花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

高野登著 サービスを越える瞬間

2009年01月28日 | 四日市商店連合会です
          
Aさん、先日はお会いすることができ、ゆっくりとお話ができました。
ここのホテルで出される料理は、仕出し屋で運ばれたものをレンジするだけですかと失礼にもお尋ねしたところ、スタッフでなければ出入りできない厨房を見せていただき、大変な誤解であったことをお詫びいたします。
そのとき、高野登著「リッツ・カールトンが大切にする サービスを越える瞬間」かんき出版のお話をさせていただきましたところ、うちはふたつ星、リッツ・カールトンはいつつ星、格が違います。とご返事されました。
たしかに立地から調度品まですべてが桁違いと思います。けれど、そこで働くスタッフの心意気は十分に学ぶところがあると考えます。
リッツ・カールトンホテルの従業員は自分の仕事に誇りを持ち、行き届いたおもてなしの気持ちでお客様に接します。
ある日、ホテルにチェックインされたお客様が仕事で遅くなり、帰るホテルの場所がわからなくなりました。タクシーの運転手に尋ねても知らないとの返事。困り果ててホテルに電話をかけ、住所を教えてもらってようやく戻ることができました。
約1時間後、ホテルに到着されたお客様は玄関で、二人のフロントスタッフに迎えられました。
「お客様、お帰りなさいませ。無事に帰られて良かったですね」
こうした小さな心配りは、電話を受けたオペレーターからフロントのスタックまで連絡が取れていて、同じ感性を持ってコミュニケーションをとっているからなのです。
こうした感性の共有は毎朝確認されるクレドによって培われています。
「私たちはサービスのプロフェッショナルとして、お客様や従業員を尊敬し、品位をもって接します」
クレドは、頭で理解させ守らせるマニュアルではありません。心で納得して実践することで、細かい決まりを定めなくても自然に自発的に行動できるものなのです。
ふたつ星のホテルはそれなりに、お金をかけずともお客様への心配りができるはずです。
それは、私たち小売り商店にも大いに教えられるところがあります。
Aさん、是非ご一読ください。参考になるはずです。

第7回 諏訪商人塾 開講決定

2009年01月24日 | 諏訪商店街振興組合のこと
平成21年2月4日(水)午後7時より
四日市1番街商店街振興組合 ハロースペース2階
第7回諏訪商人塾「一店逸品について」石川明湖先生にお越しいただき開かせていただきます。
今日は「人材ポケットよっかいち」さんの会合があり、振興組合として出席させていただきました。
そのなかである方から、名古屋の友人と商店街を歩いたが商店の方に笑顔がない、拒絶されているような感じがしたとのお話がありました。
前に商人塾で話し合われたことです。
商店街としては十分承知していることですが、不況の今こそ、そんなイメージを吹き飛ばすような元気で活力ある商店街にしていきたいものです。
是非、皆様の積極的なご参加をお待ちしております。
今回は、スワセントラルパーキング2階会議室が改装に入るため、1番街さんのご理解をいただいて、ハロースペース2階をお借りいたしました。
どうかお間違えの無いようお願いいたします。

エキサイトポスター改良版

2009年01月23日 | 諏訪商店街振興組合のこと
          
早速、ポスターの改良版をアビオンの堀木さんから送っていただきました。
「夢!満開! よっかいち!満開」のキャッチコピーはいかがでしょうか?
明るく元気でいいと思います。
3年連続で同じ方のデザインです。イメージに一貫性ができたと感謝しております。
昨日22日は、四日市ドームで「老人介護の全国大会?」が開かれていて、堀木さんのお誘いで出かけてまいりました。
じばさん三重の山中さんと鳥越さんがみえて、会場に出店されている皆様に地産地消を訴えてエキサイトバザールへの参加をお願いしました。
ついでといっては失礼ですが、お隣の四日市けいりんさんへ出向き、柴崎課長に協賛のお願いをお願いしたところ快いご返事をいただきました。
昨年、商工課から競輪場へ出向された松井さんにお会いすることができ、仕事にも慣れた様子で、元気にお仕事に励んでみえました。

四日市商店連合会新年総代会開催

2009年01月23日 | 四日市商店連合会です
平成21年1月19日午後6時より、四日市商店連合会平成21年度新年総代会が四日市シティホテルにて開催されました。
          
