旧経営陣側、改めて無罪主張=「大津波予見できず」-判決は9月・東電公判(時事)
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東京電力福島第1原発事故で、業務上過失致死傷罪で強制起訴された元会長勝俣恒久被告(78)ら旧経営陣3人の最終弁論が12日、東京地裁であり、弁護側が「大津波の予見可能性は認められず、罪が成立しないことは明らか」と改めて無罪を主張し、結審した。
永渕健一裁判長は判決期日を9月19日に指定した。
勝俣元会長は最終意見陳述で、「申し上げるべきことは既にお話しした」と述べ、元副社長の武藤栄(68)、武黒一郎(72)両被告も「付け加えることはない」などと多くを語らなかった。
弁護側は最終弁論で、2008年3月、東電が襲来可能性のある津波高を「最大15.7メートル」と試算したことについて、「いったん数字を出してみただけ」と主張。試算の基となった政府機関の地震予測「長期評価」は信頼性に欠け、「原子炉停止が義務付けられる予見可能性が生じたとは言えない。実際の津波が襲ってきた方角も違っていた」と訴えた。
検察官役の指定弁護士側は、原子力・立地本部副本部長だった武藤元副社長が対策先送りを指示し、勝俣元会長らも対策を怠ったと主張している。
これに対し、弁護側は「社内で長期評価を採用する方針は決定していなかった」とし、「直ちに対策工事が必要だと進言した人はいなかった」と反論。本部長だった武黒元副社長について「担当者から『試算は信用できない』とも聞いていた」と訴え、勝俣元会長が試算を知ったのは事故後で、「業務命令を出せる立場になかった」と述べた。
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本日行われた福島原発事故刑事訴訟の傍聴のため、東京地裁まで行ってきた。裁判は上記記事の通り。当ブログ恒例の科学ジャーナリスト・添田孝史さんによる傍聴記は、後日、まとまり次第アップする予定だ。
なお、傍聴券の抽選が始まる前の朝の地裁前行動では、福島からの傍聴参加者(事故当時の福島居住者でその後避難・移住した人を含む)がスピーチをすることになっている。今朝は、当ブログ管理人含め4人がスピーチをした。以下、当ブログ管理人のスピーチ内容を紹介する。
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皆さん、おはようございます。
8回目の3・11がやってきました。福島から遠い北海道、札幌に住んでいて、しかも8年、もう大丈夫だろうと思っていてもやっぱりこの時期になると夜眠れない。福島県民、被害者誰もが心の奥底に傷を押し込んで日々を生きている。でもやっぱりこの季節になるとその傷がふっと頭をもたげてくる。それが3・11なんだろうと改めて思います。
今、山木屋の人からお話がありました。その山木屋では、昨年4月に避難指示が解除になって、再開したばかりの学校がわずか1年で閉校になろうとしている(参照:2018年9月28日付「河北新報」記事)。先日の新聞でも、避難指示が解除になった10の自治体で、学校に戻ってきた子どもたちは1割しかいないと報道されていました(参照記事)。国や県がいかに帰還せよと旗を振っても、この厳しい現実があります。原発事故の被害を受けた地域は消滅を早めるしかない。福島のそんな厳しい現実が見えているのが8回目の3・11なのです。
いよいよ、今日この東電の刑事裁判も結審の日を迎えます。先ほど武藤副団長からもお話があった通り、私も被告弁護側が、前回のあの完璧な論告を覆すことはできないと思います。本来なら今日明日と2日間の予定だった弁論が今日1日に短縮されたことがそれを示しています。あの論告に真剣に反論しようと思うなら2日間あっても足りないはずです。それが1日でいいというのですから、おそらく言い訳レベルの反論にとどまるでしょう。
この8年、私たちは多くのことを実現してきました。54基あった原発のうち9基の再稼働は許しましたが、全体の4割、24基の廃炉がすでに決まっています。原発輸出はすべて頓挫しました。安倍政権がいくら再稼働、輸出の旗を振っても、原発は滅び行く存在なのです。原発をめぐって公開討論会がしたいと言っていた経団連会長は、小泉元首相から討論会を申し入れられると逃げ回り、ついには同じ推進の意見の人としか討論したくないと言い出す有り様です。反対の意見の人を説得もできない、納得もさせられないなら、そんなものを推進するなと怒りが込み上げます。
原子力に終わりが見えてきたことは事実です。しかしそれが実現するために、かつて自分自身も住んだ福島で取り返しのつかない大きな犠牲が伴わなければならなかったことが悔しくて仕方ありません。先ほど言った怒り、そして今申し上げた悔しさ、それを晴らすのがこの刑事裁判の法廷なのです。
私たちは8年間、色々なことを実現してきたと、今、申し上げました。しかしまだ実現できていないことがあります。それが原子力ムラに責任をとらせることです。原発を推進する者に、ただではすまないとわからせる必要があります。皆さんとともに、それを実現するため頑張りたいと思います。
