花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

三宅邦子のお尻

2016年01月31日 | 諏訪商店街振興組合のこと

“麦秋”上映後の講演会の席で、三宅邦子のお尻について感想を述べさせていただいた。

東山千栄子は母親で、三宅邦子は嫁にあたる。二人は布団を直しながら、子持ちのところへ嫁に行くと言い出した長女(原節子)のことを話している。

東山「田園調布の篠田さんねェ」

三宅「ええ」

「あすこへ伺うたんびに 紀子もあんな芝生のあるハイカラな家の奥さんになるんじゃないかなんて思ってたんだけど・・・」

「そうですねえ」

「これだったら専務さんからのお話の方が まだよかったんじゃないかしらねえ」

「そうですねえ」

「見当もつきませんよ この頃の若い人は」

鑑賞する都度、監督は意識的に三宅邦子の大きなお尻を撮っているように思える。なんと、三宅邦子のお尻を二度も上げさせているのです。監督はカメラのアングルを覗きこみながら、ニンマリしていたに違いない カナ?。 ぞっこん惚れ込んでいる原節子に対しては、こんな失礼なことはしませんよ、キット。

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驚愕の“日本三大怨霊”

2016年01月30日 | おいらの商店街

“四日市まちゼミ”が2月から始まります。当店も参加店なのですが、未だに参加される方が3名様にとどまっておりますので、皆様方のご参加を切に望むところでございます。2月6日・16日・26日午後2時より 

□ 迷信を吹き飛ばして元気生活!

タタリからバチあたりまで、迷信に振りまわされた生活をしていませんか?まずは悪い迷信は気にしないことです。

 

さて、六曜はご存じでしょう。結婚式は大安にし、お葬式は友引を避ける傾向はありませんか?

六曜は、14世紀の鎌倉時代から室町時代にかけて中国から伝来しました。そして、19世紀初頭の文化年間に現在のような形になり、江戸の幕末にもっとも盛んに用いられました。

明治時代となり政府により禁止されましたが、第二次世界大戦の頃は政府の統制がなくなり再び盛んとなりました。

この六曜、縁起を担ぐことから賭博などに用いられてきました。仏滅だからと言って仏教とは関係ありません。当て字によるものです。仏教は占いを否定(俗信一般)しており、釈迦の教えは、因果関係によって物事が決まるという教えから成り立っています。

六曜は旧暦での単なる繰り返しによって決まるにすぎません。旧暦の1月と7月は先勝から始まり、友引、先負、仏滅・・・と繰り返されていきます。

1月・7月

先勝 せんしょう

2月・8月

友引

3月・9月

先負 せんぶ

4月・10月

仏滅

5月・11月

大安

6月・12月

赤口 しゃっこう

したがって、旧暦で月と日の和が6の倍数であれば大安となります。

(月+日)÷6=?・・・あまり

あまり

 0

大安

 1

赤口

 2

友引

 3

先勝

 4

先負

 5

仏滅

旧暦での単なる繰り返しが六曜なのです。明治以来、新暦になったことから不規則な感じがするだけなのです。

皆さんは、日本三大怨霊をご存じでしょうか?

              菅原道真 太宰府天満宮(福岡県太宰府市)・北野天満宮(京都市上京区)

              平将門  築土神社(東京都千代田区)・神田明神(東京都千代田区)

              崇徳天皇 白峰宮(香川県坂出市)・白峰神宮(京都市上京区)

これらのタタリはなぜ発生し、如何に沈められてきたのか、この辺りもお話ししようと思います。

今回、苦肉の策で皆様にお土産を用意いたしました。“開運おみくじ”でございます。

講釈師、見てきたような嘘を言い。是非お申込みください。・・・って どこが驚愕じゃ!

