花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

幻の諏訪驛

2018年01月28日 | レモン色の町

戦後の諏訪駅は1番街のキタオカとパチンコホームランの間にあったが、戦前は東海道沿いにあった。“旧四日市を語る”にこの記事が掲載されていたので紹介する。

新田町の南端の東海道筋に線路を挟んで昭和4年に建てられたと言われている南と北の駅があった。線路は東海道と直角に通り、両駅舎とも東海道筋の西側で人通りが多かったので如何にも遠慮して建っているように感じた。

駅の構内を汚れの少ない用水路が流れていた記憶がある。(用水路は、諏訪神社から東海道に沿って西側を流れ、あせち川へ合流していた)

解説に沿って駅の様子を図式化してみた。間違っているかもしれない。

 名古屋からの電車は西町驛(三滝川南堤で今の踏切の南にあった)から下り、両側が田圃の間をずっと南下し天理教の教会(場所は現在と変わっていない)のあたりから急カーブで東へ曲がって諏訪釋に入った。諏訪驛からは南側に田圃が見え線路脇には小川の流れている所を殆ど真直ぐに東へ、そして、善光寺の前を過ぎた所から直角にカーブをとって南に曲がり、四日市驛の電車のホームへ入った。四日市驛からは鉄道と並行して走り、阿瀬知川から分かれ鹿化川の手前で交差して、そのまま南下し、海山道驛へ向かって走っていた。

 三重鉄道の八王子線は、旧式のボンネットバスのタイヤが鉄輪になっている車両で線路を走っていた。皆はこれをガソリンカーと呼んでいたが、本当の名前は“軌道自動車”であった。

 湯の山線の電車は車両幅が狭く、長さも短く、窓はガラス戸とよろい戸があってともに上下して開閉した。両線とも線路は狭軌で小型の車両だったので、軽便と言っていた

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほりき駅のこと

2018年01月24日 | レモン色の町

数か月前のこと、某氏からお尋ねをいただいた。「昔、湯の山線に“ほりき”という駅があったのを知らないか?」その時は“わからない”という返事で済ませた。

最近、図書館移転の話が出ている。友人の、「移転もいいが、図書館あたりに駅を造れば文化会館へのルートも便利になる」という言葉を思い出した。実際、図書館の南側に駅があったのだ。

これを知ったのは、故岡野繁松先生が中心になって発行された“旧四日市を語る”を見ていた時だった。昭和十年から十五年のころを再現した手作り地図で、諏訪駅(戦前は旧東海道筋にあった)から西へ延びた3本の線路、関西急行(近畿日本鉄道)は右へカーブして名古屋へ、左へカーブした三重鉄道(あすなろ鉄道)は、内部八王子方面へ、そして西へ延びた三重鉄道(湯の山線)は火葬場の“ほりき駅”へと伸びていた。

“旧四日市を語る”にこんな記載がある。

火葬場は常盤村久保田にあり、当時(昭和十年ころ)の四日市の西端にあった。周辺はほとんど田圃で、西には芝田、久保田、北には堀木の集落が田圃の向こうにひっそりと点在していてその向こうには西の山が大きく連なっていた。火葬場はその田圃の中にポッンと建っていた。すぐ南を三重鉄道の湯の山行きの電車が通り小さなホームと掘立小屋のような待合室が建っていた。

田畑の中に建つ、のどかな無人駅のような建物が想像される。その駅は、火葬場を利用する人が殆どだったのだろう。

家や寺で葬儀が済むと死者を納めた棺を霊柩車(手押し車?)に乗せ火葬場へと向かった。この葬式の列は、殆どが西町を西へ行くか、弥生館前(柳通り)を通る道を西にとった。弥生館から西新地の狭い通りを抜けると田圃が目の前に広がり路は農道と思われる荒れた道になる。雨上がりは車の輪がくい込み、乾けば埃っぽく轍が深く残っている。この道を西へ行って、伊勢電の変電所を横に見ながら踏切を渡ると火葬場が田圃の間に見える。さらに西へ進むと、農道そのものになる。道はいっそう狭くなる。ここを三昧道とも言った。(焼き場のことを“さんまい”と言った:三昧場狭くなる手前を南へ直角にまがるとすぐ火葬場の門に突き当たる。朽ちかかった門柱と堀に囲まれた中に火葬場はあった。

映画の一シーンのような光景である。

現在の市立図書館が建っている場所が火葬場の跡地である。現在の図書館から北へ行くと湯の山街道との交差点がある。この交差点がやや曲がっているのは直角にまがった道を大きく改造した名残である。その当時、火葬場へ行くことを“ほおりき”(“ほりき”の間違いではないか?)へ行くといった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第9回上映は「楢山節考」です

