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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

マナが初めて降った日

2018-06-21 15:25:45 | 
先週家庭集会で、旧約聖書の学びをしました。旧約聖書の出エジプト記には、イスラエルがエジプトを脱出して40年間荒野の旅をしたことが書かれています。

飢饉によりエジプトに移住していたイスラエル人は、エジプトで過酷な奴隷生活をおくっていました。あまりにも辛くてうめき声を上げたら、神様はその声を聞かれ、モーセをリーダーとしてエジプトを脱出させ、約束の地に導かれました。

エジプトの王パロは、働き手であるイスラエルの民を行かせないようにしましたが、10の災いが起きたとき、やっと出ていくことを許しました。ところが追いかけてきてイスラエルの民は海とエジプトの大軍にはさまれ絶体絶命になりました。
そのとき、海がふたつに割れるという奇跡が起きました。

イスラエル人は守られて海の道を渡り、何もない荒野での生活が始まりました。
たちまち水がないことで文句を言い、食べ物がなくなったと嘆きました。

男だけで60万人(女子どもを入れたら100万人を超えていただろうと言われています)を引き連れて荒野を旅するなど、不可能に近いのではないでしょうか。

でも、旅は40年にもなり、その間守られています。水がないと騒いだときは、モーセが杖で岩を打つと、そこから水が流れでて、腹が減ったといえば、天からマナが降り、肉が食べたいといえば、ウズラの大軍が落ちてきました。

このマナというものの正体は何だったのでしょう?

露が乾いたあとに残る薄い鱗もしくは霜のような外見であり、コエンドロの実のように白く、蜜を入れたせんべいのように甘いとされています。

毎日マナを一日分を集めて食べるように言われました。それ以上取っておくと腐ってしまいます。週に一度の安息日は、マナは降らないので、安息日の前の日だけは、2日分集めていました。

約束の地カナンに着くまで毎日降り続けたというマナ。人々はそのような恵みに預かっていたのにエジプトにはたくさんの食べ物があったと、文句を言い始めます。


マナとはどんなものだったのか・・・・・・今もあれば食べてみたいです。初めてマナを食べたとき、人々は感動したのではないでしょうか。モーセの孫(ひ孫)が最初に食べたときどんなふうに感じたか詩にしてみました。
         
     マナが初めて降った日

マナが初めて降った日、外に出て目を見開いた
白い砂のようなものが宿営の周り一面に積もっている
「これは何だろう?」
そっと手ですくってみる
「うまいぞ、食べてごらん」
おじいさんに言われて、白くなった指先を口に入れる
甘く、とろけるようなおいしさがのどに落ちていく

焼けばせんべいのようにパリパリ
煮込めばもちのようにしっとり
夢中で集めた
「集めすぎるな。マナは安息日を除いて毎日降る
明日も、明後日も」
おじいさんが言ったとおりになった。

40年近くたって、まだマナは降っていた
ああ、またマナか……。と、つぶやいているわたしがいた。
わたしたちが飢えてしまわないように、与え続けられた食物
それにもう飽きたといった
マナが初めて降った日
ああ、あのときのわたしの心はどこへいったの
あのときのわたしにもどしてください




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