花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

母は強し!

2013年06月29日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

中日新聞より。“紙つぶて”をみた。それは“余話”。野依良治氏の言葉に、久々に“紙つぶて”がよみがえった気分がした。

かつて中川志郎上野動物園長は「人間は動物とは別である」とする傲慢(ごうまん)を戒めた。

子育ては個の成長と家族、共同体の安定の原点。

母親の抱擁や言葉かけが絶対的信頼感を生み、母親の行動をまねることで家族との絆をつくる。

その上ではじめて「外的な教育」が可能になる。「一国の文明は、その母の文明にもとづく」とも言う。

すべての民族の基盤は家庭の固い絆にあったのではないか。

我が母親は一切の華美を避けて質実を尊ぶ家庭人。

現代女性からみれば、まことにつつましい生活を貫いた。

しかし、精神的には豊かな、質の高い生涯だったと察している。

題して“女性の社会参画”。母性愛こそ、原点である。と説いておられました。

母は強し。女性を侮るなかれ!

アタシャ 侮ったりなんぞ しちゃ おりませんがネ 昔っから

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続 潮吹き防波堤のこと

2013年06月28日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

旧港を訪ねました。整備された公園の一角に、案内のパネルが立てられています。

江戸時代、江戸と四日市間の航路もあって栄えていた四日市の港も、土砂の堆積で汽船の入港が困難になってきた。

そこで、廻船問屋の稲葉三右衛門は私財を投じ、明治6年より10年以上の歳月をかけて工事を行い、現在見られる旧港の原型を完成させた。

その後、明治21年から翌年にかけて襲った暴風雨のため港は破損、同26年から27年にかけての改修工事により、服部長七施工による潮吹き防波堤が造られた。

高波による防波堤の破損を49箇所の水抜き穴によって和らげ防ぐ仕組みで、全国にも例がなく、平成21年2月、経済産業省より“海運業隆盛の基礎となった港湾土木技術の自立・発展の歩みを物語る近代化産業遺産群”(ナガ~イ)に認定されました。

イラスト絵はがきの構図を求めて旧港内を歩きましたが、写真とは異なり構図がうまく凝縮されて描かれているようです。

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“潮吹き防波堤”のこと

2013年06月26日 | 諏訪商店街振興組合のこと

四日市商工会議所様発行の広報誌“商工春秋”の7月号の巻頭を飾るのは、旧港にある“潮吹き防波堤”です。

四日市港の旧港内にある「潮吹き防波堤」は、明治27年に完成した。総延長199メートル。外海側と港内側の大堤が並行した二重構造。大堤には49カ所の水抜き穴が設けられている。小堤を超えた海水が両堤の間にある溝にたまり、水抜き穴から港内側に流れ出るようになっている。平成8年に国の重要文化財に指定。

昨年3月の「ナイトクルーズ」で見学させていただきました。残念ながら潮吹き状況を見学することはできませんでしたが…

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第1回は「男はつらいよ 純情編」

2013年06月25日 | 諏訪商店街振興組合のこと

平成25年度 文化の駅サテライトステーション事業は、市の文化交際課様が3年前、諏訪栄の一角に“文化の諏訪駅”が出来たのをきっかけに、中心市街地に文化の拠点を作ろうという案で毎年募集されています。

6月6日にプレゼンがあり、当振興組合の映画会では3度目の立候補となり理事長と共に出かけました。

おかげさまで毎回好評をいただいており、審査の皆さまの反応も良好で、今年度も開催できるかナ?と期待いたしております。

さて、お願いが叶うならば、第1回は、前年度大入りだった第1作“男はつらいよ”を受け、第6作“男はつらいよ 純情編”で幕を開けたいと企んでおります。

昭和44年放映のテレビドラマでハブにかまれて死んだ寅次郎を、映画で生き返らせたいと松竹に申し出た山田監督。二の足を踏む映画会社を説得して第1作を完成させたところ大ヒット“続 男はつらいよ”へと続きます。

そして、松竹がシリーズ化に本腰を入れるようになってきたのがこの第6作 純情編です。大映のトップスター若尾文子をマドンナに、五島列島に住む宮本信子の父親に森繁久弥を起用、笑わせて泣かせる佳作に仕上がっています。ちなみに「純情編」「夕焼け小焼け」「相合い傘」を寅次郎三部作と呼ばれているそうです。ついでに、泣かせるラスト三部作は「続男はつらいよ」「寅次郎恋歌」「ハイビスカスの花」ということですが・・・はたして。

「男はつらいよ 純情編」にご期待ください。

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「いざ高知へ!」最終回

2013年06月22日 | 諏訪商店街振興組合のこと

高知に居城を持っていた長宗我部元親は、関ヶ原の戦で西軍についたため敗れ、この地に山内一豊が入国した。これにより新しく入った者を上士、それまで居た者を下士とし、着るものから履くものまで差別する厳しい身分制度ができました。「龍馬伝」でお馴染みですね。このパワーが龍馬や武智半平太を生んだのです。

