なぜ集団自決が起こったか







「かみつくⅢ 」の目次
目次

維新の会が沖縄の政治を変革する  又吉康隆

生徒に一番必要なのは学力だ  三
大坂維新の会と沖縄の政党そうぞうが協定を結ぶ 一一
維新の会が沖縄の政治を変革する  一三

橋下市長と慰安婦問題  二八

関西ネットワークの大嘘はまる隠しされた  四九

ブログ・狼魔人日記  江崎孝

稲嶺名護市長、選挙違反で告発さる  七九
浦添市長選「無党派」松本哲治氏(四十五)初当選 八五

ブログ・光と影  古代ヒロシ

那覇から普天間に民間空港を移転できないか?  八八

じんじんのブログ  じんじん

米統治により、
沖縄は近代化されたことを忘れてはダメ   九三
                        
ブログ・沖縄に内なる民主主義はあるか
                     又吉康隆

二年連続教え子へのわいせつ行為ができる島・沖縄 九五


短編小説  又吉康隆
港町のスナックはてんやわんや  九九


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なぜ集団自決が起こったか



 沖縄戦の時、座間味島二三四人、渡嘉敷島三二九の島の人たちが軍命令で集団自決したという話を私が最初に聞いたのは四〇年以上も前である。大江健三郎のフアンであった友人が大江健三郎の沖縄ノートに書いてあるといった。私が学生運動をやっていたので興味を持つだろうと思って友人は私に話したと思うが、私は慶良間の集団自決に関心を持たなかった。それには理由があった。

 高校生の時に、沖縄県民が日本兵にスパイ容疑で殺害された事件があったことを聞いた。沖縄方言は日本兵には意味が分からない。方言を話す県民に日本兵は疑心暗鬼になり、スパイ容疑で殺害したと高校の教師は話した。日本兵が県民を殺した話を聞いて私は大きなショックを受けた。方言を話しただけで殺すなんて信じられない。半信半疑の私は学校の図書館でそのような事実を書いてある本を探した。
 本はあった。沖縄戦について書いた本であったが、本島の北部で照屋忠英という校長が殺されたことが書いてあった。方言を話した県民が殺されたこともショックだったが、校長が殺されたことにもっと強いショックを受けた。校長なら共通語が話せたはずである。方言しか話せない県民が殺されたのとは違う。校長さえも殺したということは、日本兵による沖縄県民のスパイ容疑殺害事件は日本兵が沖縄の方言がわからないということだけが原因ではないことになる。日本兵が沖縄県民をスパイ容疑で殺したのは沖縄県民の命を軽視し沖縄差別があったからだと私は思った。私は照屋忠英校長がスパイ容疑で殺されたことに対して日本兵に怒りを覚えたが、それは過去の沖縄戦の話であり、現在とは関係がない。スパイ容疑殺害に対する私なりの判断をし、私の問題追究はそれで終わった。

照屋忠英校長
 天底尋常高等小学校(今帰仁村)では創立50周年記念事業として一九三八年(S.十三)に奉安殿が建造された。照屋忠英校長は、沖縄師範を出た勤勉努力家タイプの人で、三十二歳で校長に抜擢された優秀な先生だった。当時の優秀な先生というのは、国策に沿った教育を実践していると云うことである。 奉安殿を創るには多額のお金が必要。照屋校長は地域の人達を説得し、多額のお金を集め、県下随一といわれる荘厳な神社様式の奉安殿を創った。国に忠実な照屋校長だったが、一九四五年.四月十八日.伊豆味の山中で日本兵にスパイ容疑で虐殺される。明治以来「忠良なる臣民づくり」が教育のキーワード、その結末として照屋校長の虐殺がある。
                            琉球新報

 私が集団自決の話を聞いた時、脳裡に高校生の時に関心のあったスパイ容疑殺害のことが浮かんだ。私は集団自決とスパイ容疑殺害事件を比較した。

 スパイ容疑で県民を殺した日本軍である。沖縄の人命を軽く見ている日本軍が県民に自決命令をしたのはあり得ることである。私には軍命令があったことに驚きはなかった。軍命令は私の想定内であった。ただ、集団自決とスパイ容疑殺害には決定的な違いがある。スパイ容疑殺害は日本兵による理不尽な殺害である。しかし、集団自決はスパイ容疑殺害とは違って本人が自らの死を決めている。日本軍が自決命令を出したとしても最終的に死を決めるのは本人である。日本軍が自決命令を出したからといって死ぬのが嫌なら集団自決の場から逃げて自決しなかったはずだ(事実、自決現場から逃げた人もいた)。自決は最終的に自分の意思で決めることだ。集団自決は悲惨なことであるが、自分で死を選んだのだからスパイ容疑殺害のような日本軍による一方的な殺害ではない。集団自決はスパイ容疑殺害に比べれば悲惨ではないと私は思った。
 日本軍は手りゅう弾を与え、島民は自ら手りゅう弾のピンを抜いたというのが私の説だった。そのような内容の意見文を四、五年ほど前、琉球新報に投稿した。残念ながら掲載はされなかった。

題名・集団自決の原因はなににあるか

 スパイ容疑殺害と集団自決は性質が異なります。集団自決はスパイ容疑のように日本軍によって殺されたのではありません。集団自決は、たとえ軍命令であったとしても、最終的には本人の決意で手榴弾のピンを抜いたのです。本人の決意がなければ自決は実行されなかったのです。集団自決に関しては自決した人々の精神・思想も重要な問題となります。集団自決を決行した人々は「天皇陛下万歳」と叫んで自決しています。自決した人々は天皇を崇拝し、天皇や国のために自決をするという自己犠牲の思想があったということです。

