花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

児玉清の愛した本

2011年05月30日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
5月16日、俳優の児玉 清さんが亡くなられた。
          
読書家で知られていた児玉さんの蔵書は1万冊あるという。
週刊文春に、児玉 清の愛した「黄金の50冊」の記事があった。時代小説が多いので紹介させていただきます。

藤沢周平 「蝉しぐれ」(文春文庫)
津村節子 「流星雨」(岩波書店「津村節子自選作品集」所収)
五味康祐 「桜を斬る」(新潮文庫「秘剣・柳生連也斎」所収)
夏目漱石 「坊ちゃん」(岩波文庫など)
伊藤左千夫 「野菊の墓」(岩波文庫など)
徳田秋声 「縮図」(岩波文庫)
山本周五郎 「天地静天」(新潮文庫)
池波正太郎 「剣客商売」(新潮文庫)
司馬遼太郎 「坂の上の雲」(文春文庫)
津本陽 「本能寺の変」(講談社文庫)
南条範夫 「駿河城御前試合」(徳間文庫)
村上元三 「加賀騒動」(学陽書房・人文文庫)
吉村昭 「戦艦武蔵」(新潮文庫)
北方謙三 「風樹の剣」(新潮文庫)
大沢在昌 「新宿鮫」シリーズ(光文社文庫)
佐伯泰英 「陽炎ノ辻 居眠り磐音江戸双紙」(双葉文庫)
北原亞以子 「深川澪通り木戸番小屋」(講談社文庫)
宮部みゆき 「孤宿の人」(新潮文庫)
竹田真砂子 「あとより恋の責めくれば」(集英社)
夢枕獏 「神々の山嶺」(集英社文庫)
重松清 「その日のまえに」(文春文庫)
横山秀夫 「震度0」(朝日文庫)
東野圭吾 「さまよう刃」(角川文庫)
角田光代 「八日目の蝉」(中公文庫)

外国文学では、「肉体の悪魔」・「月と六ペンス」・「モンテ・クリスト伯」・「ボーン・コレクター」・「検屍官」・「わたしを愛したスパイ」・「ジャッカルの日」・「ナイロビの蜂」・「ダ・ヴィンチ・コード」などがおなじみであります。
児玉さんは、小説の人物になりきって、泣いたり笑ったりされたそうです。
積ん読の本もありますので、これを機会に再挑戦しようかナ、と思っております。

三重県と小津安二郎

2011年05月28日 | 諏訪商店街振興組合のこと
明治36年、小津安二郎は東京深川にある肥料問屋「湯浅屋」の次男として生まれました。小津家の出身地は和歌山県です。
安二郎10歳のとき、一家は郷里の松阪へ引っ越します。ここで小学校から代用教員になる20歳までの10年間を暮らしました。三重県には大変ご縁のある方なのです。
このころ書かれた中学時代の日誌が最近見つかりました。この日記から、映画への興味や、食べ盛りであった頃の小津の生活が伺われます。
     
宇治山田の中学校に寄宿生活をしていた安二郎は、松阪にある自宅への帰路、「赤福」をたびたび買ったと大正7年の日記にあります。

「2月10日
帰りは歩く へんば餅なし 宮川駅前でうどんや」
売り切れで買えなかったのでしょうか。
     
「5月26日
 二軒茶屋餅を買って喰らふ」
この頃、寄宿舎の近くに大正初年創業のうどん屋があり、禁止されている学校の目を盗んでは伊勢うどんを食べた記録がありました。
     
松阪の銘菓「老伴」も買っています。
監督になってからの小津には「小津グルメ手帖」があって、彼の食通が知られています。
昭和34年、小津監督は志摩を舞台に映画「浮草」を撮っていますが、うどんを食べに伊勢市まで車で駆けつけたそうです。
     
また、伊勢に訪れるたびに必ずといっていいほど松阪肉の「和田金」に立ち寄りました。
三重県には、ご縁の深い小津安二郎なのです。
    「小津安二郎と伊勢の味」 中村博男

第36回定期総会開催

2011年05月24日 | 諏訪商店街振興組合のこと
5月19日は、四日市諏訪商店街振興組合の定期総会でございました。(ご報告が遅れたのは、私のカメラが紛失していた理由によります。少しビールが入っていたため、家の棚にほふり込んで?忘れておりました。トシノセイ)
出席会員は34名。来賓の方は8名。午前10時に始まり11時40分に終了いたしました。
モメタクルのが恒例の組合総会ですが、今年は大きな波乱もなく(若干 ゴザイマシタガ・・・)定刻より早く終了いたしました。
     
     
23日は、四日市諏訪西商店街振興組合様の総会に臨席させていただきましたが、副理事長だった野村様が、理事長に昇格されました。ここに謹んでお悔やみ(訂正 お慶び)申し上げます。
どこの組合も同じですが、責任が持てる行動部隊の不足が問題となっております。理事長の負担が大きくなりませんことをお祈り申し上げます。(ヒトゴトデハナイノデス)

小津安二郎の「麦秋」

2011年05月23日 | 諏訪商店街振興組合のこと
昭和26年、小津監督が「晩春」につづき原節子を紀子役として起用した2作目の作品で、この頃、二人の仲が噂されていたそうであります。(ドウデモイイコトデスガ・・・)
「麦秋」とは、初夏の芽吹きの季節に麦は刈入れを迎える、そんな幸せの中にちょっぴり寂しさをにおわせたおはなしで、この映画の題にふさわしい感がします。
     
     
(前回おはなしの、小津監督好みの縦縞の急須・・・)
北鎌倉に住む、両親(菅井一郎と東山千栄子)と息子夫婦(笠 智衆と三宅邦子)と子供たち、そして婚期を逸しかけている妹(原節子)の大家族(・・笠智衆は東京に勤める医者で、原節子も東京のオフイスガール。家族の生活は裕福そう・・)の物語で、これも家族が心配する中、紀子が嫁ぐまでのお話です。「埴生の宿」のオルゴールとともに北鎌倉の閑静なたたずまいが印象的です。
戦災後、ようやく立ち直りかけてきた中で、平和を堪能するかのように静かに、穏やかに時が流れていきます。
     
     
ひょんなきっかけで、家族同様に付き合ってきた健吉との結婚を承諾する紀子。母親役の杉村春子との対話シーンは感動的です。医者の健吉には子供が一人居るバツイチなのです。原節子が献身的な聖母のようで、彼女の魅力が充分映し出されます。
紀子の結婚を期に、両親は奈良へ移り住むこととなり、大家族が離れ離れになっていく、そんなセンチメンタルな小津作品です。
     
(ここにも縦縞の湯飲みを発見!)

日本人が今なすべきこと

2011年05月20日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
このところ、福島原発が、頼りないことになっています。
ところで、先週の週刊文春に藤原正彦氏の記事がありました。
震災復興のために消費税の増税をしてはならない。復興国債のほうがずっとまし。そして映画「英国王のスピーチ」を例に揚げて・・・・
     
先日、「英国王のスピーチ」という映画を観ました。
これは史実に基づいたもので、1939年9月3日、ドイツに宣戦布告をした晩、ジョージ6世は国民に対し、感動的なラジオ演説を行なうのです。
「私は今、あなた方の家の戸口で一人一人に語りかけるつもりで、お話しします」と話し始めた英国王は、これから国民にとって苦難の暗い日々が続くであろうこと、しかし、自由と平等の大儀を信じ、神に祈り、それぞれに与えられた指名を果たせば、再後(訂正 最後)には勝利の日が来る、と語ります。その王の「言葉」の力に、英国民は鼓舞され、覚悟と勇気を持って戦いに挑みました。
今本当に求められているのは、国民の心に届く言葉を口に出来るリーダーです。その「言葉」を得たとき、日本は力強く立ち直ることでしょう。

小津安二郎の「秋日和」

2011年05月18日 | 諏訪商店街振興組合のこと
昭和35年に小津安二郎が撮った「秋日和」は、監督と同じ年頃で社会的に地位のある紳士たちの、ちょっとエッチで品のある楽しい会話が楽しめます。
     
右から佐分利信、中村伸郎、北竜二が、亡き同級生の未亡人(原節子)とその娘(司洋子)の縁談の世話をやくおはなしでございます。
今回も、「晩春」と良く似たパターン。親の再婚を不潔だと決め付ける娘を、自分の再婚をにおわせながら娘を嫁がせ、一人になった母親は安堵と寂しさに肩を落とすところで映画は終わっております。
酒の席をふんだんに取り入れながら、監督と同年代の紳士三人が交わす会話はほのぼのとユーモアがあり楽しいのでございます。
「晩春」以来、小津監督は女優の服や着物、小道具などに凝った。時代の古さを感じさせないのはこのせいでしょう。
     
      
縦縞模様の湯のみ
      
縞のタオルが干してある 寝巻きも縞
      
無地のポットと紅茶カップ
      
無地の湯のみとどんぶり?
場所が違うのにこんなことは現実ありえません
そんな気構えで観ていますと、発見があって面白いのです。
     
後ほど「秋刀魚の味」の娘役で出ている岩下志摩が、ちょろっと出ております。
「エーッ まさか!」と思ったが、数回出るのでご確認を、是非。

至徳の風

2011年05月15日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
今日もお天気で、初夏らしい気持ちのよい風が吹いております。
ところで、昨年暮れに、手継ぎのお寺からいただいた真宗教団連合(浄土真宗西本願寺派)発行のカレンダーが店の柱に掛けてありますが、5月の標語を読んで感心しております。
これはまるで、3月11日の大震災を予言しているかのようでございます。
難しくて衆禍という意味が良く分かりませんが・・・1日も早く津波から起きた禍がおさまってほしいものでございます。
     

「晩春」

2011年05月14日 | 諏訪商店街振興組合のこと
「晩春」は昭和24年に製作されました。
戦後4年目、この作品くらい、平和と秩序と伝統の回復を実感させてくれた芸術作品は他にちょっとない。(小津安二郎新発見・講談社α文庫より)
不滅のヒロインとなる原節子起用の第一作で、紀子三部作(「晩春」「麦秋」「東京物語」)の最初の作品となります。(原節子はこの三作とも紀子の名前で出ていマス)
     
北鎌倉に娘と二人だけで住む大学教授が、自分の再婚をにおわせながら娘を嫁がせる物語。
     
住まいである北鎌倉や旅先の京都清水寺、竜安寺などの風景が、白黒の画面であるにもかかわらず、静かにゆったりと流れて行く様はしみじみと魅させられます。
     
     
父の再婚を「不潔だわ」と決め付ける紀子。幸せそうな顔が、再婚を知らされたとき豹変する。その恐ろしい形相には驚かされるのです。
失恋、落胆、憎悪、安堵、喜びと原節子の移りゆく表情が美しく映されている。以来、小津作品の形態を決定した記念的作品であります。
     
式を終えた夜、一人寂しさをこらえる父親(笠智衆)に、小津監督は「ここで、慟哭しろ!」とせまったそうです。それに対して笠智衆は「私には、どうしても出来ません!」と断ったそうで、このときが、監督に反発した最初で最後だったそうであります。(多分この作品でした。何せ、遺作となった「秋刀魚の味」も娘を嫁がせる父親の寂しさを描いておりますから・・・よくぞ、同じような作品を何作もつくられたものでゴザイマス)

文化の駅サテライトステーション事業募集

2011年05月13日 | 諏訪商店街振興組合のこと
ときおり、小津安二郎の作品を観たくなる。
確か7、8年前、テレビで「秋刀魚の味」を観たのがきっかけだったと思う。はじめは、昭和37年当時の風俗を懐かしがって観ていただけだが、魅力はそれだけでなく、緩やかに営まれる小市民の日常が淡々と、小さなさざ波を起こしながら流れて行く。娘の結婚、連れ合いの死、家族制度の崩壊等。
     「麦秋」より
戦後の小津作品には、生活に安定している小ブルジョア的家族を描いたものが多い。特に娘が嫁いで行く寂しさ、悲しさがしみじみと描かれているのが印象に残る。「晩春」「麦秋」では原節子、「彼岸花」では有馬稲子、「秋日和」では司葉子、「秋刀魚の味」では岩下志摩が「長い間お世話になりました」と花嫁姿で親元を離れて行く。式を終えた夜、花嫁の親は(「晩秋」「麦秋」「秋刀魚の味」では笠智衆、「彼岸花」では佐分利信、「秋日和」では原節子)が、安堵と寂しさに肩を落とす。
(訂正 「麦秋」での父親役は菅井一郎であって、笠智衆は兄夫婦役でゴザイマシタ。ここに改めて訂正させていただきます)
     「晩春」より
それだけなら単に悲しい作品なのだけれど、結婚にこぎつくまでの周囲の温かい目が小さな騒動を起こしながらユーモアを交えて展開されていく。そんな小津の世界に浸れるときが、自分にとって至福の時間なのです。
幸い、小津生誕100年を記念してDVDが新しくプリントされた。そして幸いにも数日前、市の文化国際課が「文化の駅サテライトステーション事業」の募集をしていることを知った。補助金交付は2団体に限られている。確率は薄いけれど応募してみる気になりました。(ダメモト)
この事業の対象地域は四日市の中心市街地。募集締切りは5月19日。まちの活性化と文化普及の活動が条件となっている。
応募要項書は四日市商店連合会内(情報部 水谷武生)までドーゾ。

義援金受領書届く

2011年05月11日 | 諏訪商店街振興組合のこと
今日は福祉総務課の吉田純平氏が事務所にお越しいただき エキサイト四日市・バザールで集めていただいた義援金の受領書を鈴木主計会長が受け取りました
東北関東大震災義援金へのご協力について(お礼)
    四日市市福祉総務課(日本赤十字社四日市市地区)
先日は、東日本大震災義援金へのご協力をいただき、誠にありがとうございました。大変遅くなりましたが受領書をお送りいたしますので、ご査収いただきすようお願いいたします。
お預かりいたしました義援金は日本赤十字社を通じて、被災された方々への支援に役立たせていただきます。
     
写真は右から(後記 スミマセン左カラデゴザイマシタ)外羽勇理事長、鈴木主計エキサイト四日市・バザール会長、吉田周夫副理事長、福祉総務課吉田純平氏、写真撮影は水谷武生専務理事でございました。
ご協力いただいた皆様、ありがとうございました