昭和20年6月18日、四日市市街地は大空襲を受けた。戦後トップを切って塩浜にあった海軍燃料廠の旧軍人グループが、有限会社「三重劇場」を立ち上げた。昭和21年2月18日のことである。このグループはそれから納屋町の「ロマン座」新田町の「四日市宝塚劇場」、津市の「津パール劇場」と映画館経営を広げていった。
三重劇場は“E・T”で同館最高の興行収入を上げているがその後元気がなく(清水義一代表)洋画系の不況と建物の老朽化の見切りをつけて昭和60年3月、劇場を名古屋市のヘラルド興業株式会社(古川勝巳社長)に譲渡した。同社は四日市宝塚劇場と津パール劇場の経営を引き受けたが、宝塚は61年8月31日、三重劇場と津パール劇場は62年6月7日に全館閉館となり大手興業会社は三重県から引き揚げていった。
ワイズ・ミューラーの“ターザン”、アランラッドの“シェーン”、ジョン・ウェインの西部劇、“マイフェアレデイ”等のミュージカルもの等青春の思い出が詰まっている。昭和48年、ブルースリーの“燃えよドラゴン”がヒットするとカンフー映画が次々と公開された。昭和57年“ET”を子供と観に行ったときは、場内溢れるほどの人だった。三重劇場最後の満員御礼だった。
三重劇場只今上映中は、1962年(昭和37年)2月25日封切りの『蒙古の嵐』伊仏合作の巨編で、アニタ・エクバーグ、ジャック・パランスが出演の作品である。併映は、『カリガリ博士』のフィリッツ・ラング監督、エドワード・G・ロビンソンとジョーン・ベネットでモノクロ作品。昭和19年公開という古い作品を付けている。おそらく『蒙古の嵐』が大作だったのだろう。看板も“陽春に飾る豪華番組”とある。上の劇場写真は昭和37年2月と想像される。
切符売り場の左が入り口で2階へ上がると事務所があった。劇場内両側壁面に十字のネオンが点っていて、劇場内にトイレがあった。従って臭かった。