山下徳夫氏が死去 元厚相(日経)
中曽根内閣で運輸相などを務めた山下徳夫氏が死去した。謹んで哀悼の意を表する。すでに94歳とのことであり、死去に驚きはないが、安全問題研究会としては、この人に関し、ぜひとも書き残しておかなければならないことがある。
山下氏は、地元が佐賀県であり、旧佐賀全県区からの選出だった。地元に帰る際は、羽田~福岡線をよく利用していたようだが、「あの日」1985年8月12日、地元での用務を終えて東京に戻る際もJALの福岡~羽田線を利用した。この際に、山下運輸相(当時)が搭乗していた機体こそ、その数時間後、羽田~大阪線として折り返す途中、御巣鷹に墜落することになる機体番号JA8119号機だったのである。
墜落事故発生後、山下運輸相が中曽根首相にこのいきさつを報告すると、首相から「大臣の乗っていたときに何か異常がなかったか」聞かれたという。これに対し、山下運輸相は「私が乗ったときは何も異常がなかった」と答えている。
あと数時間の差で、山下運輸相みずからが墜落事故の犠牲者になっていたかもしれない、薄氷の歴史の1ページだった。歴史に「もし」は許されないが、もし、航空行政を担当する現職の運輸大臣が日航機事故で死亡していたら、その衝撃はさらに大きなものとなっていただろう。中曽根政権への大きな政治的打撃になった可能性もあった。
事故後に発表された航空機事故調査委員会(現・運輸安全委員会)報告書の「圧力隔壁崩壊~急減圧発生」説を当ブログと安全問題研究会は全く信じていない。墜落原因をミサイル撃墜や「無人標的機の衝突」などの外部要因に求めようとする声は今もある。その是非はさておき、当ブログと安全問題研究会は、今なお、この事故の原因は再調査されるべきだと考えている。
中曽根内閣で運輸相などを務めた山下徳夫氏が死去した。謹んで哀悼の意を表する。すでに94歳とのことであり、死去に驚きはないが、安全問題研究会としては、この人に関し、ぜひとも書き残しておかなければならないことがある。
山下氏は、地元が佐賀県であり、旧佐賀全県区からの選出だった。地元に帰る際は、羽田~福岡線をよく利用していたようだが、「あの日」1985年8月12日、地元での用務を終えて東京に戻る際もJALの福岡~羽田線を利用した。この際に、山下運輸相(当時)が搭乗していた機体こそ、その数時間後、羽田~大阪線として折り返す途中、御巣鷹に墜落することになる機体番号JA8119号機だったのである。
墜落事故発生後、山下運輸相が中曽根首相にこのいきさつを報告すると、首相から「大臣の乗っていたときに何か異常がなかったか」聞かれたという。これに対し、山下運輸相は「私が乗ったときは何も異常がなかった」と答えている。
あと数時間の差で、山下運輸相みずからが墜落事故の犠牲者になっていたかもしれない、薄氷の歴史の1ページだった。歴史に「もし」は許されないが、もし、航空行政を担当する現職の運輸大臣が日航機事故で死亡していたら、その衝撃はさらに大きなものとなっていただろう。中曽根政権への大きな政治的打撃になった可能性もあった。
事故後に発表された航空機事故調査委員会(現・運輸安全委員会)報告書の「圧力隔壁崩壊~急減圧発生」説を当ブログと安全問題研究会は全く信じていない。墜落原因をミサイル撃墜や「無人標的機の衝突」などの外部要因に求めようとする声は今もある。その是非はさておき、当ブログと安全問題研究会は、今なお、この事故の原因は再調査されるべきだと考えている。