高知の商店街は、巾の広いアーケードの整然とした道が、高知城からはりまや橋に向けて延々と伸びていました。歩いていても商店街の元気が伝わってきます。

二日目。時間があったので高知城を訪ねました。歴史の重みがひしと伝わってきます。

昨日の日曜市の会場は元の整然とした道路に戻っていました。

はりまや橋のバス停から高知龍馬空港へ向かい、小牧空港へ飛びました。高知の滞在は約24時間。貴重な体験をさせていただきました。明日を担う子供たちを大切にしている高知市民の皆様を、羨ましくも感じた視察旅行でした。

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「いざ高知へ!」その3

2013年06月21日 | 諏訪商店街振興組合のこと

高知には1泊2日の滞在でした。名古屋小牧の空港から50分ほどのフライトで、高知龍馬空港へ到着。30分ほどのバスで西へ進むと繁華な“はりまや橋”に到着します。

はりまや橋から北方向に高知駅があり、北西、高知城方面に向かい官公庁や学校が並ぶ地域となります。昔ここは武家屋敷町だったそうです。

 

高知を代表する観光名所の一つ「日曜市」は、高知城から東へ延びる追手筋(おおてすじ)の道半分を歩行者道路として開放、毎週2~300軒の露店が軒を連ねます。地元の名産品や特産品をはじめあらゆる品々(生姜・小夏みかん・梅・びわ・トマト・カラーピーマン・桃・メロン・スイカ等)が並ぶ「日曜市」は、300年の歴史を持ち、観光客ばかりでなく地元の人々にも親しまれています。

刃物屋さんが目立つのは、昔、近在から買い出しに来たお百姓さんに農器具を売ったなごりだそうで、「日曜市」の日にあわせ店頭の道路に商品を並べての営業となります。

会場の中ほどに「ひろめ市場」があり、地元の食材やお酒を楽しむ人々で賑わっていました。平成10年2階を駐車場としてオープンした「ひろめ市場」は、物販20と飲食40のお店で構成されています。1階の大部分を占める飲食ゾーンは、中央にテーブル席があり、周りを6~8坪の店舗で囲まれていて、お酒やパン・ケーキ・天ぷら・刺身などあらゆる食材を楽しみながら交流できる広場でした。それぞれのお店で買い求めてきた料理とお酒で、話も弾みます。楽しい空間でした。

かつおのたたきは絶品!

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「いざ高知へ!」その2

2013年06月19日 | 諏訪商店街振興組合のこと

まちをつくり、変えることを子供たちに教える・・・これは、歴史上の著名な人物を多数輩出した土佐ならではの発想ではないでしょうか。こどもは宝。将来はこどもたちに委ねられています。だからこそ大人には、子供たちを正しく見守る義務があります。

 保護者の方からの感想に・・

 キッザニアと違って、親は子供と完全に切り離されたことで「わが子を信じて距離を置いてみる」という簡単にできそうで、日常生活では意外に難しい親離れ、子離れの準備ができたように思います。仮想の「こどものまち」なのに、現実社会の親が手や口を出すと、子供の想像力は育ちませんし、親の目を気にして「本当に自分がやりたいこと」が解らない、見つからないなんて残念な結果になりかねません。そうならないように「ただ見守る」のがどんなに難しいか、身をもって知ることができたので、親にとっても貴重な2日間でした。

 イベント開催には資金が要ります。多くの企業やお店が協賛されていますが、商品開発も行われています。“とさっ子駅弁”は材料からの仕入れで作られ、実際に高知駅で販売されているそうです。

  また飲食店では、ワインのボトル裏に“寄付ギフトプロジェクト”のシールが貼ってあり、1本につき100円の補助ができる仕組みです。お客様の話題作りにも一役買っています。

 実行委員会事務局の畠中洋行さんのコメントには・・・

 ここでの社会のしくみを体験することで、子供たちは現実の社会にも関心を持つようになります。各家庭では「お父さんは選挙に行った?」「日銀の短観って知ってる?」などの会話が交わされるようになりました。

 森岡氏の「高知では、閉鎖的空間(りょうまスタジアム)での開催なので300名が定員です。雨が多いせいもあって屋内が適切」と話すのに対して、同行の増田氏いわく「“こども四日市”は子供たちと商店街のかかわりを大切にしていきたい。実際の町が活動の舞台になり、こどもたちが街の活性化の一翼を担うことを目指している」と四日市の活動を紹介しました。

最後に森岡氏は「将来、尾崎君がそうであったように、参加者が成長した姿でプロジェクトに加わってくれるのを楽しみにしています」と語ってみえました。

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「いざ高知へ!」その1

2013年06月18日 | 諏訪商店街振興組合のこと

6月16日・17日の2日間にわたり“こどもの交流拠点施設構築事業”の一環として高知を訪れました。参加者は、諏訪西商店街振興組合の野村愛一郎理事長・メリーゴーランド店主の増田喜昭氏・スタジオエッジの小林渚氏と諏訪振興組合専務理事の水谷武生の4名です。

