沖縄の平和運動は平和に全然貢献していない







「かみつくⅢ 」の目次
目次

維新の会が沖縄の政治を変革する  又吉康隆

生徒に一番必要なのは学力だ  三
大坂維新の会と沖縄の政党そうぞうが協定を結ぶ 一一
維新の会が沖縄の政治を変革する  一三

橋下市長と慰安婦問題  二八

関西ネットワークの大嘘はまる隠しされた  四九

ブログ・狼魔人日記  江崎孝

稲嶺名護市長、選挙違反で告発さる  七九
浦添市長選「無党派」松本哲治氏(四十五)初当選 八五

ブログ・光と影  古代ヒロシ

那覇から普天間に民間空港を移転できないか?  八八

じんじんのブログ  じんじん

米統治により、
沖縄は近代化されたことを忘れてはダメ   九三
                        
ブログ・沖縄に内なる民主主義はあるか
                     又吉康隆

二年連続教え子へのわいせつ行為ができる島・沖縄 九五


短編小説  又吉康隆
港町のスナックはてんやわんや  九九


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だから、学力テスト全国最下位だ

 石垣市教育長玉津氏が平和教育に対して「戦争への嫌悪感で思考停止」と表現したことに教育関係者や沖縄戦の語り部、平和団体が猛反発した。市議会では与党の自民議員の賛成も加わり、玉津博克教育長への不信任が決議された。
今年の全国学力テストが全国最下位しかも、中学の場合は点差が大きく開いた最下位だったが、教育関係者は反省も悲壮感もなく静かだった。教育関係の学者は沖縄の貧困、夜型生活、離婚率が高いのが学力低下の原因であるなどと、学校の教育にはなんの落ち度もないような発言が続いた
 今教育界で熱心なのはウチナー口の普及だ。ウチナー口の教則本をつくることに喜々としている。平和運動に狂奔しウチナー口普及に喜々としている沖縄教育界は学力向上に手をつける暇がないということなのだろう。
学力テスト全国最下位が判明したのは最近のことではない。一九五四年の「全国小・中学校児童生徒学力水準調査」で全国とは大きな学力差があることが判明した。その時から六十年近く沖縄は最下位である。本土との学力差は国費・自費という特別枠で本土の国立大学に進学した学生が授業についていけずに自殺する悲劇を招いた。私の同期生には国費・自費ではなく、私立大学に進学したが授業についていけないで自殺した学生がいた。

 復帰前は本土に比べて備品が少ないから沖縄の学力が低いと教員組織や識者は主張していた。祖国復帰して備品が本土なみになれば学力も本土並みになるというのがあの頃の教育関係者や革新政治家の定説だった。だから祖国復帰運動は学力向上の運動でもあった。子を持つ親が祖国復帰運動に参加するのは当然の流れである。
 しかし、復帰して四〇年経過しても沖縄の学力は全国最下位のままである。備品は本土並みになった。それでも学力が低いということは学力が低い原因は備品の問題ではなかったということだ。で、最近は貧困、夜型社会、母子家庭が多い等々の沖縄の社会が学力全国最下位の原因としている。
しかし、その理屈が間違っているのは全国一位である秋田県が示している。一九五六年の全国テストで秋田県は四十位前後であった。秋田県は沖縄と同じように、経済的に豊ではない。その秋田が四十三年ぶり行った全国学力テストで一位に輝いたのである。「沖縄の学力」の著者市村彦二氏は秋田県の教育状況を調査し、県の教育への取り組みの素晴らしさを知って秋田県が全国一になったことを納得したという。
 沖縄と秋田の違いは設備でもなければ貧困でもない。四十位からトップになった秋田と最下位を続ける沖縄との違いは学力向上に真剣に取り組んだか取り組まなかったかの違いである。
 秋田は懸命に学力向上に取り組んだが、沖縄は懸命に平和運動という名の政治活動に取り組んだのだ。復帰前は復帰すれば本土並みの学力になると主張していたが、復帰した後は沖縄の貧困が学力最下位の原因だと主張し、貧困の原因は米軍基地にあるなどと政治運動にいそしんでいるのが現在の沖教祖である。
 学力向上は県と教育関係者が一体になって学力向上を目指さなければ実現しないと秋田を調査した市村氏の感想である。学力向上には強い政治の介入が必要であるし、政治活動をほっといて学力向上に情熱を注ぐ教員が必要である。

 沖縄を見れば革新政治家の多くは教員出身であるから革新政治家に期待はできない。一方自民党はどうであるか。経済界が儲けることに手を貸す自民党は、金儲けになる公共工事には関心を持つが、金儲けに無縁な教育には全然興味を持たない。辺野古だって日本政府は陸上案であったのに莫大な儲けになる埋め立てを主張したのが自民党であった。仲井真知事は埋め立て地を延長しない限り埋め立て許可を出さないなどと言っていた。
沖縄の場合、革新も自民も学力向上には無関心である。沖縄の学力向上は絶望的である。

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沖縄の平和運動は平和に全然貢献していない

 沖縄戦から六十八年も過ぎている。世界情況は大きく変化した。沖縄の平和教育は沖縄戦を体験した元女学生などの体験談が中心である。彼らはなぜ沖縄戦が起こり、戦後、世界でどんな戦争があったかに無知である。戦争の悲劇は戦後もつづいた。ソ連崩壊後のヨーロッパでは民族対立・宗教対立による悲惨な戦争が多く起こった。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
         ブルバニャ橋の悲劇

