生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

悲しい。でも、嬉しい。

2015-04-06 20:37:31 | 教会
4日に母と妹が我が家に来ました。母の老人ホーム入居手続きをするためです。タイプの違う3部屋が空いていたので3部屋とも見学しました。迷った末、2番目に広い部屋に決めました。その部屋の窓からうちのマンションが見えたので、母は喜んでいました。

翌日は日曜日です。一緒に教会へ行こうと誘いました。母と妹はためらっていたので、「礼拝の後、お父さんの遺骨が納められている納骨堂に行きましょう。(秋田にある)お墓参りには行けなかったから」と言うと、母と妹は「それなら行く」と言いました。


その日は、イースター礼拝でした。イースターとはイエス様が復活されたことを記念してお祝いする日です。

水野源三さんの詩「こんな美しい朝に」の賛美が流れると、涙があふれてなりませんでした。
ついに母を連れて教会に行けたのです。妹や娘も一緒に礼拝を捧げられるとは、なんと素晴らしいことでしょう。

「こんな美しい朝に」の詩を紹介します。作者の水野源蔵さんは病で手足を動かすことができません。まばたきで合図を送って書いた詩です。


     こんな美しい朝に     水野源三

   空には 
   夜明けとともに 
   ひばりが鳴き出し
   野辺には 
   つゆに濡れて 
   すみれが咲き匂う

   こんな美しい朝に 
   こんな美しい朝に
   主イエスさまは 
   よみがえられたのだろう



イエス様の復活が信じられないという人が多いです。それさえなければ、キリスト教を信じるのにと言う人さえいます。

確かな証拠はなく、目で見ることができません。
でも、聖書は「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(Ⅰコリント15-20)」と、キリストの復活をはっきり断言しています。

初穂と書かれているのは、2番穂、3番穂があるということで、私たちもやがて復活させられるという保障です』と牧師先生が言われました。

わたしは悲しいのです。今あるものがいつまでも同じ状態でなく、時間とともに衰えていくことが。きれいに咲いている花もやがて枯れます。新築の家も、何十年か経てばぼろぼろになります。人間も動物もどんどん老化し、行きつくところは死です。
なぜ同じ状態で留まってくれないのでしょう……。

でも、わたしは嬉しいのです。
イエス様がよみがえられたということは、死から勝利したということだからです。
「死は勝利にのまれた」と聖書に書かれています。
私たちもやがてよみがえって、新しい、朽ちない体になるのです。

よみがえられたイエス様が信じる者と共にいてくださるのですから、こんなに嬉しいことはありません。

母よ、妹よ。地上での別れがあっても、天国で復活の体で再会できるのよ。お父さんとも再会できるのだからね。目の涙がすっかり拭い取られる日がくるのだから、嘆かないで。



礼拝の後、S牧師が納骨堂に伴ってくださり、祈ってくださったことがありがたく、忘れられないイースターになりました。



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