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東京電力福島第1原発事故で、業務上過失致死傷罪で強制起訴された元会長勝俣恒久被告(78)ら旧経営陣3人の最終弁論が12日、東京地裁であり、弁護側が「大津波の予見可能性は認められず、罪が成立しないことは明らか」と改めて無罪を主張し、結審した。
永渕健一裁判長は判決期日を9月19日に指定した。
勝俣元会長は最終意見陳述で、「申し上げるべきことは既にお話しした」と述べ、元副社長の武藤栄(68)、武黒一郎(72)両被告も「付け加えることはない」などと多くを語らなかった。
弁護側は最終弁論で、2008年3月、東電が襲来可能性のある津波高を「最大15.7メートル」と試算したことについて、「いったん数字を出してみただけ」と主張。試算の基となった政府機関の地震予測「長期評価」は信頼性に欠け、「原子炉停止が義務付けられる予見可能性が生じたとは言えない。実際の津波が襲ってきた方角も違っていた」と訴えた。
検察官役の指定弁護士側は、原子力・立地本部副本部長だった武藤元副社長が対策先送りを指示し、勝俣元会長らも対策を怠ったと主張している。
これに対し、弁護側は「社内で長期評価を採用する方針は決定していなかった」とし、「直ちに対策工事が必要だと進言した人はいなかった」と反論。本部長だった武黒元副社長について「担当者から『試算は信用できない』とも聞いていた」と訴え、勝俣元会長が試算を知ったのは事故後で、「業務命令を出せる立場になかった」と述べた。
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本日行われた福島原発事故刑事訴訟の傍聴のため、東京地裁まで行ってきた。裁判は上記記事の通り。当ブログ恒例の科学ジャーナリスト・添田孝史さんによる傍聴記は、後日、まとまり次第アップする予定だ。
なお、傍聴券の抽選が始まる前の朝の地裁前行動では、福島からの傍聴参加者(事故当時の福島居住者でその後避難・移住した人を含む)がスピーチをすることになっている。今朝は、当ブログ管理人含め4人がスピーチをした。以下、当ブログ管理人のスピーチ内容を紹介する。
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皆さん、おはようございます。
8回目の3・11がやってきました。福島から遠い北海道、札幌に住んでいて、しかも8年、もう大丈夫だろうと思っていてもやっぱりこの時期になると夜眠れない。福島県民、被害者誰もが心の奥底に傷を押し込んで日々を生きている。でもやっぱりこの季節になるとその傷がふっと頭をもたげてくる。それが3・11なんだろうと改めて思います。
今、山木屋の人からお話がありました。その山木屋では、昨年4月に避難指示が解除になって、再開したばかりの学校がわずか1年で閉校になろうとしている(参照:2018年9月28日付「河北新報」記事)。先日の新聞でも、避難指示が解除になった10の自治体で、学校に戻ってきた子どもたちは1割しかいないと報道されていました(参照記事)。国や県がいかに帰還せよと旗を振っても、この厳しい現実があります。原発事故の被害を受けた地域は消滅を早めるしかない。福島のそんな厳しい現実が見えているのが8回目の3・11なのです。
いよいよ、今日この東電の刑事裁判も結審の日を迎えます。先ほど武藤副団長からもお話があった通り、私も被告弁護側が、前回のあの完璧な論告を覆すことはできないと思います。本来なら今日明日と2日間の予定だった弁論が今日1日に短縮されたことがそれを示しています。あの論告に真剣に反論しようと思うなら2日間あっても足りないはずです。それが1日でいいというのですから、おそらく言い訳レベルの反論にとどまるでしょう。
この8年、私たちは多くのことを実現してきました。54基あった原発のうち9基の再稼働は許しましたが、全体の4割、24基の廃炉がすでに決まっています。原発輸出はすべて頓挫しました。安倍政権がいくら再稼働、輸出の旗を振っても、原発は滅び行く存在なのです。原発をめぐって公開討論会がしたいと言っていた経団連会長は、小泉元首相から討論会を申し入れられると逃げ回り、ついには同じ推進の意見の人としか討論したくないと言い出す有り様です。反対の意見の人を説得もできない、納得もさせられないなら、そんなものを推進するなと怒りが込み上げます。
原子力に終わりが見えてきたことは事実です。しかしそれが実現するために、かつて自分自身も住んだ福島で取り返しのつかない大きな犠牲が伴わなければならなかったことが悔しくて仕方ありません。先ほど言った怒り、そして今申し上げた悔しさ、それを晴らすのがこの刑事裁判の法廷なのです。
私たちは8年間、色々なことを実現してきたと、今、申し上げました。しかしまだ実現できていないことがあります。それが原子力ムラに責任をとらせることです。原発を推進する者に、ただではすまないとわからせる必要があります。皆さんとともに、それを実現するため頑張りたいと思います。