 集団自決について確信をついたいい文章であると思っていたので新聞に掲載されなかったのを残念に思っていたが、「集団自決=強制集団死」と書くようになった沖縄の新聞だから、いまから考えると、自ら死を選んだという意見が掲載されなかったのは当然だったのかもしれない。
 新聞に掲載はされなかったが、日本軍の自決命令だけでは集団自決はなかった。本人たちの死の決意も重なって集団自決があったのだという私の考えが真実に近いだろうという自負が私にはあった。ところが私の自負が消し飛ぶことが起こった。
 座間味村の集団自決に軍命令を出した梅沢元隊長は韓国の慰安婦と謎の死を遂げたはずだったが、なんと梅沢元隊長は生存していて、ユーチューブに彼の映像があるということを狼魔人日記の江崎さんが教えてくれた。私は梅沢元隊長の映像をユーチューブで探した。江崎さん言った通り本当に梅沢元隊長の映像があった。
九十三歳の梅沢元隊長は姿勢がよく、話も元隊長らしく無駄のない単純明快に話した。


二〇〇九年十月

 梅沢元隊長は自決命令を出していなかったと明言した。それどころか自決するために機関銃を借りに来た村の代表に、自決はするなと怒って帰したというのだ。

「馬鹿なことを言うな! 死ぬんじゃない。今まで何のために戦闘準備をしたのか。みんなあなた方を守り日本を守るためじゃないか。あなたたちは部隊のずっと後ろの方、島の反対側に避難していれば良いのだ」
「食糧も山中の壕に一杯蓄えてある。そこに避難しなさい。死ぬなど馬鹿な考えを起こしてはいけないよ」

 日本軍は県民に自決命令を出したと何百回何千回と報道されてきたから、私は日本軍が自決命令を出したと完全に信じていた。しかし、梅沢元隊長は自決命令は出さなかった。それどころか自決はしないで生き延びろと言ったのだ。
助役の宮里盛秀氏が、
「いよいよ敵が上陸しそうです。長い間、御苦労様でしたが、お別れに来ました。私たちは前から、年寄り、女子供、赤ん坊は軍の足手まといになるため、死ぬと決めています」
といったことに梅澤元隊長は本当に驚いたという。「戦国時代の物語として聞いたようなことを、まさか、沖縄の人が言うとは思いませんでした」と語った。私は梅沢元隊長の話に驚いた。私の頭は混乱した。

 高校生の時、特攻隊が「天皇陛下バンザイ」と叫んで敵艦に突っ込んでいくシーンを何度も見た。私は本当に特攻隊員は天皇陛下のために死んでいったのか疑問だった。私は天皇陛下のために特攻隊員として死ねるかどうかを自問自答した。戦後生まれで、近くに米軍基地があり、アメリカ人もいる社会で育ち、天皇崇拝とは遠いところにいる私の結論は天皇陛下のためには死ねないが親兄弟や国民のためには死ねるということだった。
 琉大に入り、吉本隆明氏が特攻隊員の多くの若者が私と同じ考えだったと本に書いてあるのを読んでやっぱりそうだったかと迷いがふっ切れたことがあった。
 私たちが忘れてならないのは軍隊は国のために戦うことを本分としていることである。軍人はそのように教育される。国民を支配しろとは教育されない。梅沢元隊長が中国戦線から座間味島に来たのは座間味を死守するためであった。
私は梅沢元隊長の話を聞きながら、私もいつの間にか日本軍は悪というイメージが脳裏にこびりついていることに気が付いた。梅沢元隊長は生粋の軍人である。軍人とは国土と国民を守るのを責務としている。

「馬鹿なことを言うな! 死ぬんじゃない。今まで何のために戦闘準備をしたのか。みんなあなた方を守り日本を守るためじゃないか。あなたたちは部隊のずっと後ろの方、島の反対側に避難していれば良いのだ」
と、梅沢元隊長は村の代表者に言ったという。日本軍の言葉ではないような感じを受けるが、本当は梅沢元隊長は軍人として当然のことを言っているのだ。

「軍隊は住民を守らない」という噂がまことしやかに流布しているが、沖縄戦では十万人の日本兵が戦死し、日本軍は壊滅した。壊滅した軍隊が住民を守ることができないのは当然である。ほとんどの日本兵は沖縄を死守しようと死を覚悟してアメリカ軍に切り込んでいった。日本軍がアメリカ軍に勝てば住民を守ることができたはずである。しかし、日本軍は壊滅した。

 日本軍は自決命令を出さなかったということだと、「日本軍は手りゅう弾を与え、島民は自ら手りゅう弾のピンを抜いた」という私の理屈が成り立たないことになる。それどころか島民は「死ぬな」という梅沢隊長の命令に従わず集団自決をした。なぜ、日本軍の命令に背いてまで集団自決をしたのか。
 琉球王国時代には自決の思想はなかった。もちろん明治になっても自決の思想はなかった。それなのに沖縄戦では日本軍の命令に背いてまで集団自決をやったのだ。

 沖縄戦の集団自決の原因を解き明かすには明治維新から沖縄戦までを辿らなければならない。沖縄にいつの時代に「自決の思想」が生まれたか、原因を見つけなければならない。琉球王国時代の沖縄には自決する思想はなく、「命どぅ宝」といってどんなに困難な状態に陥っても生き抜くという生への思想があった。「イチカリールエエダー イチケー(生きられるだけ生き抜け)」という生への執着が沖縄の思想だった。

 明治時代の沖縄は自決するという思想を否定する思想であった。それなのに沖縄戦では集団自決をしたのである。軍命令がなかったのにだ。沖縄には元々は自決の思想がなかったし、沖縄戦では軍命令もなかったのに集団自決をした。その原因は明治から沖縄戦までの間に沖縄の思想を転換させたものがあったはずだ。それを解き明かさなければならない。
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