花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

ひろ助ティックトック配信中

2024年08月10日 | ひろ助が巡る花の東海道

前回QRコードでご紹介のひろ助東海道 スマホに出現したQRコードを「どうやって見るんじゃい!」と自己反省いたしまして 下のアドレスをクリックいただけば ご覧いただけるよういたしました。

https://www.tiktok.com/@counselor_syotengai?_t=8odJQQM3KJM&_r=1

昨日も 第3回の撮影会が行われ 好調でございますので ぜひお楽しみください。

ボランティアガイドの村田三郎さんが、中日新聞に掲載されました。

昌栄橋北詰に立つ第1期の三右衛門像(想像図)

稲葉三右衛門

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ひろ助一家初登場!

2024年08月06日 | ひろ助が巡る花の東海道

よしもとのアンダーポイント 本美大さんにお願いして ひろ助一家をこさえていただきました

いいのができました 本美 大さんありがとうございました

お母さんの「おふく」と「ちょろ助」です。どうかよろしくお願い申しあげます。

そして、ティックトック ひろ助商店街の初公開です。乗りにのって第2弾も製作中!ぜひお楽しみください。

 

本日の中日新聞三重版にて 県がレジリエンス教育に力を入れているという記事をみた。

また、カタカナで云うと妙な説得力があると思ってェ。と読んでみたら、世代を超えて納得できると感じました。

レジリエンスとは「心の回復力」とも訳される。傷つかず落ち込まない強さではなく、傷つきながらもしなやかに受け止め、ゴムボールのように跳ね返す力を身に付けることを目指す。

傷つきながらも 柔軟に対応する 不敵さ そうありたいものです

 

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東海道五十三次より興津 結末編

2024年07月14日 | ひろ助が巡る花の東海道

NHK出版「東海道五十三次」より(図書館の本です)※ よくよく見ると こりゃ凄い!四日市 三重川のひろ助が表紙右上に登場いたしております すごいわぃ

満五郎の指導は、褒めることで強さを導き出すことだったが、その結果、西ノ湖(にしのうみ)は、相撲の力はついたがうぬぼれの心も付いてしまった。

事件は、その夜の由井宿で起きた。旅籠の二階で食事をしていたその隣の大部屋では、十人近い客が酒を飲んでいた。「相撲取りってえのは、食いたいだけ食ってりゃぁ商売になるんだから、気楽なものよ」と笑い声が聞こえてくる。その声は大きくなり、悪態はエスカレートしていった。

満五郎は、眼に見えていら立つ西ノ海を押さえていたが、ついに抑えきれず膳をひっくり返すと立ち上がって襖を勢いよく飛び込んでいった。大声でわめきながら次々と客を投げ飛ばす。部屋の中は天地がひっくり返ったような状態になった。

「こりゃ派手にやったなぁ」取り調べに来た役人は尋ねた。「おぬしがやったのか?」大男が静かに答える。「はい、私がやりました、膳所藩(ぜぜはん)お抱え力士、光電満五郎でございます」

「で、そちらの男は」「あれは、同じく膳所藩の西ノ海にござりまする。賢い男で、私の乱交を止めてくれました」西ノ海は部屋の隅でそれを黙って聞いていた。「関取の喧嘩は御法度、藩へ報告するが、関取の地位はないものと思え」ひと通りの見分のあと、役人は帰り際こうささやいた。「本当に、これでよいのか」「はい、これで異存はございませぬ」満五郎の脳裏には過去の相撲人生が走馬灯のように駆け巡った。

見分が済んだ翌々日の朝は、吸い込まれそうな青い空が広がっていた。無口な西ノ海に満五郎は付いて進む。やがて興津川が見えてきた。川越しの準備をしていると、目を真っ赤にはらした西ノ海が籠から降りてきてこういった「満五郎殿、京までの道のり、どうか駕籠に乗っていただきたい。これからも土俵に上がることができるのは、満五郎殿のおかげ、恩人を差し置いては、男の名分が立ちませぬ」しばらく興津川を眺めていた満五郎はかみしめるように「かたじけない」と笑顔を向けた。

さして深くもない興津川。しかし光電は初めて四枚肩の籠に乗って川を渡った。

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広重の東海道五十三次より 興津

2024年07月10日 | ひろ助が巡る花の東海道

我々老人は、みな歌川広重と云わずに安藤広重と申します。な~んでか?

