花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

諏訪新道物語3

2018年07月30日 | レモン色の町

昭和33年6月、諏訪神社前はやや遅れて舗装工事が進められていた。かどや呉服店前から南方向に見た写真。左へ進むと諏訪新道商店街。現在のスワセントラルパーキングあたりに三重交通のバス発着所がある。

昭和33年2月、ちょうどこの辺りに立つおじいさん。辻さんは当時の風俗を撮りたかったと話して見えた。弥生館と三重劇場の看板の下には、商売っ気のない小林ガラス屋と古書店の文港堂があった。狭い店舗内に天井まで並べられた本の山。エッチな本のタダ見によく出かけた。

昭和42年7月の港まつりの賑わい。一宮から運ばれたアーチ形の装飾が広い道の両脇に並んだ。右に東海銀行(現 三菱UFJ銀行)が見えるから東向きにとられた写真。

昭和43年の商店の並びはどうなっていたのか。ゼンリンマップから掲載させていただく。西側の1号線から。

東へ

三滝通りの東に四日市郵便局が建つ。

 

 

 

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諏訪新道物語2

2018年07月29日 | レモン色の町

本町 まちかど博物館 水谷さん所有の写真。

大正14年四日市郵便局電話分室が沖ノ島に新築移転した記念に撮影されたものらしい。明治40年に完成した諏訪新道が、四日市の賑わいの中心となる前の様子である(樹林社刊 四日市市の今昔より)。左に建つのが郵便局なら、現在の三滝通りから東に向かって撮られたものと推定できる。諏訪新道の歴史は明治期にさかのぼる。

 

昭和30年代、現在の三滝通りの角、百五銀行西側あたりから郵便局方向にとられた写真。広告塔の向こうに布団屋 かや?さんが見える。その東が郵便局。

 

大正11年の地図を見ると、諏訪神社から諏訪町、沖ノ島を通って本町から四ツ谷町へ、三重軌道・四日市鉄道と平行に通っている。四日市駅と諏訪駅の真ん中あたりにあったのが市役所や高等女学校だった。

 

戦後22メートルに拡幅された諏訪新道は、一気に四日市の中心市街地となる。昭和25年、右に東京銀行(後に三井銀行そしてスワセントラルパーキングとなる)、向かいにはわた増の店舗が見える。

 

昭和26年、ほぼ同じ1号線側から東を撮る。南に岡田屋、手前にナゴヤ堂、北側にサナダヤと鈴木屋の看板が望める。

 

カメラを左に振って、手前からサカエ屋本店・マルエイ・カトウ薬局・サナダヤ・鈴木屋呉服と東へ並ぶ。

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諏訪新道物語1

2018年07月28日 | レモン色の町

昭和28年7月12日発刊の名古屋タイムス“四日市新地図”より。風媒社様よりお送りいただいた資料。再掲載です。

「望みは高し“水郷ベニス” このドブ川がいつの日か」より 諏訪新道商店街が紹介してあります 

銀行は七つ、商店街のところどころに新しい建物で威容を放っているが、商店街を分断する点で困ったものだと云っていた。郵便局は昔の兵舎のお古みたいなうらぶれた姿を道路に出っぱってさらし、完全に商店街を二つに区切って建っている。市役所に通じる大通り(現 三滝通り)はまだ整備されていない。道の真ん中に約1間のドブ川が流れている。将来は三滝川の水を引き、ベニスのような水の都にするのだそうだ。このドブ川の上に映画のカンバンが一杯ある。地所代がほとんどいらないからだそうだ。何でも年に600円とか。セチがらい世の中ダネ。

昭和35年封切り「電光石火の男」より

諏訪新道は飲食店が少ない。客寄せの上からはミスだが、“うまいや”というのはヘノヘノモヘジの看板で宣伝に成功している。浅井というびっこのサンドイッチマンは浪花節狂、報酬なしで毎日エヘラヘラとサンドイッチマンをやっている。同じく大衆食堂舞子屋のサンドイッチマンも同類で女の恰好をして“日本一の美人”と張り紙をして歩き、二人とも町の人気者になっている。鈴木屋、岡田屋(現 イオン)は洋品の大店、羽田も古い店、キャノンは1階カメラ、2階はちょいと気の利いた喫茶店。三重交通のバス乗り場(現 スワセントラルパーキングのあたり)の裏には松坂競輪の場外車券売場がある。ヨシズの下にヒゲ帽などをかむった大勢の若い男がごろごろしている。松坂からはレースのたびに放送する「イチバン」の「イ」にアクセントをおいた伊勢言葉である。

