花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

昭和の食と商店街 ダイヤパン

2017年08月31日 | レモン色の町

第2回 ダイヤパンの巻

和30年代の朝はパン食だった。食パンをダイヤパンで買う。1本(4斤?3斤?)買う。店の奥で1斤を6枚にスライスしてもらう。円盤に食パンをあてて切ってもらう。厚切り4枚スライスだと食べごたえはあるがうちのトースターに入らない。トースターは中心に電熱線が入っていて、両側にパカッと開く形式だったが、裏返して2度焼きしなくてはならないので、上から落とし込み、焼けると飛び出す形に改良される。ただし、厚切りだと焦げ付いたまま飛び出してこなかった。(そんな時、トースターに一言「とうすたの?」)

焼けた食パンにバターかマーガリンをヘラで塗る。食べ盛りだと1人1斤は食べる。それと、缶に入った粉ミルク?? 乳児用の粉ミルクかと思われるが、それを湯に溶いて飲む。早朝配達されるビンに入った牛乳は高価で、粉ミルクが多く出回っていたのかもしれない。小学校の頃、副食はなかった。目玉焼きが付くのはずっと後のことだ。

ダイヤパンでは食パンを買う事がほとんどだったが、ある日、奥のケースの上に細いパンが立っているのを見た。それが無性に食べたくなった。こずかいをはたき買い求めたが、パンの柔らかさにはほど遠く“売れ残り”を掴まされた気分だった。(フランスパン デシタ)

ダイヤパンは、通学路にあたる浜田町(旧東海道沿い)にもあったが、利用するのはうちに近いすわとん隣りの店だった。


昭和の食と商店街 すわとん

2017年08月30日 | レモン色の町

第1回 すわとんの巻

昭和39年、東京オリンピックへリレーされる聖火ランナーを見る人で1号線沿いは黒山の人だかりとなった。(樹林舎刊 “四日市市の今昔”より)

その見物人を背にして“すわとん”と左に“ダイヤパン”が並ぶ。“すわとん食堂”は真ん中に通路があり、右側の店頭で大将が大なべに油をはじかせカツを揚げていた。その奥が客席だ。カツを揚げながら通る人に大きな声であいさつをする。評判だった。串カツが10円、トンカツ30円(昭和30年代当時週刊新潮が30円だったから、そんなものと想像する)。品揃えはそれだけ。母親は店が忙しいので夜は店屋物(てんやもん)で済ませる日が多かった。5人兄弟の大家族。「今日は串カツ!」と決まると“すわとん”へ大金をつかんで走る。きざんだキャベツに串カツが各3本盛られる。厚いコロモにかぶりついて玉ねぎだと残念、肉だと嬉しかった。

店内で食べた記憶はほとんどない。昭和43年頃、組合の宴会で2階に集まった。キャベツが盛り付けられたトンカツで一杯やる。宴たけなわになった頃、おやじさんが8ミリ映写機を持ち出した。「顔は悪いが、表情が何とも言えんです」そのヒトコトが記憶に残る。

そう、思い出した。“すわとん”前に観光バスが止っていたことがある。四日市名物だった。当時は親父さんの他に数名の若い衆が忙しく立ち働いていた。前を通ると親父さんの大きな声が飛んでくる。1号線寄りに駆け抜けた。


「倍賞千恵子の現場」より“寅のアリア”

2017年08月28日 | 映画の名言、映画の迷言

もう一つご紹介します。「倍賞千恵子の現場」より、渥美さんが膨らませたセリフ

寅さんが歌い上げる「アリア」で、私が一番に思い浮かべるのは、第十五作の「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」(1975年)の一シーンです。

リリーさんを仕事先のキャバレーへ送って、とらやに戻った寅さんは、茶の間のみんなに、そのキャバレーが如何にしょぼくれた場末の店だったかを悲しそうに伝えます。そして、俺に金があったらなあ、大劇場を借り切って、リリーに好きなだけ歌を歌わせてやりたいのよと語ります。

この場面を渥美さんが、最初の台本からどんな風に膨らませて語ったか、最初はこんな風になっていました。

「・・・バンドも一流司会者も一流よ。ベルが鳴る。灯りが消える。『テレビをご覧の皆さま今晩は、会場の皆さん、今夜はようこそいらっしゃいました。それでは只今よりお待ちかね、リリー松岡ショーの幕開きでございます』。緞帳がゆっくりあがる。スポットライトに照らされて立っているリリー。きれいだよ。あいつは。なにしろ姿がよくて、顔立ちが派手だからな。場内にザワザワザワザワ・・・。溜息の声。割れるような拍手。『リリー』『待ってました!』『日本一!』。やがて騒ぎが収まる。水を打ったようにシーンとなる。そしてリリーが歌いだす。♪ひーとーり酒場で飲む酒は・・・シワブキ一つももらさず歌に聞き入る観客、みんな泣いているよ。なにしろリリーの歌は悲しいからなあ。・・・やがて歌が終わる、待ちかねたようにウワ―ッ、拍手拍手拍手、花束、テープの紙吹雪・・・。リリーは泣くぜ、あの大きい目からポロポロ涙をこぼしてさ、いくら気が強いあいつだって、そんなときはきっと泣くよ」