二玄社刊 謎解き浮世絵叢書 東海道五十三次より興津(静岡県静岡市清水区)

由井宿を発って興津宿に入る手前には、興津川が流れています。冬は橋渡しですが通常は徒行(かち)渡しでした。

広重の興津

京都へ巡業に向かう二人の力士が興津川を渡る。膳所藩(ぜぜはん)お抱えの力士、関脇の西ノ湖(にしのうみ)は、四枚肩の籠に乗っており。そのあとに前頭七枚目の光電満五郎(こうでんみつごろう)が荷を負った馬で着く。前方に見える初夏の富士山は、頂にわずかに雪を残し雄大な景観を見せていたが、満五郎の心には届いていなかった。

「この先の故郷である近江場所で、はたして勝ち越すことができるだろうか。」30を超えた満五郎は、馬の背に揺られながら大きなため息をついた。7年遅れて関取りになった西ノ海は、満五郎の指導もよかったのか、とんとん拍子で関脇になっている。

西「このように美しい富士の山が見えるとは、なんとまあ縁起の良いこと。近江でも勝負はもらったも同然よなぁ。のう満五郎」

「まったくでございます」

西「これ、人足衆、もっと富士の山が見えるように、向きを変えんか。気がきかんのう」

満五郎は、もう一つ大きなため息をついた。「西ノ湖には、節度というものを教えておかねばならなかった」幼少のとき両親を亡くした西ノ湖を引き取って育て上げたのは満五郎だった。 そしてこの先、東海道は十七番目の興津宿で、節度をわきまえない西ノ湖は大事件を起こすことになるのです。  つづく

NHK出版 「東海道五十三次」描かれた人々の声を聴く より

アンダーポイントの本美 大さんが描いていただいた「神奈川」が、どうも気に入らないということで、大きく訂正をしていただきました。

修正前

修正後

修正前よりも、宿と海が前面に出ました。宿の裏からは海の景観が望める座敷がありますが、まだまだお客はゼロ!宿のばあさんは客引きに必死です。そこへ たまたま通りかかったひろ助はおばあさんに引っ張られます。「まんだ 泊まるのは 早すぎるってぇ」おばあさんは力づくです。「そういわずに とまってけろ。若けえ子も おるでよ」

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神奈川宿にひろ助登場!(他 雑記)

2024年07月09日 | ひろ助が巡る花の東海道
進君とこ(ピープショウ)へ乱入いたしました。
7回目のまち歩きでゴザイマス。いよいよ終盤に入ってまいりました!
さて、よしもと興業のアンダーポイントさんこと本美 大さんが、東海道五十三次の内“神奈川宿”をお題に出したところ、みごとひろ助シリーズに仕上げていただきました。感謝です!ご覧ください。
歌川広重 神奈川
部分
本美大さんの神奈川宿にて ひろ助が宿のばあさんにとっ捕まって 引きずりまわされるの図
東京知事選が終わった。昨日の中日新聞開設より
異論に向き合ってこそ
 56人が立候補する乱戦の東京知事選を制したのは小池百合子氏だった。「人こそ東京の宝」。小池氏は街頭で熱弁をふるった。年齢や性別、障害の有無などに関わらず誰もが活躍できる社会を目指すとしている。注目される少子化対策以外にも先進的な取り組みは多く、関係者からの評価の声は上がる。一方、都議会で、批判的質問で自身の答弁を求められながら応じない場面が続いた。
相容れない意見を述べたり不都合な点を指摘したりするのも「人」だ。そこに丁寧に向き合ってこそ、本当の「人が輝く」東京につながる。3期目の小池氏立ち居振る舞いを注視したい。(東京社会部都庁キャップ 中山高氏志)
 
 
 
