
ありがとうございました。次回も宜しくお願いいたします。

26日 小津監督「お早よう」公開

2011年08月23日 | 諏訪商店街振興組合のこと
     
平成23年度 文化の駅サテライトステーション事業「小津安二郎再発見」。26日上映の映画は「お早よう」です。
この映画は昭和34年5月12日に封切られました。小津監督が、カラー作品に取り組んだ「彼岸花」に続く2作目の作品です。それだけに、色の効果を充分楽しみながら撮られているようです。
舞台は、堤の下に開けた新興住宅地。アパート郡の下に、新しい建売住宅がマッチ箱のように並んでいます。
     
この住宅で展開する日常のごくありふれた出来事が、この映画の内容のすべてです。些細な出来事。婦人会費を誰かがネコババした?とか、押し売りがやってきて困ったとか、テレビを買ってもらえない子供たちがストライキを起したとか、小さな事件が平和な日常の中で、ちょっとした波を起こしながらユーモラスに展開します。
     
小津監督は、昭和12年 34歳のときと、昭和18年、40歳のときに、戦地へ赴いています。二度目は戦争高揚の為の映画を撮る仕事でしたが、映画は完成することなくシンガポールで終戦を迎えています。平和であることは良いことだ。そうしみじみと感じながら小津監督はこの映画を撮られたことでしょう。
この映画の主役は子供たちです。小津監督は子供好きです。昭和7年に撮られたサイレント映画の傑作「生まれてはみたけれど」も子供が主人公でした。前半は子供の世界を生き生きと撮っています。ただ世界恐慌時代を反映して後半は深刻なものとなってしまいました。「お早よう」は、戦後の平和な時代を背景に監督が是非撮ってみたかった作品だったのです。
     
昭和34年といえば、伊勢湾台風が来た年です。「赤胴鈴之助」「月光仮面」「少年ジェット」「七色仮面」「まぼろし探偵」そして、「番頭はんと丁稚どん」「とんま天狗」「ポパイ」「ローハイド」「拳銃無宿」などが放送され、子供たちがテレビに釘付けとなりました。団塊の世代にとっては懐かしい時代ですネ。映画の中でも、テレビを買う買わないでひと悶着起きます。しかし、あれだけ子供たちに欲しがられ喜ばれたテレビも、結局は梱包の箱だけでその姿を見せずじまいでした。小津さんらしい撮り方です。
この映画が半世紀以上前に作られた作品であるにもかかわらず古さを感じさせないのは、再DVD化(DVDデジタル修復版)されたことばかりではありません。小津監督のセンスのよさが非現実的といえるほど画面の隅々に現われています。
中野翠さんは著書「小津ごのみ」でこう書いてみえます。
小津映画をさかのぼって何本か見ているうちに、「あらら」と驚き呆れたことがある。それは、縞と格子及びそれに準ずる幾何学模様への徹底した執着だった。女たちの着物がたいてい縞か格子(昔風に言うなら格子も縞のうちなのだが)であることはすぐわかったが、よく見れば、座布団、唐紙、カーテン、タオル、湯飲み茶碗や徳利の類まで、そういう好みで貫かれているのだった。
 私は、天井から下がる電灯のカサのデザインがとても好きです。

対馬丸遭難と東日本大震災

2011年08月22日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
車のラジオで対馬丸の慰霊祭が行なわれたことを放送していた。
1年ほど前、ブログに書いたけれど、子供たちのことを思うと胸が痛む。
昨夜も24時間テレビ(26時間?)での放送を見た。
東北の罹災地で老人介護の仕事に携わっていた母親が施設もろとも津波にあい亡くなった。残された父親と幼い子供二人。娘の前では涙を見せないとがんばる父親。
そして、母の味を再現しようと、はじめて父親がカレー作りに取り組んだ。
おいしいといってお変わりする娘。父親の顔に涙が・・・。タマネギの涙だといってごまかす父親。
最高のご馳走とのことでした。

諏訪神社のご神体とは???