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伊丹万作とその系譜

2016年01月29日 | 諏訪商店街振興組合のこと

昨日の中日新聞に、吉村英夫先生のことが載っていましたので掲載いたします。

著書“伊丹万作とその系譜”には伊丹万作から始まる人脈の広がりが描けていて面白い。日本の映画界は意外に狭い世界だったのだと思います。伊丹万作・志賀直哉・小津安二郎・黒澤明・橋本忍・竹内浩三・野上照代・山田洋次とつながっていく。

あとがきに、こう記してみえます。

日本映画史という視点をはじめて持つことが出来た様に思う。日本映画と映画人を、時代の流れも意識しつつ組み立ててみることを試みた。あちらへ飛びこちらへ戻りしていささか乱調気味であるが、それを承知で、螺旋状に昇っていく叙述をめざした。

先生の談によると、1950年フランス映画“輪舞”を参考に書かれたそうだ。舞台は第一次大戦前のフランス。輪舞の如く廻り連なる恋模様を描いたものだ。

リメイク版が、ロジェ・ヴァディム監督によって1964年作られた。キャストは、アンナ・カリーナ、ジェーン・フォンダ。高校生のとき中間試験が終わったので四日市シネマへ“輪舞”を観に出かけたら、場内は高校生で一杯だった。「こんな映画学生に見せてもええのか!」と大人が叫んでいた記憶があります。

※ まったく別の話ですが、今日、本町の服部次俊さんの告別式だった。享年満57歳。3年前癌を患い、手術をしてよくなったり、再発したりの繰り返しだった。あちこちでケンカを吹っ掛けるやんちゃ坊主だったが、あまりの早い死に、涙する弔問者が多かった。

出棺のとき一人、「つぐちゃーん!」と声をかけた同級生の良太君。日頃はひょうきんな男だが、今日の彼の言動には泣かされました。

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木暮実千代の色気

2016年01月28日 | 諏訪商店街振興組合のこと

先日の映画会の席で、原節子がお茶漬けを食べるシーンに色気を感じるとの吉村先生のお話に、Tさんは感じないということでした。小津安二郎監督  麦秋の原節子

私は、木暮実千代の素麺やラーメンを食べるところで、色気を感じます。芸達者なのでしょう。

溝口健二監督  祇園囃子で素麺を食べる木暮実千代

溝口健二監督  赤線地帯 でラーメンを啜る木暮実千代

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浮世絵にみる四日市宿

2016年01月27日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

四日市商工会議所様発行の機関紙“商工春秋2月号 東海道五十三駅四十四 四日市”より。

四日市を描いた浮世絵の多くは、蜃気楼や追分の鳥居そして橋を描いたものに偏り、宿場の賑わいを描いたものは本作品のほかに見つかっていない。

 二階建ての旅館が立ち並ぶ前を馬に乗った旅人や天狗面を背負い白装束に身を包んだ金毘羅詣での道者が通る。旅人を招きよせる二人の客引きに見入ると、彼女たちの元気な声が聞こえてきそうである。

 本作品は、同じシリーズの他の宿と赤色の調子が異なることに加え、署名が立でなく後に名乗った広重とあることから明治に入ってからの後摺りと考えられる。

      (市立博物館学芸員・田中伸一)

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2016年01月24日 | 諏訪商店街振興組合のこと

平成28年1月23日、吉村英夫先生を迎えて四日市諏訪商店街振興組合主催の小津安二郎監督“麦秋”の上映と講演会を行いました。寒い午後でしたが48名の皆様にお集まりいただき、上映後20名ほどの熱心な小津ファンの方々と共に、先生のお話を聴くことが出来ました。

 “麦秋”のなかで、祖父の菅井一郎は妻の東山千栄子と語り合います。「いまが一番いい時かもしれないねェ」「私たちはまだマシな方だよ」人生の終焉を意識しつつ現在の幸せを噛みしめる。そこに悲壮感はありません

この作品は、年寄り夫婦、息子夫婦(笠智衆、三宅邦子)と子供二人、妹(原節子)の親子三代が同居している大家族の物語です。しかし、原節子の結婚を機に年寄りは鎌倉から奈良へ隠居を決めます。こうして離散していく家族。「みんなバラバラになるねェ」としみじみ語る菅井一郎。最後は、奈良盆地の麦畑を行く婚礼の行列を眺めているところで終わります。