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東海道中膝栗毛 追分の場

2024年07月07日 | ひろ助が巡る花の東海道

追分まで来た弥次郎兵衛と北八。ここは伊勢参宮道と京都への分かれ道となっていて、茶屋にまんじゅうの名物がある。

追分は、まんじゅう屋の前を子連れ狼が通る「ちゃん!腹減った。まんじゅう食わせ!」「・・・」

茶屋女「お休みなさりまあせ。名物饅頭の温いのをおあがりまあせ。おぞうにもござります」と茶屋の前で娘が呼びかける。

弥次「おっ うまそうなまんじゅうを食べてみよう」

茶屋女「はい、ただいま」と、たちまち平らげた弥次郎兵衛。

弥次「このまんじゅうは、いくらでも腹に入る」

すると横で雑煮を食べていた白い経帷子(きょうかたびら)を着た金毘羅参りの男が、

こんぴら「あなたがた江戸かな?わたしが江戸に居た頃、本町の鳥飼まんじゅうを賭け食いして二十八個食ったことがござりましたが、かくべつにうまかったじゃ」

弥次「鳥飼はわっちらが町内だから、毎日茶菓子に五 六十個は食いやす」

こんぴら「わたくしも餅好きで、この雑煮をひと息で五杯食べました」

弥次「わっちゃぁ、今このまんじゅうを十五個ほど食ったが、まだ、ねっから食いたらねえようだ」

こんぴら「口ではそうおっしゃるが、そのようには食えぬもの」

弥次「どなたかがおごりで食わせるとあれば、まだいくらでも入ります」

こんぴら「これは ぶしつけながら わたくしがおふるまい致しましょう」

弥次「食いましょうとも」

こんぴら「もし食べてしまわぬと、あなたが代金を払っていただくというので良いですかな?」

弥次「あったりめえだ 知れたことよ」

勝つつもりで弥次さん、逆流をこらえながら十個ばかり口へ押し込んだが、もう限界。

こんぴら「こりゃ恐れ入った。これではかないっこない」

弥次「そういわずにおめえさんも食ってみなせえ。二十個食えたら、わっちがまんじゅう代は払いましょう」

それではと、こんぴら。ゆっくりと十個食って、あとの十個はやや苦しそうに平らげてしまった。

弥次「おそれいった。しかし、もう十個は食えますか?」

賭けはエスカレートして、まんまと弥次さん三百文を払うことになった。

少し進むと駕籠かきがぶらぶらとやってくる。

かごかき「だんな方、お籠はいかがですか?」

弥次「駕籠どころかえらい目にあっちまった」

かごかき「ははは、いまの金毘羅めだな。ありゃ大津の釜七という有名な手品師でさぁ」

ということで、まんまと騙された弥次郎兵衛さんでした。 熱くなっては いけません!

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桂枝雀さんの「口入屋」その顛末

2024年07月03日 | ひろ助が巡る花の東海道

昔は四日市湊から蜃気楼なるものが望めました。そしてそこにもひろ助が!見物に来ていた菰野城主の土方雄永(ひじかたかつなが)もびっくり!

番頭さんと杢兵衛さんの二人は、膳棚担げたまま泣きだした。次に目を覚ました三番番頭の久七。これがまた井戸の淵に乗ってターザンみたいに天窓の紐にぶら下がり、弾みをつけて駆け上がろうとした。ところが女子衆(おなごし)さん、来たばかりで勝手がわからん、天窓閉め忘れてまして、括ってあった紐がするスルー スルーッと伸びて久七は紐をつかんだまま井戸の中へボチャーン!

「だれや、井戸の中にはまりよったでぇ」

「そこでお声が致しますのは、番頭さんと杢兵衛さん。ちょっと上げてもらえまへんやろか」

「そうもいかん。こっちはふたりで膳棚担げとるんじゃ」

「おたくは命に別状ないでええけど、わたし泳げませんのや」

「あかーん 御寮人さん起きて来やはった。逃げられへん。こうなったらいびきかいて寝よ」

二人は膳棚担げたまま寝たふりをして グーッ

「何をしとんのや。天窓の紐が井戸の中に入ってるやないか。まあ久七、お行儀の悪い。ちょっとお店の方呼んであげるよってにな。ちょっと番・・・まあまあ、お店総出やないかいな、番頭はんに杢兵衛どん、膳棚担げて何しとんの?」

「宿替えの 夢を見ております」(宿替え=引っ越し) 

ご清聴まことにありがとうございました。お気をつけておかえりください。

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膝栗毛における四日市宿事件の顛末

2024年07月02日 | ひろ助が巡る花の東海道

真っ暗闇の中、壁伝いに進む弥次さん。有明行灯(ありあけあんどん)の先の部屋に目を凝らして見ると誰かが寝転んでいるようだ。これが北さんの云う約束の代物(しろもの)かと撫でてみると、コモをかぶっているようで硬くて、しかも冷たい。にわかに気味が悪くなり、あわてて北さんのところまで這い戻った。