2011年08月21日 | おいらの商店街
毎月、朔日恵比寿の日は、揃って諏訪神社へ参拝します。
いつも思うのですが、神聖な拝殿の向こうにオワスご神体とはどんなものが祭ってあるのか?何に向かって頭をたれているのか?ひょっとしたら中は空っぽで、神社とは神の降臨する「場」のことなのか、疑問でした。そこで再び、前田憲司様に、質問をぶつけてみることにしました。
ご親切にも、翌日、即、回答がゴザイマシタ。謹んで御礼申し上げます。
雪の諏訪神社
諏訪神社さんのHPの四日市祭のところの「神輿(西町)」の動画に、宮司が御神体を神輿に移すシーンがあります。
あの白い包みの中が何なのか????
四日市の諏訪神社の御神体が何であるのか、私は存じません。
また、御神体は「見たら目が潰れ、聞いたら耳が聞こえなくなる」と俗に言われるほど神聖なものですから、宮司でさえ見たことが無いという例もけっこうあるようですよ(笑)。だから、知らないほうがいいのかもですね。
自分自身もはっきりわからないので、整理する意味で参考の本などからちょっとまとめてみました。長くなりましたが、参考までに・・・・
ただ、そもそも御神体というのは、それそのものが神様ではなくて、神霊の宿る物体のことです。
しかし、神が宿っているのですから、それは神そのもの、神の本体として礼拝の対象物となり、神聖なものとして厳重に扱われてきたのです。
では、その神が宿る具体的な物体は何なのか?
大昔は、自然界にあるものに神霊を招いたようで、それを礼拝の対象物として祭祀を行っていたようです。
岩や石などが多く、神籬(ひもろぎ)と呼ばれるものは椿大神社さんの境内に今も残っていますし、磐座(いわくら)と呼ばれるものは、椿大神社の奥にある山に点在するいくつかの巨岩がそうだとされています。山や滝など、もっとスケールの大きなものもあります。
いっぽうで社殿内の御神体にもさまざまなものがあります。
代表的なものは鏡ですよね。他に玉や石もあります。また、弓、矢、剣、矛などの兵器、さらには絵画などで表した神像や、神仏習合の考えから仏・菩薩や沙門像を御神体とした場合もあります。
特殊な例では釜や枕、鈴、笏などを御神体としている神社もあるようです。
このようにさまざまなものがありますが、明治の神仏分離令以後は、御幣を神体とする神社が増えたそうです。
仏教的な信仰と結びついていた御神体が廃棄されたり仏教のほうに隔離されたりして、かわりに御神体を定めねばならず、そのおりに御幣にしたところがたくさんあったようです。
さまざまな神体があるなかで、とりわけ鏡は代表的なものです。
なぜ、鏡が多いのかは諸説ありますが、邇邇芸尊(ににぎのみこと)が天から降臨するときに、天照大神が「これを我と思え」と手渡したのが鏡であり、それをお祀りしているのが伊勢神宮です。こんなことから鏡は最高神「天照大神」を現す意味があるそうです。
したがって、神社を新たに勧請するときには、神霊の宿る物体(拠り代)を拵えて、そこへご祭神の神霊をお招きし、それを御神体としてお祀りをすることになります。新たに仏壇を作るときも同じですか?
諏訪大社から祭神を勧請する際には、「薙鎌(ないがま/なぎがま)」に神霊が移されると古くから伝えられています。武神である諏訪神らしい御神体ですね。
おそらく、現在、信州から諏訪神社を勧請すると、御神体は「薙鎌」になるのではないでしょうか。
しかし、その昔、四日市へお祀りするときにはどうであったのか・・・・・・
西行法師が伊勢神宮の神殿前で詠んだといわれる
「何事のおはしますをばしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」
何がいらっしゃるのかは知らないけれど、ここにこうしていると、ただありがたさに涙がこぼれてきます、というように昔も今も「何がいらっしゃるのか知らない」ほうがありがたいようですね。

さすが!名回答ありがとうござりました。
これからは、謹んで参拝することにいたします。
前田憲司様 ありがとうございました

獅子舞の獅子はオス?メス?