渡邊会長の挨拶。昨年はサブプライムローンのお話でしたが、あれから1年、まさかここまで事態が深刻になるとは思ってもおりませんでした。
          
田中四日市新市長も、お忙しいなか駆けつけていただきました。オバマ新大統領に負けないくらい、超多忙のご様子です。市民の期待は集まるばかりです。
          
斎藤四日市商工会議所会頭のお言葉。中心市街地の活性化には、ことのほかご尽力いただいております。
          
永田三重県議会議員。不況の今こそチャンスをピンチにのお話が印象的でした。
          
小林四日市市議会議員。地元の方だけあって、街の活性化について具体的なお話が聞けました。
          
ディア四日市の増原会長に乾杯の音頭をいただきました。グラスでお顔が隠れてしまい申し訳ありませんでした。
          
懇親会でくつろぐ役員の皆様。まだ酔いは回っておりません。
          
中央が保井専務。右側におわすのが○×○○×氏

エキサイトバザールポスター決定

2009年01月20日 | 諏訪商店街振興組合のこと
          
1月19日午後1時30分より 第2回担当者会議が開かれ 経過報告とポスターの選考が行われました
今回は三社から応募があり 力作揃いで選ばせていただくのに迷いましたが ほとんどの方の賛成でこのポスターに決定いたしました
委員の方の提案を加味して詳細については変更いたします
続いて第2回催事部会が開かれ ステージ出演者の確認を致しました
今回は三滝ステージのみとなるため 参加の方を最小限に絞らせていただきました


京都百万遍手づくり市探訪

2009年01月17日 | 諏訪商店街振興組合のこと
1月15日エキサイトバザールへの出店のお願いに、商工課の堤さんのご紹介をいただき「百万遍手づくり市」へ出かけました。
三重交通の京都バス(往復4000円)を利用させていただきました。
8時30分発のバスに乗り込み一路京都へ。平日は車内結構空いています。途中の土山は雪。1時間45分で天気の良い京都駅に到着。満員の市バスに乗り換えて35分ほどで百万遍に着きました。
市バスはどこまで乗っても220円、路線の番号だけ覚えておけば連れて行ってくれます。車内は満員、後ろの小学生が降りるのに困っていましたが、人を掻き分けて降車していきました。心配しなくても何とか降りられるようです。
百万遍の知恩寺は大変な人です。狭い境内には480店舗のお店が並んで人でごった返していました。
教えていただいたとおり突き当たり本堂の横に、二人のおっさんが座っていました。声をかけると、その方が主催者の臼井さんでした。孫悟空のような風貌の方ですが、連絡がついていた為、気さくにお話を聞いていただけました。
手づくり市にこだわって24年(多分)第1回目はマスコミに上げてもらって80店舗のスタートでしたが、やがて衰退、一時は9店舗ほどの出店しかなかったときもあったそうです。
しかし、継続こそ力、今では1000店ほどの応募があり、臼井さんの独断?で半分に厳選できるまでになったそうです。手づくりというこだわりが今日の魅力ある市にまで成長されました。
臼井さんは、懐からウイスキーの小瓶を出して薦めてくれます。宴たけなわになったころ、市の堤さんから臼井さんに携帯が入りました。気遣っていただいてるんですね。やがてわたくしの携帯にも堀木さんから連絡が入り、責任の重大さを痛感しました。
快く出店の承諾をいただいて、京都のカツカレーを食して3時50分のバスで帰路に着きました。

           
          
          
          
          
          