弥次「北八、まだそこに辛抱していたか」

北八「オレを置いて何処へ行っていた、弥次さーん」

弥次「それどころではない、奥の部屋には、コモで巻いた死人が居る。恐ろしや、恐ろしや」

北八「オレを置きざりにしてどうする。まっておくれよォ」

とその時、北八の手が緩み、大音響とともに棚が崩落ちた。さあ、何事かと宿の者が次々と起きてくる。膳箱も何もかもが無茶苦茶になってしまった。そこへ相部屋の田舎者二人がやってきて、

田舎「道理でえらい音がすると思うた。ありゃりゃ、こんなところまで膳箱が飛び散って、地蔵様のお鼻が欠けてしまっとるだぁ」北八がハッとして顔を上げると、そばには石地蔵が横たわっている。宿の亭主はこれに憤慨して「お客様がコモをかぶって地蔵様に添い寝をしよる。なんぞのたくらみでもあるのか?正直に言いなされ」

横に並ぶ田舎者も一緒になって「明日には長安寺様へ納めるはずの地蔵様を運ぶ途中の災難。欠けた鼻を戻してくだされ」と、北八に詰め寄る。やむなく北さん、夜這いの一件を白状させられ弱り込んでいるところへ、部屋の隅に居た弥次さんが出てきて、「此の泣きべそをかいている者は、怪しい者ではござんせん。地蔵様の鼻はわっちが何とかいたしましょう」とかなんとか適当なことを言い

 はひかけし地蔵の顔も三度笠 またかぶりたる 首尾のわるさよ

と、弥次さんの即興の狂歌に、一同どっと笑い、その場はおさめてしまった。

 やうやうと東海道もこれからは はなのみやこへ四日市なり

翌早朝、四日市宿を発った二人は、諏訪神社を詣で新田町(現スワマエ通り)を通過して江田町を通り、浜田村から赤堀へと差し掛かったのでございます。

では一方の、枝雀師匠の「口入屋」、その顛末やいかに? つづく

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桂枝雀さんの「口入屋」

2024年07月01日 | ひろ助が巡る花の東海道

桂枝雀さんの落語に「口入屋」というのがございまして、ここで東海道中膝栗毛の「四日市」における珍事件と似たことが起きております。題して「夜這膳棚事件(よばいぜんだなじけん)」

番頭さん新しい女中さんを前に 帳面の方は筆の先や・・・・ドガチャガドガチャガ

大坂の船場にある口入屋(職業安定所みたいなもの)に、女子衆(おなごし)さんを紹介してほしいと、丁稚の定吉がやってまいります。いつもは不細工な女中さんをご所望ですが、今日に限って番頭さんの言いつけにより別嬪の女子衆さんを連れて帰ることになります。

迎えたお店(たな)は大騒ぎ、下心のある番頭さんは、御寮人(ごりょうにん)さんのお目見えが終わると、夜のお楽しみに気が騒ぎます。

番頭「あのね、こういうところはね、今日は目見え、一遍帰ってまたあら・・・ああ・・うん、そうやけども、ちょっと事情があって、今晩から・・二階へ・・。おい、聞きなさい。今日はもう仕事おしまい。早いこと店閉めて表、掃除しょ、はいっ、しまい」

「まだ大分 はようございます。外は明かるうございます」

「はー、かまへん、かまへん。今日はかまへん。今日はめでたい女子衆が目見えでめでたいど。もう今日は仕事おしまい。おーしまい、おーしまい。表を掃除したら、布団敷いて寝ようぞ」

「まだご飯食べてぇしまへん。ご飯、ご飯、ご飯・・・」

「やかましい、お前は。・・・もう、・・なんで飯食うねん」

「そりゃ食いますよ」

「さあ食え、早よ食え、さあ食え、早よ食え・・」

「やかましな、食べてられやしまへん」

「食ったら寝間ひけ、寝間ひけ・・。ハー寝ぇ寝ぇ寝ぇ・・・さあ寝ぇ、早よ寝ぇ、さあ寝ぇ、早よ寝ぇ・・・」

「あんた、やかまして寝られやしまへん、それでは」

「おやすみ」「おやすみ」さて夜も更けて、初めに目を覚ましたのが二番番頭の杢兵衛です。

「あーあ あーひとしきり寝たなぁ。番頭、寝とるがな。よしっ、この間に抜け駆けの一番槍を」と、暗闇の中、二階へ上がる梯子段。

「痛っ、御寮人さんや、今晩あたり来そうやちゅうので引き戸しめて錠おろしてんねん。若いもんは好きなことさしときゃええがな。あんたはええわいな、歳いってんのやさかい。どっかから二階・・そうや台所へ回って膳棚足がかりで薪山(きやま)から上がったら手もないわ」。