2018年01月21日 | 諏訪商店街振興組合のこと

  木下惠介監督の“楢山節考”は昭和33年6月に公開。その年のキネマ旬報ベストテンでは第1位と田中絹代が主演女優賞を獲得しています。作品はオールセットで撮影され、全編を通じて邦楽を流し、幕開きに定式幕を使うなどして歌舞伎の様式美的な雰囲気の演出に仕上がっています。 まず、黒子の口上で始まります。「東西、東西、このところ御覧に入れますルは本朝姥捨ての伝説より、楢山節考、楢山節考・・・」歌舞伎の定式幕が開き、場面転換では振落し(背景が描かれている書き割りの布を瞬時で落として次の場面に移る)や、引道具(建物などの大道具の下に車輪を付け、前後左右に移動させる装置)などといった歌舞伎の舞台の早替わりの手法が使われ、長唄や浄瑠璃などの音楽を全編にわたって使い、歌舞伎の様式美を地理入れた作品に仕上がっています。主演の田中絹代は、歯を折る場面のために自らの前歯を何本か抜いて演技をし、高橋貞二も15キロ減量して撮影に臨んでいます。

2月16日金曜日午後6時より スワセントラルパーキング2階会議室で上映いたします。入場無料。ぜひご参加ください。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キューポラのある街 上映いたしました

2018年01月20日 | 諏訪商店街振興組合のこと

寒い中、50名以上(53名)の方に参加いただき、キューポラのある街 の上映会を実施させていただきました。ありがとうございました。

上映前の30分を雑談タイムに充てておりますが、今回も辻俊文さんの残した 諏訪駅から近鉄四日市駅の駅前商店街の変遷を プロジェクターで映しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“キューポラのある街”上映いたします

2018年01月09日 | 諏訪商店街振興組合のこと

 “キューポラのある街”は、平成30年1月19日午後6時より、スワセントラルパーキング2階会議室において上映いたします。入場無料ですので是非お出かけください。尚、上映前の5時30分より“諏方駅から近鉄四日市駅へ 辻さんが残した昭和30年代の中心市街地”の続編をお話しさせていただきます。ご期待ください。

早船ちよの小説で、1962年(昭和37年)4月8日に日活系で公開されました。監督は浦山桐郎。上映時間99分。日本映画監督新人賞、キネマ旬報 第2位を受賞しています。

 映画の舞台は、埼玉県の川口市。東京のすぐ近くに位置する川口市には小さな鋳物工場がたくさんあり、各工場には鉄を溶かすための溶鉱炉(キューポラ)があり、その煙突が林立していた。関西で云えば西淀川や尼崎のようなところだ。

時代は1962年。朝鮮戦争(1950~53年)に伴う朝鮮特需が終わるとともに、職人の腕に頼っていた町工場は次第にオートメーション化された大工場に取って代わられようとしていた。

中学三年生のジュンの父親 石黒辰五郎(東野英治郎)は腕のいい職人だが、突然首を宣告されることに。これでは強く願っていた高校進学もおぼつかない。貧しい問題の多い環境下、吉永小百合演じるジュンはいつも元気で明るく、あくまで前向き。もちろん、そうは言っても時には落ち込み、危機に瀕することもあるが、そこは担任の野田先生(加藤 武)の協力や若手職人 塚本克己(浜田光夫)の尽力で無事クリア。修学旅行にも行かず悩んだジュンが行き着いた結論は、働きながら学ぶ定時制高校に進むこと。そこに新たな夢と希望を見い出したジュンは、やっと仕事に復帰できた辰五郎や塚本らに見守られながら新しい時代に出発することになる。

この作品は昭和37年当時の世相を色濃く反映している。戦後の貧困、労働争議、うたごえ運動、在日朝鮮人の帰還等なつかしく鑑賞していただけるだろう。しかし、あの頃北朝鮮へ帰還した在日朝鮮人の人たちは、今どんな思いをしているのだろうか?

 

<浦山桐郎監督作品>

キューポラのある街(1962年)

 非行少女(1963年)モスクワ映画国際賞銀賞

私が棄てた女(1969年)

青春の門(1975年)

青春の門・自立偏(1977年)

龍の子太郎(1979年)

太陽の子 てだのふあ(1980年)

暗室(1983年)

夢千代日記(1985年)

※  1985年、急性心不全で死去。享年55歳

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あけましておめでとうございます

2018年01月01日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

明けましておめでとうございます。

元日 8時30分 晴天の諏訪神社です。年越しの賑わいから一夜明け、静かな朝を迎えています。

皆様にとりましても 幸多い年となりますよう お祈り申し上げます

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする