花の四日市スワマエ商店街

四日市諏訪商店街振興組合専務理事の横道ブログ

映画“学校Ⅲ”感想

2015-02-28 | 元気がいちばん・達者がなにより

早速、Tさんから昨日の映画会「学校Ⅲ」の感想をいただきました。ありがとうございました。

まるで、フランス映画のようなエンディングでしたね。その先はみなさん(の想像)に委ねますという・・・紗和子の手術は成功。その後の再発もなく、これまで通り優しい叔母や親友の助けも借りながら、息子との生活を第一に、明るく力強く生きていくと私は思いました。[高木を相手に女として心ときめく時間を持ったことは良き思い出として・・・]

大竹しのぶは実生活でも40代後半に乳癌の手術をしているそうですが、紗和子が手術を前にした時の独白「私は大丈夫。トミーの病気を知らされた時も、夫が突然亡くなった時も、会社をリストラされた時も、何とか乗り越えて来たんだから。今度も・・・」私自身、息子の病気、夫の突然の死という共通項があるので、この台詞は身に沁みました。紗和子は芯の強い気働きの出来る賢い女性だから何の心配もありません。が、ちょっと心配だったのは、高木の方。妻の自殺未遂事件をキッカケに夫婦が元のサヤに納まることもあるかも知れませんが、彼は、身体も丈夫、心根も優しいのだけれど、根本的に心の弱い人なので、息子のはじめクンと果たしてうまくやっていけるかなぁ~

山田監督は実にチャメッ気があり、唄付きですね。(本作品でも、さだまさしには特別講義を、又 出演者には次々に唄を歌わせていますね)そして、数々の山田作品に描かれた女性は皆、芯が強く 優しくて 明るいですね。彼の理想の女性像でしょうか?


山田洋次の仕事“学校Ⅲ”上映

2015-02-27 | 元気がいちばん・達者がなにより

本日は、第10回 元気がなにより 映画会 学校Ⅲ  を上映させて頂きました。

今回も、寒さにもかかわらず、たくさんの皆様にお越しいただきました。

サンシ前罹災地再建事業に、今回の集いが大きな推進力になったこと、市の関与に大きな力をいただいたことに感謝申し上げました。

健康講座を含め、今後の運営に繋げるよう尽力させていただきます。ありがとうございました。

Mさんに帰りがけお会いし、感動のお言葉をいただきました。感激で涙されたそうです。80歳をこすMさんは、皆出席で、毎回遠くから自転車でお越しいただいています。お気をつけておかえりください。道路は時雨れたあとか、薄く濡れていました。

 


うおはこうこにあいわする

2015-02-25 | わたくしごと、つまり個人的なこと

「雨の休日の昼下がりは、辞書を読んで退屈をまぎらわすのがいちばんだ。辞書の中には発見と驚きが詰まっている」とおっしゃる永江朗さん。“広辞苑の中の掘り出し日本語”新潮文庫。

                

辞書を作る話は、当ブログ2014年の5月9日での“舟を編む”で書かせていただきましたが、永江さんは辞書を隅々まで読んで楽しんでみえます。

29ページにおもしろい記述があった。“魚は江湖に相忘る”「荘子」の言葉だそうで“人は道術に相忘る”と対句をなすそうです。魚が湖や川で、水の存在を忘れてのびのびとくらすように、大道を知る人は小さな仁義を忘れて悠々と生きることのたとえだそうです。

永江さん、こう云っています。

最近、細かいことでイライラしたり、細かいことで文句を言ったりする人が増えたような気がする。レジの順番を間違えたとか、電車の中でぶつかったとか。そんなときは「人は道術に相忘る、魚は江湖に相忘る」といって笑ってすませよう。

世の中たいていのことは「だいたい」でいいと思う。「いいかげん」までいくと、やり過ぎかもしれないけれど、でも「あそび」の範囲ならいい。もっとも、この言葉の意味は、あくまで「大道を知る人は」が前提だから、そこんとこも忘れちゃいけない。

“燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや”(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)の気持ちで、ごちゃごちゃした細かいことは気にしない気にしない。それよりなにより、もっと大きなことに取り掛かる様に・・・・と言い聞かせようと思っておりますが・・・これが・・・・なかなか・・・・デアリマス。


宇宙人東京に現わる!