諏訪新道 西1号線側から東方向へ

右下の東海銀行が現在の三菱UFJ銀行

中央に三滝通り。右上の中部中学校は誤りで、現在の中央小学校。

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呉服町商店街

2018年07月21日 | レモン色の町

戦後、最も賑わったのが諏訪新道商店街だった。その南に並行して通る呉服町商店街も衣料品関係の店舗がずらりと並んで賑わいをみせていた。

その南に建っていたのが、四日市日活劇場と宝塚劇場だ。昭和31年、四日市日活(旧ラジオ劇場)の西隣に松竹劇場が出来た。四日市松竹では「喜びも悲しみも幾歳月」「彼岸花」「笛吹川」「人間の條件」等の名作が上映されたが、昭和40年洋画専門の宝塚劇場となる。

樹林社刊 写真集「四日市市の今昔」より

戦前呉服町は、諏訪駅と市役所や高等女学校(沖ノ島方面)への連絡通路があった程度で、多くの商店が並んでいるわけではなかった。昭和5年のマップ。

 

岡野繁松先生が描かれた、昭和10年代の諏訪駅から女学校への通路の様子。旧東海道沿いの金谷染料と嶋口屋の狭い路地を東へ向かう。矢田仏壇様は、大体現在地になるか。

 

当店から路地を抜け、1号線に出て、電気屋の街頭テレビを横目に車の合間を縫って渡ると呉服町だった。商店街が出来た当初は東へ抜けてなくて行き止まりだったと聞いたことがある。戦後、衣料品の店が集まって呉服町が形成されていったのだ。昭和43年の配置図。左に1号線。

 

これは、四日市諏訪商店街振興組合理事長の外羽さんの店頭。昭和30年代、各商店街では、ティッシュで花を折り、様々な人形を作った。

人形は、みなしごハッチ。(昭和45年よりフジテレビ系で放送開始)紳士服トバさんは、昭和43年以降,ユキ美容室さん跡あたりにお店を出された。

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本町通り商店街3

2018年07月17日 | レモン色の町

昭和30年代の頃の三和商店街(四日市市の今昔 樹林社刊より)の写真があった。横には丸武家具店が並び、北へ銀座通りのアーチを抜けて本町へ出る。向かいにはレストランコトブキが建つ。

まちかど博物館の水谷さん提供の写真。昭和29年、西駅前で練る明神丸。向こうに国鉄四日市駅のホームが望める。岡野さんの配置図そのままです。

昭和30年代の本町踏切り。船のアーチがなつかしい。太白永餅さんはそのまま。向かいには丸武さんが建つ。開かずの踏切りには踏切番さんがいた。小便(大便を含)はどうしていたのでしょう?

追記  今気付いたのですが、小屋の左に立つ、斜めに傾いた筒は、トイレ用回転式排気筒ではないでせうか?大きめの小屋だったので、半畳ほどの便所が付いていたのかも知れません。が、向こうの電柱も傾いている。ムム、謎です。

時代はさかのぼって昭和25年。榎本健一と笠置シズ子のお染久松の映画が封切られ、港座前での記念撮影。よく見ると諏訪新道の「のんきや」さんの前掛け姿、のんきやさんは真っ白な砂糖が山とかかったぜんざい等で大繁盛でした。

港座は戦後、映画劇場 四日市東宝となりました。昭和37年、四日市ロケが行われた赤木圭一郎主演の「電光石火の男」が再上映されています(封切り35年)

現在はセントラル歯科さんが建つ。

港座前の路地は戦前、港小路と呼ばれ大変な賑わいだったそうです。路地の向こうに港座がありました。

※ 昨年出版された「四日市市の今昔」樹林社刊 から盗用させていただきました。感謝!

 

 

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往年の三和商店街

2018年07月13日 | レモン色の町

本町の三和商店街の取り壊しに目途がついたようです。入口壁面は、海山道にあった映画館を移築したと聞き及んでいます。(確認はしていませんが・・・)開店時の記念写真を見たことがあるのですが(入り口前で十名ほどの方が立ってみえました)・・・

十年ほど前の祭りの際、伊藤さんに内部を案内していただきました。

昭和43年のにぎやかな頃の配置図です。(ゼンリンマップより)

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本町通り商店街2

2018年07月10日 | レモン色の町

本町の水谷さん(まちかど博物館)から、大正11年当時の頃のマップ(商店街の加盟店のみ)と当時のカラーハガキをお借りしました。

駅の北に川村座という芝居小屋があったんですね。港座だけかと思っていました。

そして、昭和43年の本町通商店街のゼンリン地図です。西側から

東側(国鉄の踏切)へ

この開かずの踏切へ、兄の自転車でSLを見に行きました。それから、この先の運河で船を見学しました。

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汽笛の音

2018年07月09日 | レモン色の町

大正11年に建った四日市西駅舎内の様子が「旧四日市を語る 第1集」に書かれていました。岡野繁松先生お許しください。

昭和7年(樹林社刊 四日市の今昔より)

