花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

市井からの眺め 22

2020年03月31日 | レモン色の町

昭和52年8月1日発行の「年表 四日市のあゆみ」は、市制80周年記念として市が全戸に配布した。ここに、以前紹介した四日市市歌(佐々木信綱 作詞・伊藤亘行 作曲)とともに、現在でもおなじみの「大四日市まつり音頭」が掲載されている。

揃い衣装の踊り子揃うた ハイ ハイ ハイ

櫓かこんでひと踊り ひと踊り

サテ ひと踊り ハイ ハイ

ソレまつり音頭で シャン シャン シャン

サテまつり音頭で ヨイ ヨイ ヨイ

 面白いのはこの年表に紹介してある四日市の現勢。人口24万9,020人(昭和52年5月31日現在)で、たばこの消費量7億3,625万本(51年 20歳以上の市民1人あたり4,400本。1日平均12本である)、酒消費量1万3,552㎘(51年度20歳以上の市民1人あたり81ℓ)。たばこは明らかに減っているが、お酒の年間81ℓというのはどうだろうか?ウィスキーとビールでは大きな違いである。1ℓは1000㏄だから81000㏄。1人均一で1日当たり221ccとなると、結構な量ではなかろうか?これより昔はもっとすごかったと想像される。ナーンも楽しみがなかったけんね。


市井からの眺め 21

2020年03月29日 | レモン色の町

昭和という時代は、金融恐慌で始まりました。太平洋戦争へと突き進む不穏な時代ですが、四日市の産業は意外と元気です。東海の飛び将軍と呼ばれた熊沢一衛は 昭和3年6月に伊勢電鉄事務所(本町プラザの前の建物)と市立図書館(諏訪公園内)を建てます。どちらもスクラッチタイル張りの鉄筋の建物であったため空襲後も残り、図書館は一時病院に、電鉄事務所は四日市警察署に使用されました。

写真は、新市庁舎の塔上から東方を見た写真です。下の白い建物は塚本医院ということで、三滝通りが出来たため病院は西へ移動したことになりますか。中央の煙突が 三重繭糸店。その右に熊澤ビル(伊勢電鉄事務所)が見えます。

昭和5年の地図ですので 熊沢ビルはまだ建っておりません

 これは伊勢電鉄ビルの屋上から四日市駅(関西鉄道)を見た写真。新しく出来た三角屋根の四日市西駅が望めて、伊勢電鉄の善光寺カーブを軋み音を立てながら電車が通ります。

 


市井からの眺め 20 四日市音頭

2020年03月22日 | レモン色の町

昨日 藤井氏がおみえになり ひと喋りしていった 「そういえば 四日市音頭 ってあったなぁ」ということで 早速検索していったら わたくしのブログにあたりました 2010年7月の事 商店連合会の席で見せていただいたことがきっかけでした

・・・会議の始まる前に、会長とテラモッチャンが「四日市市歌」の話題で興奮してみえましたので、その歌詞の全貌をご紹介します。これは、市制60周年記念の広報四日市に掲載されていたものです(昭和32年9月24日発行) 佐々木信綱作詞
一、あけぼの清き 伊勢の海
  内外(うちそと)の船の 出入(いでい)る港
    わが四日市 大四日市
  七つの海の 潮の香の
  マストの旗に こもる汽船(ふね)
  小船の白帆(しらほ) 画(え)のごとし
二、工場(こうば)の煙 たえ間なき
  産業都市の 栄(さかえ)を見よや
    わが四日市 大四日市
  市民の誇 よろこびは
  競いて進む 勤労に
  文化の花も さき匂ふ
三、鈴鹿の嶺の 夕映(ゆうばえ)は
  飛躍の明日を かがやき示す
    わが四日市 大四日市
  ああ東海の 枢要(すうよう)の地
  さきみどりつづく 広き道路(みち)
  灯ともる街に 平和あり
小学校で 歌ワサレマシタ 懐かしいです

お祭りを控えて(当時の日付は7月10日) ひき続き“新四日市音頭”をご披露いたします 同じく 昭和39年発行の「広報四日市特集号」より
作詞 佐伯孝夫  作曲 吉田 正
一、伊勢にゃ大神街道筋の
  四日市には大港
  さあさ汽笛が景気をつけて
  朝も早よからサノエー おそくまで
  コラショ ショコショコ ヨイトセ
二、あれは万古のかまどの煙
  こちら工都の朝けむり
  さあさ道なら七十メーター
  並ぶみせみせサノエー 人の波
  コラショ ショコショコ ヨイトセ
三、東伊勢海白砂つづき
  西は鈴鹿の山続き
  さあさ稲葉の三右ェ門さまも
  のびる街みてサノエー うれしかろ
  コラショ ショコショコ ヨイトセ
     (四、五節略)
※コラショはヨイコラショ!と想像されるが ショコショコとは何ぞや
幼少の頃は ショッコイ ショッコイ と理解しておりました
悪い想像をしてしまいそうです。盆踊りで流されたこの曲のほうが「四日市市歌」よりも評判が良かったような記憶があります。トマレ元気の良い歌ダス

佐伯孝夫氏と吉田正氏

藤井氏曰く 作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正というメンバーはすごい  お金がかかっていて 当時の勢いが窺える・・・と