2015-02-22 | わたくしごと、つまり個人的なこと

映画“宇宙人東京に現わる”は昭和31年1月に公開された大映映画です。封切りが昭和31年ということは、小学校1年生の時です。おそらく両親のどちらかに連れられて土曜日の夜出かけたはずです。

誰も居なくなったビル。斜めに歪んだ廊下を伝って外に出ると、空には巨大な惑星が真っ赤に燃えて近づいている、そんな風景が記憶に残っていました。

今回、大映特撮シリーズとしてDVDが発売されていたので、思わず買い求めました。強く印象に残った場面だけが記憶にあったのでしょう。観ると記憶の風景は何処にもありませんでした。惑星が近づき東京に人がいなくなるところはあっていましたが・・・

岡本太郎氏によるデザインのパイラ星人は、地球の核による暴走を止めるためにやってきた宇宙人で、実は味方でした。理詰めで考えると不合理なことが多く、東京から脱出しても近づく惑星から逃れることは出来ないはずです。

 それよりなにより、当時の風景がリアルタイムで映されていました。物干しに染めた着物が並ぶ風景は、広重の名所江戸百景の一場面のようです。

 


近鉄 てくてくマップより

2015-02-21 | おいらの商店街

近鉄さんが出してみえる「東海てくてくマップ」。東海道は富田から萬古焼のさと四日市コースに中心商店街が出てくるが、南町の道標から中央通りまでの間には、諏訪神社と“東海道がここよりアーケード通りになっている”の表記しかない。

 

諏訪神社の説明には、

「鎌倉時代初期に、諏訪大社の分霊を勧請したと伝わる。東海道に面していたため、旅人の参詣も多く「伊勢参宮名所図会」や「東海道名所図会」にも名所として紹介されている。街道に面した入口の左右に見慣れない形の石造物があるが、これがこの神社の一の鳥居。鳥居を三つ組み合わせた三輪の三つ鳥居に似た形式で、左右にある石造物は脇鳥居、この間に横木を通す方式になっているという。奥に見えるのは二の鳥居だ」

諏訪神社の紹介も、通りすがりの場所といった感じで淋しい。商店の紹介も入れて、街ぐるみで歓迎のムードができればいいが・・・・


山田洋次の仕事“学校Ⅲ”

2015-02-20 | 元気がいちばん・達者がなにより

山田洋次監督による“学校”シリーズは1933年から2000年までに4作品がつくられました。

第1作“学校”は、1993年11月に公開されました。幅広い年代の生徒が集まる夜間中学校を舞台に、挫折や苦境から立ち上がる人々を描いています。移動を薦められている教師の黒井(西田敏行)を軸に、焼き肉店を経営するコリアンのオモニ、中年になるまで文字が読めなかったイノさん(田中邦衛)らが登場します。

“学校Ⅱ”は1996年10月公開。高等養護学校を舞台に、重い障害を持つ生徒と軽い障害を持つ生徒との交流、葛藤、就職問題などを入学から卒業までの、3年間の出来事を描いた作品です。

そして“学校Ⅲ”は1998年(平成10年)10月公開されました。職業訓練校が舞台で、自閉症の息子を持つシングルマザーの小島紗和子(大竹しのぶ)とリストラにあった高野周吉(小林稔侍)を中心に、人生の再出発をかけて集った人々の心の交流を描いた作品です。

 

職業訓練校 そこで 友情が生まれ かけがえのない 出会いがある

職を失った 中年男女が集う教室 厳しい現実に 負けるなと励ます 人生再出発への応援歌

第11回 スポーツ映画大賞(主演女優賞 大竹しのぶ)・山路ふみ子映画賞(山路ふみ子女優賞 大竹しのぶ)・第53回毎日映画コンクール(女優助演賞 余貴美子)・第41回ブルーリボン賞(助演女優賞 余貴美子)

原作 山田洋次・鶴島緋沙子「トミーの夕日」

 主題歌 中島みゆき「瞬きもせず」

出演  小島紗和子:大竹しのぶ

     高野周吉:小林稔侍

          小島冨美男(トミー):黒田勇樹

          井上幸男:田中邦衛

          斉藤先生:寺田農

          鬼塚健:ケーシー高峰

          金栄洙:笹野高史

          倉本節:余貴美子

          紗和子の叔母:中村メイコ

          山本:吉岡秀隆

          北:さだまさし

「学校Ⅲ」は、平成27年2月27日金曜日 午後6時より スワセントラルパーキング2階会議室にて上映! 入場無料 出場も無料デス

 


“ニュース劇場”がアッタ!

