花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

エキサイト四日市・バザール2013始動!

2012年12月30日 | 諏訪商店街振興組合のこと

第22回 エキサイト四日市・バザール2013の取り組みがが始まりました。

11月の準備会で、開催テーマを「四日市の観光」に決定。

12月18日開かれた、第1回実行委員会では、開催日時が平成25年4月6日(土)・7日(日)、開催テーマが「よっかいちの魅力再発見」と決定いたしました。

12月26日・28日に市役所・警察・保健所・商工会議所、観光協会、銀行等、協賛各所の挨拶回りをアビコミの堀木さんと行ない、28日 第1回 催事委員会を開き三滝ステージのプログラム検討を行いました。

次回は、なちゅらる市場さんに全面協賛をいただき、京都百万遍さんに変わって手づくり市を開催していただけることとなりました。

地元の観光、物産、魅力をお披露目できるイベントに仕上げるため、これから3ヶ月の間、全力で取り組んでまいります。

「よっかいちの魅力再発見」にご期待ください。

 

 


御陣屋裏門の秋景

2012年12月28日 | レモン色の町

商工春秋1月号が発刊されました。今月の水谷百碩氏による四日市十二景は“御陣屋裏門の秋景”です。

現在の中部西小学校の敷地にあった代官所(幕府の出張所)の裏門からの眺めです(明治初年頃)建物の向こうに一際色濃く描かれている木は御駒繋ぎの松と呼ばれ、徳川家康が自分の馬をつないだという由緒ある松です。残念ながら陣屋は明治9年(1876)年の伊勢暴動により焼失し、御駒繋ぎの松もそのときの熱風により枯死してしまいました。

この地図は江戸末期と明治44年のものです。江戸時代、陣屋を中心に四日市宿が賑わっていました。宿や貸座敷、料亭などが立ち並んだ昔日の賑わいが偲ばれます。陣屋の周辺は川で囲まれ、川は下水の役割をしながら街を縦横に流れていました。“ごじんやうらもんのしゅうけい”です。

四日市商工会議所並びに四日市博物館さま、ありがとうございました。


スワパーキングのキャンドルナイト

2012年12月24日 | 諏訪商店街振興組合のこと

エコ事業の一環として、12月23日、四日市諏訪商店街振興組合はキャンドルナイトに協賛いたしました。

肌寒く、小雨降る中、理事のHさんが搬入、事務のGさんとYさん、理事のIさんの協力で(実名で書いてもよさそうなものですが・・)スワセントラルパーキング周辺に数十万個???のキャンドルが並びました。

壮観!!!寒い中ありがとうございました   ありがと~ぅ!


心から 有りがたうさん!

2012年12月22日 | 諏訪商店街振興組合のこと

毎回参加いただいている小古曽のMさんから、いつものようにその場で感想をいただきました。ありがとうございました。

有難うございました。昭和11年の作品とか、私は昭和9年生まれの老人です。当時は2歳。この作品は、わたくし、今まで観た記憶がありません。上原謙、往年の名優、日本一の男前と世間を騒がせた記憶があります。“愛染かつら”田中絹代主演の名画は2,3度観たことはあります。

その後、田中絹代さんの映画は数本くらい観たように思っております。76年もの昔に還った様な心境。若返らせていただき、ありがとうございました。    思いつくままの乱文、お許しください。有難うございました。

 Tさんからも感想を頂戴致しました。

この「有りがたうさん」は、昭和11年の作品で、原作は川端康成とのことで、「伊豆の踊子」(水戸光子扮する薫という旅芸人)や、「雪国」(バスがトンネルを抜ける)を連想させ、半農半漁の様な伊豆の田舎道を砂埃を上げて走る乗り合いバスは、いつしかどっしりとした茅葺き屋根の民家が立ち並ぶ農村を抜け、ガードレール(?)など殆ど無い山道をクネクネ登っていく。行く手に現れるものは徒歩の人ばかりで、対向車は1台もなし。

途中、道端に待ち受ける人たちからの頼まれごとをすべて引き受け進む運転手(上原謙)は、休憩時は勿論、運転中も客と共に喫煙し、しかも吸殻をポイ捨て。現代とは隔世の感あり!バスは全編、人情を織り込むようにして走り続ける。

桑野通子(若くして病死したのは惜しまれる)が、気風の良い酌婦役を明るく演じて物語の進行役も兼ねていた演出が面白かった。この映画、登場人物は乗客や、道行く人たちを合わせると相当な数。しかもオールロケで、かなり贅沢な作品だったのではないか。

それにしても主人公が酌婦のアドバイス(?)通りに、身売りされる筈の娘を嫁にするとは。まるでお子様向けのおとぎ話のようで、少し興ざめではあるが、めでたし、めでたし!? 

