花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

時空移動号の冒険④本町

2019年03月31日 | レモン色の町

本町の水谷さんからお預かりした絵ハガキを、よーーーく見直すと、そこにはまた異なった形状のタイムマシンが出現していた。昭和12年の風景である。西を見ると熊澤ビルが望める。東海の飛将軍と呼ばれた“熊沢一衛”は、三重郡河原田村出身で、昭和初期には四日市銀行頭取や伊勢電気鉄道社長など三十数社に及ぶ経営に参画した実業家である。(北野 保氏談)

熊澤氏は、ここに伊勢電鉄本社ビル(通称 熊澤ビル)と、諏訪公園に図書館を建設した。当時は、スクラッチタイル貼りの近代的建物だった。四日市西駅が、本町に向かって北向きに建てられ、最も賑わいをみせていた頃の絵葉書である。


時空移動号の冒険③保公園

2019年03月30日 | レモン色の町

驚くべきことに、保公園(明治期の諏訪公園)訂正ー保光宛   マシン出現の記録のある事が分かった。機長は緑骨斗と(グリーンホーネット)名のり、部下のカトーと賄いのお祖父さんを伴っていた。今回のマシーンは、以前と違って形状が異なり球体をしていた。旧態依然としてオッタのでアル。

明治44年の地図を見ると、諏訪神社の西(本殿の裏手)に保公宛があり、そこから西は一面の田畑が広がっていた。沖の島へ通じる路地が東海道へ出たところに当店があり、神社の敷地が広かった事が分かる。三重軌道(室山・八王子線)と四日市鉄道は、敷設の計画段階で、左に鵜の森神社がポツンとある。東海道と浜往還を中心に発達していたころの四日市であります。

中央に保公園と斜めに走る路地。その先が沖の島。沖の島には高等女学校と市役所があった。


時空移動号の冒険②表参道スワマエ2

2019年03月27日 | レモン色の町

時空移動号が再び現れた。昨日の事である。すわまえ食堂のご主人が先日と同じ場所で、同じ格好で立っていると、すさまじい振動と共にマシンが現れ、先日の男とは異なる人物が立っていた。今度の男は足がやや短い。彼は緑 骨斗(グリーンホーネット)と名のり、後ろの部下をカトーと呼んだ。手前で作業をするジイさんはパートで、機械の修理や掃除から布団の上げ下ろし、食事の世話まですべて任せているという。時給だそうだがどうやって計算するのだろうか?

諸々の説明の後、時空移動号四日市オールド25385900号は、小さな爆発を繰り返しながら、カラー舗装のあちこちをこわして消え去った。

マシンの今後の活躍に期待は高まるばかりである・・・って、いつになったら始まるの?・?・・・。

 

追記:マシンの男は、最後に一言、謎の言葉を残して去っていった。

「今夜ノエキサイト実行委員会ハ、オ通夜ガデキタノデ、オ休ミシマス」


時空異動号の冒険①表参道スワマエ

2019年03月26日 | レモン色の町

 

3月25日月曜日午後4時32分14秒頃、閑静な商店街 表参道スワマエに突如としてタイムマシンが出現した。折悪しく居合わせた“すわまえ食堂”のご主人は、その時の衝撃をこのように語っている。「ビックリしたなぁ もぅ!」

タイムマシンは着地の瞬間に地表で小さな爆発を起こし、カラー舗装の一部を採取して、そのまま立ち去ろうとしたが、マシンの状態が悪かったのか約150メーターほど機体を引きずってTag tagさんの前まで行き、そこでも小さな爆発を起こして消えた。おかげでカラー舗装は傷だらけとなった。

さて、時空移動号 四日市オールド9236号の冒険は、いよいよ始まる。乞うご期待!

付録:参考までに。すわまえ食堂さんの、今週の提供作品。メニューは毎週変わる。


<閑話休題 タイムマシン>

2019年03月23日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

閑話休題 タイムマシン!

3月21日は、男の囲炉裏端の集まりでまち歩きがあり、北野保先生と1番街から本町方面へ歩かせていただいた。祭りの練りがどうやって諏訪の踏切の高架ををくぐることが出来たのか?郵便局と電話局の建物は違っていたのかなど、興味あるお話が聞けました。結果は、後日掲載させていただきます。


カンバック!昭和商店街53<札ノ辻2>

2019年03月22日 | レモン色の町

四日市の100年より 舗装工事中の札ノ辻(四日市市竪町 昭和13年)当時はコンクリートミキサー車で道路を舗装していた。

昭和11年四日市大博覧会が開催され、四日市西駅が本町方面(北向き)に向かって建てられた当時。札ノ辻の賑わいが、本町へと移りつつあった頃の写真だ。札ノ辻を浜往還沿いに東方向に撮ってある。

上が北です

右から丸屋足袋店、ミキサー車の横に辻の石の標識、東海道の辻を越した加藤時計店の向こうには、岡田屋のアーチが望める。しかし、タイムマシンのようなミキサー車である。


カンバック!昭和商店街52<中町銀座>

2019年03月20日 | レモン色の町

札ノ辻から浜往還を東へ、年末大売り出しで賑わう東中町通り(四日市市中町・昭和2年)左側は福引景品引換所。軒下には雪が消え残っている。

日の当る様子から、午後3時ころ、栄昌堂さんの東から港方向に撮られた様だ。泥濘を行く自転車、乳母車の子供、抽選場に群がる着物姿の人々、荷物を運ぶ大八車。人の出の割には子供の声だけが聞こえるような静けさだったのではないだろうか。昨夜まで降っていた雪が、京屋さん(沖ノ島の京屋さんか?)の横断幕を巻き上げたままだ。

昭和4年

中町銀座、懐かしい名前や、今でも営業中のお店が並ぶ。東から柿安精肉店、三上電機、鍛冶宗、栄昌堂、紅屋、大福餅・・・。静かな銀座通りである。

昭和43年


カンバック!昭和商店街51<札ノ辻>

2019年03月18日 | レモン色の町

写真集四日市の100年より、雨の南町通り(昭和4年)ビクターの看板の辻を左へ折れると弥生座があった。

増田武夫氏の力作「東海道往来」を見ると、写真は右に“待合 玉川”左に“貸座敷 徳波”の間から北向き“札ノ辻”方向に撮られたものである事が分かる。この先左にあるビクターの看板は“時計貴金属 蓄音機の山内時計店”。この左右に延びる通りが拡幅前の柳通り(この先湯の山街道)である。そういえば山内時計店の向かいに南側洋服店が建つ。本町にあった大和屋さんも(多分)矢印の左にある。多くの店が町の賑わいと共に移動していた。

当時の東海道筋、札ノ辻付近の賑わいを彷彿とさせるが、写真は雨の降る静かな南町である。