高知市は、子供たちがバーチャルな街を作り運営するというイベントが開かれているという。それはキッザニアのような単なる体験型の催しではなく、子供たち自らが考え運営するという。その実際を訪ねることとなりました。

対応にあたっていただいたのは、市の「たかじょう庁舎」に事務所がある高知市市民協働部 地域コミュニティ推進課 課長補佐の森岡眞秋氏と、学生時代運営にかかわったことがきっかけでスタッフとなったNPO高知市民会議の尾崎昭仁くんです。

このイベントは大学生がスタッフとなって運営されています。勿論、主役は子供達であるけれども、中心となって世話をするのは大学生の皆さんです。当時学生であった尾崎君は、このイベントを成し遂げたときみんなと一緒に号泣した。その感動がきっかけとなり、本格的にNPOとしてこの事業に係ることになったそうです。目に見えた成果です。

実行委員会「とさっ子タウン」を立ち上げたのは2008年1月のこと。大学生を中心に、市民活動団体・高校生・協力企業等約100名が月1回会議を開きます。その他“だんどりユニット”(企画や助成金の確保)・“営業ユニット”(企業への協賛金願い)・“こうてやユニット”(資金確保のための商品開発)等の運営委員会が適時開かれています。

 こうして年1回のイベント“とさっこタウン”開催に向け準備が進みます。小学4年から中学3年までを対象に募集されて、参加決定のみんなには“市民証”が発行されます。会場は「りょうまスタジアム」。ここへは300名の子供たちと、世話をする役員以外は入れません。

 当日はまず“市民登録局”で受け付けを済ませます。つぎに“まちの約束事”の説明を受け、“ハローワーク”で仕事を選びます。一定時間仕事を済ませると“銀行”で給料をもらい、“税務署”で税金を払います。お金(単位は土佐からとったtos)は“まち”で使えるし“銀行”で貯金も出来ます。お金がたまれば、自分で店舗を開くこともできます。

 警察・消防・郵便局・電車・新聞社・放送局をはじめ、印刷屋・はんこ屋・花屋・美容室・スーパーマーケット・お土産屋・遊びのコーナー等子供たちが考えた様々な職業が並びます。その都度、学生や招かれた専門家が指導しますが、あくまでも側面から。主役は子供達です。

 ここでは議会が開かれ、街の問題等が話し合われます。選挙もあって市長も誕生します。マニフェストを訴えたポスターを掲示、放送局を通じて選挙演説を行います。当選した新市長は、本物の市長と懇談したりして対外的な代表としての役を務めます。

 どこまで本物っぽい運営ができるか?楽しさもあり困難もあると思いますが、学生の皆さんを中心に苦労して造る“まち”は、それだけに成し遂げた喜びも大きいと思われます。

 パンフレットにはこう記してありました

 こどもたちが協力し合いながら、自分たちでまちをつくることが出来る、変えることができるということを体験してもらうことをめざしています。

 こうした体験の中から、こどもたちが社会のしくみを知り、一人ひとりがどのような権利を持ち、どのような責任を果たすのかを、感じたり気づいてもらえればという思いで取り組んでいます。

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グランドマスター

2013年06月10日 | 映画の名言、映画の迷言

重厚で叙情あふれるカンフー映画が出た。特に水しぶきを上げての戦いは美しい。

ワイヤーを使った大袈裟な格闘は、嘘と分かっていてダンスを見ているようだ。

20世紀始め、カンフーの事務所というか交流の場は、妓楼にあったということだ。お江戸吉原が社交場だったようなものか。豪華で胡散臭そうな雰囲気がよく出ている。

贅沢をいえば、この辺りもう少しエロっぽさが欲しかった。

グランドマスターを巡って激しい戦いから数年後、引退を控えたチャン・ツィイは、妻子のあるトニー・レオンに愛を告白する。

「人生悔いのないのがいいっていうけれど

私はそうは思わない

悔いのない人生なんて

味気ない」

 

 

 

 

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「誰も知らない」再び

2013年06月09日 | 諏訪商店街振興組合のこと

是枝裕和監督の「そして父になる」が、カンヌ国際映画祭で審査員賞を受けた。

是枝監督というと、2004年の「誰も知らない」を思い出す。同じカンヌ国際映画祭で柳楽優弥くんが最優秀主演男優賞を受賞している。

四人の子供たちが、母親からアパートの一室に置き去りにされる。やがて仕送りも途絶えるが、そんな中でも子供たちは生き抜いていく。

事実に基づいて創られたというが、やるせなさがこみ上げる。特に長女の京子に至っては、堪らない。アパートを抜けだして四人が公園で遊んでいるとき、妹がつけた砂をそっと払う場面がある。感動する。

何故 なんとかしないのか? なぜ 助けを求めないのか?

明は答える

「いまいくつだっけ?」

「12才です」

「アルバイトは16才以上でないと始められないんだ

 警察とか福祉事務所とか 連絡したほうがいいんじゃない?」

「そんなことしたら4人で一緒に暮らせなくなるから

 前にもそういうことがあって、すごく大変だったから」

「そうか・・・」

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