最後に毎回、水谷氏がナビゲーターを務めてくださるお蔭で、映画がより深く楽しめ、本当に 有りがたく お礼を申し上げます。

お褒めをいただき恐縮です。作品を少しでも深く楽しんでいただけることができれば、これに勝る喜びはありません。上映当日は、偶然にもBSで放送されたとのこと。会場では1時間ほど早く鑑賞いただきました。当日は、上映前にいくつかの発見を紹介させていただきました。上原謙は二枚目でした。この映画が初主演とのこと。男前を鼻にかけることなく、ごく自然に振舞う姿はかっこよかった!酌婦役の桑野通子は桑野みゆきのお母さん。そういえばどことなく似ておりました。有難うさんは、通りすがりの旅芸人の女性からも言付けを受けます。その一人が薫。“伊豆の踊子”も薫という名前。心憎い演出でした。


有りがたうさん!

2012年12月21日 | 諏訪商店街振興組合のこと

寒さがこたえる冬至の夜 “有りがたうさん”を上映させていただき 大勢の方にお越しいただきました。まさに「ありがとう~ぅ」であります。本日ばかりは、これほどまでお集まりいただくとは 思っておりませんでした。心から「ありがと~ぅ」でございます。

次回 25年1月25日上映の「二十四の瞳」は上映時間が繰り上がり 午後5時30分 となりますので ご了解いただきますようお願い申し上げます。

ご支持いただいております 今回参加いただいた皆さん 本当にありがとうございました どうかよいお年をお迎えください 次回涙なくしては観られない「二十四の瞳」をどうかお楽しみに!

ありがとう~ぅ!


“有りがたうさん”の素晴らしさ

2012年12月16日 | 諏訪商店街振興組合のこと

清水宏監督の“有りがたうさん”は、昭和11年に公開されました。今から76年前です。昭和11年は、2・26や阿部定事件が起きた年でもあり、昭和不況の中、太平洋戦争が影を落とし始めたころです。

伊豆半島の下田と三島間の山道を路線バスが砂埃を上げて行きます。清水監督は、2年ほど前に公開のアメリカ映画、フランク・キャプラ監督による「或る夜の出来事」にヒントを得たといわれています。クラーク・ゲーブルとクローデット・コルベールによるコミカルでテンポの良い映画でした。

清水宏は日本の自然を大切にする監督で、この映画はオールロケーションで作られました。当時としては画期的なロードムービーだったと言えます。

自然の中に俳優をなじませることを流儀としていた監督は、役者に熱演は求めなかった。工夫された演技はむしろ不自然だと。そのため脚本はあまり綿密に書かれず、現場で即興的な演出をしていたそうです。

ある女優が自分の演じる役柄について研究し数パターンの感情表現を用意して、現場で清水宏に見せたそうです。すると清水宏は「よく勉強してきたね」と言って、「じゃあこのシーンは気持ちナシで」と言い放った。いかにも清水宏らしいエピソードです。

道をよけてくれる人々(時にニワトリにまでに!)に、「ありがとう~、ありがとう~」とイケメンの運転手(上原謙)が声をかける。だからその運転手のことを人々は親しみと尊敬をこめて「有がたうさん」と呼びました。個性豊かな乗客たちが次々と乗っては降り、とんでもなくゆったりとした口調でセリフのやり取りがなされていきます。どうやらこの言い回しは、作為的だったようです。

女郎屋へ身売りする少女と母親に投げかけられる言葉。「男の子なら乞食になるかもしれないが、女の子なら身売りしてお金になるから幸せだよ」しかし、そこに悲壮感は漂わない。私たちはその場から距離をおいて見ていられるからでしょうか。

道行くチマチョゴリ風の衣装を着た大勢の男女をバスが追い抜いて行きます。その中の一人の女性が、休憩しているバスに近づき、ありがとうさんに声をかける。どうやら馴染みらしい彼女は道路工事に従事しており、ここの工事が終わると、信州の方の現場に移動すると、別れを告げます。「自分たちは、道路が完成しても、そこを通ることはない。一度は日本の着物を着て、ありがとうさんのバスに乗ってみたかった」と話します。

そして今日も、ひとびとの「暮らし」と「こころ」を縫うようにして走るボンネットバス。“ありがとうさん”は永遠に当事者になれない傍観者です。不思議と彼だけ生活感が漂わないのはそのせいでしょうか。あくまでも風景の一部としてすれ違っていく人々。この作品を観ながら、想像をたくましくして「お幸せに」とひとりごちたとき、ふとどこかで「ありがとぉ~う」の声が聞こえた気がしました。

昭和11年公開 清水宏監督作品「有りがたうさん」 貴重なフィルムに映し出される 明治・大正・昭和の風景と人情!ご期待ください!