2011年08月17日 | おいらの商店街
昨日、近所のIさんからご質問を頂戴しました。「獅子舞の獅子はオスかメスか?」というものでした。
     
「あれはオスです。間違いアリマセン。試みにケツをまくって揉んでみると分かりますが、オスです。確かにオスです」と答えておきましたが、この答は諏訪神社ホームページを作ってみえる前田賢治(訂正 前田憲司 シツレイイタシマシタ)さんに聞くしかないとお尋ねしたところ、早速ご返事を頂戴しました。
さすが、前田様デゴザイマス。
      右 前田様
獅子の雄と雌についていろいろに伝承がありますが、正確な正解は無いというのが結論です。
四日市祭を例にあげると、私が小学生の頃、明治20年代生まれの浜田に住むおじいさんに聞いたところ、浜田(現在の浜田と南浜田、それに休止中の北浜田)は雄、新田は雌、北町は雄、西町は雌という話でした。
その頃に見た西町の舞獅子は(昭和42年かな?)南浜田のものに比べるとテンポが遅く、たとえば「起しの舞」という舞でも口取りまでが、私たちが演じる者に比べて優雅であったとはっきり覚えています。(仕種の違いは今でも実演できます(笑))
ところが、数年たってから西町の方に直接うかがったら「西町は雄や!!」と言われました。
それで、この説は崩れたかも・・・・・
でも、西町の方が言っているのが正しいか間違いなのかそれはわからず、「地元ではこう伝わっている」という事実だけははっきりしました。
その後、いろいろな方に尋ねると
「西町が雄で北町が雌や」
「浜田でも、北浜田が雌で、南浜田(現在の浜田と南浜田)が雄や」
「四日市祭の獅子は全部雄や」とか、それぞれの方がそれぞれに言われます。
ここで、ちょっと視点を変えます。そもそも獅子に雄と雌があるのかという視点です。
伊勢の国の獅子舞、特に「四山の獅子」と呼ばれる鈴鹿の4つの神社を流祖とする「箕田流」「山本流」「中戸流」「稲生流」の獅子舞には必ず、口取りとして天狗さん、正確に言うと「猿田彦」がつきます。
山本流の流祖である椿大神社のご祭神は猿田彦です。道案内の神として、天孫降臨のときに先導役を務めたため地の神とか交通安全の神とかいわれています。
その猿田彦の奥さんが天受売命(アメノウズメノミコト)つまり岩戸山の女神さんです。
椿大神社では、獅子舞はこの夫婦神の舞であるとされています。つまり、口取りは猿田彦、獅子は天受売命の化身であるとされているのです。ということは、獅子は女性(雌)ということになってしまうのです。
しかし、椿大神社の山本流の獅子舞では椿大神社の獅子は雄で、その摂社であり天受売命を祭神とする四日市市桜にある椿岸神社の獅子は雌だという伝承もあります。
さらには、これは山本流の話であり稲生神社の獅子は境内の4社の神のそれぞれの化身といわれているので一概に言えずにややこしく、その他の流儀でもそれぞれに伝承やらいわれがあって、正確な答が何なのか私にはわかりません。
ということで、それぞれに雌雄の伝承があるものがあるが、それがどんな理由によるものなのか、またそれが神社の公式見解であるのかはっきりとはわからない。というのが結論です。
わかったような、わからないような答で申し訳ありません。
でも、地元の伝承には何らかの理由が隠されているはずですから、大切に語り伝えていってほしいです。ではでは・・・・

ご伝授 アリガトウゴザイマシタ! オソレイリマシタ


スワビ・アミューズ開催

2011年08月16日 | おいらの商店街
     
     
8月24日・31日・9月7日の毎週水曜日午後5時30分より9時まで、諏訪公園を舞台にビアガーデンが開催される。今回初めてのイベント。
大四日市まつりから、盆踊り(追加 花火大会 陳謝)ビアミューズと商店街はイベントが盛りだくさん。
前売り券が1500枚限定で発売されている。生ビール1杯当日400円のところ3杯で1000円。諏訪公園駐車場事務所・観光協会・おんどる・ゆるり にて販売中。
今日のように天気が不安定な場合は、公園通りで開催される。前売り券は無駄にならないのでご安心を・・・

まちの話題ふたつ

2011年08月15日 | おいらの商店街
     
     
“やるっちクラブ”の古田さんが、毎月15日諏訪神社境内に“なちゅらる市場”を開いている。諏訪神社プロジェクトの一環で2回目。あいにくお盆の日と重なり、雨模様となった本日は、一応顔見世でこれからお参りに出かけるとおっしゃる。目指すは“京都百万遍手づくり市”か。来月9月15日は、盛大にやりますと張り切ってみえました。毎月のイベントが話題を呼び、盛大になるといい。
     
     
今年は、グリーンモールの貝増氏が、スケールアップしたゴーヤーの壁を作り上げた。2年前までは、店舗空き地に5メートル程の巾でゴーヤーを這わせる程度だったが、今年は英数学園広場のコーナー一面に見事な壁を完成させ話題になっている。よく見ると、あちこちにゴーヤーの実が下がっていて、前を通るたびに「やろか。持ってくか?」と声をかけてくれる。
6月、私も苗を裾分けしていただき、我が家の庭にもゴーヤーの収穫期を迎えている。