この第一稿の台本の世界を渥美さんが膨らませていって、実際の本番ではこんな風になりました。

「ベルが鳴る。場内がスーッと暗くなるなぁ。『皆様、たいへん長らくをば、お待たせいたしました。ただいまより歌姫、リリー松岡ショーの開幕ではあります』。静かに緞帳が上がるよ。スポットライトがパーッと当たってね。そこへまっちろけなドレスを着たリリーがスッと立っている。こりゃいい女だよ。あれはそれでなくったって、そりゃ様子がいいしさ。目だってパチーッとしてるから派手るんですよ、ね!客席がザワザワザワザワザワザワザワザワっとしてさ。『きれいねえ』『いい女だなあ』『あっ、リリー!』『待ってました!』『日本一!』。やがてリリーの歌がはじまる。♪ひーとーり酒場で飲む酒は・・・ねー、客席はシーンと水を売ったようだよ。みんな聞き入ってるからなぁ。お客は泣いてますよ。リリーの歌は悲しいもんねえ。やがて歌が終わる。花束!テープ!紙吹雪!ワーッと割れるような拍手喝采だよ。あいつはきっと泣くな。あの大きな目に涙がいっぱい溜まってよ。いくら気の強いあいつだって、きっと泣くよ・・・」


「倍賞千恵子の現場」より“家族”

2017年08月23日 | 映画の名言、映画の迷言

「倍賞千恵子の現場」倍賞千恵子著 PHP新書より

山田洋次監督の「家族」を上映したのは2015年1月23日でした。この日は吉村英夫先生にもお越しいただき映画鑑賞後、山田監督について講演会を行っていただきました。この本に映画「家族」のことが掲載されていました。

 

『家族』は長崎の炭鉱に見切りをつけた一家五人が、酪農を夢見て北海道の開拓村まで列車を乗り継いで旅をする物語です。道中、乳飲み子を病気で亡くし、やっとの思いで到着した中標津で老父(笠智衆さん)を亡くします。後悔と悲嘆にくれる夫(井川比佐志さん)に、民子(倍賞千恵子)が語りかけます。

「六月になって春が来て、春になっとね、見渡す限り緑になって、花がいっぱい咲いて、牛がモリモリ草ば食べて、乳ばどんどん出すようになって、そんなときになっと、住んどう人間も生き返ったような、こん広か土地と一緒に生き返ったような気がして、そんときは誰でも、ああ今年こそは何んか良いことがありそうなって、そう思うて。ねぇ父ちゃん、そんときば楽しみにせんば、ね」


市川崑監督“ビルマの竪琴”

2017年08月22日 | 諏訪商店街振興組合のこと

1948年市川崑はデビュー作「花ひらく」以降、新東宝を皮切りに東宝、日活、大映と各社をまたにかけ「ビルマの竪琴」「東京オリンピック」「犬神家の一族」などジャンルにしばられることなく常にエポックメイキングとなる話題作を世に送り出しました。そのいずれの作品においても徹底した美意識が貫かれ、大胆な実験精神とスタイリッシュな演出スタイルは多くの観客を魅了し、日本映画界に独自の地位を築きました。

 

 次回、四日市市市民文化事業 映画監督と昭和の時代 第4回 市川崑とビルマの竪琴 平成29年9月15日(金)午後6時より上映です。入場無料 是非ご参加ください。


昭和初期の中町銀座

2017年08月19日 | レモン色の町

樹林舎様発行の“四日市市の今昔”より。

写真提供は水谷宣夫さん

昭和初期の中町銀座の写真が掲載されている。辻から港へ延びる北浜往還は、明治・大正・昭和にかけて賑わった。この写真は八幡町付近の絵で西方向に撮られている。南に伊藤履物店、その先には大正バザーという大きな建物が望める。その向こう隣が今も営業中の和菓子の永昌堂(間違い 栄昌堂)さんである。

増田武夫さんが、昭和4年当時の“浜往還”の地図をつくられた。比較してみる。

大正バザーにはキリンビールの看板が出ている。当時としてはハイカラなマーケットだった様だ。


"寅次郎ハイビスカスの花 特別篇”上映

2017年08月19日 | 諏訪商店街振興組合のこと

8月18日午後6時より、四日市市市民文化事業 第3回 寅次郎ハイビスカスの花 を上映、43名の皆様にお集まりいただきました。ありがとうございました。

毎回、北勢地域若者サポートステーションの皆様にお手伝いいただいています。今回、新しく参加された方に住まいを聞いたところ、自転車と車を乗り継いで通っているとのこと。それじゃあ帰りが遅くなるネ、遠いの?と尋ねると「とおいんです」との答え。で、そこから話が続かなくなった。話したくないのかな?と思っていたら、また一言「とおいんです」。実は東員町だったのです。終了時刻は午後8時、帰りは9時過ぎになるのでは・・・。ありがとうございました。


公園通りアーケードの謎

2017年08月15日 | レモン色の町

当時の公園通りの写真を時系列でならべてみます。

□昭和33年3月15日、辻さんは、現公園通りの中央、ラッキーパチンコ前から南方向(諏訪駅跡地方面)に向かって写真を撮った。この時はまだアーケードは出来ていない。

□昭和33年10月5日 諏訪公園南大通りのアーケード完成(辻 俊文氏撮影)

□月日を経て、昭和37年 諏訪公園南大通りの様子。左にラッキーパチンコが建つ(樹林舎発行 四日市市の今昔より)

樹林舎さんから「四日市の今昔」編集段階で、ご質問をいただいた。33年にあったアーケードが37年には無くなっている、どうしてか?