自分たちは結婚し家族を作ってきた、そしてまた子供たちは結婚し子供たちを作っていく。“彼岸花”で山本富士子に“小早川家の秋”では笠智衆に云わせていた“せんぐりせんぐり”という言葉、“繰りかえし”を軽いタッチで言ったものですが、自分たちは大和の地で死を迎えるけれど、次の世代が引き継いでいく。こうして人の営みは繰り返して続けられていく、それが当然のことなんだと、小津監督は語っています。

 監督は結婚をしていませんから子供がおりませんでした。当然血のつながりは耐えています。しかし“繰りかえし”は人生を謳歌し横のつながりを大切にすることで次世代へ引き継がれていくのです。世界の監督小津安二郎の名前は100年を経ても人々に愛され続けています。

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うまくいっている人の考え方

2016年01月22日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

“うまくいっている人の考え方”ジェリー・ミンチントン 弓場隆訳 ディスカヴァー携書 から

19.不平・不満を言わない

 あなたは物事が思うようにうまくいかないとき、自分に不平不満を言う癖があるだろうか。で始まる本書。

あなたはその癖が少しでも自分にとってプラスになっていると感じたことが一度でもあるだろうか。

 自分に不平・不満を言うのには、それなりの理由があるかもしれない。しかし、この癖は事態をますます悪化させるだけなのだ。

事態を好転させるために何らかのことをしないかぎり、不平不満を言った分だけ自分が一層みじめになり、「どうしていつも私ばっかり・・・・」といった被害妄想意識が強くなるだけである。そんな悪癖に気付いたときは、頭を切り替えて楽しいことを考える。

たとえ少の間だけでも否定的な考えを取り除く習慣が身につけば、自分に人生がいかに明るく快適になっていくかに驚くはずである。

              不幸を招く考え方を避ければ、より幸せになる。

明日午後2時より「麦秋」の上映です。寒い日になりそう・・・ お気をつけてお出かけください。

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小津安二郎監督“麦秋”

2016年01月20日 | 諏訪商店街振興組合のこと

“麦秋”は、昭和26年に公開されました。“晩春”(昭和24年公開)、“東京物語”(昭和28年公開)と並んで紀子三部作の一つです。

北鎌倉の住宅地の静かでおちついたたたずまいの中でゆったりと進行する風格の大きなホームドラマです。

婚期を逸しかけている娘(原 節子)の縁談をめぐって、兄夫婦(笠 智衆と三宅邦子)や両親(菅井一郎と東山千栄子)がたいへん心配します。娘の婚期を機に、三世代七人同居の大家族がそれぞれの核家族に分かれていく。だから今にして思えば伝統的大家族から核家族へという、この時代を特徴づける大きな変化がここに写しとられ、現在という時代を過ぎゆく時として深い愛惜の情をもって眺めるという視点がこの作品をユニークなものにしていることが分かります。

北鎌倉、鎌倉の大仏殿、ニコライ堂の見える神田駿河台のあたり、銀座のオフィス街、上野公園などなど、東京や鎌倉がこんなにしみじみいい街だったかと思います。当時だって東京はそんなに静かな街だったわけではありません。これは小津の理想の都市なのです。

          講談社+α文庫 小津安二郎新発見より

 

“晩春”(昭和24年)で笠 智衆は父親役でした。「嫁ぐのは嫌だ!お父様のところにいつまでも居たい」と訴える娘の紀子(原 節子)。“麦秋”(昭和26年)では、妹、紀子(原節子)の結婚を心配し苦言を言う兄(笠 智衆)の役です。“晩春”で紀子は結婚を拒否しますが“麦秋”ではみんなの反対を押し切って結婚します。娘紀子の結婚という同じテーマですが、小津監督の描き方の違いに着目すると面白いところがあります。

菅一郎と東山千栄子の二人がしみじみと語り合うシーンがあります。「紀子も結婚してしまうし、みんなバラバラになる。今が一番いい時かもしれないねぇ」戦地での体験のある監督は、死は避けられないこととして受け止めています。死を恐れることよりも、今を大切に生きることの大事さ。小さな起伏はあるけれど、淡々と生きることの有りがたさを訴えているようです。

 

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ほぼほぼ の意味は?