三重県中央会新春セミナーに参加して

2009年01月16日 | 諏訪商店街振興組合のこと
          
1月14日北川理事長に連れられて三重県中小企業団体中央会の新年祝賀会に出席させていただきました。そこで中京大学名誉教授の水谷研治先生のセミナーがありました。
昨年秋から急激に日本を襲った大不況。優れた技術を持っている日本が、なぜ巻き込まれなくてはならないのか疑問でした。水谷先生の分かりやすいお話で、今回の不況構造が良く理解できたと思っています。
戦勝国アメリカは桁外れに豊かな国でした。私の小さい頃はアメリカの生活と、アメリカの製品にあこがれました。
日本や中国は懸命に働きました。結果良いもの、安いものが作れるようになり、豊かな国アメリカはその商品をどんどん買いました。アメリカが支払ったお金は日本などに入り、日本や中国がお金持ちになってきました。
使い道のないお金は、利率のよいアメリカに貸しました。アメリカにお金が溜まってきます。お金がたくさん集まってきたアメリカの銀行は、国民の住宅ローンなどの貸付にまわしました。
繁栄の続くアメリカでは借金で住宅を取得しても、また高額で売ることができます。貸付は国民の低所得者層へと広がっていきます。これがサブプライムローンでした。
いつまでも続きません。やがて破綻が訪れます。住宅ローンが返せなくなった、それに売ろうとしても安い価格でしか売れません。銀行は回収が追いつかなくなり破綻しました。
こうしてアメリカに貸し付けていた国にお金が返ってこなくなりました。
今やアメリカの1年間の赤字が、かつて豊かな時代に持っていた資産以上に膨れ上がり、膨大な借金国になったのです。
日本でも、まだまだ状況は悪くなるでしょう。それは覚悟しなければなりません。隣の会社がつぶれたからといって安心してもいられません。そこで作っていた製品や商品が入ってこなくなるからです。
このような状況を日本は62年前に経験しています。日本はそれを乗り越える力を持っています。
社員の方皆さんにこのことを理解していただき、皆さんが生活水準を下げる覚悟を持つことです。そして会社が一丸となってこの不況を乗り越えることです。
ものの売れない時代は続きます。しかし消費者は、そう何時までも買い控えているわけにはいきません。やがてものの売れるときが来る。しかしもとの水準にまでは戻らないでしょう。

この後、懇親会に移り水谷先生と少しお話ができました。
先生は四日市西町のお生まれだそうで、私は諏訪神社前の商店街のものですと名刺を出しましたら、懐かしそうにお話いただきました。
「まだ四日市はましですよ」
「豊田市などは大変ですね。先生、かつて世界恐慌は戦争で乗り切った経過があります。各地で紛争は起きていますが、大きな戦争の可能性はあるのでしょうか?」という問いかけに先生は
「アメリカには今やその元気はないでしょう」
というお答えが返ってきました。

1974年の諏訪公園 2

2009年01月12日 | レモン色の町
1974年 昭和49年頃の諏訪公園です
四日市商店連合会の山車蔵の中から マッちゃんが探し出してきた写真です
いずれお返ししますので 今しばらくお貸しください
          
すわ公園交流館前から藤棚に向かって撮られた写真です
お祭りや正月になると ここにはたくさんの香具師の店が並んでおりました 
          
すわ公園交流館西の 通称石山の上から藤棚方面の眺め 左に鳥小屋が望めます
          
石山から南方角の写真 遠くに市民壇が見えます
          
市民壇から北方向の絵です 昭和9年3月1日 村山清八様が建てた碑がすぐ隣に立っておりました
             
「天地公道の基・・・」とか何とか記しております 戦時中の名残でしょうか?

新道おもしろバザール出店要綱の変更について

2009年01月09日 | 諏訪商店街振興組合のこと
          
追加連絡です。
諏訪新道おもしろバザールの出店要綱に変更を加えました。
5,000円/1小間のテント持ち込み車道ブースですが、お天気になることを願っていますが、4月はじめは天候が悪いと風雨が強く、ご持参のテントが不十分な場合、出店の方にご迷惑をおかけする場合がございますので、すべてテント付きとさせていただきます。従いまして、新道おもしろバザールの募集は、
A.テント付き車道ブース
8,000円/1小間【1.8m×1.8m】 ※2日間ただし、2小間以上は7,000円/1小間【1.8m×1.8m】 ※2日間
C.アーケード下歩道ブース
5.000円/1小間【1.8m×1.8m】 ※2日間
の二種類に限定させていただきます。
尚、販売台の必要な方は1,800円/1台を別途頂戴しますのでお願いいたします。
●お問合せ/お申し込み先
〒510-0085 四日市市諏訪町11-6 スワセントラルパーキング1階
エキサイト四日市・バザール事務局《受付時間/09:00〜17:30 ※土曜・日曜・祝日定休》
今年から土曜日を定休日とさせていただきます ご了承ください
FAX(059)351−6405
E-MAIL suwacent@m7.cty-net.ne.jp