□そして、昭和39年6月 1番街アーケード起工式(辻 俊文氏撮影)

アーケードが消えたのは、完成翌年の昭和34年9月に来襲した伊勢湾台風による倒壊と考えられる。私も無残に倒れたアーケードを見た記憶がある。

商店街のそうそうたるメンバーが集まり、1番街アーケードの起工式が行われた。

拡大写真

向こうに見える公園通り。未完成なのか?この時のアーケードは庇状になっている。通りが広いため公園通りはアーケードで苦労している、そんな歴史がある。


“男はつらいよ ハイビスカスの花 特別編”

2017年08月12日 | 諏訪商店街振興組合のこと

<寅さん名言集>

・惜しまれて、引き止められるうちが花ってことよ。「第2作 続男はつらいよ」

・人間はなあ、額に汗して、油にまみれて働かにゃあ、いけないんだよ「第5作 望郷編」

・今夜中にこの雨のカラッと上がって、明日はきっと気持ちのいい日本晴れだ、お互げえくよくよしねえで頑張りましょう「第8作 寅次郎恋歌」

・父親と母親がいて、子供がいて、にぎやかに夕飯を食べている。これが、これが本当の、人間の生活というものじゃないかね、君。「第8作 寅次郎恋歌」

・お天道様は見ているぜ「第11作 寅次郎忘れな草」

・自分の気に入った作品は人に渡したくない。ましてや気に入らない作品を売るわけがない。だから金が全然入らない、これが芸術家ですよ。「第12作 私の寅さん」

・ああ、いい女だなあ、と思う。その次には、話がしたいなあと思う。その次には、もうちょっと長くそばにいたいなあ、と思う。「第16作 葛飾立志編」

・しっかりやれよぉ。また、いつか、日本のどっかで、きっと会おうな。「第18作 寅次郎純情詩集」

・そう、心で歌え、心で。「第23作 翔んでる寅次郎」

・忘れるってことは、本当にいいことだな「第27作 浪花の恋の寅次郎」

・レントゲンだってやっぱりね、あれ、ニッコリ笑って写した方がいいと思うの。だって明るく撮れるもの。「第32作 口笛を吹く寅次郎」

・私もひたすら反省して、人に尊敬される人間になろうと思います。「第32作 口笛を吹く寅次郎」

・ああ、いい女だなぁ、この女をおれは大切にしてぇ、そう思うだろう。それが愛ってもんじゃないか。 「第36作 柴又より愛を込めて」

・男が女に惚れるのに、歳なんかあるかぃ 「第38作 知床慕情」

・ああ、生まれてきて良かったな、って思うことが、何ベんかあるじゃない、ね。そのために人間生きてんじゃねえのか。 「第39作 寅次郎物語」

・勉強したやつは、自分の頭でキチンと筋道をたてて、はて、こういう時はどうしたらいいかなと、考えることができるんだ。 「第40作 寅次郎サラダ記念日」

・じゃ、また夢の続きを見るとするか。 「第41作 寅次郎心の旅路」

・貧しいね、君たちは、二言目には金だ。金なんかなくったっていいじゃないか、美しい愛さえあれば。 「第43作 寅次郎の休日」

・旅というものはな、行き先を決めてから出かけるもんじゃねえんだよ。 「第46作 寅次郎の縁談」

・苦労したんだなぁ、本当に皆さんご苦労様でした。「第48作 寅次郎紅の花」

・風の吹くまま、気の向くままよ。

 8月18日(金)午後6時より スワセントラルパーキング2階会議室にて 四日市市市民文化事業“映画監督と昭和の時代 第3回 男はつらいよ ハイビスカスの花 特別篇”を上映します。入場無料 元気な寅さんに会いに来てください。


「四日市市の今昔」発刊

2017年08月10日 | レモン色の町

本日、樹林社さんから、写真集「四日市市の今昔」が発刊されました。

6年ほど前にも「四日市の昭和」が同社から発行されましたが、今回は個人のスナップ写真は少なく、貴重で懐かしい絵が満載。良くぞここまで集めたと感心至極です。

表紙は昭和35年頃の1番街。完成したばかりのカワムラセンター2階からの眺めで、マルミヤ、ひかりや、フクヤ、ニッポン堂薬局、なかむら履物店(健在)、水谷食堂、諏訪寿司と馴染みの店が並びます。アーケード完成以前の貴重な写真で、教育委員会が所蔵していたそうです。

8ページの八千代台の写真は、石積みの位置から同じ場所と分かりますが、バスも同じ位置。バスごと現在にワープしたようです。樹林社さんの、執念と努力に感心させられました。