2016年01月17日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

四日市法人会の機関紙“つどい”新年号を読ませていただいていたら「新会員の紹介」ページの下半分に「ご存じですか?新語・流行語」の記事があり、そこに“ほぼほぼ ”の解説があった。(エーッ こんなの載せてええのかい?)

「ほぼほぼ完成です」(二個もあるんかい?)

「ほぼほぼ終わっています」(それはごくろうさま)

「ほぼほぼ」は、物事が完了間近であることを強調したり、作業の進展具合をぼやかしたりするとき(そりゃ、ぼやかす必要もあるでしょう)に使われる。

三省堂国語辞典第7版で、完全に近い様子を表す「ほぼ」という語を引くと、「俗に、重ねて使う」という注釈がある。(そんなの アリ?)近年の用法に言及しているのだろう。

主にビジネス用語として、「こみこみ」(全部ひっくるめて)、「きんきん」(近々=近いうちに)などとともに使われる。

※最後は圧巻、「きんきん」がでました。そして「・・・などとともに使われます」は極め付きデス。

あ!濁ってなかったか!

学生の頃、九州からきている寮生の友達から聞いた単語デシタ。不謹慎かな?とも思いましたが、マ、法人会の機関紙ですから 問題はないでしょう

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フラッシュ・モブ

2016年01月16日 | おいらの商店街

昨夜は、すわ公園交流館で“第3回 四日市映画祭準備委員会”があった。三重映画フェスティバルの重鎮である中村氏もお越しいただき、楽しい会になった。

中村氏曰く「わたしゃ 作るより観るほうが好き。」という事で、二人で好き勝手なことを喋らせていただいた。

さて、4月に開催のエキサイト四日市・バザール2016に街は80000万人の来街者で賑わう(予定)。この機会に行動を起こし、映画祭委員会のスタートにしようという事になった。

討議の中、我がグループの太田氏から“フラッシュ・モブ”という単語が飛び出した。たとえば一人が歌を口ずさむ、それが広がり大合唱となる。これを会場でロケし、イベント化出来ないかという事だった。そこで今朝こんなことを考えた。思いついたら眠れなくなった。

供が三人の子にいじめられている。大人がその中に入るが、その大人も一緒になっていじめる。

そこへ小さな女の子が割って入る。どうやらいじめにあっている子の妹らしい。やめてくれと泣いて頼むが、まわりの連中は聞く耳を持たない。人だかりが大きくなる。

そこへ小さな男の子が入り、いじめている子を軽く押しのけると、その子はぶっ飛ぶ。そして、いじめられている子に何か耳打ちをするとダンスを始める。

やがて二人で踊り、妹も加わって三人でダンスをする。徐々にいじめていた連中も揃って踊り、いじめに加わっていた大人にも広がる。

最後は数十名がそろってカメラを前に踊る。まわりの観衆も手拍子で応援する。

“フラッシュ・モブ”はいろんなところに応用できる。

人生に行き詰まりを感じた青年が、しゃがみ込み木の棒で段ボールの上を軽くたたく。深くため息。涙が一筋。小さな音から徐々に軽快なテンポ。音は大きくリズミカルになっていく。いつの間にか隣にいる青年も段ボールをたたいている。一瞬にしてその青年らは衣装をまとい、太鼓を前にしてたたき出す。二人だった青年は三人になり、そして増え続ける。最後は、カメラを前に数十名の太鼓連が諏訪太鼓を披露する。

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