西駅は省線(国有鉄道明治40年)の関西線になってから、大正11年に四ッ谷町に開設された。外壁は白亜、屋根がスレートぶきの西駅舎は、東駅の古びた駅舎に比べるとスマートであった。駅舎は東駅と同じ北向きで前には広場があった。駅舎の右(西)には売店と便所があり、左には欧風を思わせる桟の多い電話ボックスがあった(入口の左に街路灯と電話ボックスがみられる)。駅舎の中に入ると両側は待合室になっていて天井にはプロペラ型の扇風機が吊るしてあり、木製の長椅子がいくつかあった。右側には切符売り場、左には小荷物受け渡しの窓口があり、大きな秤が置いてあった。正面が改札口で、右に折れると参宮急行(電車)、左には関西線(汽車)の乗り場へとつながっていた。汽車に乗るには左へ階段を登り陸橋を渡ってプラットホームへ降りた(東口からも陸橋へ上がれた)。陸橋を渡るとき汽車の煙がもくもくと上がってきて咽たりした。そのうえ、汽笛が真下で鳴って驚かされた。

出口専用の改札口が駅舎の東側にあり、ホームから陸橋を渡って階段を下りると、この改札口に出た。待合室の東寄りに腰掛けて窓から見ていると降客がよく分かった。迎えに行ったときなどは此処で待った。改札口は汽車、電車ともに共通であった。電車に乗るときには、線路が複線になっていたのでどうしても一方の線路を渡らなくてはならなかった。駅員が転轍している様子がよく見えたし、阿瀬知川の南側(昌栄町)にあった操車場で機関車の向きを変えているのを飽きずに眺めていたことを思い出す。(東駅は関西堀を背に北向きに建っていた)

午起に夏季の間だけ臨時停車駅ができた。夜汽車の汽笛が当時は家(八幡町)にまでよく聞こえた。哀愁を帯びた音であった。おそらくは、そのころはさえぎる大きな建物が少なかったからではないだろうか。

午起海水浴場へはバスで行った。おふくろに手を引かれてバスを降りると正面に堤防がそびえたち、堤防を越えると海水浴場の世界が広がっていた。哀愁を帯びた音といえば、夜遅く聞こえたチャルメラの音が思い出される。布団の中で怖いもののように聞いた。

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本町通り商店街

2018年07月08日 | レモン色の町

大正11年に完成した四日市西駅。この絵は昭和11年ですが、駅の改札口を出て本町方向(北)を望みます。左角には物産館。四日市の名産品、おみやげ品や永餅が売られていました。正面の本町通りには、味の素の看板が見えます。

まっすぐ進んで右に踏切を渡り西に振り向いた写真です。味の素の東隣りにはアサヒビール。

夏の夜、西駅前の風景。噴水?の周りで涼をとる人々。ネオンきらめく夜の街です。

駅前銀座通りのネオンをくぐって、左に三和商店街を見ながら進むと本町通りに出ました。現在のハローワーク駐車場あたりからの写真です。

昭和43年のゼンリンマップですが、角のレストランコトブキは健在でした。この後、国鉄駅舎の2階に移ります。

⑥あたりに噴水があったのでしょう。

 

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合同駅から四日市西駅へ

2018年07月07日 | レモン色の町

大正5年、諏訪駅を東に進むと三重軌道と四日市鉄道の合同駅が見えてくる。線路の右には善光寺の大きな山門が建つ。左下に昭和初期とあるが、合同駅は大正時代にあったのではないか?

Web「幻の軽便王国物語」より、感動の写真です(大正5年11月)。室山の方が持ってみえたということ。室山でつくられた製糸等が、三重軌道でここへ運ばれてきたのでしょう。

合同駅が取り壊され、四日市西駅が大正11年に完成。

昭和5年の写真、四日市西駅(西駅が開設される以前は、東口が表玄関だった)を出た三重軌道は、大きくカーブして諏訪駅へと向かう。右に善光寺が望まれる。

大正11年当時の四日市駅周辺の地図。ここにはまだ西口が描かれていない。合同駅があった当時の地図だ。停車場とある東口が表玄関だった。室山から四日市駅に着いた荷物は、関西堀で船に積まれた。

四日市西駅の表玄関、本町通り商店街が活況を呈するのは当然のことだった。

※ 間違いがあれば、ぜひコメントにてご教授ください。

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