船場の商家には、箱膳を積んでおく棚がありまして、悪いことに その腕木が腐っておりました。それに手をかけたものですから、肩の上にガラガラっと・・・。

「これ何したの、これ? つまり膳棚 担(かか)げたの?何をすんのよ、おっ、向こうの腕木ひっついたあんねんねぇ。ということは、下ろすわけにもいかんの、これ。明日の朝までこんなん嫌やで」

二番目に目を覚ましたのが一番番頭「おっと寝忘れた、先を越されては」と、同じように錠のかかった梯子段をあきらめ台所へ回って膳棚に手をかけると とたんにガタガタッ

「何したの、これ?膳棚 担げたん?何やいこれは。えらいグラグラするやないかい」

「そこへお越しになりましたのは番頭さんのようでございますけど」

「そいう声は杢兵衛どんかい、おい、これ二人で担げてんのかい、膳棚を。おっと、揺ったらいかん。コトッと何やこけた。醤油差しと違うか。そんなもんが倒れたら騒動・・・醤油が流れてきた。背中へ入ったぁ。やいとの皮が剥けたんねやがな。ふーん、しみる、しみるーッ」

そういう声は 杢兵衛どんかい、おい、これ二人で担げてんのかい。

さて、お話は、弥次さん北さんの繰り広げる東海道中膝栗毛へと戻りまして、四日市宿で棚を担いだままの北八さんを置いて、次の部屋へ忍び込む弥次さんの顛末やいかに。  つづく

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膝栗毛における四日市宿事件

2024年06月30日 | ひろ助が巡る花の東海道

第6回 辻さんと巡る昭和30年代の諏訪のまち 戦後、諏訪公園の西に広がっていた赤線地帯。そのあたりを中心に 辻さんと歩いてみましたので、ごらんください。

(5) 風俗から見た戦後の諏訪のまち - YouTube

さても、ひろ助さんに、四日市は内部川の橋の上にて、またまた傘を飛ばしていただきました。

弥次さん北さんの東海道中膝栗毛。お二人は四日市宿にもお泊りいただいております。

三重川の土橋を渡ってゆっくりとした坂を下ると四日市宿である。弥次郎兵衛と北八はここでの一泊を決めていた。

「さあどうぞ。うちへお泊り下さい。おーい。お泊り様がおみえじゃ。」

宿場の両側から宿引きが出て袖を引っ張る。引かれて入った宿がまた貧相なつくりで、おまけに相部屋しか空いてない。弥次さんは「かまわねぇ」とあきらめ顔だ。宿の奥まった部屋に居た相客は田舎者の二人連れ。既にくつろいでいて、田舎者のひとりが「お早いお着きでござらっしゃった。」と挨拶をする。さて、女中がお風呂の案内にやってきたので、北八は小声で「今夜はよろしく」とその若い女中に声をかけておいた。懲りないお二人である。

夜も更けて、弥次郎兵衛がふと目を覚ましてあたりを窺うと、行灯はいつしか消えて真っ暗がり。北八を出し抜いてやろうと抜き足差し足で次の間に進出する。かねて聞きおいたとおり、手探りの壁づたい。が、弥次郎があまりに高く手を伸ばしたらしく、吊り棚にこつんと手がつかえる。変な音を響かせたと思ったときは、棚が外れたらしい。

夜這いに忍び込んだ弥次さんは、お女中とコモにくるまれた石の地蔵さんを間違えて大失態!

北八「こいつは大しくじりだ。棚板が外れたらしいぞ。手を離したら棚板が落ちるだろう。どうもガラクタ物がぎょうさん積み上げてある様子だ。こりゃ困ったぁ。」棚から手を放せば大騒ぎになると、襦袢1枚で仁王立ちの弥次さんの処へ、北さんも壁伝いにやってきた。

北八「だれだ、弥次さんか、しかと、弥次さんだな」

弥次「静かに 静かに ここへ来てくれ」

北八「なんだ なんだ どうしたんだ」

弥次「ちょっと これを持ってくれ ここだ ここだ」

北八「どれどれ なにを持つんだ」

北八に棚を持たせたまま弥次郎兵衛は棚を離れてしまった。

「やれやれ なさけない目にあわせる これこれ弥次さん何処へ行く。手がだるいよ どうかしてくだせえ」  つづく

これと全く同じお話が、枝雀の落語「口入屋」にございます。ご紹介は次回へ・・・

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