人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

<地方交通に未来を(7)>かつてない哀しみの中で迎えた鉄道150年

2022-10-13 22:30:04 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 「汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり」……鉄道唱歌にも歌われている日本初の鉄道が、新橋~横浜間に開業してから今年10月14日で150年になる。だが、日本各地に祝賀ムードは全くない。毎年、10月のこの時期になるとイベントを開催していた鉄道会社も、災害多発による業績悪化に加え、「非常識鉄道ファンの暴走」ばかりの現状に嫌気がさしたのか、ここ5年ほどはほとんどイベントも開催されなくなった。

 かくいう筆者も、国鉄分割民営化の時点で鉄道、特にローカル線の衰退は予想していたものの、このメモリアルイヤーをこれほどまでの哀しみをもって迎えなければならないとは正直、予想を超えていた。もしも今、国鉄がそのまま残っていれば、国鉄主催で様々なイベントが企画されたであろうし、「鉄道150周年記念国鉄全線10日間フリーきっぷ(1セット10万円)」発売くらいのことは行われ、全国の駅は利用客でごった返していたに違いないと想像すると、35年前に行われた「改革」とやらの罪深さが改めて浮き彫りになる。

 国鉄「改革」を今でも成功だと思っている人たちは、今の鉄道危機は会社分割のせいではないと主張するに違いない。この点について、アジア各国の鉄道を乗り歩き、レポートしている自称「アジアン鉄道ライター」高木聡さんはこう鋭く指摘する。『(国鉄改革の結果)国土の骨格たる鉄路を守ることができなかった。地域ごとに鉄路は分断され、整備新幹線開業による並行在来線化でそれはますます顕著になっている。災害が起きずとも、既に日本の鉄道はズタズタだ。一見、線路はつながっているように見えても、JR各社のみならず、最近は路線ごとに別々の信号やオペレーションのシステムを有し、国鉄型車両が減少し、各社独自設計のものが増えた結果、各線を相互に乗り入れることも難しくなりつつある』。1990年代以降、日本製鉄道車両の海外輸出が減り、ここ10年くらいは海外鉄道への車両輸出をめぐる入札でも日本企業は連戦連敗を続けている。これも『国としての技術が各社に散逸』した結果であり『少なからず国鉄解体も絡んでいる』と高木さんは断言する(注)。

 実際、日本では1990年代から2000年代初めにかけ、国鉄再建法の成立で工事凍結となっていた建設予定線の「凍結解除」に伴うローカル新線開業が続いた時期もあった(秋田内陸縦貫鉄道、智頭急行、阿佐海岸鉄道、土佐くろしお鉄道の延伸など)が、この時期を例外としてローカル線は縮小の一途をたどった。ローカル線向け鉄道車両メーカーはどんどん撤退し、路面電車メーカー・新潟鐵工のように倒産してしまった企業さえある。日本の車両メーカーは新幹線と大都市圏の電車に得意分野が偏っており、海外の鉄道会社が求める需要にマッチしていないため、思うように売り込みができないでいる。

 ローカル線に関しても『コロナ禍を機に、日本国内の鉄道はさらに「見直し」が進んでいるが、鉄道会社任せ、地方自治体任せで国の積極的な介入が見られない。それどころか、線路を剥ぐこと、細分化していくことしか考えていないように見える』と高木さんは指摘する。これは大半の市民が感じていることでもある。

 最近の鉄道や公共交通に関する議論を見ていると、公共交通が市民に頼りにされておらず、特に地方鉄道は移動手段として選択肢の1つにすらなっていないように感じられる。鉄道は「SLやイベント列車が走るときに乗りに行くもの」「外国人観光客が乗るもの」になってしまっており、地元住民の日常移動はすべて車。ひどい人になると、自宅の前にバス停があることすら知らなかったというケースも珍しくない。

 筆者は、2006年にヨーロッパ数カ国を回ったが、地域の拠点駅や公共施設の周辺には自動車乗り入れを禁止している都市も多い。公共交通をどんなに便利にしても「ドアツードア」の自動車には勝てないのだから、これからのまちづくりはヨーロッパのようにあえて「車を不便にする」方向に切り替えるべきである。

 『各旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社の輸送の安全の確保及び災害の防止のための施設の整備・維持、水害・雪害等による災害復旧に必要な資金の確保について特別の配慮を行うこと』――1987年11月、国鉄改革関連8法案が参院で可決・成立した際の附帯決議にこのような1項目がある。「鉄道ジャーナル」11月号に、地方の人から「鉄道は雨や風ですぐ止まり、大事な用事では使えない」と言われる、と鉄道の現状を憂える株式会社ライトレール・阿部等社長のコメントが掲載されている。こうした事態を招いたのは附帯決議を政府が放置したからだ。自民党にとって道路は票になるが鉄道はならないからだと、この間、多くの人に聞かされた。国民が切実に存続を願っている社会インフラを朽ち果てるまで放置しながら、票と金のためなら悪魔やインチキカルト宗教とも平然と手を組んで恥じない自民党。この際、国鉄のように自民党も「分割・民営化」し、従わない者は「自民党清算事業団」にでも送った方が日本のためになる。

 前述した高木聡さんの論考でも明らかなように、鉄道を知悉する人材が分割民営化によって育たなくなった。鉄道再建の人材が払底していることを筆者は最近痛感する。150年前の鉄道黎明期、多くの人材が英国やプロイセン(ドイツ)に学んだように、今こそ鉄道再建に成功している海外の知見に率直に学ぶときだと考える。

 情けないのはJRの労働組合や鉄道ファンも同じである。鉄道縮小は労働組合にとっては職場が縮小すること、鉄道ファンにとっては趣味活動の対象が縮小することを意味しているのに、全く鉄道再建を求める声が上がらない。報道されるのは内輪の論理に汲々とする労働組合、非常識な「撮り鉄」の話題ばかりで嫌になる。

 鉄道150年。メモリアルイヤーを通じて見えてきたのは、鉄道衰退から再建へ向け道筋を描く困難さである。狭い列島に小さな鉄道会社ばかりがひしめき、技術・人材から列車運行に至るまで何もかもバラバラの現状。ほとんどが問題意識も持てないJR労組、趣味活動に逃げ込み非常識な行動を繰り返すだけの「マニア」、動こうとしない政治・行政、鉄道なんて自分は乗らないからどうでもいい一般市民……「複合的要因」が重なり合う鉄道衰退の困難な背景が見えたからだ。それだけに「こうすれば再建できる」という特効薬もありそうになく、苦悩だけが深まっている。

注)「日本の鉄道」はもはや途上国レベル? 国鉄解体の功罪、鉄路・技術も分断され インフラ輸出の前途も暗い現実(Merkmal)

 (2022年10月10日)

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