イスファハンの涙壺のお話

2020年03月21日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

先日のブログで イスファハンの涙壺 のことを屁呂之進さんが話していたのが気になり Webで探してみた 五木寛之氏が愛媛新聞に掲載してみえたので 紹介する

以前、イランの古都イスファハンで、古物商の店先に美しい涙壺をみつけた。店主の老人に値段をきくと、べらぼうに高い。

 「残念」とつぶやいて」店を出ると、現地ガイドの人からこんなふうにたしなめられた。

「この国では商売は単なるビジネスではありません。あの店の主人にとっては、それは一つの生きがいなのです。

まず店に入って、欲しいもののほうへまっすぐ行くべきではない。何気なくあちこち眺めて、ふと気づいたようにお目当ての品を手に取る。これはどういう品ですか、と質問してください。お店の主人は、古代ペルシャのガラス器について滔々(とうとう)と語りだすでしょう。その時彼は学者になる。そして、これは売りたくない、という顔で品物を引っこめる。そのときの店主は、俳優であり役者として演じているのです。あなたが高いといえば、彼は老練なビジネスマンとなる。途中で紅茶が出てきます。

友人として和やかに語り合い、再び議論が始まるでしょう。老店主は政治家のように雄弁に語り、詩人のように涙壺の由来について述べる。そこで二度目のお茶が出てきて、次第に値段が折り合ってくる。そして何時間かの時間が流れ、やがて双方が合意に達する時が来ます。

取引を終えたあと、老店主は、きょうはじつに良い日だった、と神に感謝しつつあなたを見送るのです。向こうも満足する。あなたもお目当ての品を努力して手に入れた歓びにひたることでしょう。

商売は単なる取引ではありません。あなたは今日、貴重なチャンスを逸したのです。残念でしたね」

 飛行機ばかりに時間を気にして、そそくさと土産の品を購入しようとしていた私が間違っていたのだ。せっかちな国民性をつくづく反省させられたものだった。しかし、なあ。

 バブルがはじけた30年前の事である。それまでは 売り上げ売り上げとあくせくしていた私たちに ふと気づかされた良いお話だった


市井からの眺め 19

2020年03月20日 | レモン色の町

伊勢生まれの下総人のさんからメールが届きました ありがとうございます 

昭和27年の講和記念博覧会は 記憶がおありのようです 四日市パノラマが斜めになっていたとコメントしてみえましたが その写真です どうやら未来の四日市がテーマのようです

そして 昭和11年の国際振興大博覧会時に 千歳町の会場内に出来た迎賓館は 昭和27年の博覧会時に市役所横へと移築されました この時はまだ迎賓館の名前で出ています 私は 公会堂 としか記憶にありませんから 博覧会終了後には公会堂と改名されたのではないでしょうか

下総人さんの当時の住まいは 会場南 法務局の北側でした 現在は駐車場になっています 東海林太郎が来ていて見に行かれたことがあったり 若い女性が二人 会場内のトイレが汚いので 家まで借りに来たこともあったそうです

 


往年の「こつこつ街づくり新聞」

2020年03月17日 | おいらの商店街

少し昔の、懐かしいお話です。昨夜のこと 柳川氏が「こつこつ街づくり新聞」を見せてくれました。平成6年から7年にかけて月1回から2回ほど商店街で発行、32号ほど続きました。編集者は、福村・柳川・水谷。A3版を2つ折りにした4ページほどのコピー誌でした。当時の商店街は、楠の木パーキングの建設中で、周辺にはパワーシティが出来、おかげ横丁が出来たばかりで話題になり始めたころでした。みんな若くて元気で、横浜や巣鴨のとぬき地蔵などへ視察に出かけています。

そんな中、故 北川氏のアメリカみやげ話が目に留まりました。そこには、大型店に勝つ秘密がありました。

 


市井からの眺め 18

2020年03月15日 | レモン色の町

昭和27年春 開催された 講和記念大博覧会 その正面入り口は 現在の三滝通りと中央通りの交差点 北側からが入り口だった 市役所屋上から撮られた写真

会場内配置図 北南が逆になっている

中央を南北に国道一号線が横切る

ここは内部・八王子線が横切る 黒い建物は川村鉄工か?とすると その向こうの木森は諏訪公園

※ 下の写真は センターブリッジ上から北方向(下)に三岐鉄道を撮ったらしい とすると左の写真と材料の店は 線路わきに建つ連鎖売店ということになります

太陽堂の松永さんが売店でカレーライスを100円で販売したら 飛ぶような売れ行きだったそうだ

※ 今回も 本町のまちかど博物館 の水谷さんにお世話になっている 感謝であります!


市井からの眺め 17

2020年03月14日 | レモン色の町

昭和27年3月25日から4月23日まで、国道1号線を正門に施設途中の中央通りを会場に、講和記念 全日本農機具 新日本産業 大博覧会が開催された。自分はまだ小さい頃だったのでほとんど記憶にないが 会場跡の草むらで トノサマバッタを採っていた記憶がある。この後会場内は 中央通り(別名70メーター道路)へと整備されていく。

正面入り口の賑わい

会場内の様子