2015-02-17 | わたくしごと、つまり個人的なこと

四日市文化展望 ラ・ソージュ編集に携わってみえる森さんから問い合わせが入った。

オカダヤ2階にあった“ニュース劇場”は、いつからいつまで存在していたのか?という質問だった。

小さい頃、オカダヤの2階南西の隅に100席に満たない小劇場があった。配給の都合がつかなかったのか、初めはニュースと短編映画を上映していたように記憶している。

その後、ここの小さな劇場で、洋画の再映を観た。

Kさんからの伝手で、以前、オカダヤに勤めていた人から「ジャスコ30年史」を借りてきてもらった。何と、駅前建設当時は、2階建てだった。知らなかった。

諏訪駅から現在の近鉄四日市駅に移ったのが昭和32年頃。岡田屋は、諏訪新道から昭和33年4月駅前に移る。店には車が付いている。売場面積924㎡で2階建て。オカダヤの誕生である。

百貨店申請したオカダヤ呉服店は、売場面積を2200㎡に増やしオカダヤ百貨店となる。昭和34年11月のことだった。

続いて、昭和38年3月増床して売場面積を増やし、売場面積5000㎡の総合百貨店となる。絶えず近鉄百貨店を意識し、お互いが増床申請で競い合った。

こうして、昭和44年2月、オカダヤ百貨店は、郊外型ショッピングセンター“ジャスコ”と名を変え巨大に成長していく。

さて、晩年のニュース劇場で“ナヴァロンの要塞”を観た記憶がある。この映画の封切りが昭和36年。二流館封切りだから、昭和38年までに観たとすると、その時の増床までは2階にあったと考える。

結果、ニュース劇場は、昭和33年又は、昭和34年から38年まであったのではないかと想像できる。何せ、小学生の頃のことである。

記憶のある方は、是非お教えいただきたい。


小津安二郎記念碑建立のこと

2015-02-16 | 元気がいちばん・達者がなにより

吉村英夫先生をはじめ、小津安二郎記念碑建立会皆様のご努力により、2015年3月、津大門・観音寺大法院境内に「小津安二郎記念碑」が建てられることとなりました。なんと匿名希望を含む全協賛者は1040名。多くの方々が建立に協力されました。

●副石

小津安二郎(1903~63)は「世界のOZU」として評価の高い映画監督である。

母方は代々旧一志郡竹原村の名家で、祖母津志は津観音近くに嫁ぎ、母あさゑは松坂の小津寅之助と結婚した。安二郎は若き日の十年間、三重県で成長したが、津に遊び、観音境内の映画館になじんでもいる。

松竹で監督に昇進したのは1927(昭和2)年。その9月に、久居(現・津市)の陸軍歩兵三十三連隊へ短期入隊する。母の実家の祖母宅にも泊まり、ご馳走を喜び、庭の佇まいに憩いのひとときを過ごした。

入隊する朝の祖母とのやりとり、そのあと久居へ向かう「軽便」鉄道から見た彼岸花に強い印象を受け、方言まじりの句を添えた手紙を、中学時代の友人置塩高と吉田興蔵に贈っている。碑文はそれを収めた「小津安二郎君の手紙」から抜粋した。

●主石

 おばあさんが津の宿屋町に住んでいる。

朝早く僕はおばあさんの前に久振りに

両手をついて殊の外真面目に云った

― 行ってまいります

おばあさんは笑いながら

― またおいなされ、

僕はなんだか悲しくなった。

  おいなされ、又このつぎに 彼岸花

           小津安二郎


老人夫婦の疲労困憊道中記

2015-02-15 | わたくしごと、つまり個人的なこと

昨日の記事で申し訳ありません。

昨日は、姪っ子の結婚式に出かけました。

行先は東京のお台場。日帰り。いくら便利になったとは言え年寄り夫婦には忙しく、浜松町発羽田行モノレールと、新橋発ゆりかもめと勘違いして、駅の構内を聞き歩いても、冷たい答えに要領を得ず、迫る時刻に焦り、ようやく到着したものの、なかなか食事にありつけず、イヤ~ 家がいちばんです。

肉が小さい!

夜遅くの駅弁

その夜遅くの入浴は ゴクラク~ ゴクラク~ でございました。

老いてからの旅は、自分の住家のありがたみを、確認しに行くようなものです。