 一九九二年、ユーゴスラビアからの独立を求める「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」が始まると事態は急変した。それは死者十万人とも言われる最悪の民族紛争…当時ボスニア・ヘルツェゴビナは、セルビア人、ムスリム人、クロアチア人の三つの民族が多く住んでいた。異なる民族の2人はいわば敵同士になってしまった。それでもボシュコ(セルビア人)は銃弾の飛び交う街を駆け抜け、毎日のようにアドミラ(ムスリム人)の元へ行った。命がけの愛だった。  
 しかし、ある日悲劇は起こった。セルビア人であるボシュコの居所がムスリム人側のサラエボ警察にばれてしまい、出頭命令が出てしまったのだ。捕虜となった人々は虐殺されるという現実…出頭すれば命はない。一緒に生きる事を誓った二人は、ついにサラエボの街からの脱出を決意した。
 サラエボからの脱出ルートには、ある“橋”を渡らなければいけなかった。長さ五十メートルの“ブルバニャ橋”。そこは、ムスリム人、セルビア人がにらみ合う中立地帯。侵入すれば、誰彼構わず射殺される可能性のある危険なエリアだった。一九九三年五月十九日、運命の時。この橋を渡れば、二人で新たな人生をスタートさせられる…意を決し、ボシュコが先に橋を駆け抜けようとしたその時だった。銃弾がボシュコの胸を撃ち抜いた。すぐにアドミラは愛する人の元へ走った。しかし二発目の銃弾が鳴り響き、アドミラも橋の上に倒れた…それでもアドミラは最後の力を振り絞り、ボシュコに這い寄り、覆いかぶさるようにして、二人は静かに息を引き取った。二人の遺体は一週間以上も橋の上にさらされたままだった。

ボシュコとアドミラ

ブルバニャ橋


 二人の死から二年六か月後、紛争は終わった。そして現在のサラエボは、多くの人で賑わう平和な町になっていた。だが、街の至る所には今なお銃痕が残り、多くの墓地があり、紛争の凄まじさがうかがえる。そしてサラエボ冬季オリンピックのメーンスタジアムの脇には、二人が一緒に埋葬された墓がある。現在セルビアの小さな町に住むボシュコの母ラーダさんは、「ボシュコとアドミラは、誰も二人を引き離すことはできないと思っていました。民族や宗教、肌の色などの違いで人々が分断されない世の中になることを祈っています」と語った。

 この実話は戦争の残酷さを伝えるだけではなく、反戦の気持ち、人間愛、そして、平和のありがたさだけでなく将来への希望を感じさせる。

 しかし、沖縄の老人たちの戦争体験談は戦争の怖さ、惨さ、日本兵の残忍さを伝えるだけで、なぜ沖縄戦が起こったか、戦後の世界の戦争はどのように変化したのかは教えない。ただただ戦争は怖い惨い、だから戦争は駄目というだけである。そして、軍隊があるから戦争が起こる。米軍基地があるから戦争に巻き込まれる。戦争が起こったら真っ先に沖縄が攻撃されると言い、平和運動がいつの間にか米軍基地撤去運動に転換していくのである。

 アジアの国は日本、中国、北朝鮮、韓国、フィリピン、台湾、インドネシアなどである。アメリカや日本が戦争するとしたら相手国はそれらの国である。アメリカや日本は一体どの国と戦争をするというのだ。戦争相手国を示さないで米軍がいるから戦争に巻き込まれるという抽象的な話はなんの意味もない。戦争恐怖を植え付けるだけだ。そんな妄想じみた話は止めるべきだ。
しかし、戦争体験を語る老人たちはアジアの国々を知らない。ただただ戦争は駄目だ。米軍基地があるから沖縄は戦争に巻き込まれると呪文を唱えるだけだ。老人たちだけではない。大学卒で知識の高い人たちの組織である沖教祖や革新政治家も老人たちと同じように戦争は駄目だ。米軍基地があるから沖縄は戦争に巻き込まれると呪文を唱えるだけだ。

 調子に乗って米軍基地のある沖縄は戦場と同じだなどと吹聴する。シリア内戦ではすでに五万人の人が殺されている。数日前にはケニアの首都ナイロビのショッピングモールをテロリストが襲撃して六十七人の市民が殺害された。アフガン、パキスタン、イラクでは繰り返される自爆で多くの市民の命がなくなっている。それが戦争だ。戦争では貴い命が毎日失われていく。戦後の沖縄はテロ襲撃で県民の命が失われたことはない。他国の軍隊に襲撃されたこともない。米軍基地のある沖縄は戦場と同じだなどと吹聴できるのは沖縄が平和だからだ。米軍に保護されて平和だから沖縄は戦場だなどと平気で言える。もし沖縄で戦争が起こったら、沖縄は戦場だなどと吹聴している連中は県民を守ってくれと米軍に泣きつくだろう。

 沖縄の平和運動は反米軍基地運動に転換し、米軍を撤去すれば沖縄は平和になると空念仏を繰り返すだけであり、将来への夢も希望もない運動である。
 沖縄の平和を本当に願うなら、今の沖縄を取り巻くアジア情勢を見、沖縄を襲ってくる可能性のある国に沖縄を襲ってくるなと訴える運動をするべきである。

 沖縄を襲ってくる可能性のある国は中国である。中国は尖閣は中国の領土だと主張し、尖閣は我が領土だと主張する日本と戦争も辞さないと豪語している。沖縄の上空に無人機を飛ばし、自衛隊が無人機を撃ち落とせば戦争をするぞと脅かしている。
戦争は惨いと念仏を繰り返すのではなく、米軍基地撤去の主張を繰り返すのではなく、沖縄を襲うぞと威嚇し脅し続けている中国に抗議をするのが沖縄の平和運動のあるべき姿だ。

 学力全国最下位を放置し、中国の脅威を無視し、アジア・世界を見る目を目隠しにし、六十八年前の悲惨さと米軍基地反対をやっている平和運動は沖縄の平和に全然貢献していない。子供たちの視野を狭くしているだけだ。
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